65 姫との交渉
プルメリスは難しい顔で話を聞いていた。
「つまり、聖女様は黒の神を弱らせる儀式のせいで記憶喪失になってしまい、今はムドーラ王国に保護されてるんだね?」
「はい」
「白亜教国は神々の融合を早めようと、さらに黒脈の一族を絶やそうとしている。それは人間にとってとても危険なこと。だから、三国で同盟を結んで早急に教国を滅ぼしたい……その提案を時の聖人ウツロギからされた。そして、間もなく我が王国にも声がかかると」
「おう。大体そんな感じだ……です」
「で、敵対関係にあったはずのきみたちは恋人になっていて、デート中に空の精霊によって強制的にこの部屋に転移させられた。寵愛を授かる試練のために」
レンフィとリオルが拙いながらも全容を話し終えると、プルメリスはこめかみを指先で押さえた。
「信じられないよ」
「ごめんなさい。でも、嘘は吐いてないんです」
「いや、疑っているわけじゃない。ただ、思ったよりも大変な話が出てきたものだから受け止められなくて……」
しばらくの沈黙の後、プルメリスが口を開いた。
「それで、きみたちの一番の望みは何?」
「穏便に迅速にムドーラに帰ること、です」
間髪入れずに答えるリオルに、プルメリスは目を細めた。
「敬語は要らない。わたしに協力するつもりはある?」
「じゃあ遠慮なく……穏便に済みそうにないから、あんたと男を合わせることには協力したくない」
「そう。ムドーラの将軍は随分慎重なんだね。何を心配しているの?」
挑発するような笑みに、リオルはにこりと答えた。
「本当に別れ話だけで済むと思うのか? 俺が相手だったら無理矢理あんたを攫う。二人で会える最初で最後の機会かもしれないんだぞ」
「野蛮で情熱的だね。わたしの彼はもっと冷静だよ」
「自分の女が他の男に奪われそうな時まで冷静でいるなら、心置きなく別れられるじゃねぇか」
「なっ!」
「ここで怒るってことは、あんたも攫われるつもりで会いに行くつもりじゃねぇの? 俺たちに別れ話の仲介じゃなくて、二度目の駆け落ちの手伝いをさせようとしてないか?」
国のために兵士たちの餌となることを甘んじて受け入れ、彼のことはきっぱり諦める。リオルはそのプルメリスの言葉を疑っていた。
レンフィは固唾を呑んで返答を待ったが、
「……そんなの彼次第だよ。まぁ、全く考えてなかったと言えば嘘になるけどね」
プルメリスは拗ねたように顔を背けた。
その言葉にレンフィは少なからずショックを受けたが、不思議と安堵した。彼女は全てを諦めたわけではないのだ。
「まさかと思うけど、自分の身替わりとしてレンフィを戦争の褒賞にするつもりだったんじゃねぇだろうな?」
内容もさることながら、リオルのいつになく冷たい声音にレンフィは寒気を覚えた。
プルメリスは目を見開き、首を横に振る。
「それは全く考えてなかった!」
「本当か?」
「黒の神様に誓う。彼女を、というか、自分以外の誰かに肩代わりさせるつもりはない」
リオルとプルメリスの視線が交錯する。やがて、リオルの方が力を抜いた。
「分かった。そこは信じる。どっちみち、俺たちはあんたの逢引きを手伝うつもりはねぇからな」
「……そう。じゃあどうするの? 素直にリッシュア軍に出頭するの?」
「あんたが事実を曲解して伝えないなら、それも考えてるけど」
「それは迷うところだね。協力してくれないなら恨むから。お父様にあることないこと吹き込んでしまうかもしれない」
実の娘と不法入国者ならば、前者の言葉を信用するに違いない。やはりプルメリスの協力は必須だ、とレンフィは祈るように二人の会話を見守った。
「三国同盟を潰す気なのか?」
「そもそも成立すると思う? 黒の王国は競い合い、争い合うのが常。わたしが何もしなくたって、同盟はまとまらないかもしれないよ」
「まとまらなければ教国を倒せない。このまま人間が滅んでもいいのかよ」
「正直、彼と生きられないのなら、こんな世界滅んでも構わない。それくらいには自分の運命を呪っているよ」
一歩も譲らず揺さぶり合う二人に、レンフィはたまらず声をかけた。
「あの、逃げるのではなく、プルメリス様が恋人とずっと一緒にいられる方法を考えてみませんか?」
すぐにリオルが首肯する。
「考えるまでもなく、一つだけあるよな。あんたの男が敵将の首を取ればいい」
「そんなの無理だよ。それどころか絶対死んでしまう」
「……少しは信じてやれよ。聞いた話じゃ、その男は王弟を殺してるんだろ? 黒脈の一族に勝てるなら、十分強いじゃん」
プルメリスは苛立たし気に髪を掻き上げた。
「彼はね、弓の名手なんだよ。乱戦の時に遠くから射抜いたらしい。叔父様は別の敵と戦っていて彼に気づいてなかっただけ。不意打ちだ、卑怯者だって散々罵られてた」
「それでもすごいと思うけどな。……ああ、でも、弓兵一人じゃ教国の敵将に命中させるのは難しいな」
レンフィは首を傾げた。
遠くから狙えば同じ結果が得られるのではないだろうか。
「弓兵は精霊術と相性が悪いんだよ。ムドーラでも弓兵は引き付ける役に徹していて、とどめは近距離部隊か魔法士がやるのが主流だな」
教国兵は精霊術で防御する。それを打ち破るためには魔力で身体能力を高めつつ、武器を強化するのが一番なのだが、一度手から離した矢には追加で魔力を込められない。
「風の精霊術士が相手だと簡単に軌道を逸らされちまうし……敵将って聖人だろ? 常に防御壁を展開してると思う。お前の水の繭みたいなやつな。矢じゃ攻撃が通らない」
「じゃあ、その方が聖人を倒すには……誰かに防御壁を破ってもらわないといけないんだ……」
口にしてからレンフィは気づいた。この話の流れは良くない。
「そうだな。前衛の兵士が防御壁を破った隙に、とどめの一矢を放つっていう手を使うしかない。ただ、それは獲物の横取り行為だ。めちゃくちゃ反感を買うし、一番の戦功は与えられにくいと思う」
「う、うん」
「だから、きちんと相棒にならないとな。チームの連携なら、横取りとは言われねぇから」
リオルは深いため息を吐き、プルメリスに向き直った。
「なぁ、この戦争の大将はどんな奴だ? 話が分かる奴?」
「……それを聞いてどうするの?」
微かな期待がこもった瞳に、リオルは苦々しい表情で答えた。
「俺が前衛やってやるよ。だから、あんたから大将に上手く話を通してくれ。穏便に迅速にな!」
その日の昼、プルメリスの部屋の扉を叩く者がいた。
「ルメ、私だ。入ってもいいか?」
「お兄様。忙しい時にごめんなさい。でも、少し待って」
扉に耳をつけ、プルメリスは慎重に話しかけた。
相手はプルメリスの実兄であり、この戦場の総大将を務める王太子のミスルト・ブラッド・リッシュアゼルである。
二人の兄妹仲は悪くない。ミスルトは妹の処遇に対して心を痛めており、度々この塔に足を運んで励ましている。
今日、初めてプルメリスから兄を呼び出した。いつ開戦するか分からない状況で来てくれるかは賭けであったが、火急の用と伝えた甲斐があった。
「今日はお兄様と二人で話がしたいの。他の者がいるなら、少し席を外して――」
「オレもいるぞ、プルメリス。殿下とどんな内緒話をするつもりか知らんが、どうせあの男のことだろう。なら、同席させてもらう」
「レドウ……」
レドウはプルメリスの従兄だ。ただでさえ昔から反りが合わないのに、己の恋人が射殺した叔父の息子とあって、顔を合わせるのはかなり気まずい。
プルメリスは忌々しく思いながらも、最終的には承諾した。今は時間が惜しい。
「ルメ、護衛の兵は下がらせたよ」
「ありがとう。ねぇ、お兄様、もう一つ確認させてほしいの。わたしがこの塔に来て一週間。アンズと軍の人間以外、塔に出入りした者はいないよね? ずっと見張りがいたし、運び込まれる物資の中身も検めていたでしょう?」
「……ああ。見張りというよりも、警備だ。お前の逃亡を疑っているわけではない」
目立つ位置にいた見張りの兵は下がっていたが、やはり監視の目は存在した。それを確認し、プルメリスは大きく息を吐く。
「じゃあ、どうぞ。入って」
扉が開かれると、ミスルトとレドウは大きく目を見開いた。
部屋の中にプルメリスの他、見知らぬ若い男女がいれば当然の反応と言えた。
レンフィはリオルの背に半分隠れ、恐る恐る観察する。
二人とも黒髪黒目の二十代半ばの男。黒脈の血を引く王子ということもあり、顔立ちは整っている。ミスルトの方は均整の取れた体格の優男で、レドウの方は筋骨隆々の巨体を持つ強面の男だった。
「何者だ!」
レドウが腰の剣に手をかける。二人を庇うようにプルメリスが間に入った。
「待って。一から話す。この者たちは、昨日突然わたしの部屋に現れたの。まだその扉の鍵がかかっていた時だよ。まずそれを信じて」
二人の王子は腑に落ちないという顔をしたが、ミスルトが先に頷いた。
「た、確かに、その二人の出入りはなかった。あったとすれば、警備兵の怠慢だ。後で厳罰を与えねば」
「それは可哀想だからやめてあげて。この二人は、空の精霊に無理矢理空間転移で飛ばされてきたんだって。警備兵に落ち度はないよ」
プルメリスの言葉に、王子たちが衝撃を受けたように体を揺らした。ついにレドウが剣を鞘から抜いた。
「精霊……教国の手先か!」
「違う。教国の人間だったら、とっくにわたしは殺されてる。二人は、ムドーラ王国の者だよ」
レンフィとリオルは黙って頷いた。
「どういうことだ? 全く意味が分からない。ムドーラ王国の人間がなぜこの国に? 空の精霊がなんだというのだ」
ミスルトの鋭い視線を受け、プルメリスが無理矢理レンフィの腕を引いた。
「信じられないかもしれないけど、この子はあの白虹の聖女レンフィ・スイ。教国の死亡発表は嘘で、この三か月ムドーラに保護されていたんだって」
「何!? やはり教国の者ではないか! しかも聖女レンフィだと!?」
「声が大きい! もう、いいから最後まで話を聞いてよ! 剣もしまって!」
それからプルメリスによって、事の経緯が説明された。今朝彼女に打ち明けた話と同じ内容である。
こそこそと逃げ隠れるよりも、リッシュアゼルの王子たちに堂々と素性を打ち明ける。
レンフィとリオルにとって、この暴露は博打だった。
どのみち空の精霊の寵愛を得ない限り、見張られているこの塔から逃げることはできなかった。リッシュアの騎兵に追いかけられては堪らない。そしてプルメリスを見捨てて逃げれば、追手の数も激増するだろう。
同盟が控えている以上、誠実に対応するしかない。それがレンフィとリオルの結論であった。
だからプルメリスと取引をした。
恋人の男に加勢する代わりに、こちら側に立ち、事実を話して王子たちと話をつけて欲しい、と。
「絶望の記憶を捧げる儀式……そんなことが」
「ふん、オレは全く信じられん。そもそもこの娘が聖女だという証拠はあるのか?」
「外見的特徴は一致するし、彼女からは強い霊力を感じる。……精霊術を見せてもらえるか」
ミスルトの言葉にレドウが食って掛かった。
「殿下! そのような許可を出しては危険では?」
「このような少女相手に怯える必要があるのか? おかしな動きをしたらすぐに斬ればよい」
リオルとプルメリスから視線で促され、レンフィは両手の指を絡める。どうか分かってもらえますように、という祈りを込めて霊力を織るように広げた。
水と光を生み出し、部屋を虹色のベールで彩る。
あまりにも神々しい光景に、二人の王子はしばし言葉を失くした。
精霊術自体は戦場で見飽きている。しかしレンフィのそれは全く違った。
殺意も敵意もない。どこまでも透明で清らかな霊力が部屋全体を埋め尽くし、世界を優しく慈しんでいる。
これだけの霊力を発していながら、レンフィは顔色一つ変えず静かに佇んでいた。
「なるほど……これならば、“白虹の聖女”と呼ばれるのも納得だ。いや、失礼。教国の聖人とはまるで違うな。ありがとう。もういいよ」
ミスルトは穏やかに「彼女が聖女レンフィであることは信じよう」と頷いた。レドウも面白くなさそうにしつつも、何も言わなかった。
「それで、そちらの彼は? 彼からは魔力を感じる。それも、なかなか鍛えられた魔力だ」
「彼はね……レンフィさんの恋人。えっと、驚かないでね? 実は……その」
言いづらいのだろう。プルメリスはなかなか口を開かなかった。
見かねたリオルが自ら礼をした。
正直、儀礼も言葉遣いもよく分からない。しかし侮られるわけにはいかなかった。必要以上にへりくだらず、堂々と背筋を伸ばす。
「初めてお目にかかります。俺は、ムドーラ王国国王直属軍の将軍の一人で、リオル・グラントと申します。不可抗力とはいえ、許可なく入国してしまったことについて、深くお詫びいたします」
さらなる衝撃に二人の王子が立ち尽くす中、リオルは毅然と告げた。
「空の精霊の導きによってこの戦場に呼ばれた以上、何かを成し遂げなければ帰れません。俺に参戦の許しをいただけませんか」




