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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第五章 聖女と戦場の試練

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64 相談する二人


 

 寝返りを打とうとしたら、柔らかいものが圧しかかってきた。

 それでリオルは目を覚まし、腕の中のぬくもりに気づく。


「…………わぁ」


 プラチナブロンドの美少女が自分に密着して寝息を立てていた。艶のある爪、滑らかな白い肌、瑞々しい唇、そのどれもこれもが優しい光を宿して輝いている。

 一瞬で幸せな気分になって、体が勝手にレンフィを抱きしめた。


 リオルはぼんやりとした頭で状況を整理する。

 レンフィとは晴れて両想いの恋人になった。しかし、一緒に眠るような関係には至っていないはず。酒でも飲んで肝心な記憶が飛んだのだろうか。だとしたら、自分の頭を殴ってでも記憶を取り戻さねば気が済まない。


「あ」


 そんな馬鹿なことを考えていたリオルは、湖から見知らぬ部屋に移動し、黒脈の姫に出会ったところまでを一気に思い出し、レンフィを抱えたまま飛び起きた。


 狭い部屋だった。

 ベッド以外の家具は小さなテーブルだけ。鉄格子はないが、それに近い雰囲気がある簡素な寝室だ。


「リオル……?」

「あ。悪い! 起こしちまったな」


 瞼をこすりながら、レンフィが目を開けた。声がまだ眠たげである。


「んん……もう体は大丈夫?」

「え、ああ、うん。まだ少し怠いけど、痛いとか辛いとかはない。大丈夫だ」

「そっか。良かった……あ」


 意識が覚醒するにつれ、レンフィは照れたように身じろぎしてリオルから離れた。乱れた髪を手櫛で直している。いちいち仕草が可愛いな、とリオルは己の恋人に感心した。

 しかし見惚れている場合ではない。


「ごめん。俺、途中から気を失ってたよな? あれから何があった? 酷い目に遭わなかったか?」


 採光窓からは朝日と思われる光が差し込んでいた。だいぶ深い眠りに落ちていたらしい。リオルは自らの不覚を恥じた。しかしレンフィもまた恥ずかしそうにもじもじしている。


「こ、これ……」

「何?」

「着替え」


 震える手で服を渡された。そこでリオルはようやく自分が上半身裸であることに気づく。

 レンフィのたどたどしい説明をまとめると、せっかく着替えを用意してもらったので眠るリオルの体を蒸したタオルで拭いたらしい。しかし脱がせることはできても着せることは一人では上手くできず、途中で断念した。


「勝手にごめんね」

「いや、いいけど……手間かけて悪かったな」


 自分の意識のない時の出来事を聞かされるのはこそばゆかった。リオルは顔を両手で覆う。


「風邪引いてない?」

「ああ、大丈夫。レンフィの方こそ熱がありそうな顔になってるぞ」

「うぅ、だって……早く着て」


 レンフィは真っ赤な顔を背けた。

 おそらくリオルを冷やさないために体を密着させて眠っていたのだろう。大胆なことをするくせに、いざとなると恥じ入る彼女が本当に可愛らしかった。意識されているのが嬉しい。


「…………」


 よく見れば、レンフィの服も変わっていた。シンプルなロングワンピースに羽織物を着込んでいる。心なしかムドーラのものよりも生地が薄く、ぶかぶかでサイズが合ってないせいで胸元の露出が多い。美しい鎖骨のラインが目の毒であった。

 ベッドの上というのも良くなかった。レンフィもこの部屋で着替えたのだろうか、などいかがわしい想像をしてしまう。


「……しっかりしなきゃな」

「うん?」


 両頬を叩き、なんとか邪心を追い出して、リオルは渡された服を着た。

 傭兵の下っ端のような、シンプルで飾り気のない服だった。この塔の一階は倉庫になっており、そこから侍女が備品を拝借してきたらしい。

 シンプルなシャツにくすんだ色のゆったりとしたボトムス。悪くない。


「ああ、どこからどう見ても一兵卒だな。目立たないし、動きやすい」

「え、あの……格好いいよ。あ、でも、前に見た軍服の方がリオルには似合ってるけど」


 レンフィはどこか慌てた様子で、テーブルに置かれていたグラスに己の霊力で水を満たし、リオルに差し出した。


「これで、水分補給して。あ、パンももらったの。食べられる?」


 リオルは水を飲み干すとパンを受け取り、二人並んでベッドの縁に腰掛けた。


「ありがとな。だいぶ目が覚めた。じゃあ昨日あったこと教えてくれるか?」

「うん……じゃあ食べながら聞いて」

「おう。でも、お前も食べながらでいいぜ」


 あれからレンフィはプルメリスの身の上話を聞き、担架でリオルをこの部屋まで運び、リオルの着替えに失敗して失意のうちに眠りについたのだという。ここはプルメリスの部屋の一つ下の階にある、従者用の部屋である。現在は誰も使っていない。


「よく運べたな。俺、結構重かっただろ?」

「アンズさんが魔力で力持ちになってくれて……」

「ああ、なるほど……」


 この国では侍女でも魔力による身体強化ができるようだ。「力こそ正義!」のリッシュア王国らしいとリオルは思った。しかし女に運ばれたと聞いて複雑な気分になった。

 そして肝心のプルメリスの話の内容を聞き、リオルは思わず天井を仰ぐ。


「駆け落ちの罰で幽閉されて、戦争の褒賞にされてるのか……それで、俺たちに男と別れるための逢引きを手伝えって?」

「うん。手伝わないと、私たちのこと軍の人に言いつけるって」

「それは困るな……いろんな意味で」


 ムドーラ王国の将軍が不法入国した上に、戦場の近くに現れたら混乱は必至。プルメリスがあることないこと吹聴すれば、戦争の火種にまで発展しそうだ。レンフィの生存が大々的に露見する可能性もある。

 何より、気性が荒いと噂のリッシュア人に捕まってしまったら、レンフィがどんな目に遭わされるか分からない。できれば大事にはしたくない。


「お姫様の言うことを聞くしかないか? でも、それだってバレたらどうなるか……」


 一番手っ取り早いのは、プルメリスと侍女を殺害して口を封じることだ。これも露見すれば大事になるが、自殺に偽装すれば時間を稼げる。実際プルメリスは自殺を考えてもおかしくない立場にある。


 そんな残酷な手段を考えてはみたものの、リオルに実行する気は皆無だった。小細工は苦手だし、手元に剣がない。レンフィが近くにいるときに女を二人も殺すなんて、心情的にもやりたくない。

 プルメリスは相当怪しい出会いであったにも拘らず、二人を匿い、一晩の寝床を与えてくれた。レンフィと引き離さずにいてくれたことに深く感謝すべきであって、短絡的に排除すべきではない。


 不穏なことを考えかけていたリオルを見て、レンフィはしょんぼりと項垂れた。


「ごめんなさい。全部、私のせい……」

「うん? 何が?」

「リオルには聞こえなかった? あの声……あれは、空の精霊様だと思う」


 自分が愚かなことを考えたから、空の精霊が“試練”と称して二人を空間転移させた。

 そう言ってレンフィは鼻をすすった。


「ああ、そういうことか」


 リオルは精霊の仕業と聞いて素直に安心した。

 精霊術による空間転移というところまでは想像していたが、教国の聖人がレンフィを見つけて、連れ去ろうとしたのだと思っていたのだ。

 言われてみれば、確かに人間とは思えない声を聞いたような気がする。そもそもこれほど長距離の空間転移は、精霊の力でなければ難しいだろう。いくらレンフィでも霊力が足りないはずだ。


「私ね、あの時に『離れてしまっても、すぐにリオルのところに行ければいいな』って考えていたの……巻き込んじゃって、ごめんなさい。リオルが死んでしまうところだった……」


 それを聞いて、リオルの頬は緩んだ。


「別にレンフィのせいじゃないだろ。謝らなくていい。俺が勝手についてきただけだ」

「違うよ、私が手を離さなかったから――」

「違わない。恋人としても、軍人としても、お前を守るのは当然のことだ。俺だけ湖に置いて行かれていたら、お前のことが気になって戦争に集中できなくなる。それに、あの時手を離してたら、空間に潰されたかもしれねぇし、別々の場所に転移していただけかもしれねぇだろ? お前と一緒じゃなかったら、俺は死んでたよ」


 リオルはそっとレンフィの頬を撫で、微笑む。


「大体、離れ離れになりたくないって思っただけでこんなことになるなんて、予想できるわけねぇじゃん。今回のことは事故だ。もう気にするな」

「リオル……」

「これからのことを考えようぜ」


 瞳に溜まっていた涙を拭い、レンフィは頷いた。


「お前を責めるつもりは全くねぇけど、俺、正直に言うと早く帰りたい。せめて安否だけでも伝えねぇと、みんな心配するだろ?」


 それ以上は口には出さないものの、リオルは相当焦っていた。

 ブライダがいれば行軍は問題ないだろうし、指揮については元帥とアザミがしっかりフォローをしてくれると思う。

 しかし、皆の士気だけはどうしようもない。レンフィと揃って姿を消したとあっては、それこそ駆け落ちだと思われていそうだ。上官の逃亡ほど萎えるものはない。


 あの部下たちならばしばらくは信じて帰りを待ってくれるだろうが、戦場は待っていてくれない。自分の不在中に誰かが命を落とすのではないか。そう考えただけで気が気ではなかった。


「一刻も早くムドーラに帰るにはどうすればいいか、一緒に考えてくれ」

「頑張る。本当にごめんね……」


 レンフィは悪くない。ただ、タイミングが悪かった。

 リオルは後悔を振り切り、頭を切り替えた。


「陸路だと、馬を使っても一か月以上かかっちまうと思う」

「そんなに遠くに来たんだ……。最速で帰るなら、やっぱり行きと同じように空間転移? 私の霊力でどれくらい移動できるか分からないけど……」

「少しでも距離を稼げれば上出来だ。となると、空の精霊の試練を乗り越えて寵愛を手に入れないといけないわけか」


 レンフィはいつになく険しい表情で頷いた。

 ブライダやアザミ辺りがいたら、「急いでいる時ほど堅実な方法を取れ」と怒られそうだが、幸か不幸か二人を止める者はいなかった


「試練ってなんのことだろうな?」

「全然分からない……プルメリス様に関係あるのかな」

「うーん? 精霊が人間の事情に首を突っ込むイメージねぇんだけどなぁ」


 精霊が気にするのは大地の浄化のみ。人間、とりわけ黒脈については“黒”の管轄だ。

 ただし、時と空の精霊に関しては謎が多い。ただそこに在るだけで世界に秩序を与えるという親指の精霊が、一体レンフィの何を試しているというのか。


「姫様よりも、戦争の方が精霊には重要だと思うぜ」


 ここは戦場に近い。最も大地が汚れやすい場所だ。まさかそれをレンフィに浄化しろというのだろうか。それとも戦争自体を止めろという啓示か。


「戦争……」


 同じ考えに思い至ったのか、レンフィの表情が強張る。そこでリオルは己の過ちに気づいた。


「もしかしたら、あれか。俺がお前を戦場から遠ざけようとしたから、空の精霊が怒ったのか?」


 本来、精霊が人間に寵愛を与えるのは、黒脈同士の争いに介入させるためだと言われている。戦争を続ければ大地が汚れ続け、浄化が続かないからだ。

 寵愛を授かった聖人には、戦場を浄化する義務があるともいえる。


「じゃあ、戦場に行かないのに、私がさらに空の精霊様の寵愛を望むようなことを考えたから、試練としてここに連れてこられたのかな……?」


 レンフィがまた申し訳なさそうに俯いた。


「ごめん。もしその考えが正解なら、俺の責任でもあるよな」

「そんなことは……」

「いや、そうだろ。でもさ、ムドーラの戦場がダメそうだからって、他国の戦場に飛ばすことないよな。そうならそうと言ってくれればいいのに」


 こんなことになるのなら、素直にムドーラの国境にレンフィを連れて行けば良かった。リオルだって彼女と離れたいわけではない。ただ危険な目に遭わせたくないから城にいて欲しいと願っただけだ。

 短く息を吐き、再び後悔を頭の隅に追いやる。


「あ、あのね、リオル。私、大丈夫だから」 


 血の気の引いた顔でレンフィは言った。


「戦わなきゃいけないなら、ちゃんとやる。人を殺すことはできないかもしれないけど……守るものの優先順位を決めて戦う。だから、あの、私を戦力として数えてね」


 リオルは居た堪れない気持ちになった。

 辛い記憶を失ってまだ三か月。せっかく周囲に認められ、第二の人生を送れるようになったのだ。今のレンフィを戦場に立たせたくない。

 敵が魔物や生物兵器ならまだしも、教国の人間相手に戦うのはあまりにも残酷だ。


「お前は人を傷つけたくなんかないだろ? 戦わなくていいのなら、その方が良いよな?」

「それは……そうだけど、でも――」

「俺もお前に戦ってほしくない。その役目は俺に譲れ」

「え?」


 リオルは強く頷く。


「もしどうしても戦わなきゃいけないなら、俺が二人分やる」

「! そんなのダメだよ。リオルばっかり危険――」

「俺は戦うしかできねぇけど、レンフィはそうじゃないだろ。治癒と大地の浄化を重点的にやってくれ。そっちの方が今のお前には向いてるしな。役割分担だ」

「…………」


 レンフィは無言で目を伏せた。言葉を遮られて少しむっとしているようだ。そのような感情が彼女の中に芽生えていることがリオルは嬉しかった。


 本当は、何でもレンフィの望むまま自由にさせてやりたい。しかし戦争に関することだけは自分に任せて欲しい。

 レンフィがどれくらい戦えるのかも、その結果どのような危険を呼び寄せるのかも、リオルにはまるで予測できなかった。

 最も心配なのは誤って人を殺してしまった時だ。彼女がどれだけ傷つくか、考えただけで胸が悪くなる。


「まぁ、俺も含めて戦わずに済むなら、それが一番だよな」

「う、うん」

「この件は保留で。次は、姫様について考えよう」


 当面の問題は、プルメリスへの対応だ。彼女の機嫌を損ねるようなことがあれば、一気に状況が悪くなる。


「俺たちのことは、まだ姫様に説明してないんだよな?」

「うん。リオルが起きてからで良いって」

「あー……もう正直に全部話しちまうか?」

「え、いいの?」

「隠し事や嘘は苦手だし、姫様の『国に尽くす』っていう言葉が本当なら、それなりの対応をしてくれるはずだ」


 情報を隠しての駆け引きは高度なものになる。黒脈の姫相手にボロを出さずに主導権を握る自信はリオルにはなかった。こちらの事情に巻き込んでしまった方がやりやすい。

 プルメリスに国の要人としての自覚があるのなら、下手なことはできないはずだ。


「それに、少し待てばウツロギさんが到着する。嘘で誤魔化して話が食い違うのはまずいだろ? 後で国王の耳に入るかもしれないんだから」


 ウツロギは教国の野望について説明し、リッシュアの王に三国同盟を持ちかける予定だ。ただでさえ黒の王国同士が手を組むのは難しいのだ。国王に疑念を与えるのは良くない。


「そっか。ウツロギさんが来てくだされば、なんとかなるような気がする。空の精霊の試練のことも何か分かるかも。でも、一か月も先の話だよね……」

「どうだろう。ウツロギさんなら特殊な移動方法を持ってそうだよな。正確な日数は読めない」


 時の精霊術がどういうものか、二人はよく分かっていなかった。土地や物の記憶の“再生”以外にも、何かできるのかもしれない。


 朝食を済ませ、リオルは立ち上がった。


「よし。とにかく姫様に話に行くか。今、塔の中に見張りはいないんだよな?」

「うん。何か特殊なことが起こったら、扉に手紙を挟んでくれるって言ってた」


 何の連絡もないことを確認し、リオルはドアノブに手をかけた。


「あ、待って」

「うん?」

「プルメリス様のお願いはどうするの?」


 レンフィの淡いブルーの瞳が不安そうに揺れていた。

 リオルには考えが手に取るように分かる。プルメリスの境遇に同情してしまっているのだ。


 確かに、プルメリスは少し前のレンフィと共通点が多い。

 囚われて、好きでもない男と結婚させられそうになっているところや、敵対関係にあった男と恋に落ちたところ、あるいは自分を犠牲にしてでも他者を救おうとするところ、など。


「レンフィはどうしたいんだ?」

「私は……助けられるのなら助けたい。でも、プルメリス様のお願い通りにするのは違うと思う」


 その答えにリオルは頷きを返した。


「俺も大体同じ気持ちだな。男の方が可哀想だ」


 恋人の命を守るために、他の男のものになる。戦争に参加させないよう、説得のために最後にちゃんと会いに行きたい。

 その気持ちは尊いし、理解できる。プルメリスの立場は気の毒で、その決断は立派だとも思う。

 しかしリオルはやはり、恋人の男の方に感情移入してしまい、プルメリスの行動を擁護できない。


「まぁ、姫様が本当のことを話したとは限らないしな」


 陥った状況は似ていても、リオルの中でレンフィとプルメリスが重なることはなかった。

 プルメリスはレンフィよりもよほど強かに見えた。このまま泣き寝入りするとは思えない。


 それを確かめるためにも、話をしなければ。

 リオルはレンフィとともに、プルメリスの元へ向かった。



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