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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第四章 聖女と愛しの宿敵

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61 幕間 軍議の後で


「では、今年の行軍日程と初期配置先はこれで決定ということで。小隊単位の細かい内訳は各軍で詰めて、後日提出してください」


 長丁場の会議が終わり、国王直属軍の幹部たちは一斉に体の力を抜いた。

 ブライダもやれやれとこめかみを解す。今日はリオルが休暇のため、第三軍の代表者として出席していた。


 すぐに席を立つ者はおらず、すっかり冷めてしまった茶に手を伸ばす。毎回、厳かな軍議の後に他愛のない雑談をするのが慣習なのだ。


「うむ。全て円滑に決まったな。リオルがおらんせいか」


 元帥のガルガドが快活に笑った。彼に悪気はない。

 まだ軍略に疎いリオルが出席する日は、進行係は噛み砕いた説明を余儀なくされている。たまにとんでもない解釈をしていることがあるので、ブライダも気が抜けない。


 まともな教育を受けずに将軍の座に就いたリオルではあるが、物覚え自体は悪くないのだ。地図や符号はしっかり頭に入るし、隊の構成と戦力についても把握できている。

 単純に、一つのことに気を取られて、他のことが疎かになってしまうだけで。

 ブライダは一同に頭を下げた。


「改めて、申し訳ありませんでした。開戦間際の軍議を欠席させてしまい……」

「構わん。あいつはこの時期になるといつも暴走気味で、ひやひやするからな。十分に休息を取らせてから戦場に連れて行った方が、最初から全力で暴れてくれるじゃろう」


 元帥の言葉に、幹部たちは和やかに頷く。

 誰一人、リオルの欠席を怒っていなかった。軍の幹部たちにとって、リオルは自分の子どもの年齢と変わらない。ガルガドに至っては孫のように思っている。

 普段からほとんど休まず鍛錬に励み、苦手な頭脳労働にも必死に取り組んでいるリオルに対して、皆が寛容だった。むしろ休暇を取って羽を伸ばしていると聞いて安心したくらいだ。


「去年の今頃と言えば、リオル将軍は『早く出陣したい』とやる気満々でしたね」

「やる気というか、殺気が研がれすぎていて、少し怖かったな」

「どうやって敵防衛線にいる聖女レンフィに最短で辿り着けるか、そればかり相談されて……」


 その名が出たことで、失笑が漏れた。実は皆、この話がしたくてうずうずしていたのだ。城中が二人の噂でもちきりであった。


「まさかリオル将軍と聖女レンフィが、これほど親しくなるとは思いませんでしたね……」

「全くだ。今日も一緒に出掛けたんだろう?」

「記憶のない聖女殿が懐くのは分からなくもないが、まさか将軍の方まで」


 皆の心境は複雑であった。

 聖女レンフィは忌々しい教国の手先、仲間の仇だ。しかし幹部限定で共有された彼女の生い立ちを知ってしまい、憎み切れなくなってしまった。


 脅迫され、酷使され、最後には全てを奪われた哀れな少女。

 戦場での命の奪い合いはお互い様であり、彼女は妹の命を盾に殺しを強要されていた。何よりオンガ村の虐殺に彼女はほとんど関与していない。それが分かった今、憎悪よりも同情の念の方が強まっていた。最も因縁のあるアザミがレンフィを許している以上、責められる者はいないのだ。


 だから、レンフィがムドーラ王国で慎ましく第二の人生を送ることを咎めはしない。しないのだが……。

 軍の秘蔵っ子であるリオルと深い仲になることに対して、一同は不安を覚えていた。

 あの二人はかつての宿敵同士。記憶喪失のレンフィはともかく、リオルの精神構造が理解できない。つい数か月前までは、「あの女、今度こそ殺す!」と張り切っていたのだ。


「聖女殿に夢中なのは変わらないようだが……」

「まさかとは思いますが、今までの憂さ晴らしで聖女殿を弄んで――」

「リオルに限ってそれはない!」


 食い気味に否定し、ブライダは咳払いをする。


「対等の実力を持つ者同士、戦場以外の場所で交流すれば惹かれ合うこともあるだろう。運命的ではないか……リオルが唯一勝てなかった女が、妻になるなんて」


 気が早い、という呟きが漏れ聞こえたが、ブライダは無視した。


 ブライダとて、最初は弱体化したレンフィの存在を危惧していた。宿敵、あるいは好敵手の喪失により、リオルが戦いへの情熱を失ってしまうかもしれない。もしくはレンフィに篭絡され、心を奪われれば、戦場に行くことを拒むかもしれない。

 しかしこれに関しては、リオルを見くびっていたと言わざるを得ない。


『教国は滅ぼす。そうすれば、レンフィは完全にムドーラの人間になるだろ? あの国の目を気にしていたらレンフィは自由に暮らせない。昔の知り合いにももう会わせたくないしな!』


 そう言ったリオルはいつも通りの溌剌とした笑顔だったが、声には仄暗い独占欲が滲んでいた。

 彼女の故郷を破壊して、何があっても帰れないようにする。聖女の生存が露見しても、迎えが来ないようにする。

 ブライダにはそう言っているように聞こえた。


 次の戦争の心配など吹き飛んだ。惚れた女を完全に己のものにするべく、リオルはいつも以上の勢いで教国兵をなぎ倒していくだろう。


 しかし感慨深い。リオルがここまで異性に執着を見せるのは、ブライダが知る限り初めてのことだ。ぜひ手に入れて欲しいと思う。


 生い立ちゆえか、リオルは家族という枠組みが苦手なようなのだ。ブライダが自宅に招待しても、遠慮しているのか食事が済んだら長居せずに帰ってしまう。休暇で里帰りする部下を見送る目もどこか羨ましそうだった。


 英雄の孤独を癒せるのは、一度全てを失ったレンフィだけかもしれない。

 もう認めざるを得ない。

 レンフィは、リオルの一生を語る上では欠かせない存在になるだろう。恋物語などという生易しいものにはならないかもしれないが。


「ふん。遊び相手ならばともかく……あのような気弱な小娘に、将軍の妻が務まるとは思えんが……」


 将軍の妻となるなら、気丈さが必要だ。そう言って元帥は鼻を鳴らした。

 レンフィの境遇を知って多少認識は変わっているものの、やはりまだ身内とはみなしたくないようだ。


「もっとしっかりしていて、家庭的で明るい娘の方がリオルには似合うのではないか。聖女が医療官として働くというのなら、内助の功は期待できんだろう。痩せすぎているのも気になる」


 元帥が二人の仲を反対するのならば、迂闊なことは言えない。そんな空気が場に満ちる。

 ブライダは反論したい気持ちを必死に抑えた。ガルガドの怒りの沸点は低い。開戦前に余計な怪我はしたくない。


「アザミ、お前はどう思う」


 これまで静観していたアザミは、水を向けられても無表情だった。

 かつてはこの城の中で最もレンフィを憎んでいた男だ。魔物討伐で和解したとのことだが、その心中はどうなっているのだろう。皆の注目が集まる。


「彼女の出自を気にするならともかく、陛下も半ば認めている二人の関係については、私たちが口を挟むことではないと思います。個人の問題です」


 歴戦の軍人たちが慄くほどの正論だった。ガルガドすらもやや怯んだ。


「リオルももう子どもではありません。一生を共にする相手くらい、自分で選んで責任を持てます。助言を求められない限り、そっとしておくべきではありませんか」

「ぐ……!」


 ガルガドは拳を握り締めて震えた。

 近くの席の者は危険を感じて立ち上がる。


「しかし、しかしだ……寂しいではないか! 未だに儂に交際の報告すらないのだぞ……! 場合によっては、戦時中に聖女が安全に慰問に来られるよう、手はずを整えてやるというのに!」


 漏れ出た本音に、一同は唖然とした。

 アザミも一瞬面食らったようだが、すぐに冷静に言葉を返す。


「まだ正式な交際には発展していないようです」

「何!?」


 ガルガドは上がり切った血圧を下げるように、深呼吸をした。


「そうか、まだなのか。なんだ、リオルの奴は意外と奥手なのか?」

「それに関しては、申し訳ありません。私が彼女を魔物討伐に連れ出したせいで、機会を逃したようで」

「なるほど! 確かにごたついていたからな! それで珍しく休暇を取ったのだな!」


 交際の報告がないことに不満を持っていたガルガドは、一気に気を良くした。


「そうかそうか。今日まさに、か。リオルのことだ、勢い余って求婚するかもしれんな」

「十分あり得ます」


 ブライダはすかさず肯定した。

 戦争で城を離れている間の保険として、結婚の約束を取り付けていてもおかしくない。


「うむ。今日は帰りが遅くなっても大目に見てやらねばな。いや、今日中に帰ってくるかも怪しい――」


 アザミが咳払いをして、元帥の言葉を遮る。

 下世話な方向で話が盛り上がってしまっては、リオルにもレンフィにも悪い。ブライダも慌てて口を開いた。


「聖女は病み上がりですし、リオルはああ見えて節操のある男です。日没前には帰るでしょう」


 ガルガドは眉間にしわを寄せ、矛先を変えた。


「む……。ところで、アザミ。お前はどうなのだ? そろそろ身を固める予定は」

「私のことはご心配なく。何か閣下に報告すべきことがあれば、すぐにお伝えいたしますので」


 先回りして答えられ、ガルガドは面白くなさそうに息を吐いた。

 アザミの私生活については、ほとんどが謎に包まれていた。というか、仕事をしている時間が長すぎて、私生活があるのか心配になる。


 皆は悟った。元帥に対して物怖じせずに意見できるアザミこそ、次の軍のトップにふさわしい。過去の因縁から吹っ切れた今、アザミにはますます隙がなくなっていた。


 なし崩しに軍議後の雑談も途切れ、解散になった。

 ブライダはふと砦の方に視線を向けた。ガルガドにはあのように言ったものの、リオルとレンフィが本当に今日中に帰ってくるか心配だった。



 結局、日没になっても二人は帰らず、代わりに隣町の警備兵から衝撃的な報告がもたらされた。


 リオルの愛馬であるカロッテだけが町に戻ってきたため、兵士が不審に思い、二人が向かったとみられる湖まで探しに行った。しかし人影はなく、雪に付いた足跡が湖の縁で途切れていたという。

 リオルとレンフィは忽然と姿を消してしまった。


 凍てついた冬の風に春の気配が混じる頃。

 軍が国境に向かって出陣するまで、あと十日を切っていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] そう言えば、以前の感想に書いた 「軍議すっぽかして行方をくらます」状態に なってるんですね… いえ、軍魏の欠席は事前の通達と許可があったとはいえ。 開戦時期に間に合わせるために慌てていたら…
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