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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第四章 聖女と愛しの宿敵

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58 リオルの過去


 

 リオルが昔の話を披露するのは、随分と久しぶりだった。

 どこにでも転がっていそうな話のようで、運に恵まれた数奇な半生だったような気もする。正直に言って、話して楽しい内容ではない。しかしレンフィには知っておいてほしいと思う。ここで家族の話になったのも何かの導きのように思えた。


 再びカロッテに乗り、リオルとレンフィは町の近くの林の中に踏み入った。道すがら、リオルはゆっくりと生い立ちを語って聞かせた。


「俺はムドーラ王国の貧しい山村の出身だ。こことは比べ物にならないくらい、雪が深い田舎だった」


 流れの傭兵であった父が魔物討伐のために村に訪れ、一人で細々と暮らしていた母と恋に落ちた。そんなありふれた馴れ初めの末、リオルが生まれた。


 両親は二人とも天涯孤独で頼れる者はおらず、暮らしは決して楽ではなかった。

 母の仕事は小さな畑の管理と針仕事。コツコツと一つのことを極め、創意工夫するのが得意な人だった。

 一方父は、農作業や頭を使う商売を嫌った。結婚しても傭兵業を続け、家を空けることが多く、稼いで帰ってきても怪我の治療代でほとんど手元に残らないこともあった。

 ほとんど母子家庭のような環境だった。


「おふくろは立派な人だったぜ。道理に厳しい人で、怒ると怖かった。でも、基本的に俺には優しかったかな。多少美化してる気もするけど、かなり美人だった気がする」


 懐かしむように言ったら、レンフィは話の先を察したのか俯いた。あまり暗くなりすぎないよう、リオルは淡々と言葉を紡ぐことにした。


 リオルが八歳になった時、増税と不作が重なった。

 畑に実りはほとんどなく、山の動物にかすめ取られることも多い。村人同士で盗み合うこともあり、毎日怒鳴り合う声が聞こえ、村の雰囲気は殺伐としていた。

 頼りの父は前の年から戦争に参加して、ずっと戻っていなかった。仕送りどころか手紙も届かないことは初めてで、母は随分と気を揉んでいた。

 戦地から訃報はなく、村人たちには「捨てられたんだ」と噂された。


『あの人に、私たちを捨てる度胸はないわよ。悪運が強いから死んでもないはず。……きっとヘマをして帰って来られないんだわ』


 少々残念な形ではあったが、母は父を信じていた。正確には、父に愛されていることを信じ切っていた。父の安否は気になるものの、貧しさのあまり調べる余裕はなかった。

 母はやりくり上手な人であったが、食べ盛りの子どもがいては微々たる蓄えもすぐに底を尽く。


「私はお腹が空いてないから、先に食べたから……そう言って、俺に食べ物全部をくれてたんだよ、おふくろ」


 リオルは母の言葉を信じていた。嘘を吐くのはいけないことだといつも言い聞かせられていたからだ。

 ようやく嘘に気付いた時には、もう手遅れだった。母は倒れて熱を出し、そのまま春を待たずに息を引き取った。

 悲しくて寂しくてずっと泣いていたことは覚えている。しかし母の死の前後のことはもうぼんやりとしか思い出せない。


「葬送は村長たちに手伝ってもらえた。おふくろが、前もって自分で頼んでいたらしい」


 最期に咳が酷かったから、うつる肺の病気を疑われて火葬になった。

 リオルの手元には僅かな遺灰が残され、後は村の共同墓地に埋められた。


 それから村人たちは、家のものを安値で買い取って持ち出していった。腹を空かせたリオルを見かね、干からびた野菜やカビの生えたパンと交換だったこともある。

 母の服も、針仕事の道具も、家具も食器も、ほとんどを持っていかれてしまった。リオルにはどうしようもなかった。強奪されなかっただけマシだろう。


 そして、誰もリオルの面倒を見ようという者はいなかった。仕事をくれと頼んでも首を横に振られるばかり。どの家にも余裕はなかった。その年は特に葬儀の数が多く、老人や幼い子どもがどんどん数を減らしていた。

 リオルの身に降りかかった不幸は、その村ではたくさんあるうちの一つに過ぎなかったのだ。


 家財と引き換えに得たわずかな食糧でどうにかその冬はしのげたが、どう考えてもあと何日も持たない。

 そんな時に、ようやく父が帰ってきた。


「今思い出しても情けない姿だったよ。おふくろの死を知って、家と墓地を行ったり来たりしてさ、ずっと泣いてるんだ。どうして、どうしてって……」


 父は戦場で大けがを負い、金が払えず治療を受けられなかったため、なかなか帰って来られなかったのだと言った。

 治りきっていない腹の傷口を見て、リオルは納得した。正直あまり父のことは好きではなかったが、母の名前を呼び続ける姿は哀れでならなかった。

 母は自分がどれだけ苦しくても、父の無事ばかりを祈っていた。最後まで「会いたい」と言っていた。そしてリオルに遺言を残した。


『リオルは、お父さんみたいな中途半端なヒトになっちゃダメよ。でも、もしも帰ってきたら、許してあげてね……助けてあげて』


 父が帰ってきてしまった以上、許すしかない。

 それから父と二人、村を出た。父には『子どものために定住して安定した職に就く』という発想がなかった。これしかできないから、とリオルに剣を教えた。ようするに傭兵になれということだ。


 あまり仲の良い親子ではなかった。母がいなければ成り立たないような脆い関係だ。しかし剣の指導の間だけは、かろうじて親子の体裁を保てた。


 傭兵としての父の評価はまずまずで、どこへ行っても雇ってもらえた。あまり態度が偉そうではなく、他の男が嫌がるような雑用を引き受けていたからだろう。手柄よりも生き残ることを第一に考え、見張り番や掃除係を買って出て小銭を稼いでいた。雇い主には重宝されたが、有名な傭兵たちにはいつも小馬鹿にされていた。

 今ならば必要な仕事だと理解できるし、悪いことだとは思わないが、当時のリオルはやはり「情けない」としか感じなかった。実際、稼いだ金のほとんどが酒代に消え、夜な夜な母の名前を呟いて泣く姿には幻滅した。


「酒を止めさせようとしたら、『お前さえ生まれなければ、あいつは死ななかったのに』って愚痴られたことがあったな。それはその通りだ。おふくろ一人なら食っていけたかもしれない。俺は普通に傷ついちまって、親父に何も言い返せなかった……今なら『子ども仕込んだのお前だろ』って言い返――あ、何でもない」


 それからリオルは父親の醜態から目を逸らし、行く先々で出会う傭兵たちに教えを請うた。真っ当な奴とそうでない奴の区別は、面構えで分かる。礼儀さえちゃんとしていれば、若い傭兵見習いは弟分のように可愛がられるものだ。カクタスもリオルに戦いの心得を教えてくれた者の一人だ。

 父親が酒に溺れている間も、リオルは剣を振り続けた。そうやって体を動かして発散していなければ心が爆発してしまいそうだったのだ。

 雑用を手伝いながら、戦場の空気も覚えた。その程よい緊張感はリオルの荒れた心を慰めてくれた。命懸けの仕事を前にすれば、父親への不満など些細なことに思える。


「二、三年は親父についていろいろ旅をしたよ。ムドーラ以外の国にも行った。で、俺が十二歳になる少し前だったか。小国の小競り合いに参加して、劣勢になって、正規軍に置いていかれてさ……」


 敵の小隊に囲まれ、リオルと父は絶体絶命の危機に陥った。父は降伏しようとしたが、流れの傭兵など捕虜にしても仕方がない。殺されるだけだ。

 リオルは咄嗟に前に出て、小隊長を斬った。人間相手に剣を振るったのはそれが初めてだった。

 動揺する隊を引っ掻き回すように戦い続け、気づけば生きている敵の方が少なくなっていた。隙を見て馬を奪い、父と一緒に逃げ延びた。


「その後、親父がなんて言ったと思う?」


 レンフィは少し考えてから恐る恐る答えた。


「えっと……『ありがとう』かな。それとも『すごい』?」


 リオルは肩をすくめて笑った。


『やっぱりお前、オレの子じゃないだろ……!』


 父には剣の才がなかった。長年の経験と危機察知能力だけで、戦場を生き延びてきた男だ。幼い息子が初めての戦いで小隊相手に見事に立ち回ったことが信じられなかった。もっと言えば、剣を教え始めた頃から、薄々リオルの才能を感じ取っており、血の繋がりを疑っていたようだ。


「あれは、さすがに頭にきた……おふくろのことまで侮辱しやがったからな。今まで我慢していた分、思い切り殴ってやった。めちゃくちゃ弱くてびっくりしたよ」

「え」


 リオルは言う。

 確かに自分の顔立ちは母親似だが、髪と瞳の色は父から受け継いでいた。

 大体、暮らしていたのは小さな村だ。母が不貞を働いたという噂があれば、リオルの耳にも入っていただろう。間違いなくリオルは父の子であった。


「どうしても許せなくて、そのまま一方的に縁を切った。それ以来、親父とは会ってない」

「……そう」

「がっかりしたよな。でも、こういう親子もいるんだ」


 父親と喧嘩別れをして、リオルはムドーラ王国に戻った。なんだか無性に懐かしくなって、数年ぶりに故郷の村に帰りたくなったのだ。


 しかし村は残っていなかった。

 魔物に襲われ、甚大な被害が出て廃村になったらしい。リオルが暮らしていた家も壊れて雪に埋もれていた。


「そんな……」

「珍しいことでもないぜ。あの頃は軍人も怠けていて、まめに魔物討伐なんてしてなかったんだ」


 母を亡くし、父と縁を切り、帰る場所もなくなった。

 空虚な気持ちを抱えたまま、リオルはムドーラの徴集に応じて予備兵になった。剣を振る以外に生きる術を思いつかなかったのだ。


「最初の上官がブライダだった。教国軍の罠にかかって、死にかけてたな」

「え、え、大丈夫だったの?」

「大丈夫だったから今も生きてるんだろ」


 土の精霊術による砂地獄からブライダを助けてやりつつ、リオルは敵兵を何人か斬り殺した。その時の戦いぶりがブライダの目に留まり、正規兵にスカウトされた。

 特に目的も目標もなかったリオルだが、間近で見た軍人たちの態度に思うところがあり、その誘いを受けた。まだ十二歳だった。


「今もだけど、ブライダは口うるさくてな。毎日めちゃくちゃ怒られたよ」


 しかし、ブライダに拾われたのは幸運だった。

 前王時代、軍の内部は腐敗し、一部を除いて驕り高ぶっていた。その一部の例外がブライダやアザミであった。二人は結託して、リオルの存在を軍の上層部から隠した。軍の中で新兵潰しが流行していたし、当時の国王ヒノラダに目をかけられても良いことはない。そう判断したらしい。


「今だから言うけど、アザミさんにはすっげー憧れてた。最初は全然勝てる気がしなかったな。頭も良いし、魔法も上手いし、面倒見も良いし、完璧超人だよな」


 アザミの父親が立派な将軍だったと聞いて、妙に納得したのを覚えている。素直に羨ましかった。王国軍にもちゃんと凄い人間がいるんだな、と安心した。


 そしてその頃、リオルは初めてシダールに出会った。砦の近くで剣の素振りを一人でしていた時だった。まさか王子から声をかけられるとは思わず、リオルはただただ戸惑った。

 名を尋ねられ、たどたどしい敬語で答えると、シダールは言った。


『リオル。俺が国王になったら、お前を将軍にしてやろう』


 当時のシダールは第三王子。王位継承順位は低く、玉座に就く可能性はなかった。

 そんなことを知らないリオルは、言葉を真に受けて面食らったが、すぐに断った。


『いいっす。俺、そこまでこの国に忠誠を捧げられる自信がないんで』

『ほう。この国が嫌いか?』

『嫌いって程じゃねぇけど、あんまり好きじゃないです』


 今思うと、王族相手にとんでもない返事をしていた。不敬だと首を落とされていてもおかしくなかった。


『なぜだ』

『……増税と不作のせいで、おふくろが死んだから』


 シダールは納得したように頷いた。


『では、俺が王になったらその辺りを改善してやる。楽しみにしていろ』


 その時から予感があった。

 遠目で見た王や第一王子よりも、シダールの方がよほど王の器である、と。完全に信じられはしなかったものの、リオルはシダールに期待した。この人がいれば国が良い方に変わる。そんな気がしたのだ。

 その予感のおかげで、軍に籍を置き続けることができた。理不尽な命令にも耐えられた。


「そんで四年前、シダール陛下が即位した時、最初にこう指示を出したんだ。『女子どもを太らせろ』って。それを聞いた時、やっぱり予感は間違ってなかった、この王様に心から仕えようって思ったよ」


 この国を守るために生きよう。自分が上に立つことで多くの民が救われるなら頑張ってみよう。そうして戦い続け、完全に軍に染まり、気づけば本当に将軍になっていた。


「俺の人生はこんな感じだな。山あり谷あり。嫌なこともあったし、後悔もたくさんあるけど、今は結構幸せだ」


 リオルはあっさりとした言葉で締めくくった。




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