56 そわそわ初デート
レンフィは自室の姿見の前で、そわそわと何度も装いを確認していた。
例のごとく髪はストロベリーブロンドに染めてもらったが、今日は馬で移動するというので髪を一つにまとめ、スカートでもない。
いつもの自分と若干雰囲気が違う。
「そんなに心配しなくても今日も可愛いわよ」
コーディネートはバニラと相談して決めた。秘密の女子トークをしてから、レンフィとバニラはすっかり仲良くなっていた。
「本当……?」
「素材が良いからね。自信持ちなさいって」
自分では良し悪しがよく分からないが、あのシダールでさえ「見た目だけは悪くない」といつも言ってくる。本当に少しは自信を持っていいのだろうか。
「はぁ……緊張してきた。どうしよう、バニラちゃん」
「初デートなんだから緊張して当たり前でしょ。でも、楽しんできなさいよね」
「……楽しんでいいのかな?」
あまりにも嬉しくて約束してしまったが、冷静になった今はそんなことをしている場合なのだろうかと思ってしまう。皆が忙しく働いている中、浮かれて遊びに行くのは気が引ける。
「いいのよ。リオルにとっては戦争前の最後の休みなんだから。レンフィが暗い顔してたら、あいつも羽を伸ばせないでしょ?」
「……うん」
「自分から誘ったデートで女の子が楽しんでくれないなんて、男としては最悪な気分なんだからね」
「…………」
レンフィとしても、もちろん今日は楽しく過ごしたい。一方で、リオルの貴重な休日を自分のために使ってもらって申し訳ないという気持ちもあった。
黒の遺跡での説明会以来、ずっと心配してくれているのだろう。だから誘ってくれたに違いない。他にやりたいことがあったのではないか。自分ばかりが甘えてしまっていいのだろうか。
「ああ、もう! せっかく好きな男にデートに誘ってもらえたんだから、素直に楽しみなさいよ!」
「バニラちゃん、声が大きい……!」
「あんまりうじうじしてると、いくらあんたでも愛想尽かされるわよ。リオルにウザいって思われてもいいの?」
その言葉にはっとして、レンフィは青ざめて震えた。
「良くない。リオルに嫌われたら……生きていけない……」
「そこまで思いつめろとは言ってないけど……まぁ、分かったならいいわ。悔いのないようにね。初デートは一回しかないんだから」
「そっか……言われてみればそうだね……初デート……」
失敗できないというプレッシャーで、変な汗が出てきた。愛想を尽かされたらもうデートができない。
今日だけでいい。明るく、可愛く、楽しい女の子になりたい。レンフィは自らに暗示をかけるように両指を絡めて祈った。
「しばらくリオルに会えなくなっちゃうんだし……余計なお世話かもしれないけど、言いたいことは言っておきなさいよ」
「……うん」
レンフィは力なく頷いた。
まだ悩み事の答えは出ていない。しかし、自分がこれからどうしたいのか定まっていなくとも、絶対に受け入れたくない未来ならある。
そのためにも、リオルに告げなければ。
ほどなくして、出かける時間がやってきた。
「じゃ、じゃあ、行ってきます……!」
バニラに笑顔で見送られ、レンフィは部屋を後にした。
待ち合わせ場所は、兵士の通用口の近くだった。既にリオルは待っていた。レンフィは慌てて駆け寄る。
「ごめんなさい、待たせちゃってっ」
「いや、まだ時間前だし、そんなに待ってない。気が逸っちゃってさ」
今日のリオルはいつも以上にご機嫌に見え、レンフィは安堵した。
「今日は……ちょっと格好いいな。でも可愛い」
「り、リオルの方が、格好いいよ。今日は誘ってくれてありがとう。すごく嬉しかった……」
「会って早々この破壊力……」
「はかいりょく?」
「なんでもねぇ。こういうの、やっぱり照れるな。行こうぜ」
こっそりと城を出て、厩舎に向かった。既に話は通してあるのか、当番の老兵士が微笑ましげな表情で馬を出してくれた。
艶のある黒毛の馬がリオルに擦り寄る。しなやかな筋肉に覆われた立派な体格で、凛々しい顔立ちをしている。
遠目でしか馬を見たことがなかったレンフィは、圧倒されて逃げ腰になっていた。
「こいつ、カロッテっていうんだ。人懐っこくて、すげー賢い奴だよ。怖がらずに撫でてみな」
「う、うん」
好奇の光を瞳に宿し、値踏みするように鼻を動かしているカロッテに対し、レンフィは恐る恐る手を伸ばした。
「あの……今日はよろしくお願いします」
首とたてがみを撫でると、カロッテは嫌がらずに受け入れ、ぶる、と鼻を鳴らした。
「『俺に任せておけ、お嬢さん』……だって」
渋い声でリオルが通訳した。
「え、言葉が分かるの?」
「おう、大体な」
またぶるるとカロッテが鳴く。
「『適当なこと言うんじゃねぇ!』って言ってる」
「嘘か本当か分からない……ふふ」
レンフィが笑うとリオルも嬉しそうだった。カロッテだけは呆れたように深い息を吐いた。
「じゃあ、先に乗ってくれ」
返事をする前に、リオルがレンフィを軽々と抱き上げて鞍の前方に乗せる。その後すぐにリオルもまたがって手綱を握った。
思っていたよりも視線が高いことにも、背中がリオルと密着することにも、レンフィは激しく動揺した。
恐怖と緊張で心臓が大きな音を立て始める。顔を見られない体勢ということだけが救いだが、しばらくこのままだと思うと意識が遠くなった。
「よし、カロッテ。出発だ」
砦を抜けて、城下町を通らないルートで街道に向かう。まだ雪が残る道を、カロッテはしっかりとした足取りで進んでいく。振動はあるが、しっかりとリオルが支えてくれているのが分かり、レンフィの恐怖はだいぶ薄れていた。
「まだ怖いか?」
「少しだけ……でも大丈夫」
「辛くなったら言えよ。俺にもたれても良いからな」
「ありがとう」
今は、リオルの存在ばかりが気になった。
すぐ耳元で聞く声が体温を上げる。密着するのは初めてではないが、今日はデートだ。いつもとはやはり心持ちが違う。
「…………」
レンフィは深呼吸をして、馬上の景色に意識を傾けた。
晴れた空にうっすらと雲が伸びていた。冬の寒気も和らいできて、雪解けの気配を感じる。
春までしか保証されていなかった命も、なんとか繋ぐことができる。変装しなければならないものの、私用で城を出ることができるようになった。少しはシダールにも信頼してもらえたのだろうか。
これからの国際情勢を考えると安心することはできないが、あっという間に過ぎた三か月を振り返り、よく生き延びられたものだと感心した。
自分が全く頑張らなかったわけではないが、やはり周りの人に助けられたのが大きい。中でもリオルは最大の精神の支柱と言っても過言ではなかった。
胸がきゅうと痛む。この時間がとても愛しい。
「ねぇ、リオル、今日はどこに行くの?」
「ああ、行先をまだ言ってなかったな。とりあえず隣町に行って昼飯を食おう。その後は、連れていきたいところがあって……」
「どんなところ?」
「内緒。ああ、でも、人気がない場所なんだけど……いいか?」
「うん。リオルと一緒ならどこでもいいよ」
素直に頷くと、リオルが顔を片手で覆って白い息を吐いた。
「他の男に誘われた時は、絶対について行くなよ」
「え、うん」
それきりリオルが黙ってしまったので、レンフィは呼吸を整えた。今なら周りに人はいないし、リオルの顔も見えない。比較的言いやすかった。
「あ、あの……リオル」
「うん、どうした?」
「もうすぐ城を出て行くんだよね」
「……おう。出陣だな」
これからどうするかたくさん考えたが、やはりじっとしていることはできない。レンフィが最も恐ろしいと思うことはリオルを失うことだった。
ありったけの勇気を振り絞って告げる。
「私も、ついていきたい」
「絶対ダメだ」
即答である。レンフィはがっくりと肩を落としながら、ちらりと後ろを振り返った。リオルは困ったように笑っていた。
「どうして? 教国にバレないように大人しくしてるし、自分の身なら守れるだろうし、医療官としてなら少しは役に――」
「そんなこと言って、怪我人が増えたら前線に出ようとするだろ? 怖くて出られなかったら、自分を責めて泣くだろうし」
「う」
「今のお前ははっきり言って弱いよ。この前の水の防御壁も隙が多かった。ガジュ達も、コツを掴んだら破れるようになっただろ? 戦場が水中ならともかく、地上だからなぁ。あのレベルじゃ同行を認められねぇ」
先日の訓練場での恐怖体験を思い出し、レンフィは項垂れた。
リオルに救出された後、改めて水の壁を作ってガジュ達に練習してもらった。リオルとマチスから助言を受けたら、あの場にいた軍人の半分以上が突破できるようになった。
「それに俺もお前がそばにいたら、心配で戦いに集中できねぇと思う。攻めなきゃいけないのに守っちまう」
要するに、気が散る。極めつけの一言にレンフィは奥歯を噛みしめた。
「気持ちは嬉しいけど、お前は城で待っていてくれ。な?」
「……どうしてもダメ? もっと上手に精霊術を使えるように練習するから」
リオルならすんなり許してくれるかもしれない、喜んでくれるかも、と期待していただけに、レンフィは簡単に諦めきれなかった。無期限で離れ離れになるという事実を受け入れられないだけかもしれない。
「珍しく粘るなぁ。……分かった。俺は絶対に反対。でも護身術をちゃんと身に着けて、陛下とマグノリア様が許可して、マチスさん辺りが同行してくれるなら、来てもいいぜ」
かなり厳しい条件を出されてしまった。
シダールの考えは読めないが、マグノリアが反対するのは目に見えている。マチスに迷惑をかけるのも気が引けた。
「俺も、考えたことあるよ。お前と一緒に戦えたらいいなって。医療官として来てくれるだけでも、すごい頼もしいって思う。でも、やっぱりやめておいた方が良い。お前に教国を憎む気持ちがあるならともかく、ただ俺たちが心配なだけだろ?」
「…………うん」
「大丈夫。絶対に皆で帰ってくるから。約束する」
後ろから軽く抱きしめられて、レンフィは頷くしかなかった。
「俺は、お前以外には負けないから」
「…………」
すぐそばにいるはずのリオルが遠くに思いを馳せているのを感じ、レンフィは寂しさを覚えた。
「……分かった。困らせて、ごめんなさい」
「いいよ。気持ちは嬉しい。俺の方こそ、ごめんな」
「ううん」
落ち込んではいけない。今日は楽しく過ごす日だ。
レンフィはそう自分に言い聞かせて、リオルの腕にそっと手を添えた。
「あの、今日は……ずっと一緒にいてね」
「ああ。でもそのセリフ、俺以外の男に言うなよ。寂しくても、絶対言うな」
「言わないよ。リオル以外とは……」
「うん?」
「で、デートしない」
リオルが後ろで息を呑んだのが分かった。
「あのさ、レンフィ」
「う、うん。何?」
「……………………やっぱり後で。馬の上で言うことじゃねぇわ」
「ひひーんっ」
タイミングよくカロッテが嘶き、二人は声を揃えて笑った。




