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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第四章 聖女と愛しの宿敵

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54 水の繭



 リオルを探すため、レンフィはこっそり軍の訓練場を訪れた。

 開戦が迫っているためか、軍は準備に忙しい。訓練に精を出している者は少なく、リオルの姿もなかった。おそらく砦に詰めているのだろう。

 仕事中に押し掛けるわけにはいかない。今日のところは諦め、少し早いが医務室の手伝いに行こうとしたところ、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


「レンフィさん、先日はお守りできず、本当に申し訳ありませんでした」


 駆けてきたマチスが深々と頭を下げた。お見舞いに来てくれた時も何度も謝罪を受けたので、レンフィは「もう大丈夫です」と返し、首を傾げる。


「あれ? マチスさんはどうしてここに?」


 ここは軍人の利用が多く、騎士の出入りはほぼない場所だ。

 マチスは訓練服に身を包み、額に汗をかいている。いつもの緩い雰囲気はなく、きりっとした顔つきをしていた。


「実は、自ら謹慎を申し出まして、鍛え直しているんです」

「謹慎……え、もしかして、私が川に流されたからですか?」

「いえ、レンフィさんのせいではありません。陛下に言いつけられておきながら、あなたをお守りできなかった。それどころかあなたに助けられ、竜の討伐に全く役に立てなかった……僕も、さすがに思うところがありまして」


 レンフィは困惑した。

 川の中という水の精霊の領域だったから、自分の力が最大限に発揮できただけだ。マチスの力が不足しているとは思わないし、あの竜の出現は誰にも予想できなかった。

 しかし「気にしないでください」と言っていいものなのか。なんだか上から目線の発言なように思えて、レンフィは言葉に窮した。


「えっと……シダール様は何かおっしゃっていましたか?」

「いえ、特に何も。『好きにしろ』と一言だけで、目も合わせてもらえず……今は僕に構っているどころではないのかもしれませんが、とうとう見限られてしまったのかもしれません。まぁ、元々、僕は犬の散歩要員でしたし……あはは」


 マチスの顔色は悪かった。

 心の底から落ち込んでいるのが伝わってくる。レンフィは悪いことを聞いてしまったと反省した。


「ああ、すみません。本当にレンフィさんが気に病む必要はありません。全ては僕の怠惰が招いたこと。このままじゃ格好悪いでしょう? 珍しくやる気になっているんです。レンフィさんに応援していただければ、きっともっと頑張れると思うんですけど?」


 茶目っ気たっぷりに微笑まれ、レンフィは強く頷いた。


「もちろん応援してますっ」

「お、言ってみるもんですね。ありがとうございます。オレットも今はカルナ姫様の護衛を外れて、いろいろ特訓をしているみたいです。何もできず、すごく悔しかったらしく……でも、元気いっぱいですよー」


 カルナ姫のお茶会の時にオレットを見かけなかった。カルナには「オレットは休暇です」と言われたが、休んでいるわけではなかったのだ。

 二人とも前向きに頑張っているときいて、レンフィの心は逸った。自分も何かをせねばという強い使命感に駆られたのだ。


「わ、私も何か頑張りたいです……」

「じゃあ、レンフィさん。一緒に鍛えましょうよ」

「え」

「水の寵愛を得たと言っても、戦うには慣れが必要だと思うんです。戦う機会がなくとも、鍛えておいて損はないかと」

「……確かにそうですね」


 水中なら周囲全てを意のままに操れるので簡単だったが、地上ではそうではない。咄嗟に精霊術を使うのを躊躇い、何も守れない自分が容易に想像できた。

 マチスはおどけたように言う。


「それに、落ち込んだり、悩んだりしている時は、体を動かすと案外どうでも良くなりますよ」


 そんなに自分は顔に感情が出やすいだろうか。マチスにまで悩んでいると見破られている。


「僕としても、レンフィさんに手合わせをしていただけたらありがたいですね」

「手合わせ……」

「あ! レンフィちゃん!」

「今、手合わせって言った!? え、何? 二人で模擬試合するの?」


 通りがかったガジュとピノの大きな声に、訓練場にいた軍人たちがレンフィの存在に気づいた。


「もう体は大丈夫なのか?」

「大変な目に遭ったんだってね。川で遭難なんて……無事で良かったよ」


 第三軍の顔見知りの軍人たちは、心配そうに声をかけてくる。彼らとは、リオルの影響と雑用の手伝いのおかげで、随分親しくなっていた。


「あの……先日は、助けていただき、ありがとうございました」

「今まで失礼な態度を取って、申し訳ありませんでした!」


 一方、第二軍の軍人たちはバツが悪そうに頭を下げた。アヌビア川で一緒だった者たちは、レンフィに命を救われ、アザミからオンガ村での出来事を簡単に聞いてから、今までの非礼な態度をすっかり改めていた。この数日、ずっと謝罪の機会を窺っていたのである。


 大柄で強面の男たちに同時に話しかけられ、レンフィは固まる。


「おい。今は俺たちがレンフィちゃんと喋ってるんだ。割り込むな」

「何がレンフィちゃんだ。馴れ馴れしいぞ」

「良いんだよ。本人が好きに呼んでいいって言ったんだから。羨ましいなら、お前らも呼べばいいだろう」

「そんなことできるか!」


 なんだか雰囲気が悪くなってきて、レンフィはマチスとガジュとピノに視線で助けを求めた。


「あのー、皆さん、揉めないでください。レンフィさんが困っていますよ」

「そうだぜ。大体、今は手合わせについて聞いてたんだよ」

「ボクたちも一緒にいい? リオル様でさえ苦戦したっていう水の精霊術、間近で見てみたい!」


 ガジュとピノの不用意な言葉に、軍人たちの顔つきが変わる。


「おお! それは俺も興味がある!」

「先の討伐任務で少しだけ見たが、この世のものとは思えないほど神秘的で美しい光景だったな……」

「第二軍ばっかりずるい。ねぇ、僕たちにも見せてくれる?」

「では、中央にお願いします。皆に見えるように」


 あれよあれよという間に、レンフィは精霊術を披露することになった。

 自分の発言から事態が大きくなり、マチスが申し訳なさそうにしているのが分かり、レンフィはぎこちなく笑顔を返す。これくらいならば平気だ。前と違って、皆から傷つけようという悪意を感じない。


「い、行きます」


 アヌビア川の一件以来、精霊術を使う機会がなかった。失敗したらどうしよう、と緊張で力が入る。


 レンフィは両指を絡めて目をつぶり、集中した。

 近くに水があればそれを操るだけで済むが、この場にはない。レンフィは体内の霊力を水に変換して出力することにした。

 これはかなりの霊力を消費するため、一般の精霊術使いはあまり用いない。聖人になれるだけの霊力がなければ不可能な芸当である。


「えっと……こんな感じでしょうか」


 レンフィが水のベールを纏うと、周囲から歓声が上がった。いつの間にか随分と人が増えている。

 後ろの人にも見えるように水量を増やし、いろいろな形に変形させ、天井近くで踊らせる。


「すげー。こんなに自由自在に動かせるんだ。キラキラして綺麗」

「魔法じゃここまで操れないよな……」

「いちいち構築しなきゃいけないからね。汎用性は魔法の方が高いんだけど」


 一通り披露が終わり、レンフィは胸を撫で下ろした。上手くできたし、皆にも喜んでもらえた。拍手をもらい、レンフィは恐縮する。


「よし、レンフィちゃん。オレと勝負してくれ!」

「ちょっと待った! ボクもボクも!」


 ガジュとピノが勢いよく手を挙げる。


「やめといた方がいいぞ、小僧ども。二指の聖人相手に勝てるわけないだろう」

「分かんないだろ! こんな機会めったにないんだから!」

「そうですよ、先輩! 大体、聖人に勝てないと困るじゃないですか! 戦う前から弱腰なんて嫌です!」


 新兵の言葉が突き刺さり、場に不穏な空気が漂う。


「一理ある」

「俺、聖人と戦ったことない……」

「予行練習か。なら、僕も参加したい」


 全員の視線を一斉に浴び、レンフィは竦み上がった。慌ててマチスが間に入る。


「ダメですよー。レンフィさんは戦えませんって」

「あ、あの……勝負は……ごめんなさい。私、皆さんに攻撃できないです……」


 そうだよな、と誰かが深いため息を吐いた。

 レンフィは申し訳なく思い、必死に頭を巡らせる。


 魔物討伐に出かける前、護身のために精霊の寵愛か加護を得ようとしていた。アザミと和解した今、城内で危険な目に遭う心配はないだろうが、今も自分の身くらいは自分で守れるようになりたいと思っている。

 ならば、と恐る恐る提案を口にする。


「じゃあ、皆さんは攻撃してきてください。私は、それを防ぐ練習をします」


 防戦一方ならば、気が楽だ。皆を傷つける心配がない。


「悪い。言い出しておいてなんだけど、よくよく考えてみたら、オレもレンフィちゃんに攻撃できねぇ……!」

「うん。万が一怪我をさせたら嫌だし、リオル様にバレたら……」


 ガジュが頭を抱え、ピノが青ざめた。


「あ、大丈夫です。怪我をしても治癒術で治せますから平気です」


 レンフィの言葉に、皆は素直に頷かなかった。


「うーん、じゃあ、こういうのはどうですか?」


 その後、マチスの提案が採用されることになった。






 自分の四方と天井を、精霊術で造り出した分厚い水の膜で覆うと、訓練場の中央に巨大な水の繭が形成された。

 レンフィはその中から周囲を見渡す。水を通した不明瞭な視界に、訓練用の剣を携えた軍人が並んでいる。


「あの、大丈夫です。いつでもどうぞっ」

「おう! まずはオレが!」


 くぐもったレンフィの言葉に答え、一番手のガジュが勢いよく剣を振り下ろした。


「げ!?」


 甲高い金属音が訓練場に響く。刃を潰しているとはいえ、鉄製の剣が繭に触れた瞬間、綺麗に切断されて落ちた。

 この水はただ漂っているわけではない。レンフィは意識して水面を高速で動かしていた。激流の勢いと凄まじい水圧で剣を弾き返したのだ。


「はーい、交代です。約束通り、折った剣は弁償だからね。挑戦したい人は、自分の懐と相談してください」


 マチスがてきぱきと仕切る。

 彼が提案した勝負は単純。レンフィの造り出したこの水の繭に刃を通せるか否か。これならばお互いの接触はなく、危険もほとんどない。軍人は己の剣術が聖人に通用するか試せるし、レンフィは護身の方法を学べる。


「剣を手放すところだった。すごい力だぞ……」


 ガジュは折れた剣を呆然と眺めている。


「よし、次はボクだ!」


 ピノが名乗りを上げ、腕力よりも鋭さで勝負しようと、目にも止まらぬ速さで一閃する。しかし、やはり剣は水の膜に阻まれて跳ね返った。


「うわ……これ、素手で水に触ったらずたずたになるね……」


 剣は鋸の刃ようにギザギザに刃こぼれしていた。

 あまりにも凶悪な防御壁に、一同は戦慄する。


「ええい! 次は俺だ!」

「私も挑戦するぞ!」


 しかし、開戦を控えている今、聖人相手に尻込みはできない。新兵だけではなくベテランの兵士まで手を挙げて、水の繭に勝負を挑む。

 結果、剣と同様、皆の心も次々と折っていくことになる。


「うぅ……」


 レンフィは広い繭の中心で縮こまっていた。

 今のところ破られる気配はないし、霊力にもまだ余裕がある。酸素も天井を時折開いて交換しているので、しばらくは問題ない。

 ただ、単純に目の前で剣を振り下ろされるのが怖かった。水のおかげで像がぼやけているとはいえ、徐々に皆の気合が高まり、殺気を帯び始める。なりふり構わず飛び掛かられる恐怖に息苦しくなってきた。

 半分近くの者は一度挑戦して諦めたようだが、再挑戦者は後を絶たない。


 霊力は大丈夫でも、心が持ちそうにない。そう言えば、繭を破る以外の決着方法を決めていなかった。レンフィは終わりの見えない恐怖に絶望し、わざと負けることを考え始める。


「ちくしょう! 今度こそ!」

「ガジュ、お前、三本目だろ!? やめておけ!」

「ここで退けるかよ! オレは勝って……レンフィちゃんとまた食堂で飯を食うんだ!」


 え、とレンフィが首を傾げている間に、軍人たちはどんどんヒートアップしていった。


「じゃあボクは一緒にボードゲームする!」

「俺は肩こりを治してもらう!」

「そろそろ敬語を止めてほしい!」


 思い思いの願望を口にしながら、皆が剣を振り降ろす。いつの間にか水の繭を破ったらレンフィに願いを叶えてもらえる、という流れが出来上がっていた。

 ご褒美の存在により、諦めていた者まで再び剣を手に取る。


「ひ……!」


 見れば、四方全てに軍人が並び、次々と攻撃を受けるようになっていた。これはあまりにも怖すぎる。

 レンフィは完全にギブアップをするタイミングを失い、繭の中で頭を抱えて蹲った。


「あ、これは……ど、どうしよう」


 マチスもまた、責任を感じて焦っていた。

 安全な訓練方法を提案したつもりだったが、ここまで皆が熱狂するとは思わなかった。先ほどから制止の声をかけているが、攻撃は止みそうにない。レンフィが中で怯えていないか心配だった。


「…………」


 ここはもう、自分が繭を破って終わらせるしかない。

 マチスにとっては、さほど難しいことでもない。レンフィの水の繭は確かに強力だが、霊力が均一とは言い難く、脆い箇所がある。そこに魔力を浸透させた剣を鋭く振り下ろせば斬れるはずだ。

 深呼吸して、剣を構える。


「ちょっとどいてくれ」

「あ」


 割って入った声にマチスの集中が切れる。


 彼は、手近な兵士から剣を借りると、何の気負いもなく片手で振り下ろした。周りにいた者が思わず一歩後退するほど、圧巻の一閃だった。

 マチスもまた、息を呑む。いつの間にか随分と差がついてしまった。悔しさもあるが、見事な太刀筋に感服する気持ちの方が大きい。


「騒がしいから顔を出してみれば……俺を差し置いて何やってんだよ」


 蹲って耳を両手で塞いでいたレンフィは、親しみ深い気配を感じて顔を上げる。

 分厚い水の膜が一刀両断された。訓練用の剣で肩を叩きながら、リオルが繭の中に足を踏み入れてくる。


「俺の勝ち、でいいんだよな」

「リオル……!」


 レンフィは心の底から安堵して、その拍子に精霊術が全て解けた。大量の水が訓練場の床に広がり、男たちから悲鳴交じりの声が上がる。

 皆が足元に気を取られている隙に、リオルはレンフィに耳打ちした。


「デート、するか?」

「え?」

「勝者にご褒美くれるんだろ。二人で出かけたいなって思ってさ」


 照れ臭そうにしつつも、悪戯っぽく笑う彼に、レンフィの心臓は跳ねた。


「うん、行く」


 気づけば、無意識にそう頷いていた。


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[良い点] 今更な感想かもしれませんが戦記+恋愛にたまに 見受けられる 「ご主君、護衛騎士、兄貴分、敵国君主…私は誰を好きになればいいんだろう(ドキドキ)」 って、お互いに殺し合いやってる中で何をお花…
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