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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第四章 聖女と愛しの宿敵

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53 悩み事

 


 黒の遺跡からの帰り道、レンフィはずっと悩んでいた。

 自分はこれから何をすれば良いのだろう。


「あんまり重く考えるなよ、レンフィ。俺たちに任せておけばいいからな」


 別れる前、リオルはそう言ってくれたが、考えずにはいられない。


 きっと王国の面々は教国を倒すべく忙しく動き出す。

 宰相とヘイズは他の黒の王国と手を組むべく外交に奔走するだろうし、リオルやアザミたちは首都まで攻め込むことを想定して戦争に臨むはず。ウツロギも明日にはムドーラを発ち、リッシュア王国に同盟の話を持ち掛けに行くと聞いた。


 手伝いたい、役に立ちたい、そういう気持ちはレンフィにもある。

 しかし具体的なことを考えると、途端に気力が萎えてしまう。自分から何かをしようという気になれない。


 今まではシダールの命令で呪いの解呪を手伝い、アザミの提案で魔物討伐に同行した。自分から大きな仕事に携わったことはない。流されて、与えられた選択肢を選ぶだけだった。


 今回は、どうなるのだろう。シダールたちからは何も言及がなかった。

 死んだと公表された聖女が生きていた。世界を危機に晒す儀式の生贄となり、記憶を奪われた。

 これは教国の風評を陥れる絶好の材料になるだろう。それをシダールや宰相たちが思い至らないわけがない。


 しかし彼らは思いのほか慎重であり、教国のやり口を理解している。

 レンフィの存在を利用して少しでも教国の暴走を止められるのならいいが、より一層事態が混沌としてしまう危険性に気づいている。

 白亜教徒は悪しき王国の言い分に耳を貸さない。最悪、「レンフィが裏切った」、「洗脳されている」などとうそを並べ、兵の憎悪を煽るだろう。

 レンフィの生存を公表するのは諸刃の剣なのだ。


 ならば“哀れな聖女”という存在を利用する以外、自分はどのような方法で貢献できるだろう。

 例えば医療官として戦場に同行させてもらうことも考えてみたが、ただただ気が滅入った。


 戦う相手は教国上層部の思惑を何も知らない一般兵なのだ。かつての部下もいるかもしれない。彼らの前で姿を隠し、王国側の人間として働くのか。裏切るにしてもひどすぎる。

 こんな中途半端な気持ちで戦場に行っても、リオルたちの負担になるだけだ。


 そもそも、戦ってほしくない。戦争を止める方法はないだろうか。そう考えかけて、すぐに諦めた。

 それができるのなら、ウツロギは黒の王国を頼らないだろう。彼にできないことが、自分にできるとはとても思えない。


 誰もが幸せになれる都合の良い答えなどなく、あったとしても力が足りない。何もできない。


 何よりレンフィは、自分から渦中に飛び込む勇気を持てなかった。自信がないのなら、責任が持てないのなら、手を出すべきではない。そんな消極的な考えに支配されていた。


 そこまで考えて気づく。

 結局のところ、自分が可愛いのではないか。

 誰かが死んだり、誰かを殺したり、そういう想いをしたくない。争いや憎悪とは無関係の場所にいたい。せっかく生き直す機会を得たのだ。今度は自分を犠牲にしたくない。

 きっとそれが本心。卑怯で臆病で身勝手な願望だ。


 分かっている。見て見ぬふりをすれば、死ぬほど後悔する。自分を嫌いになってしまう。何もしないわけにはいかない。

 この命は多くの犠牲の上に存在している。この力は限られた者にしか与えられない。

 世界のために使わなければ、面目が立たない。償いは一生続く。

 第一、何もせずに大切なモノを失うことになったらどうする。もう二度と過去の自分のような犠牲者を出したくないのなら、立ち上がらないといけない。


 必死に自分を鼓舞したが、気持ちが暗くなる一方だった。思考がぐるぐると同じところを巡る。


 重い足取りで、レンフィは塔の部屋に帰還した。


「あ、おかえり! ……大丈夫? その、昔の自分のこと、聞いたんでしょう」


 中でバニラとジンジャーが待ち構えていた。

 王国の方針がはっきりと決まるまで、黒の遺跡で聞いたことは全て口外禁止である。事情を話せないことをレンフィは心苦しく思った。


「あ、無理に聞き出そうなんて思ってないわ。ただ、絶対にろくな内容じゃないでしょ? だから、また……」

「僕も姉さんも、心配なんです。あなたが深く傷ついていないか」


 つい先日も魔物討伐から帰って熱を出したところだ。レンフィの体調と心を二人は案じていた。


「……大丈夫です」

「無理しなくていいのよ?」


 バニラがレンフィの肩に触れる。

 こうやって心から気遣ってくれる人がいる。それが何よりも救いだった。


「確かにショックなお話でしたけど、今の(・・)私は大丈夫……」

「もう! そう言いながら、泣きそうになってるじゃない!」

「泣いた方が良いですよ、レンフィさん。我慢は体に悪いです」


 結局バニラに縋りつき、レンフィは少し泣いた。自分の過去を知って辛かったからというよりも、優しくされて嬉しかったから涙が出た。そう説明するのには時間がかかってしまった。

 落ち着いてから、ジンジャーの淹れてくれた薬草茶を口にする。改めて礼を言おうと口を開いたら、バニラが先回りして言った。


「これくらいでお礼なんて言わないでよ。当たり前のことじゃない」

「当たり前……?」


 もじもじしているバニラに代わり、ジンジャーがきっぱりと述べた。


「レンフィさんは、姉さんの友達です。友達が悩んでいたり落ち込んでいたりしたら、心配するのは当然です」

「ちょ、ちょっとジンジャー!」

「僕も医務室の先輩ですから、後輩を見守るのは当然です。今日は温かいものを食べて、しっかり眠ってください。医療官が体調を崩したら、仕事になりませんからね」


 優しくも厳しいジンジャーの言葉に、レンフィは頷いた。

 その勢いのままにバニラに向き直る。今なら、とても嬉しいことを言ってくれる気がした。


「バニラさん、本当に私のこと、友達って……」

「ふん、これだけ毎日一緒にいるんだから、友達になってもおかしくないでしょ!」

「嬉しいです。あの、本当に嬉しいです。友達……ともだち……」

「恥ずかしいからわざわざ口に出さないでよ。関係が少し変わっただけ! もう捕虜って身分じゃなくなりそうだし、世話係も終わりだろうから」


 その言葉に、レンフィは虚を衝かれた。

 もうバニラの手を煩わせる心配はなくなる。だが、単純に一緒にいられなくなるのは寂しい。これまでのようにはいられないのだ。

 レンフィが黙って俯くと、バニラは途端に慌てた。


「これからも城で働くなら、しばらくは面倒見てあげるわよ!」

「本当ですか?」

「ええ。手始めに……今夜はあたしもこの部屋で寝るわ。どうせ考え事して眠れなくなるっていうお約束でしょ? そんなことになるくらいなら、今度はあたしの悩みを聞いてもらうわ」

「バニラさんに悩み!? 大丈夫ですか?」

「まだ内緒。女同士、二人きりで語り合うんだから。分かった?」


 仲間外れにされたジンジャーが、遠い目をした。


「まぁ、姉さんの悩み事くらい想像はつきますよ。どうせまた変な男に……姉さんの趣味の悪さを治癒魔法で治せたらいいのに」

「ち、違うわよ。今までのは偶々で……そのうち素敵なお義兄さんを紹介して驚かせてやるわ!」

「ああ、はい。期待してます。僕より先に相手を見つけてくださいね」

「もう! 生意気よ!」


 姉弟の遠慮のない会話に、レンフィの心は少し軽くなった。






 バニラの驚くべき恋愛遍歴を聞いた翌日、レンフィは再びカルナ姫のお茶会に招かれていた。

 落ち込んでいないか、気にかけてくれたらしい。


「レンフィ様がわたくしを魔物から助けてくださった理由が分かりました……」


 カルナ姫が沈痛な面持ちで言う。レンフィも同じことを想像していた。おそらく過去の自分はカルナと殺された妹たちを重ねたのだ。見殺しにするなど絶対にできなかっただろう。


「わたくしを助けたせいで、本懐を遂げられなかったのだとしたら、申し訳ありません」

「そんな、姫様の命の方が大切です。私の意志でムドーラに来たとは限らないですし……」


 記憶を完全に失う前、かつての自分は最後に何をしようとしたのだろう。

 オークィが死に、レンフィが記憶を失った以上、なぜムドーラ王国を逃亡先に選んだのかは永遠の謎になってしまった。答え合わせができない。


「結果的に、カルナさんを助けたのは正解だった。この国の大切な姫を命懸けで守ったからこそ、レンフィはすぐに殺されなかったんでしょう?」


 もう一人の招待客、マグノリアがティーカップを置いた。カルナが少しむっとする。


「あの時のレンフィ様は、おそらくそのような打算で行動したわけではありませんわ」

「分かっている。でも、レンフィの行いは間違っていなかったし、カルナさんがあの日に黒の遺跡に行ったことも幸運だった。誰も悪くない。今の結果も、悪くないでしょ」

「……そうですわね。レンフィ様がお義姉様の帰還のお手伝いをしたことも、今思うと最良の判断でしたわね?」


 マグノリアが言葉を詰まらせ、カルナが冷ややかな視線を向ける。


「あっという間に仲良くなって……」

「な、何か不満が?」

「別に。お兄様とも仲睦まじく、レンフィ様とも親しくされて、お義姉様が幸せそうで、わたくしも嬉しいです。ぜひ、わたくしとも仲良くしてくださいね。義理の妹なのですから」


 カルナは優雅に微笑んだが、その声からは仄暗い何かを感じた。

 レンフィは寒気を覚え、温かいティーカップを撫でる。


「も、もちろん、仲良くする」

「ええ、お願いします。わたくしが邪魔だからと言って、安易に他国に嫁がせようとしないでくださいね?」

「そんなことはしない!」

「ああ、良かった。それを聞いて安心いたしました」


 マグノリアとカルナが冷たい視線を交わしている。

 嫁と小姑の仲が悪いと大変だ、と軍人がぼやいているのを聞いたことがある。家庭内冷戦を防ぐべく、レンフィは必死にかける言葉を探した。


「え、えっと……私も姫様には他国に嫁いでほしくないです」

「まぁ! レンフィ様にそう言っていただけるなんて嬉しいですわ!」


 華やいだ声に、マグノリアは面白くなさそうに紅茶の湯気を指で弾いた。レンフィとの扱いの差は明白だった。


「ですが、黒脈の血を持つからには政略結婚も覚悟はしています。他国に行くのが嫌なわけではないのです。しかし、できれば愛する方と結ばれたい。どこにいるのでしょうか、わたくしの運命の殿方……」


 うっとりと頬に手を添えるカルナを見て、レンフィは恐る恐る尋ねる。


「姫様は、あの、ジンジャーさんとは……」

「え? ジンジャーはお友達です。同年代では一番親しくしておりますが、恋愛対象ではありませんわね。ジンジャーも同じことを思っているはずです」

「そうだったのですか」


 てっきり二人が両想いだと思っていたレンフィは、自分の勘違いを恥じた。


「ジンジャーは素敵な男の子だと思いますわよ? でも、なんというかあまりにも善良で……わたくしの好みとは違うようですわね」

「じゃあどういう男が良いの? まさかと思うけど、シダールが理想?」


 マグノリアが戦々恐々としながら問いかけた。カルナは鼻で笑う。


「実の兄を恋愛対象になどしません。良き兄だと思っておりますけれど」

「じゃあ……」

「初恋もまだですし、なんとも言えませんが……強いて言うのなら、困った方が良いです」


 幼い姫の理想が分からず、レンフィとマグノリアは首を傾げる。


「分かりづらいでしょうか。わたくしがいないとダメになってしまうような、可愛い方……そういう方を思い切り虐め、ではなく、愛でたら楽しそうですわよね!」

「……そう。わたしはカルナさんの婚姻には口を出さないと決めた。頑張って探して」


 マグノリアは早々に匙を投げた。レンフィもこれ以上は何も聞けなかった。カルナの将来が少々心配になったが、自分の手には負えそうにない。


「わたくしのことは良いですわ。それよりも今は……」

「そうね。こちらの方が先決」


 二人の鋭い視線にレンフィは怯む。


「レンフィ」

「は、はいっ」

「わたし、あなたには幸せになってほしい」


 マグノリアの言葉にレンフィはどきりとした。


「幸せ……」

「そう。こういう言い方は卑怯だけど、過去のあなたの分まで今のあなたが幸せになるべき。だから、あまり自分を責めたり、必要以上に思いつめたりしないで」

「わたくしも同意見です。教国との決着がつくまでは、不自由な思いをさせてしまうでしょうが、できる範囲で好きなように生きて、この国で幸せになっていただきたいです」


 二人の迫力にレンフィは戸惑う。


「わ、私……今のままでも十分幸せです。皆さんに心配してもらえて、お仕事をいただいて、温かいご飯を食べられて、楽しいお話しを聞かせていただいて」

「そういうのも大切ですけれど、わたくしは女性としての幸せも感じていただきたいのです。ですから――」

「待って」


 カルナの言葉を遮り、マグノリアは諭すようにレンフィに告げた。


「何がレンフィにとっての幸せなのかは、レンフィが決めること。自分で気づかないと意味がない」


 カルナは頬を膨らませたが、一理あると呟いて退いた。

 俯くレンフィに、さらにマグノリアは言う。


「昨日の今日で気持ちの整理がついていないのは分かる。もちろん強制はしないけれど……わたしたちは心配なの。あなたが幸せになるのを躊躇っているんじゃないかと思って。もう無理をしなくていい。誰もあなたを責めないし、責めさせない」

「そうです。心のままに、自由に求めて良いのですよ。戦いのことは殿方に任せれば良いのです。レンフィ様はゆっくりお過ごしくださいね」


 マグノリアにもカルナにも、悩みの内容まで見透かされているようだった。

 過去との折り合いをつけるのには、相当の時間を必要としそうだ。王国が波乱に巻き込まれていく中で、自分のことを優先する気持ちになれそうにない。自分の幸せについて考えるのは難しい。


 でも、もしも許されるのなら、一つだけ叶えたいことがある。それさえ叶うのなら、他には何も要らないと思えること。

 彼の手のぬくもりを思い出して、レンフィは小さく息を吐いた。



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