50 悲劇の聖女
鬱な内容です。苦手な方はご注意ください。
レンフィ・スイは、生まれてすぐに教会に引き取られた。
その教会は、強い霊力を持つ女児ばかりを集めていた。管理者も女性しかいない女の園である。
精霊の寵愛を得た淑女――“聖女”を育成する機関だった。
親と引き離され、幼くして厳しい修行を受ける彼女の心の支えは、同じ境遇の血の繋がらない姉妹たち。
互いに励まし合い、寂しさを分かち合ううちに、本物の姉妹以上の絆が生まれていた。
レンフィは、白の神の申し子のような少女だった。
生まれつきその身に宿る莫大な霊力、美しいプラチナブロンドの髪、そして光の精霊から寵愛される尊き魂。
清楚で可憐で心優しく、自然と一体になって精霊術を振るう、絵に描いたような理想の聖女だったという。
しかし、それが仇になった。
白亜教徒ならば誰もが愛してやまない素質を持つゆえに、レンフィは現教主リンデンの目に留まってしまったのだ。
「八歳の洗礼で光の寵愛を授かると、レンフィは大聖堂預かりになった。本来ならば、同じ属性の聖人の弟子になり、適性を見ながら働くことになるんだけど、レンフィの場合は教主リンデンが直接指導することになった。……その日から黒の神の毒餌にされるための、苦痛に塗れた人生を送ることになる」
ウツロギはレンフィの顔色を心配そうに窺いながら、ぽつりぽつりと詳細を語った。
幼いレンフィは姉妹との接触を断たれ、窓のない狭い部屋に閉じ込められた。
暴力的な虐待は日常茶飯事。精霊術で防げぬよう、反撃もできぬよう、霊力を特殊な腕輪で抑えつけられた。
食事は必要最低限の栄養を薬で取り、固形物はほとんど与えられなかった。
光の寵愛がなければ死んでいてもおかしくないほど、少女の体は執拗に痛めつけられた。毎日拷問を受けているようなものだ。
同時に、精神的な責め苦も受けた。
訓練や学習で一つでもミスがあれば長時間罵倒され続け、人格の全てを否定された。
逃亡や命令違反をすれば、容赦なく殴られ、目の前で見知らぬ罪人を殺された。お前のせいで死んだ、お前が殺した、と罪悪感と恐怖で束縛するために。
計画のことを知らされていないレンフィは、なぜ自分がこのような酷い目に遭わされるのか分からず、戸惑いと絶望の日々を送った。
常人ならば、自殺を考えてもおかしくない環境だ。それでもレンフィは耐え続けていた。
『お前が死ねば、次は妹たちだ。別に構わない。代わりはたくさんいる。何、苦しいのは今だけだ。耐え続ければ、救いの時は来る。神はお前を見守っている』
脅迫と救済をちらつかされ、レンフィは血反吐を吐きながら日々を過ごす。
家族を守るために。そして、救われる日を信じて。
その自己犠牲の精神が尊ばれたのか、その頃、水の精霊の寵愛を授かった。
歓喜したリンデンによって、与えられる苦痛も陰湿さを増していく。
例えば、褒美と称して、部屋を出る自由を与えられ、下働きの者と接する機会を増やされる。しかし少しでも親しくなれば、彼らは容赦なく目の前で嬲り殺された。
自分に関わる者は殺される。どうにもできない。
レンフィは自然と部屋に閉じこもり、大聖堂の人間とは誰とも口を利かなくなった。
体が痛みに慣れ、精神が擦り切れた頃、もはや反抗心も疑問も抱かず、リンデンの言いなりの人形になっていた。
十二歳になると、レンフィは初めて出征した。
邪教徒狩りはなんとかこなせた。わざと士気の低い兵士と組まされ、レンフィばかりが殺す羽目になった。相手は悪人だと繰り返し呟くことで、何とか罪悪感を薄めていた。
しかし、オンガ村の虐殺には加担できなかった。
見知らぬ“家族”に自分の姉妹を重ねて、ほんのわずかに心を取り戻してしまった。
結局、残酷な光景を目の当たりにすることになる。
それからレンフィは各地の戦いで活躍を続け、聖女と呼ばれるほど名を挙げた。彼女の前に立ちはだかった敵兵のほとんどが一撃で絶命していたという。痛みや恐怖を感じる間もなかっただろう。
「それはきっと、彼女が敵に与えられる唯一の慈悲だったんだろうね。オンガ村での経験が、彼女に躊躇いを捨てさせた」
リオルとアザミは、密かに視線を交わした。
聖女レンフィは敵には一切容赦をしない冷酷な少女。そう思っていた。
他の聖人の戦いは、とても雑だった。狙いを定めずに風の刃を飛ばし、力任せに土の波で圧し潰す。だから死者よりも重傷者が多くなり、ある意味では厄介だった。
しかしレンフィの水の刃は正確に命を狩りとっていた。あまりにも無情な戦い方に、ムドーラの軍人は彼女を強く憎んでいたほどだ。
レンフィの抱える葛藤や苦悩など読み取ろうとも思わなかった。
「ここ数年は、リオルとの一騎打ちが増えたおかげで殺す敵兵が減って、安堵していたみたいだよ」
「っ!」
リオルが大きく動揺したのが分かって、レンフィの心にも波紋が広がる。嫌な気持ちにさせていないか心配だった。
ウツロギはそんな二人の胸中を知ってか知らずか、話を進めた。
「戦いの一方で、レンフィは教国の民に対しては命を削るように治癒術を施した」
無償ゆえに貧民に群がられることになっても、誰一人断らずに人々を癒す。与えられた金子は全て孤児院に寄付していた。
それはレンフィの贖罪の表れだった。
リンデンはその行いだけは止めなかった。民への施しによって白亜教の権威が高まるのは悪くない。
何より人々に“聖女”として崇められることが、レンフィにとって苦痛だと理解していたからだ。
「……惨すぎる。教国の教主は、人間じゃない」
マグノリアが悲鳴のような声を漏らした。
ウツロギが同意を示す。
「うん、そうだね。いつからか分からないけれど、リンデンは精神を病んでいるみたい。光の精霊術でも心の病は癒せない。もちろん病のせいにするには、彼の行いは度を超しているけれど」
場には居た堪れない空気が漂っていた。
レンフィの手を握るリオルの力が徐々に強くなっている。しかし何も声をかけてはくれず、目も合わせてもらえない。
ウツロギは申し訳なさそうにしながらも、ついに核心に触れた。
「そして、今年の冬の始め。最後の仕上げに……彼女は世界神統合計画について聞かされ、目の前で姉妹たちを惨殺された」
「……っ」
覚悟をしていたとはいえ、辛い。耳を塞いで叫び出したい衝動に駆られた。
レンフィもまた、リオルの手を強く握り返した。
「あまりのショックにレンフィは心神喪失に陥り、魂の抜け殻に等しい状態になった。そのまま儀式が執り行われ、彼女の絶望に満ちた記憶は黒の神に捧げられた」
どうりで記憶を欠片も思い出せないはずだ。もう既に自分の中にはなく、神の許へ渡っていたのだ。
レンフィはぼんやり思う。
そんな凄惨な記憶を受け取り、神もさぞ迷惑しただろう。神々の融合が早まれば、この世界の人間にも害になる。
本当に、教国の限られた人間以外には何の利益もない行為だ。
「儀式の詳細は分からないけれど、記憶は断続的に消えていき、全て失うまで数日かかるものだったんだって。軟禁されていたレンフィを、オークィが逃がしたんだ。この装飾具を壊してボクに送ってからね。レンフィが旅装も纏わずにこの王国にいたのはそのためだ」
「……まさか」
「そう、そのまさかだよ、ヘイズ。空の精霊術――空間転移で逃がしたんだ。白亜教国からムドーラ王国まで一気に転移させたのだとしたら、オークィはかなりの無茶をしたね。持てる霊力全てと命を削ったんだと思う。その後、教国に殺されてしまった……」
どうして、とレンフィは自然と疑問を口にしていた。
オークィがなぜ自分を逃がしたのか分からなかった。
教国の野望を妨害したいのならば、儀式の前にレンフィを逃がさなければ意味がない。自分の命を犠牲にしてまで、レンフィを逃がす理由があったのだろうか。
ウツロギは、慈愛に満ちた瞳で空を見つめた。
「オークィは、若い頃に手酷い裏切りにあって、ずっと道を踏み外して堕落していた。教国の腐敗に加担していたこともある。でも、最後に良心を取り戻したんだ。レンフィの置かれた状況を知り、辛い記憶を消して生き直し、今度こそ幸せになってほしいと願った。そのために命を懸けた。罪滅ぼしの善行だったんだよ」
「そんな……」
「どうか彼の死を気に病まないで。オークィの魂は、レンフィが幸せなら報われる」
そう言われても、レンフィは納得できなかった。
かつての自分とオークィは、言葉を交わすくらいには親しかったのだろうか。自分を助けて死んだ人間がいると聞かされ、気に病むなというのは不可能だ。
宰相もまた首を傾げた。
「老いて死ぬ前に善行を、というのはなんとなく理解できますが、解せませんねぇ。なぜ我がムドーラ王国に転移を? 彼女の立場上、他の国の方が遥かに安全でしょう」
「ごめん。それは本当に分からない。オークィに何か考えがあったのかもしれないし、レンフィが希望したのかもしれない」
「私が、望んでこの国に?」
ウツロギは淡く微笑んで頷く。
「その可能性はあるよ。どんな形にせよ、きみにとっては教国以外で最も関わりが深い国だ。レンフィの叶えたいことがこの地にあったのかもしれないし、ムドーラの誰かに伝えたいことがあったのかもしれないし、シダール王ならば教国に対抗できると考えたのかもしれない。あるいは……」
その視線が背後の心臓石へ向かう。
「黒の神がこの場所に導いたのかも」
どきりとした。
レンフィの苦痛の塗れた記憶を押し付けられ、黒の神が何か行動を起こしたのだろうか。罰を当てようとしたのかもしれない。
そんな風に、悪いことばかり考えてしまう。
「これが、これまでレンフィの身に起きたことだよ」
ウツロギはそう話を締めくくった。




