49 教国の野望
「白亜教の目的は白と黒の神を一つにし、世界を完成させること」
精霊が大地を浄化し、人間が進化を重ね、世界が安定した時、神は目覚めて一つに戻ると言い伝えられていた。
しかし、人間を導く黒脈の王が優劣を競い始め、大地を血と怨念で汚していった。精霊の浄化は進まず、黒脈同士の戦争は止む気配がない。
世界は盛衰を繰り返し、安定しない。それどころか戦いが進むにつれて“白”の勢力が弱まっていった。
やがて一人の聖人が立ち上がる。
空の精霊の寵愛を受けた聖人――名をマイスと言った
「マイスは白亜教の名の下に当時バラバラに活動していた聖人たちを集め、白の神が眠るとされる聖地に国を創った。ご存知の通り、マイス白亜教国がそれだ。ボクも昔、少しだけお世話になったことがある。七百年前は今とは全く違う、慈愛に溢れた美しい国だったよ」
「え」
ウツロギの言葉に激しく驚いたのはレンフィだけだった。
皆は半信半疑と言った表情のまま、何も言わない。詳しいことは後で教えてもらおうと決め、レンフィは黙って耳を傾けることにした。
初代君主となったマイスはとある教義を掲げた。
『黒の神の血を減らし、我らが戦争の抑止力となろう。“白”と“黒”の均衡を保つんだ』
それからは、聖人たちまでもが戦争に参加するようになった。
血で血を洗い、怨念に怨念を塗り重ねるような行為だ。もちろん精霊の浄化を妨げることだと理解していた。それでも今は、早く戦争を終わらせる方が得策だと判断したのだ。
「当時は黒脈の王家の数も多く、今よりもっと混沌としていた。話し合いをする余地はなく、戦争に介入する方法は武力しかなかった。そして、複数の国を同時に相手取る力もない。教国は独自の基準で黒脈の王を見定め、人々を導く器のない不適格な血筋を順番に滅ぼしていくという手段を取ったんだ」
聖人の精霊術は強力だった。
時には神の血を宿す王すら打ち負かせるほどに。
戦争で荒れた大地を精霊術で癒すと、民は涙を流して感謝した。白亜教に入信する者は後を絶たなくなり、「そのまま土地を治めて欲しい」との言葉を受け、領土を拡大した。
勝ち続け、求められるほど白亜教徒たちは傲慢になっていった。
王の器を認められるとなれば、生き残っている黒脈の王たちも悪い気はしない。友誼を結ぼうとする“黒”の国まで現れ出し、さらに白亜教国は影響力を強めていった。
勢力図は塗り変わっていき、今度は“白”が“黒”を駆逐し始めた。
「マイスの死後、白亜教国はこの大陸の覇者となった。その頃には初代が掲げた教義は歪み、驕り高ぶる聖人たちによって国家運営されるようになってしまった。戦いは続き、血は流れ続けた。その頃になると、白亜教国に反感を抱く“黒”の王国が多くなっていた。逆らわれることに、聖人たちは激怒した」
人間の代表たる王を選ぶのは、我ら白亜教徒。
至高たる黒脈の王は一人いればいいはずだ。
我らがたった一人の黒脈の王を選定し、他の不適格な邪な王を滅ぼした時、白と黒の神は一柱に戻るだろう。
そう信じた白亜教国は、時には難癖をつけてでも戦争を仕掛け、黒脈の王家を次々と滅ぼしていった。
「これは正解であり、不正解なんだ。確かに、黒脈を滅ぼせば滅ぼすほど、神々の融合は近づく。原初、人間たちに与えた神の血が失われれば、黒の神は弱る。そうなれば指を持たない白の神でも、黒の神を捕まえられるようになるから」
今度は幹部たちも驚いていた。
世界が完成する条件は、黒脈の血筋が絶えること。シダール王に仕える者たちの胸中は複雑だった。
「ただし、あまりにも黒の滅びが早すぎると、バランスが極端に悪い状態で世界が完成してしまう。神の望みとは異なる結末になる」
シダールだけは特に驚きもせず、ウツロギに言葉を投げる。
「本来、黒脈同士で争い、徐々に数を減らしていくはずだった“黒”が、“白”の手によって急激に滅ぼされていく。進化の歩みが足りなくなるか」
黒脈の王の役目の一つは、生命の最適化――人間にとって都合の良い動植物を造り出していくこと。
それが不足した状態で世界が完成すれば、人間に厳しい世界になる。
「そう。黒脈の王たちが国の力を競い合うことが大事なんだ。農業でも経済でも学問でもいい。競い合って高め合い、不要なものを淘汰する。そうして洗練された人間社会を築くこと。それが黒脈の王の存在意義」
憂鬱そうにウツロギは言う。
「あまり好ましくはないけれど、戦争という手段は最も文明を発達させる方法だよね。武器を作り、戦術を練り、兵器を発明し、兵糧を工夫して……あとは兵の数だね。子どもを増やして、戦えるほど育てるにはある程度整った環境が必要でしょう? 国を豊かにすれば、自然と戦争にも強くなる。だから、黒脈同士の戦争は必要なことなんだ」
だけど、と言葉を切って、自らの手を見つめる。
「精霊術は……自然の力は文明を無に帰すほどの力を持つ。本来ならば、黒脈の王が道を誤った時に打ち消すために与えられた力だったのかも……まさか、聖人の方が道を誤るとは、皮肉なものだね。神の望みを妨げることになってしまうなんて」
「……その神の望みとは、どういうものなのでしょう。神が思い描いていた世界の完成図、ということですか?」
宰相がと問いかける。
「その通り。神が想定していた成功例は二つ。一つは、永遠に白と黒の神が一柱に戻らない世界。黒脈は争い続けて大地を汚し、汚れた大地を精霊と聖人たちが浄化を続ける。白と黒が循環して、世界は永遠に完成しない」
白と黒のバランスが保たれれば、世界が滅びることはない。
ある意味では成功と言えるだろう。ただし、安定しないため、少しバランスが崩れれば世界は混沌と化す。そんな危険性を孕んでいる。
「もう一つは文明の発達により、魔力も霊力も不要となる世界。黒脈の王がある程度生命を最適化し、精霊と聖人たちに大地を整えてもらえば、人間は自らの知恵と技術だけで、生活を成り立たせられるようになる。そうなれば無色の人々は、悪政を行う黒脈の王を討つだろう」
神の血を宿す王への反乱は、ある意味では神そのものへの謀反ともいえる行い。
しかし革命が成功すれば、人間が神の力を必要とせず生きていけるという証左でもある。
「神々が融合すれば、神々に与えられていた魔力と霊力は世界から失われる。白指の精霊も神に還元されるだろうね。人間は神から離れ、神は人間をただ見守る。もちろん滅びない保証はないけれど、魔力と霊力がない分、安全かな。人々は同じ色になる」
レンフィには話が難しく、ところどころ分からなかった。隣を見れば、リオルも考えるように宙を見たまま固まっている。
二人とも後で補習を受けることになりそうだ。
「なるほど。魔力や霊力の強さによる格差がなくなるのなら、大勢が生きやすい世の中になるかもしれない。だが、人間が自然の猛威に抗えるほどの文明が発達していなければ、その世界は成り立たないな」
「そうですね……例えば、今の世界の状態で魔力と霊力がなくなれば、当然魔物も出現しなくなり、魔石も取れなくなる。人間はその環境に適応できず、大幅に数を減らす。あるいは、絶滅することもあり得えますね……」
アザミとヘイズの言葉に、ウツロギは大きく頷く。
「そうなんだよ。だから、まだ黒脈の一族に滅びてもらったら困るんだ。時期が早すぎる。ボクの目算ではあと千年は必要だ。今の白亜教国はやりすぎだよ」
「だから、我らに白亜教国を滅ぼせと?」
「うん。今度は“白”を減らして、バランスを取らないと」
マグノリアが首を傾げる。
「今の話を白亜教国に伝えていないのですか? 霊力を失うと分かっていれば、黒脈を滅ぼすのを躊躇う者もいるでしょう?」
「何世代にも亘って伝えているよ。だけど、信じてもらえない。ボクは『教国に手を貸してほしい』というマイスの誘いを断ってから、白亜教にずぅっと嫌われているんだ……」
ウツロギはしょんぼりと肩を落とした。
「それどころか、前に捕まってひどい目に遭った。時の精霊術で若返らせろとか、寿命を延ばせとか無茶な要求ばかりされるし。しまいには女の人に襲われそうになって……あ、失礼」
咳払いをして、ウツロギは言う。
「とにかくボクでは教国を説得できなかったし、近づくとややこしいことになる。特に今の教主リンデンには話が通じない……というか、会うことさえ拒まれている。役立たずでごめんね」
皆は呆れと苛立ちを表情に滲ませた。
「確かに、我々とて今の話をそのまま信じるつもりはありませんよ。しかし、教国が時の聖人に対して聞く耳すら持たないとは……なんだかきな臭いですよねぇ」
宰相が大きなため息を吐いた。
「教国の上層部の老人たちは目が眩んでいるんだ。自分たちが生きている間に、世界が完成する瞬間を見る。新世界、新時代を体感したいと願っている。だから神々の融合を急いでいるんだよ。実は、最後の一人となる黒脈の王もすでに決めているみたい」
ウツロギはゆっくりとその名を口にした。
「シンジュラ・ブラッド・ルークベル。白亜教の現教主リンデンと、二十年前に滅ぼされたルークベル王家の姫の血を引いている少年。密かにお姫様を生かしていたんだね。王というより、まだ王子様って呼んだ方がいいかな。レンフィと同じくらいの年齢らしいから」
レンフィはもちろん聞き覚えのない名前だった。
「ルークベル……かつての魔法大国の生き残り……」
「その王子が、レンフィの心臓に魔法をかけていた“黒”かもしれない。納得した」
ヘイズとマグノリアが難しい顔で呟く。
簡単に説明してもらったところ、ルークベル王国は大陸の西側に位置する国で、ムドーラとは接点がないらしい。なぜ教国に負けたのか分からないほど強く、特に魔法に関しては頭一つ抜ける技術を持つ王国だったという。
「残念ながら、その王子についてはそれ以上の情報がないんだ。教国の国家機密の一つだね」
「……ヘイズ。その者の情報は全く掴んでいなかったのか」
シダールの問いに、ヘイズは神妙な面持ちで頷いた。
「申し訳ございません……後でそれらしい断片的な情報を拾っていなかったか、過去の調査結果を精査いたします」
「ああ。しかし、黒脈の血筋を囲っていたなど、白亜教国の権威が失墜しかねないほどの情報だ。徹底的に隠していたのだろうな。ウツロギ、お前は教国の友人とやらにその情報を聞いたのか?」
ウツロギは悲しそうに微笑んで頷いた。
「そうだよ。教国を裏切って、ボクに教えてくれたんだ。でも、殺されてしまったんだ。“空理の聖人”オークィっていうんだけど……」
もちろん存じておりますとも、と宰相が代表して朗らかに頷く。
レンフィも呼び出された会議の場でその名を聞いていた。教国の発表では、レンフィとオークィの間で諍いが起き、相打ちになって亡くなったという。
オークィは自分が殺してしまったかもしれない聖人。そう思っていた。
ウツロギが懐から小さな金属片を取り出し、そっと撫でた。
「これは、白虹の聖女レンフィが常に身につけていた装飾具の残骸……オークィが死ぬ前に、ボクに送ってきたものだ。彼女の霊力を制限する魔法がかけられていたらしい。拘束具のようなものだね。この欠片からボクは、彼女の半生を精霊術で読み取った」
そこから見えたのは、レンフィにまつわる断片的な風景の記憶。彼女が何を考えていたかは分からない、その辺りは想像を交えて語らせてほしい、とウツロギは前置きをした。
「教国は、黒脈の数を減らす以外に、黒の神を弱らせる儀式をしていた。とても危険で残酷で……看過できないような方法だ」
嫌な予感に、レンフィは冷や汗をかいた。
「黒の神は人間を深く愛している。だから人間の苦しみや絶望が、何よりも黒の神の毒になる。……結論を言おうか。レンフィの記憶は黒の神に捧げられた。かの聖女は不幸であることを強いられ、神の毒餌になるために育てられたんだ」




