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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第四章 聖女と愛しの宿敵

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48 黒の遺跡にて


 

 アザミの家族を殺したのが自分ではなくて良かった。


 オンガ村の惨劇を目の当たりにした後、最初に浮かんできた感情にレンフィは愕然とした。そのまま思考の濁流に呑まれて息ができなくなった。


 何も良くない。あんな酷い方法で殺された人がいるのに、安心するなんて間違っている。なんて醜くて自分勝手な考えだろう。

 自分の選択が彼らの死をより残酷なものにした。楽に死なせてあげるのが最善の選択だった。

 違う。あれはオトギリという男のせい。自分は悪くない。

 ううん、悪くないわけがない。あの場にいたのに何もできなかった。情けない。精霊が授けてくれた力を無駄にした。


 心のどこかに自分を庇う気持ちがある。

 許してほしい。

 罪に向き合う覚悟を決めたのに、まだ逃げと保身の思考が残っている。自己嫌悪で吐きそうになった。


 でも、昔の自分には本当にどうしようもなかったようにも思える。“妹たち”のために嫌々戦っていた子どもだったから。


『妹……?』


 どうしよう。

 かつての自分が守ろうとした“妹たち”。自分が教国からいなくなったせいで、人質の意味はなくなってしまった。

 もしかしたら、もう。

 そう考えて戦慄していたレンフィに、ウツロギが暗い声で告げた。


『かつてのきみが大切にしていたものは、もう何一つ残っていない。全て教国に奪われてしまった。ごめんね。せっかく忘れていたのに……』


 その時、過去の自分が抱いたであろう感情と、今の自分の感情が交錯して砕け散った。


 かつての自分の戦いは無意味だった。たくさん手を汚し、ムドーラの憎しみを買いながら、耐え忍んでいただろうに、結局何も守れなかったのだ。

 悔しいはずだ。許せないと思わないとおかしい。


 しかし一方で安堵する自分もいる。

 もう大切にしていたモノが残っていないのなら、仕方がない。過去について考えるのを止めてしまおう。

 本当に何も覚えていないのだ。奪われたと聞いたところで、憎悪や復讐心など生まれようがない。


 苦しい。もうこれ以上何も知りたくなかった。

 なんの憂いも呵責もなく、ムドーラで暮らしていきたい。それすら願ってはいけないのだろうか。


 かつての自分を別の人格だと断じながらも、それでも自分であるという混乱。

 何が大切で、どれが自分の感情なのか分からない。完全に意思が迷子になっていた。


 どうすれば楽になれるのかと考え、楽になってもいいのか悩む。

 ただただ悲しくて胸が痛く、息ができない。


『もう大丈夫だ、レンフィ。よく頑張ったな。みんなも全員無事だ。一緒に城に帰ろう』


 リオルの言葉のおかげで少しだけ呼吸が楽になった。

 城に帰る道中、そりの上でずっと抱えてくれていた。温かくて優しくて心地よい。恥ずかしさを感じる余裕はなく、ただただ彼に甘えて泣いた。


 それから合流した皆に謝られ、城で出迎えてくれた皆に心配された。その有難みが胸に突き刺さり、涙が止まらなくなって、そのまま熱を出した。


『きみはここで、たくさんの人に大切に想われているんだね。良かった』


 朧気な意識の中で、ウツロギが言った。


『これ以上酷な想いをさせたくはないけれど、ちゃんと話したいとも思う。どうしても聞きたくないというのなら、それでもいい。ゆっくり休んで、決めて』


 記憶を失くす前も交流がなかったというウツロギが、どうして自分の心を案じてくれるのか分からなかった。

 それでも選択肢を与えてくれたことに感謝しつつ眠りにつき、目覚めたらたくさんの人がお見舞いに来てくれて、誰一人自分を責めることがなかった。そうすると、だんだん気持ちが落ち着いてきた。

 自分はここにいてもいいのだと、安心できた。

 あれだけ死にそうになっていたのに、現金な精神だと思う。






 迎えに来たリオルに、心配そうに顔を覗き込まれた。


「体調はもう大丈夫か?」

「うん」

「……心の準備は?」

「できてる」


 やっと体調が戻り、ウツロギから話を聞く場が整えられることになった。

 レンフィも驚いたが、ウツロギは「ムドーラ王国にマイス白亜教国を滅ぼしてほしい」と望んでいるらしい。その理由の説明のため、王国の幹部の中でもさらに限られた者だけが召集されるという。

 自分にまつわる話もあるとのことでレンフィも参加の是非を問われ、悩んだ末に知ることを選んだ。


 過去の自分のことは、未だに別人のように思える。

 しかしオンガ村で涙を流す姿を見て、少しだけ存在が近づいた。殺戮人形ではない。ちゃんと心があった。守りたい者と他の誰かの不幸を天秤にかけて、苦しんでいた。

 その気持ちには共感できる。


 結局、逃げ出したところで過去をなかったことにはできない。封じ込めても苦しさは残る。これからも生きていくのなら、やはり避けては通れないと思う。

 真実を知る機会から逃げないとアザミに言ったのは自分だ。予想以上に辛そうだからと言って反故にはできない。

 何より、皆が知るのに自分だけ耳を塞ぐのは嫌だった。内容によっては、もしかしたら王国に迷惑をかけるかもしれない。何もできなくても、せめて関わりを持っていたい。


「お前、空っぽじゃなくなったな」

「そ、そうかな?」

「ああ。少し目を離したうちに、死にそうになったり強くなったり……守るって言った俺の立場がねぇじゃん」


 リオルは少しだけ寂しそうに言った。


「もう俺の手は必要ないか?」

「……ううん。欲しい」


 差し出された手を見て正直に呟く。ここは強がって断るべきだったのかもしれないが、レンフィに嘘は吐けなかった。


「リオルはいつも私を守ってくれてるよ。あ、あのね……離れている間もずっと考えてた。迎えに来てくれて、本当に嬉しかったの。ありがとう」


 そっと手を重ねると、リオルは屈託のない笑顔を見せて握り返してくれた。


「そっか。よし、じゃあ行くか。今日は一緒にいられるからな。俺を頼れよ」

「うん」


 温かい手に守られながら、レンフィは塔の部屋を後にした。






 城から馬車に乗り、やってきたのは黒の遺跡――レンフィがカルナ姫を魔物から救った場所のすぐ近くだった。

 もしかしたらまた記憶の“再生”ができるかもしれない、と一同は期待したが、ウツロギはそっと首を横に振った。


「うーん。残念ながら、条件が揃ってないね。わざわざ足を運んでもらったのにごめんね。まぁ、この話をするにはうってつけの場所だと思うよ」


 落ち着いて話すため、一行は遺跡の中に入ることにした。

 護衛騎士たちは外で待機させる。話を聞く者は、レンフィとリオル、ウツロギの他、シダールとマグノリア、カルナ姫、ヘイズとザディン、そしてアザミだ。

 シダールがレンフィとウツロギを見て、口の端を持ち上げた。


「この遺跡に、聖人と共に足を踏み入れる日が来るとはな」


 薄暗く、段差のある遺跡だった。シダールはごく自然にマグノリアをエスコートし、カルナが頬を膨らませる。


「ほら、レンフィ。転ぶかもしれねぇから」

「え」


 レンフィがカルナに声をかけようとしたら、さっとリオルに手を引かれた。嬉しい反面、ますますカルナの表情が渋くなって心配だった。


「カルナ姫、ボクにエスコートの栄誉をくださいませんか」


 ウツロギが姫の前に跪き、優しく微笑みかえた。まるで物語の王子様のような振舞いだが、容姿端麗な彼がやると様になる。なぜかヘイズが目を逸らしていた。


「まぁ、ありがとうございます」


 カルナ姫はご機嫌に手を差し出す。


 アザミはため息を吐いたが、特に二人を咎めはしなかった。ウツロギがカルナに危害を加えるとは思えない。何よりカルナの機嫌を損ねたくなかったのだろう。

 アザミは昨日まで寝込んでいたそうだが、すっかり回復したようだ。顔色も悪くない。レンフィはほっと胸を撫で下ろした。


「黒脈の姫と聖人、かつての宿敵同士……世にも珍妙な組み合わせですねぇ」


 宰相がのんびりと総括する。

 恥ずかしくなったレンフィは聞こえないふりをした。リオルに手を引かれ、改めて遺跡を見渡す。

 

 石造りの単調な構造だ。相当の年月を感じさせる。細い通路が続き、やがて大きな空間に抜けた。

 不思議な空間だった。寒かった通路とは異なり、暖かさを感じたのだ。

 熱の発生源は、奥の祭壇の上に鎮座している巨大な黒い石。


 レンフィは静かに息を呑んだ。

 シダールやカルナと同じ魔力、いや、リオルやアザミから感じる気配とも同じだ。

 ムドーラ王国全体に息づく気配がすぐ近くに感じられるような、大きな波動を感じた。嫌な感じはしない。ただ、自分が持つ力と正反対のものだ。そのせいか強く惹かれる。


「この石は……」

「歴代のムドラグナ王の血を滴らせた石です……“心臓石”と呼ばれ、黒の神の精神と繋がっていると言われています……相変わらず美しい黒だ……」


 ヘイズがうっとりと石を眺めた。

 国王が即位する際、この遺跡で儀式を行い、血液を石に垂らすそうだ。凝固するはずのそれは石に染みて艶のある黒になる。

 ムドラグナの血が絶えた時、この石も力を失うのだと言われている。


「ちなみに、触れると神罰が下ると言われていますので、決して近寄らないように」


 宰相の言葉にレンフィは身を固くした。


「ここ、警備もいないし、結界や罠系の魔法もなかっただろ? 盗まれる心配がないんだ。何年かに一度、死因不明の盗賊の死体が転がってる。ちょっと怖いよな」


 リオルの言葉に、アザミが顔をしかめた。


「最近では、新兵が肝試しのような感覚で見回っているようで困る」

「そ、そうなんですか」


 いろいろあってアザミと和解することはできたが、帰ってきてからまだしっかりと会話をしていない。前ほど気まずくはないが、どうしてもぎこちなくなってしまう。

 マグノリアが心配そうにこちらを見ていたので、レンフィは「大丈夫だ」と小さく微笑みを返す。


「レンフィ、どうだ。この場で精霊術が使えるか?」


 不意にシダールに尋ねられ、レンフィは訝しく思いながらも身の内に意識を集中する。その瞬間、ぞくっとした寒気が走った。


「あ……なんだかあまり霊力を動かすと良くないような気がします。負担がすごいです……」


 ウツロギが困ったように笑う。


「この場は“黒”の盤面。精霊術は少しなら使えるけど、かなり制限される。ここで、この面子なら、ボクを殺すことも簡単だ」

「ふ、そのようだな」

「これで、少しは信じてくれるかな。黒脈の王に無茶なことを願うんだ。命を懸ける覚悟はあるよ」


 自ら不利な場所に出向いて力を封じることで、ウツロギはシダールたちの信頼を得ようとしたらしい。


「信じるかどうかは内容次第だ。さっさと話を始めよ。我らは暇ではないからな」


 シダールの言葉に従い、皆はそれぞれ話を聞く態勢になった。

 レンフィはリオルと改めて手を繋ぎ直す。それだけで随分心強かった。


「うん。これからボクが話すことは、時の精霊に教えてもらったことと、教国にいた友人から聞いた話、あと精霊術で得た情報を繋ぎ合わせたもの。だからところどころ分からないところもある。けど、決して嘘は吐かない。尊き白と黒の神々に誓って」


 ウツロギは神妙な表情で話し始めた。




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