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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第三章 聖女と過去の幻

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47 幕間 時の邂逅

 




 ヘイズは廊下の闇に紛れ、城の客室を訪れた。

 この王国に客人が来るのは久しぶりのこと。この客室が使われるのも何年ぶりだろうか。侍女たちは誰が訪れるのか知らされぬまま、慌てて掃除をさせられていた。


 珍しく緊張していることに気づき、ヘイズは自嘲した。深呼吸をしてノックをする。

 返事の後に扉を開けると、客人は窓の外をにこにこ眺めていた。確かに今夜の星空は美しい。しかし未だに見飽きていないのだと思うと興味深かった。


「おや、きみは……」

「夜分に失礼いたします……私は魔法士団の長でヘイズと申します。時の聖人ウツロギ様。何か不便はございませんか」


 ウツロギは窓から離れ、歓迎する意思を見せた。


「ううん。大丈夫だよ。良いお部屋を使わせてもらえて、感謝している」

「左様ですか。良かったです……こちら、一緒にいかがでしょう」


 持参した葡萄酒を見せると、ウツロギは無邪気に瞳を輝かせた。


「タドガーの二百年物!? すごい……飲めるの?」

「味の保証はできませんが、奇跡的に保存魔法が持続していましたので、問題ないかと……まぁ、飲んでダメなら素直に医務室に行きましょう」


 百八十年前に滅亡したタドガー王国の葡萄酒。

 沈没船から回収したという話を聞き、ヘイズは商人の伝手を使って高値で買い取り、何年も大切に保管していた。


「わぁ、ある意味ドキドキするね。でもいいのかい? ものすごく貴重なものでしょう?」

「今夜を逃すと、私の人生でこれを味わう日を逃してしまいそうなので」


 厳重に密封されていた詮を開けて、二つのグラスに注ぐ。

 月明りに妖しく光る、熟成された赤。その芳醇な香りをしばし無言で楽しむ。


「初対面の男二人で、というのは変だけど、出会いを祝して乾杯って感じかな」

「出会い……私からすると遭遇という気分なのですが」


 どちらともなくグラスを掲げ、躊躇いなく呷った。

 まろやかな口当たりと相反する、複雑な苦み。かすかに甘さもあり、後味が良い。


「うん、美味しい。同じ銘柄の若いワインを飲んだことがあるけど、やっぱり全然違うね。でも、不思議と懐かしい気分になる」

「隠す気がありませんね……」

「きみの前では別にいいかなって。ボクは時の聖人、永遠の旅人。流されて踊らされる、運命の奴隷……数奇な出会いには慣れっこさ」


 もう酔いが回ったのだろうか。ウツロギは面白くもない詩的な表現を多用し始める。


「レンフィとアザミのことも、ボクときみのことも、そう。幾重もの線が一点で重なり、今という奇跡の時間が作られる。そうだ、あの二人はどうしてる?」


 アザミ率いる第二軍がアヌビア川の魔物討伐に出かけてから、一週間と少し。

 第二軍全員と、ソシュール兄妹、そして第三軍とレンフィは帰還した。ハプニングだらけだったようで、無事とは言い難い様子だったが。

 一番の驚きは、長年謎に包まれていた時の聖人ウツロギを一緒に連れ帰ってきたことだろう。

 一応シダールに謁見したものの、「本題は落ち着いてから話したい」とこうして滞在することになった。


「寝込んでいたレンフィ様は、徐々に回復しています。そろそろお話しできると思いますよ」

「そっか。良かった」


 レンフィはひどく衰弱しており、城に帰りつくなり熱を出した。

 バニラやジンジャーはもちろん、マグノリアやカルナまでが大慌てになり、一時騒然としたものだ。ヘイズも二回ほど様子を見に行ったが、部屋中見舞いの品で溢れていた。

 たった二か月でここまで敵国の人間に可愛がられるようになった捕虜がいただろうか。おそらく前代未聞である。


「ただ、今度はアザミ君が倒れてしまいましてね。体調管理に失敗するとは、彼にしては珍しい……休むのを怠ったようです」

「変な言葉。矛盾しているよ」


 例の村――ウィロモ村の後処理に奔走して力尽きたようだ。それでもきっちり自分の指示が必要な案件をこなしていたので、業務に支障はないらしい。今は熟睡しており、生え抜きの部下たちが代わりに張り切って働いている。


「きっとよく眠れていなかったんだろうね。この数日だけじゃなくて、オンガの虐殺事件からずっと。でも、緊張の糸が切れたということは、気持ちが吹っ切れたということかな」

「……そうですね。とりあえず父君への嫌疑については、納得のいく答えを得られたようで何よりです」


 アザミの父・ネモのことは、ヘイズもよく知っている。

 真面目で愛国心が強く、人望に溢れた男だった。唯一の欠点は、ムドラグナの王家に対して盲目的なところだろう。悪王と分かっていながら、誠心誠意尽くしてしまった。

 オンガ村の件も、とんだ貧乏くじを引かされたものだ。


「ここ数代、黒脈の王の質が悪かった。それに尽きますね……」

「でも、負の遺産がまた一つ浄化された。ムドーラはこれからきっとどんどん良くなるよ」

「もしや、あの村についてもご存じで?」

「村のことはよく知らない。でもあの川がひどく淀んでいるのは知っていたよ。すっかり綺麗になっていたね。レンフィの力は健在だ」


 アヌビア川には毎年のように魔物が現れていた。

 おそらく、ジャボック王が造り出したという生物兵器が原因だろう。竜から溢れる魔力が魔物として顕現していたのだと思われる。あるいは、無念のまま死んだ女たちの執念が、人を襲う魔物を生み出したのかもしれない。


 ヘイズは魔物討伐に同行しなかったことを激しく後悔していた。

 アザミとマチスの報告書には信じられないことばかり書かれていた。ぜひともこの目で確認したかった。

 特に、レンフィが水の精霊の寵愛を授かったという部分。これは落ち着いたら本人に詳しく聞くと心に決めている。


 ウィロモ村については、半数以上の村人の死罪が決定した。

 といってもあの日、レンフィを川に投げ込もうとした四人以外は、鉱山での過酷な強制労働を科されるに留まった。

 致死率は高いが、もし国に慶事があれば恩赦が与えられ、解放されることもあるだろう。シダールとマグノリアの仲睦ましい様子を見れば、数年以内に十分あり得る話だった。

 生贄候補だった女たちは保護され、大半は親族のいる村に移住した。希望者には城下町で働き口を斡旋することになっている。


 一人、レンフィの命の恩人ともいえるロッタという少年については、軍で身柄を預かることになった。死罪にするには情状酌量の余地があり、解放するには都合が悪い。

 彼は、レンフィの正体に薄々感づいてしまっている。村長たちのように、口封じを兼ねた処刑が行われない分、マシな待遇だろう。彼の姉は城下町で働くというので、本人は処分に対して不満はなく、むしろ感謝しているらしい。


「レンフィ様は、本当に不思議な存在です……彼女が現れてからこの国で滞っていた問題が悉く動き始めた。そして、全て解決している。これも聖女のなせる奇跡なのでしょうか」


 マグノリアの帰還も、アヌビア川の魔物問題も、ウィロモ村の闇も、オンガ村の真実も。

 ムドーラ王国にとって、良い方向に動いている。皮肉な話だ。教国の聖女が、黒脈の王国の助けになるとは。


「どうかな。レンフィはきっと、必死に動いただけだよ。その時生まれた心のままに」

「そういうところがまた聖女らしいです……咄嗟の状況で、自分を犠牲にしてでも誰かを救おうとする。ああ、しかし、物語の聖女のようなつまらない結末は勘弁願いたいものです……勿体ない」


 ウツロギは苦笑した。


「きみとは観点が違いそうだけど、同感だよ。予想を覆してこその奇跡。これ以上聖女の悲劇は要らない」


 それから少しお互いの旅路について話した。ウツロギは大抵の国には足を運んでおり、非常に為になった。しかしここ最近はどこにも定住していなかったらしい。


 いつの間にか、ボトルが空になっていた。

 長居するのも悪いと思い、ヘイズは退室することにした。


「お話、ありがとうございました。また機会があれば……ご先祖様」

「やめて。ああ、でも、ちなみに……僕の子孫ってきみ以外にも生きているのかな?」


 ヘイズは首を傾げた。


「さぁ? 申し訳ありませんが、同胞にはあまり興味がないんです……あなたの血を引いていた母とは死に別れてしまいましたし、兄弟はいなくて……最後に従弟に会ったのが五十年ほど前ですね。彼も消息不明です。残念ながら運命の女性にも巡り合えておらず、自分の子もいません」

「そっか。こう見えて、実は少し驚いているんだよ。ここで血縁者に会うとは思わなかったから。“黒”の方にもいたとはね」

「祖母から“黒”に反転したそうです……ご自分の子孫を把握していないのですね」

「うん。なんか、申し訳なくってさ。どんな顔をして会えばいいのか分からないし……ごめんね」


 酒のせいか、ウツロギの顔はやや赤かった。あるいは恥ずかしいのかもしれない。


「でも納得した。滅亡寸前だった割にムドーラの魔法技術は発達しているなぁ、と思ってたんだ。きみの仕業か」

「まぁ、時間だけはありましたので、凡人でもそれなりの知識と技術は蓄えられます」

「なぜムドーラに?」


 ヘイズは葡萄酒のボトルを撫でた。


「故郷を滅ぼした国を滅ぼしてくれた国だから、でしょうか。今となっては、故郷よりも愛着が湧いてしまいました……」


 名を変え、経歴を変え、変わらぬ見た目を不自然に思われれば身を隠し、不定期にムドラグナ王家に仕えてきた。そろそろ城を去る時期だったのだが、ここにきてシダールという面白い国王に巡り合った。素性を打ち明けてでも仕える気になった初めての主だ。


「辛くない?」

「ええ。私はこの国に仕えられて幸せですよ。特に今の国王は限りなく至上に近い。十分長生きはしましたが、シダール陛下の治世は最後まで見届けたく思います……そして、レンフィ様の行く末も。私が聖人に興味を持つのは初めてのことです。こんなことなら、もう少し“白”について勉強しておけば良かったです……」


 ヘイズの言葉に、ウツロギは安堵したように頷いた。


「良かった。まだ生きることを厭きてはいないんだね」

「ええ。この世は刺激に溢れていますので……好奇心を満たすにはいくら時間があっても足りませんよ」


 同胞たちの中には長すぎる一生に絶望し、祖であるウツロギを憎み、時を呪いながら自ら命を絶つ者もいたという。

 なんて非合理的な結論だろう、と思う。ウツロギがいなければそもそも生まれていなかったというのに。


「話を聞かせてもらえて、礼を言うのはボクの方だ。ありがとう、ヘイズ。少しだけ、救われた気分になったよ」

「左様でございますか……それは何より」


 今度こそヘイズは部屋を出た。

 お互いにおやすみの挨拶はしなかった。


「残酷な時の流れが、きみに少しでも優しくありますように」


 そんな祈りの言葉を背中で聞いた。ヘイズもまた同じことを思う。

 時の流れに取り残された彼が、これからも笑って生きていけるように願わずにはいられない。




感想たくさんありがとうございました。

第四章開始までもう少々お待ちください。

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