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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第三章 聖女と過去の幻

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44 遭難する二人

 



 頬を叩かれ、レンフィはゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりとした視界が徐々に鮮明になる。冷ややかな目をした男が自分を見下ろしていた。


「生きているようだな」

「……は、はい」


 川辺の岩の上にレンフィは横たわっていた。体の節々が痛く、起き上がるのに苦労する。

 霊力はあまり回復していない。自分の体を治癒しようかどうか迷い、先にアザミの様子を確認した。


「あっ」


 隣に座り込むアザミの右足が曲がり、腫れ上がっているのを見て、レンフィは慌てた。


「す、すぐに治します!」

「不本意極まりないが……もう意識を保っているのも限界だ。……頼む」


 アザミは額に脂汗をかいていた。

 レンフィは霊力を根こそぎ集め、アザミの足に注ぎ込んだ。患部をよく見極め、効率よく光を巡らせる。

 サフランの言う通り、霊力が多いからとサボらず、節約方法を学んでおいて本当に良かった。


 意識が飛びかけたところで手を止める。


「ごめんなさい、完治できなくて……今はこれが限界みたいです」

「十分だ。なんとか歩ける」


 折れた骨は真っ直ぐに繋ぎ合わされ、腫れもだいぶ引いた。

 とはいえ、二人とも満身創痍であった。レンフィは霊力が底を尽き、アザミも魔力が残っていない。足も痛みが完全に引いたわけではなく、無理をすれば再び折れてしまうかもしれない。


「えっと、ここは……?」

「分からない。だいぶ下流に流されたようだ」


 周囲には岩と森しかない。足跡一つついてない雪の地面がどこまでも続いている。

 レンフィは言葉を失くした。心細くて泣きそうになる。


「くしゅんっ」


 日暮れが迫り、急激に気温が下がっていた。

 レンフィは凍える体を抱きしめて、ようやくそのことに気づいた。


「あ、あれ? あんまり、服が濡れてない……」


 レンフィとアザミの服から水気が飛んでいた。全身が濡れたままならば、本気で凍え死んでいただろう。しかしレンフィには水を操った覚えがない。


「もしかして、水の精霊様が……」

「寵愛とは、凄まじいものだな。そもそも本来なら溺死か、岩か漂流物に嬲られて死んでいる。お前に至ってはほぼ無傷か?」

「う、えっと、そうみたいです。多分、最初で最後の御慈悲だと思います。普通は寵愛を授けたらもうそれっきりらしいので」


 贔屓を受けたのがバレてしまった気分になり、レンフィはそっと目を逸らす。


「では、これもそうか。手厚いことだ」


 岩の上に魚が何匹か打ち上げられていた。ものすごく不自然だ。まるでこれを食べてしのげと言わんばかりである。

 近くには桶も落ちていた。水を汲むのに重宝しそうだ。


「施しを無駄には致しません。ありがとうございます……」


 レンフィは水の精霊に対して感謝の祈りを捧げた。アザミは律儀にそれが終わるのを待って、冷静に述べた。


「人里を探す時間がない。どうも雲行きが怪しい。今夜はかなりの雪が降りそうだ」

「え」

「完全に日が暮れる前に、雪をしのげる場所を探す……いいな?」

「は、はい」


 緊急事態ということもあってか、アザミの態度に普段のような険がなかった。それだけでレンフィは救われた気分になり、迷惑をかけぬよう一層気を引き締める。


 とはいえ、精霊術の使えない今、レンフィにできることは少ない。ほとんどアザミに頼りっぱなしになった。

 まず岩山の大きな割れ目を見つけ、アザミが安全性を確かめて拠点にすると、二人で木の枝を集めた。

 生木の中でも油分があり、比較的燃えやすいものを教えてもらう。


「念のために聞くが、魔石を持っているか?」

「え、えっと……あ! 一つあります!」


 実は、バニラがコートのポケットの内側に縫い付けてくれていた。レンフィは知らなかったが、雪深いムドーラでは遭難に備えた一般的な行為である。

 アザミも当然のように魔石を取り出す。


「合わせて四つか。一晩は寒さをしのげそうだな」


 拠点に戻ると、早速火おこしの準備を始める。それからレンフィはただ眺めているだけになった。

 アザミは火が付きやすいよう、短剣で枝を細かく裂いていった。それから魔力の残りかすで点火し、コートで扇ぎながら火を大きくする。十分な火力になった頃、一つ目の魔石を投げ入れた。これで魔石の魔力が尽きるまで、火が消える心配はない。


「…………はぁ」


 二人とも、しばし無言で火に当たる。

 外を見れば、太陽が山の向こうに落ち、薄暗くなっていた。もう間もなく夜になる。


 怒涛の一日だった。火を見ていると、頭がぼうっとする。体が重たい。気を抜いたら今にも眠ってしまいそうで、レンフィはぎゅっと奥歯を噛みしめた。

 アザミが不意に呟く。


「魚」

「え?」

「焼いてやるから、一匹……」


 とても言いづらそうな態度に、レンフィは気の利かない自分を恥じた。


「そんな、わ、私のものではありません。むしろ焼いて下さるのなら、アザミさんの料理なので……!」

「この手のやり取りで体力を消費するのはごめんだ。では、半分ずつでいいな」

「はい!」


 水の精霊の施しだと思われる魚は全部で四匹。きちんと山分けすることで合意した。


 アザミはひどく憂鬱そうな顔で、短剣を使って魚の腸を出した。

 川の水で洗ってから鋭い木の枝に力づくで魚を刺し、焼いてくれた。この一連の作業も、レンフィには手伝う余地がなかった。

 心の底から感謝を告げたが、アザミには黙殺された。


「獣が来なければいいが……そんなことも言っていられないか」


 徐々に漂ってくる香ばしい匂いに、レンフィは生唾を飲み込む。こんな空腹を感じたのは、初めてのことだった。


「もう火は通った。食べられる」

「はい! ありがとうございます」

「待て」


 ほとんど無意識に最も小さな魚の串を取ろうとして、アザミに止められた。最も大きい魚の串を握らされる。


「早く霊力を回復してもらわないと困る」

「え、でも、男性の方がお腹が空くのでは」

「…………」

「あ、ありがとうございます」


 無言の圧に負けた。

 しかしレンフィはアザミと魚の串を交互に見て、結局もう一本は小さな魚を手に取った。これで量的には平等になる。

 アザミが小さく舌打ちをしたが、聞こえないふりをした。


「いただきます」


 レンフィは魚を頬張る。塩はなかったが、白身から脂がじゅわりと染み出し、大変美味しかった。遭難中にもかかわらず、このような大自然の御馳走を食べられるなんて思わなかった。ゆっくりと噛みしめて食べ終える。


「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」


 体の芯から温まり、幸福な気分になった。

 早速少し霊力が回復したので、桶で持ってきておいた川の水を浄化した。これで飲み水も確保できた。

 レンフィはアザミに向き直る。


「あの……足をもう少し治療させてください」

「こうしている分には痛みはない。明日の朝で良い。霊力は温存しろ」

「いえ、寒さで血の巡りが悪くなっていますので、怪我を放置するのは良くないです。今治療した方が、結果的に霊力も少なくて済むはずなので……」


 レンフィがじっと見つめると、アザミは鼻を鳴らした。


「少しは警戒したらどうだ? 私の怪我が癒え、お前が霊力を消費すれば、いとも容易く殺せてしまう」

「…………」

「朝になったら、置き去りにされているかもしれないぞ。その可能性を考えたのか?」

「…………」

「大体、男女で夜を明かすというのに……いや、これはいい。あり得ない」

「…………」


 どんどん落ち込んでいきながら、なおもアザミに無言で訴える。

 先に根負けしたのはアザミの方だった。大きなため息を吐く。


「……治療を頼む」

「はい。ありがとうございます」


 先ほどよりも念入りに足に治癒術を施す。ついでにアザミの疲れが取れるように、全身に癒しの光を灯す。

 アザミはバツの悪そうな顔で言った。ありがとう、と。


「まさかこんなことになるとは……」


 アザミの呟きに、レンフィは心の中で頷く。

 馴れ合えない関係の二人が揃って遭難し、協力するという状況。なんだか既視感があると思ったら、リオルに聞いた話と状況がそっくりだった。


 リオルもかつて、教国の聖女だったレンフィと雪山で協力して一夜を明かしたという。

 自分は、ムドーラの将軍と遭難する宿命なのだろうか。ガルガドとは縁がないといいな、と失礼なことを考えてしまい、思考を切り替える。


「…………」


 リオルのことを思い出したら、無性に会いたくなってしまった。

 彼は無事に山岳地帯の魔物を討伐できただろうか。怪我をしていないといい。迎えに行くと言っていたが、もしもレンフィとアザミの状況を知ったら心配をかけてしまう。


 早く会いたい。

 ポケットの中のお揃いのハンカチを撫で、なんとか弱音を呑み込んだ。


 気づけば外は猛吹雪になり、岩の割れ目にも冷気が入り込んできた。もう眠ろうということになり壁に持たれて目を閉じたが、寒さが気になってなかなか寝付けない。

 このまま眠り、気づかないまま凍死したらどうしよう。それが恐ろしくて、意識を手放せない。腕をさすりながら、何度も身じろぎをする。


「……眠れないのか」

「ご、ごめんなさい。じっとしていられなくて、気になりますよね」


 答えた直後にくしゃみが出た。

 長い沈黙の後、アザミがとても嫌そうに言う。


「身を寄せ合った方が、生存の確率は上がる」

「……はい」

「嫌ではないか?」

「私は、特には……アザミさんの方こそ……」

「やむを得ない」


 コートを布団代わりに被り、レンフィはアザミの腕の中に収まった。

 恥ずかしさよりも気まずさの方が遥かに勝るが、それ以上に人肌のぬくもりに安堵した。温かい。


 お互いに同じことを考えていた。本当に、どうしてこんな状況になったのだろう。


 今しか落ち着いて話せないかもしれない。レンフィは恐る恐る声をかけた。


「皆さんは、どうしているでしょうか」

「村の制圧と、私たちの捜索で、二手に別れているだろう。運が良ければ、明日には連絡魔法の圏内に入れる……天候が心配だが」

「そうですね」


 様子伺いの会話は長続きしなかった。

 レンフィは覚悟を決める。


「あの……申し訳ありませんでした」


 それ以上言葉が続かず、吹雪の音がやけに大きく響いた。


「それは、なんの謝罪だ」


 アザミの声質が鋭いものに変わる。


「いろいろです。でも、今一番気にしているのはあの時、川底の女の人たちに言った言葉です……アザミさんに対して、とても無神経だったと思います」


 レンフィは生贄にされた女たちの怨念に対し、こう言った。

 忘れません、と。

 もちろん彼女たちの無念は一生忘れないだろう。しかし、レンフィには前科がある。


「私は、今までのことを忘れてしまったのに……ごめんなさい」


 アザミの家族が犠牲になったという、オンガ村の大量虐殺のことも覚えていない。その場にいたことは確かなのに、何も分からないのだ。

 もしかしたら、この手がアザミの家族の命を奪ったかもしれない。少なくとも、加害者側の立場にいた。

 自分の罪の内容を忘れておきながら、アザミの目の前で別の事件の被害者たちに「忘れない」と誓う。 もちろん悪意はなかったし、言葉に嘘はないが、アザミの心を踏みにじるような行動だったように思える。


「別に、いい。それとこれとは話が別だ」

「ですが……」

「お前は、過去を思い出したいのか? せっかく全てを忘れて、教国にも忘れられていき、この王国で生きていけることになったのに」


 問い返され、レンフィは心のままに答えた。


「知るのは恐ろしいです。知りたくないという気持ちもあります。でも……真実を知る機会があるのなら、逃げたくないです。本当は、絶対に忘れてはいけないことだから」


 生贄の女性たちが抱いた怨念と同じものが自分に向けられているのに、平気な顔をして生きていくことなんてできない。償わなければならないと思う。

 そうでなければ、この世の理不尽を許してしまうことになる。

 抱える腕が少し力を強めた。


「……お前がその気持ちをずっと持っているのなら」


 溢れんばかりの感情を押し殺したような声で、アザミは言う。


「もう憎まない」


 レンフィは息を呑んだ。顔を上げようとする動きを読まれ、腕で押さえられる。


「今まですまなかった」

「そんな、アザミさんが謝ることなんて一つも」

「部下の暴行のことも、ウィロモ村で囮にしたことも、謝罪すべき案件だ。気持ちを区切るためにも、必要なことだ。素直に受け入れろ」

「え、えっと……どうしたら……」

「そうか。私のことを許せないのなら、いい」

「そ、そんなわけありません。許すも何も、私は何も怒っていませんし……」

「では、これで一応和解したということにしてほしい。もうお前の存在に心を乱されるのはうんざりだ。姫様やマグノリア様に牽制されるのも……疲れた」


 分かってはいたが、だいぶアザミにストレスをかけていたようだ。レンフィは一層申し訳ない気持ちになった。


「あ、あの、アザミさんがそれで良いのなら……いろいろと本当にごめんなさい」

「もういい。認める。その力は王国の役に立つし、今のお前は嫌味なほど善良だ」


 まるで褒められている気がしないのは、褒められていないからだろうか。レンフィは混乱した。


「それに、あの竜の相手はお前にしかできなかった……皆の命を救ってくれたこと、礼を言う。この借りはいつか返す」


 レンフィはただ首を横に振った。アザミはそれきり口を開かなかった。

 沈黙がさほど苦ではなくなり、ゆっくりと目を閉じる。


 分かっている。

 許されたわけではない。アザミはずっとレンフィの罪を忘れないだろう。


 ならば自分も、この日のことを絶対に忘れない。

 救われたのはレンフィの心の方だ。この恩は必ず返す。そう誓った。


 そのまま二人とも夢を見ずに眠りについた。






 翌朝。

 昨夜の豪雪が嘘のように晴れた。言葉が少ないまま、上流に向けて出発した。

 雪をかき分け、人里が見つかることを祈りながら、少しずつ前に進む。

 レンフィの霊力もアザミの魔力も、徐々に回復していた。現在位置が分かり次第、連絡魔法を使い、軍に連絡を取る算段であった。


「まさか」


 太陽が高くなってきた頃、アザミが呆然と立ち止まった。


 目の前に広がるのは、凍てついた湿原。

 雪と氷、白と青、そして黒。


 美しい湿原の中に、黒い凍土が浮かんでいた。

 レンフィが声をかける間もなく、アザミがふらふらと歩み寄っていく。


「そうか……アヌビア川の支流は……ここに繋がっていたな。何の因果だ……」


 その言葉でレンフィも察した。


「もしかして」

「ああ。オンガ村があった場所だ」


 四年以上前の凄惨な虐殺の名残は何一つ残っていなかった。あの川底のように、怨念の気配もない。

 本当に、何もない静かな場所だった。


 立ち尽くすアザミの背が遠く感じた。

 レンフィは目を瞑って祈りを捧げる。自分にその資格があるのか分からないけれど、何もせずにはいられなかった。


 ばり、と氷を砕く足音が聞こえ、アザミとレンフィは我に返った。


「場所と人と物と、切なる願望。全てが揃った。これは時の悪戯かな? ううん、きっと運命の流れへの反抗。人間の尊き意志が引き寄せた奇跡」


 中性的な顔立ちをした、長い銀髪の男が歌うように述べる。

 そして、レンフィに優しく微笑みかけた。


「ボクは時の聖人。名はウツロギという。……久しぶりだね、レンフィ」


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