40 偶像の謀殺
思い描いていた計画は九割方上手くいった。
しかし最後の最後、裏切られる形になった。
アザミは内心ため息を吐きながら、今まさに殺人を犯そうとしていた村人たちに剣を突き付けた。
四年と少し前。
オンガ村の虐殺事件の後、何もせずにいられず、アザミは王国中の村々について密かに調べた。特に黒い噂がないか、徹底的に洗い出した。
父がベラペヨーテの栽培に携わっていないと証明したかったのだ。
しかし焼失したオンガ村には栽培の痕跡はもちろん、やっていないという証拠も残っていなかった。
もし同じような村があれば真実に近づける。だから調べた。その結果は芳しくなかったが、決して無駄な作業ではなかった。
この数代、ムドーラ王国では悪政が続いている。
前ヒノラダ王の以前から、王命で怪しいことをしている村落がないとも限らない。
実際あった。シダールの即位後に、治安維持軍と連携しつつ、違法行為を行っていた集団をいくつか潰した。
シダールの治世の邪魔はさせない。教国との戦争に集中するためにも、国内の不安要素は排除したかった。
今回のアヌビア川の魔物討伐任務を拝命した際も、沿岸部の村々について一通り確認した。川という輸送路の存在は、あらゆる犯罪を助長させる。以前からこの手で調べたいと思っていた村の名前を見つけ、魔物の情報収集を兼ねて立ち寄ろうと決めた。
ウィロモ村。
その名が国の資料に記載されたのは、今から百年前のこと。管理が不十分で散逸した記録もあるが、ウィロモ村の近隣の村娘や旅人の女がしばしば行方不明になっていた。十年単位で見ると、無視できない人数になる。
またある時、村の女が一斉に盗賊にさらわれる、という事件も起きた。誰一人として行方は掴めず、ついでに盗賊の噂も聞かなくなった。それ以来、軍人が村を訪れても、女が表に出てこなくなった、と巡回の報告書に記されていた。
そして今年の巡回の報告書。
近隣からアヌビア川の魔物の目撃情報が多く集まる中、ウィロモ村からは一つも証言が出なかった。どう考えても不自然だ。巡回に当たった軍人も、女性の姿はほとんど見かけなかったという。
この村には絶対に何かある。それも女絡みの何かだ。アザミは半ば確信していた。
だから幹部会議の折、魔物討伐にレンフィを連れていくことを提案した。
もしもウィロモ村を摘発するなら、囮がいるといないとでは効率が段違いになる。当然、危険な役目だ。何がどうなっても全く心が痛まない女など、レンフィ以外に思い浮かばなかった。
これからもこの国で生きていくつもりなら、少しは役に立ってもらわねば。
一方で、開戦準備で王城を離れる前に、レンフィの存在に折り合いをつけねばならないとも思っていた。
彼女の話を聞く度、心が淀み、殺意が湧く。いつもの冷静な自分に戻るため、格付けを済ませておきたかった。
例えば、遠征中にレンフィが一つでも愚かな行動をすれば、立ち直れないほど侮辱してやるつもりだった。
しかし教育が行き届いており、なかなか失態を冒さない。新兵なら音を上げる強行軍にも、ふらふらになりながら文句を言わずについてくる。
カルナやマグノリアを始めとした面々が、レンフィに目をかける理由が分かった。物事の道理を考える頭はあり、自分を犠牲にしてでも協調を優先する。それでいて要領が悪いところがあるので、世話好きのリオルなどは放っておけなくなるだろう。あの小動物のような臆病さがシダールの嗜虐心をくすぐり、今日までからかわれているのかもしれない。そうしていれば、愛着が湧いてしまうこともあるだろう
分析すればするほど、苛立ちは募るばかりだった。
何かの力に導かれるように、ウィロモ村の付近でレンフィが何かを感じ取った。
訪れてみれば、案の定村人たちは何か大きな隠し事をしている。
ヘイズほどではなくとも、アザミも諜報系の魔法が使える。村人たちの企みは、夜にはほとんど筒抜けになった。
彼らはアヌビア川に住む“墨竜王”という魔物に、定期的に生贄を捧げているようだった。
理由までは分からない。先祖の言い伝えか、はたまた時の権力者に命じられていたのか。
まさか百年前から生き続けている、ということはないだろう。世界的に前例がないし、さすがに村人ごときに隠し通すことはできない。
だとしたらアヌビア川に同じ形態の魔物が現れるよう、なんらかの魔法が働いているのかもしれない。それならば魔法士団に連絡を取り、本格的に調査をする必要がある。
その時アザミはもう一つの可能性を思いついていたが、頭の片隅に留めるだけにした。可能性は限りなく低いし、今は村の摘発を優先すべきだった。魔物の情報など、村人たちに吐かせれば済む。
彼らの会話を探れば探るほど、ウィロモ村の罪が明らかになる。
その墨竜王と呼ばれる魔物は女を、とりわけ魔力の強い若い娘を得ると、暴れることなく水底で眠り続けるらしい。
現在のウィロモ村の面々は、子を産めなくなった村の女を犠牲にしていたらしい。村で生まれた娘は生贄になることに違和感を抱かぬよう教育され、嫁入りで村に来た女は逃げられないように喉を潰し、足の腱を切っていた。
シダールの即位以前は、村の外から攫うこともざらで、バレそうになったら軍人に賄賂を握らせて誤魔化していたようだ。
悪辣な所業の数々に、アザミはますます鬱憤を溜めた。城に帰ったら、この地域を巡回していた軍人を調べ、責任を追及すると心に決める。
村人たちは、シダールの下でますます権力をつけた軍人を恐れている。今は賄賂も通じない。
しかし一方で、身内を切り続けることにだんだん嫌気が差していた。子どもを産める年齢の女まで川に沈めるようになり、ますます生贄が確保できなくなったようだ。もうどうにもならないほど、悪循環になっていたのだ。
困窮した村人たちは、いとも容易くレンフィに狙いを定めた。
一応軍の目を気にしたようだが、マチスと部下たちからアザミとレンフィの不仲を伝えさせたところ、重たい腰を上げてくれた。
見張られているとも知らず、まんまと言い逃れできない状況に陥った。
レンフィが期待通りに動かず、アザミの留飲は全く下がらなかったが。
「取り押さえろ」
アザミの号令で、部下たちが四人の村の男を捕らえる。彼らは愕然としており、ほとんど抵抗しなかった。
「本当に申し訳ありません、レンフィさん! 危なかったー。アザミ君ったら、ギリギリまで粘るんだもん! ひやひやしたー!」
マチスが川に投げ入れられる寸前だったレンフィを確保し、拘束と口を塞いでいた布を解いた。
「大丈夫ですか? 変なガスを吸わされていましたよね?」
「は、はい。私は平気です。ありがとうございます」
レンフィはすぐそばに横たわっているオレットの頬に触れ、治癒術を使った。しかし彼女は目を覚まさず、豪快に寝返りを打つ。
「えっと……体に害になるものは浄化したので、もう大丈夫です」
「素で寝てるんですね!? オレット! 起きなさいって! 今の状況見て!」
マチスがオレットに構っている間に、レンフィが恐る恐るアザミに近寄る。
「あ、あの……助けていただき、ありがとうございました。やはり、全て作戦だったのでしょうか?」
囮にされたことを理解していながら、彼女の瞳には恨みも憎しみもない。それどころか尊敬の念さえ感じられる。
アザミにはそれが腹立たしくて仕方がなかった。
「……なぜ抵抗しなかった?」
「え」
アザミの予定では、レンフィが精霊術で村人を攻撃するはずだった。傷つくのが極悪人なら心も痛まない。正当防衛なので、シダールやガルガドがレンフィに厳罰を与えるとは考えられないが、それでもいい。
レンフィに手を汚させたかった。
いい加減、記憶喪失の不幸な少女のまま、皆に守られている様子を見るのはうんざりだった。
純真無垢で、健気に素直に、どれだけ自分が傷ついても他人の幸福を祈る。
そんな物語の“聖女”のような振舞いは許せない。
この女は罪人だ。記憶を失っても罪は消えない。どれだけ清らかに生き直しても、許されてはいけない。
アザミは“聖女”を殺したかった。
虐殺に関与しながら教国で聖女と崇められていた女は記憶を失くし、精神的にも社会的にも死んだ。
ならば、生まれ変わりともいえる少女が纏う“聖女”の像を、代わりに殺す。
己が生き残るため、他人を傷つける。誰もが持つ攻撃性、自己防衛本能。なりふり構わず保身に走る、そんな生き汚い姿を、人間らしい黒さを見せてほしかった。
あるいはアザミに嵌められたことに気づき、憤慨してほしい。遠慮なく憎しみ合えるのなら、望むところである。
しかし実際はどうだ。
レンフィは最後の最後まで抵抗せず、今も落ち着いている。
本当に感情を宿した人間なのか疑わしくなる。
「悪人に対してまで、言いなりのお人形か? それとも生きるのに厭きているのか? まさかとは思うが、助けが来ると信じていた?」
心の中に嫌な感情が満ちて、八つ当たり気味の問いを投げつけていた。
レンフィはアザミの意図を理解したのか、悲しそうに俯く。
「私……私には、誰かを傷つけてでも生き残る資格はありません。助けてもらえると、期待できる立場でもないです。でも、死にたいわけではありません。誰も傷つけず、生きられる可能性に賭けて――」
「うぅ、ごめんなさい……っ、ごめんなさい!」
そのとき、部下がロッタを引きずるように連れてきた。ガタガタと震え、泣き続けている。
レンフィとの対話を切り上げ、アザミは職務に戻る。どうせ平行線になることは見えているので、後回しでいい。
ロッタを加えた五人を、雪の上に座らせる。部下が武器を突き付けているので、全員大人しく従った。
アザミの副官が、村人に罪状を突き付ける。
レンフィとオレットに対する殺人未遂。長年、村ぐるみで女たちを洗脳・監禁、あるいは誘拐し、定期的に川に沈めてきたこと。
否定の言葉は上がらなかった。その代わり村長が呆然と呟く。
「わ、我々は、どうなるのですか……? 村は?」
ムドーラ王国にはきちんとした裁判制度がまだ整っていない。
現行犯で捕らえられた罪人は、法に則って速やかに刑を科せられる。成人に対して情状酌量が認められる可能性は少ない。
アザミは淡々と告げた。
「罪を認めて自白すれば多少は刑が軽くなるが……正直に話したところで、かなりの犠牲者がいれば死罪は免れない」
村人たちの顔が絶望に染まる。
「お前たちは全員で女を川に投げ入れようとしていたな? 普段から汚れ仕事を分担して行っていたのだろう。見下げた仲間意識だ。後ほど村人を全員調べ、村ぐるみの犯行だと確認が取れ次第、村ごと潰す。殺人に全く関与していないと証明できない限りは、容疑が不透明な場合でも強制労働を科す。罪のない女子どもについては、他の村に分散して移住させることになるだろう」
冷ややかな視線をロッタに向ける。
「お前は、どうしてやろうか。たとえ子どもでも、泣いて謝っても、許されないことはある」
ロッタは凍った地面に頭をつけて泣き出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……だって、次は、姉ちゃんの番だって……」
どうせ大人に脅されてやったのだろう。情状酌量の余地はあるし、不憫ではある。もし自ら強制労働を望むほど反省し、まだやる気があるのなら、ロッタに関しては将来的に軍で拾ってやってもいい。
しかしそれを口に出してやるほどの情はない。
アザミは息を吐き、村人たちに向き直る。ここからが本題だ。
「なぜこのような行いを?」
「そ、それは」
「娘の生贄を欲しがる墨竜王とは、どのような魔物だ」
その名を出すと、村人たちの顔色が変わった。
本当に魔物がいるのなら、討伐しなければならない。かなりの年数を生きている個体、あるいは特殊な個体ならば、今の人数では厳しい。魔法士団と第三軍を応援に呼ばなければならない。
「あ、あの……王様に、シダール様にお会いすることはできませんか!?」
村長がすがるようにアザミに願い出た。
質問の答えではなく、よりにもよって王の名前を出されたことで、アザミの苛立ちは頂点に達した。王を煩わせるなど、身の程知らずにも程がある。
大した理由がなければ、この場で村長の首を刎ねる。そうすれば、他の者の口も滑らかになるだろう。
「……なぜ?」
「ちゃんと順を追ってご説明をしたいのです。わ、我々は許されぬことをしてきました。それは認めます。しかしこれは、元はと言えばムドラグナ王家の、ジャボック王の命令で――」
たまたまだったのか、それとも村長の言葉に反応したからなのか。
突如、アヌビア川が大きく蠢いた。
つくづく、物事は思い通りに行かないものだ。




