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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第三章 聖女と過去の幻

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36 形見の刃

 


 出立の朝、アザミはとある短剣を手に取り、鞘から抜いた。

 銀の光を宿し、曇り一つない刃。手入れは欠かさずしたが、自分のものになってから血を吸わせたことは一度もなかった。


 約四年前、オンガ村で起こった大量虐殺。

 村は焼かれ、ほとんど何も残らなかったが、この剣の刃だけが唯一原形を保っていた。

 父が一兵卒だった頃から愛用し続けていた結果、刃が魔力を帯びたのだという。遺骸の性別すら判別できなくする業火にも耐えて焼け残った。

 持ち手と鞘を作り替えて研磨を重ね、形見としてアザミの元に渡った。


 この刃を見るたびに思う。

 父は、無念だっただろう。

 将軍の地位にまで上り詰め、まだこれからという時に魔物に内臓の一部を食いちぎられ、退役を余儀なくされた。そしてそう長くは生きられないと医療官に告げられてもなお、父は国のために働く道を選んだ。

 開拓村の監督官として家族を引き連れて移住し、慣れない暮らしにも弱音を吐かず、村人たちと少しずつ打ち解けていったという。


 土壌が悪く作物が育ちにくいから工夫が必要だ、だんだんこの暮らしが楽しくなってきた、孫たちが可愛くて仕方がない、国と民のために精一杯働いてくれ。


 父から頻繁に送られてくる手紙を読む度に、アザミは思った。

 自分は父に託されたのだ。悪政としか言いようがないヒノラダ王の下、数少ない良識ある者として民を守ることを。そして、父の軍への未練を強く感じた。


 自分は、父の分まで軍人としての職務を全うする。そのための研鑽は怠らなかった。


 しかし。

 第一王子アークスが強引な婚姻を結び、貴族たちの様子がおかしくなっていく。

 教国との小競り合いは止むことがなく、負け続けている。

 村々は貧しく落ちぶれて、子どもたちはやせ細り、城下町すら荒廃の匂いが漂っていた。

 このままではこの王国は滅亡すると、逃亡する民も出始め、それを止めるために軍が出動して血が流れる。

 国の崩壊の足音が聞こえてくるようだった。


 アザミは父への手紙に本当のことを書けず、城下町でしか手に入らない、甥と姪が喜びそうなものを贈って言葉を濁した。

 父が守ろうとした国が壊れて消えてしまう。アザミにはどうしようもない問題で。


 だから、先にオンガ村が跡形もなく消えてしまったとき、アザミの頭は真っ白になった。


 一報を受けてオンガ村に向かったアザミが見たのは、焼け焦げた黒い炭の群れと、それを取り囲む美しい湿原だった。

 白亜教国の聖人が精霊術による浄化を行っていたのだ。

 瑞々しい緑と青の中で、ぽっかりと開いた黒い焦土。まるで神に見放された土地のように見えた。

 父たちの死がひどく惨めなものに思えてならない。


 父は無念だったはずだ。

 家族も同じ村で暮らす民も守れず、一方的に蹂躙されて。


 しかし、父の死はまだ受け入れられる。

 戦場に出て、多くの命を奪ってきたのだ。いつか同じように命を奪われても文句は言えない。


 ただ、他の者はどうだ。

 祖父母も、母も、姉夫婦も何も罪は犯していない。善良な人間だった。子どもたちの成長を楽しみにしていたし、アザミの無事を心から祈り、活躍を期待してくれていた。

 甥と姪に至っては、まだ本当に小さかった。これから何にでもなれたはずなのに、楽しい想いをたくさんするはずだったのに、何もできずに消えてしまった。

 彼らが死んでいい理由なんてどこにもなかった。


 さらにマイス白亜教国の声明を聞いて、アザミは憤慨した。

 全ての罪をムドーラ王国とオンガ村に擦り付け、あの残酷な行いを正当化したのだ。


 幻覚を見せる薬草――ベラペヨーテ。


 農地の開拓は隠れ蓑で、オンガ村はその栽培と薬への生成を行うために作られた。教国の主張から、国内でもそんな噂が流れ始めた。


 当然、開拓の監督をしていた父が主導していたことになる。

 死んでからもなお父を侮辱された気がして、アザミは我慢ならなかった。


 ヒノラダ王は、弔い戦の機会を与えてはくれなかった。それがさらに、オンガ村の噂に拍車をかける。


 腫れ物のように扱われること、同情の視線を向けられることに嫌気が差し、仕える王の暗愚さに絶望していた頃、シダールに声をかけられた。

 それにより、どれだけ救われたか分からない。玉座簒奪に心から賛同して協力した。

 真の忠誠を尽くせる王に巡り合えたことは、至上の喜びだった。


 憎き教国ともまともに戦えるようになり、将軍という地位を与えてもらい、国が立ち直っていくのを見届けながら、アザミも絶望の底から這い上がった。


 多忙な日々に身を浸していれば、家族の不幸を忘れられた。

 時折この短剣を磨いて、思い出す程度。

 いつか教国との戦争に勝利し、オンガ村の襲撃に関わった者を捕らえ、当時の状況を吐かせる。


 もしも家族の死に納得のいく理由があるのなら、教えて欲しい。

 失った命は取り戻せない。だからせめて彼らの最期を知りたい。名誉を守りたい。


 アザミはずっと、そう願ってきた。


 聖女レンフィが捕らえられたと聞き、やっと機会が巡ってきたと思った。

 しかし憎き聖女は記憶を失い、頼りなげに泣くばかり。

 これで苛立つなという方が無理だった。


「役立たずな女だ」


 アザミにとってレンフィは、本当に無価値な少女だった。ただただ目障りで、視界に入るだけであの細い首を即座に斬り飛ばしたくなる。実際、何度もこの短剣を使うことを考えた。


 思う通りにはいかないものだ。皆が国にとっては有益な存在だと認めた。

 はっきり言葉にはしなくとも、シダールも彼女のことを認めている。でなければ、王妃の立場を危うくする存在を生かしておくものか。思い返せば、これまでのシダールの言動は結果的に全て、レンフィの身を守ることに繋がっている。


「……忌々しい」


 聖女レンフィは精神的にも社会的にも死んだ。

 あの少女は清廉潔白な存在として、受け入れられ始めている。


 しかし所詮、“黒”の国に現れた場違いな“白”。

 アザミには異物としか思えない。


 もしもレンフィがこの国で生き続けるというのなら、せめて黒く染まってもらわなければ。


 アザミは形見の短剣を腰に差し、暗い決意を胸に部屋を出た。






 トナカイが引くそりが凍結した街道を進む。

 思い切り息を吸うと、心臓が寒さに驚いて痛んだ。

 レンフィはマグノリアとバニラに見繕ってもらった防寒着を着込み、膝を抱きしめて縮こまった。


 解析の結果、レンフィの心臓に魔法の小さな痕跡が見つかった。

 詳しい魔法構築は壊れてしまって読み取れないが、心拍の有無を通知する類のものらしかった。やはり教国は、レンフィの死を誤認している可能性が高い。

 マグノリアとヘイズはいろいろと考え込んでいたが、とりあえずは安心して良いと言われた。

 余計な情報を流していなかったのは喜ばしい。


 それからの三日間は目まぐるしかった。

 サフランに軍に随行する際の医療官の務めを教わり、ジンジャーに救急セットを託された。

 マチスとオレットともしもの時の対応を打合せ、今回討伐する魔物について教わった。

 バニラに髪をストロベリーブロンドに染めてもらい、顔を自然に隠せるように襟巻をもらった。


 そして今日、一行はアヌビア川に向かって出発した。


 第二軍の中でも腕の立つ軍人十名と、レンフィたち三名が魔物討伐の任務に当たる。

 アザミには朝一番に挨拶をしたが、「ああ」としか返事がなく、目も合わせてもらえなかった。まともに喋れる日は一生来ないような気がしている。


 念のため以前絡んできた軍人たちがいないか探したが、今回のメンバーには入っていないようでレンフィは安堵した。あの時の恐怖はまだ体が覚えている。


 アザミたちとは乗るそりも別だった。

 がたがたと激しく揺れ、決して乗り心地が良いとは言えないが、レンフィは歯を食いしばって耐えていた。歩いて移動すると言われたら、絶対に足が持たなかった。こうして運んでもらえるだけありがたい。


「ひゃあ! すごいですね! 一面銀世界です……!」


 どんどん弱っていくレンフィとは裏腹に、オレットは元気いっぱいだった。

 魔物討伐の件を伝えた時、オレットは一も二もなく同行を願い出た。


『レンフィ様には、魔物から助けていただいた恩があります。今度は私がレンフィ様を守って恩返しをいたしますね!』


 そしてこっそり教えてくれた。本当は騎士団ではなく、軍に所属して国中を遠征で巡るのが夢だったらしい。貴族の女という身で、それは許されなかったようだ。

 カルナ姫に仕えられることは身に余る栄誉だと思っているが、やはり旅することへの憧れは消えない。

 今回の任務は、オレットにとって恩返しと遠征する夢を叶えられる絶好の機会と言えた。


 危険に巻き込んでしまうことに申し訳なさを覚えていたレンフィは、オレットに喜んでもらえて少し気が楽になった。


「そんなにはしゃいで……遊びに行くんじゃないんだよ、オレット」


 あくび交じりにマチスが言う。緊張感がないのは兄も同じだった。


「分かっております、兄上。でも、どうしても嬉しくて。久しぶりに兄上の本気が見られるかもしれませんし!」

「えー、そういう期待はやめてほしいな。すっかり腕が鈍っちゃってるから。シダール陛下、いろんな意味で敵なしなんだもん。本当、護衛騎士は要らないよね」

「何をおっしゃるのです。それは、兄上がお守りしていることも関係していますよ」


 レンフィが首を傾げていると、オレットが目を輝かせて言った。


「お話ししたことはなかったですね。実は兄上は、王国最強の剣士だったのです! 二年前までは!」

「え」


 マチスが気恥ずかしそうに頬を掻いた。


「すっかり過去形ですけどね。今はもう、リオル君に勝てる気はしないなぁ。魔法を使われたら、アザミ君にも勝てないかも」

「ご謙遜を!」

「いやいや、若い天才たちには勝てないから」


 意外な事実にレンフィは面食らいつつも、白い息を吐いた。マチスがそれほどの手練れなら、二人が危ない目に遭う確率が下がる。


「マチスさんは、とてもお強い方なのですね。あ、でも、そうですよね。シダール様の護衛なら……」

「うーん。まぁ、騎士団の中では一番かな。でも自分では騎士失格だと思っていますよ。シダール様にもあまり信頼されてないし」

「え、そうなのですか」


 マチスはオレットに聞こえないように、レンフィに耳打ちした。


「僕はずっとアークス王子の騎士をしていたから。マグノリア様のことを見て見ぬふりしてしまって……本当に申し訳なく思っています」

「あ……」

「僕もいわば罪人なんです」


 同類を憐れむような視線にどきりとしていると、マチスは力なく笑った。


「あの時はどうしようもなかったんだけど、きっとその気になればどうにかすることはできたんです。だから許されないと分かっていても、役目は果たさないといけない。世知辛いですよねー」


 それきりマチスは目を閉じて、仮眠の態勢に入った。

 オレットは雪景色を眺めるのに夢中になり、レンフィは一人、そりの上で膝を抱えた。


 心細くなって、コートのポケットから刺繍入りのハンカチを取り出す。


 リオルは山岳地帯の魔物退治のため、レンフィたちより一日早く出立した。

 その見送りの際、お守りとしてレンフィが贈ったハンカチを渡されそうになったが、強く断った。レンフィとしては、リオルの安全の方がよほど重要だった。


『大丈夫。ちょっと失敗しちゃってるけど、同じハンカチがもう一枚あるの。私はそれを持っていくから』

『そっか。じゃあ、これ、お揃いなんだな』

『う、うん……』


 お互いに少々恥ずかしくなって黙ったが、リオルが先に立ち直った。


『お前の涙を拭くのは、こっちのハンカチだからな。だから、辛いことがあっても簡単に泣くな』


 俺以外の前で泣くな、と暗に伝えたリオルであったが、レンフィは単純に「泣くな」という部分だけを受け取り、頷いた。


『じゃあ、お互いに頑張ろうな。早く終わらせて迎えに行くから!』


 その言葉にどれだけ勇気づけられただろう。

 ハンカチを握りしめ、レンフィは小さく呟いた。


「うん、頑張るから……リオル」


 その声はそりの走行音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。






感想・評価などありがとうございます。大変励みになります。

誤字報告も、本当に助かっております。

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