34 聖女の訃報
ムドーラ王国の国王夫妻と幹部が円卓を囲んで勢ぞろいしていた。
「お呼び立てしてすみませんねぇ。あなたにも聞いてほしい話がありまして。さぁ、どうぞあちらのお席へ」
「は、はい……失礼します」
宰相が指さしたのは、マグノリアとリオルの間の席だった。おそらくレンフィに配慮をされた席順なのだろうが、どちらかと言えば隣よりも正面の人物の存在が際立ち、とても安心できなかった。
氷よりもなお冷たい視線で、アザミ・フーリエ将軍がレンフィを睨み、すぐに視線を外した。視界にも入れたくないと言わんばかりであった。
「う……」
レンフィはできるだけ縮こまって、椅子に腰かける。
「前置きはよろしいですかねぇ。今朝、届いた情報です。まさかというか、ついにというか、マイス白亜教国にて、聖女レンフィの死亡が発表されました」
驚きのあまり声にならず、レンフィは短く吐息を漏らした。
そして冷静な自分が理解する。ヘイズの元に届いた緊急の連絡の内容や、リオルが急ぎ呼び出された理由を。
宰相の言葉を、ヘイズが引き継ぐ。
「死亡の経緯については、空理の聖人オークィとの諍いにより、相打ちとのこと……朝から大聖堂は長蛇の列……多くの白亜教徒たちが聖女レンフィの死を嘆き、献花に訪れているそうですよ。当然遺体はないのですが、誰も疑っていません。既に埋葬されたらしい、と……」
いかなる理由があろうとも、教国内での聖人同士の争いは固く禁じられている。その禁を破った咎で、正式な葬儀は行われないらしい。
恐ろしい話だった。
自分は生きてここにいる。教国がなぜそのような嘘を発表したのか、レンフィには分からない。
「どうして今になって……そう思われるでしょうね。これは仮説に過ぎませんが、あなたの体には何らかの術か魔法がかかっていた。この私が気づかぬほど、情報量の少ないものです。いえ、可能性自体は考えていましたが、対処のしようがなくてですね……」
「簡潔に述べて。レンフィに分かるように」
マグノリアが注文を付けると、ヘイズは肩をすくめた。
「ほんの些細なもの……例えば対象者の生死を知らせる程度の術がかけられていたなら、教国が今レンフィ様の死を発表したことに説明がつきます。身に覚えがあるでしょう……?」
つい最近、レンフィは確かに生死を彷徨った。
毒薬を煽った結果、呼吸が止まったというし、もしかしたら心停止もしていたのかもしれない。
その時点で死んだとみなされ、教国側がレンフィの死を断定したのだとしたら、時期的には符合する。
会議場には怪訝な空気が流れた。事情を知るシダールとマグノリア以外は首を傾げている。
シダールが面倒くさそうに問いかけた。
「ヘイズ。それはレンフィの生死を知らせるだけの術か?」
「おそらく。ただ、対象者の位置や精神状態、視界などを共有する術の類でしたら、必ず私が気づきます。そもそもレンフィ様がこの城に連れてこられてすぐ徹底的に探っていますし、そのような大掛かりの術を隠蔽するなど不可能です。かなりの魔力、あるいは霊力が動きますからね。陛下や将軍たちも違和感を覚えるでしょう」
マグノリアが神妙な顔でレンフィに告げた。
「わたしが後で解析する。もしかしたら、まだなんらかの痕跡があなたの体に残っているかもしれない。いい?」
「は、はい。お願いします」
自分の体に何か仕掛けられており、王国の情報が教国に流れていたとしたら。そう考えて血の気が引いた。
「大丈夫。教国はあなたがムドーラにいることには気づいていない。気づいていたら、絶対に何か言ってくる。聖人同士の相打ちなんて、外聞の悪い発表は極力したくないはずだもの。おそらく教国は、かけた術が仇になって、あなたの死を誤認しているだけ」
マグノリアの言葉に勇気をもらい、レンフィは心臓を落ち着けようと深呼吸をした。
しかし、そう簡単には静まらなかった。
「私が……その……オークィさんという聖人を殺したというのは、本当なのでしょうか」
「さぁ、教国は真実を捻じ曲げるのが得意ですからね……しかしオークィが何者かに殺害されたのは事実で、聖人を殺せる人間は限られます」
ヘイズの口ぶりでは、完全に状況証拠が揃っていた。
「では、私がその方を殺めて、罰せられるのを恐れて、逃げ出したということでは……?」
「その可能性はありますね」
レンフィはまた一つ己の罪を思い知らされた気がして、俯いた。
「この件に関しては、我々があなたを責めることはありませんよ。どちらかと言えば、得をしましたので」
宰相のにこやかな言葉に頷くことはできなかった。
誰かが死んで、しかも自分が殺したかもしれないというのに、安心などできない。
「ただ、悪い発表だけをするはずもありません。教国は対ムドーラ王国の戦線に、新たに“星砂の聖人”と“烈風の聖人”を合流させるそうです」
「その方たちは……」
「対リッシュア王国戦で活躍していた聖人たちですよ。それをこちらに回してきた……聖女殿が抜けた穴を埋めるために。『聖女レンフィの死に報いるためにも必ず勝つ!』と兵を鼓舞しているそうです」
聖人が二人も新しく戦線に加わり、春からムドーラ王国と戦う。
それがどういうことなのか考え、レンフィはリオルに控えめに視線を送った。
「ん? もしかして心配してるのか?」
その通りだとここで頷けばリオルを侮ることになると思い、レンフィは無言を貫いた。それを察してリオルは笑う。
「大丈夫。聖人っつっても、そいつらは一指の寵愛しか受けてないらしいし、治癒術も使わないんだって。なら、少し斬れば動きが鈍るだろ。昔のお前と戦うより楽だ」
「そ、そう……」
「ああ。正直、今年こそ勝てると思ったよ。なぁ、アザミさん」
リオルに水を向けられたアザミは、面白くなさそうだった。
「油断はできない……が、正直に言って脅威は感じない。少なくとも敗北はしないだろう。それよりも私は、リッシュア戦線の方が気になる。あちらも随分苦戦していたはず。その二人が抜けて維持できるものなのか。それともまた新しい聖人を投入するのか」
「その辺りは、部下に探らせてるよ……確かに気になりますから」
ヘイズが不気味な笑みを浮かべる。
レンフィはこの場の空気が合わず、息苦しさを感じていた。昼を共に過ごした時とは違い、リオルのことすら別人のように感じる。
住む世界が違うのだ。
「まぁ、軍属の方たちには新しい聖人の対策を立てていただくとして、今はあなたのことです。ご自分の死を発表され、どのように感じますか?」
レンフィは困惑しながら、正直に胸の内を明かした。
「えっと……とても申し訳ないのですが、安心してしまいました」
「と言いますと?」
「これで教国の方たちが私を探さなくなるなら……」
教国の上層部はレンフィの死を誤認している可能性が高いし、それ以外の者は発表されたことを鵜のみにしている。
自分の死を悼んでくれる人間たちには本当に申し訳ないが、死んだと思われた方が気が楽だった。
「白亜教国に未練はないのですか?」
「はい。何も知らない国です。本当に薄情だと、自分でも思うのですが……」
教国に戻りたいという気持ちは、全くない。
たとえ戦えないとみなされても、教国に戻ったらムドーラ王国の敵になってしまう。
「そうですねぇ。記憶を失い、人格も真っ新で、ついにかつての自分の死が世間に広まった。聖女レンフィは精神的にも社会的にも死んでしまった。これで、心置きなくあなたは第二の人生を歩めますねぇ」
宰相の言葉は全く以てその通りであったが、レンフィはやはり頷けなかった。それどころか首を横に振る。
「わ、私の、過去の行いまで、消えたとは思っていません……たとえ、覚えてなくても……」
その時、ぞっとするような殺気を感じた。
顔を上げなくても分かる。アザミに思い切り睨まれている。
「ほう、そうですか、そうですか。では、それを踏まえて問いますが、あなたはこれからどうしたいですか? 例えば、教国以外の国に行きたいとは思いませんか?」
全ての者から視線を受け、レンフィは胃がひっくり返るような気分になった。
それでも両隣からの労わるような視線に後押しされ、ゆっくりと述べた。
「私は……この国で生きていきたいです。一生自由になれなくても構いません。ただ、治癒術は使わせてほしいです。許されることがなくても、少しでも役に立って……お詫びをし続けることを望みます」
会議場にしばし沈黙の幕が下りる。誰も彼もレンフィの言葉を受け止め、考えをまとめているのだ。
この娘を生かすか殺すか。あるいは、どうやったら生きていけるように計らえるか。
レンフィはあまりの空気の重さに窒息しそうになっていた。
ほんの少し前まで、淡い恋心に浮かれていたのが恥ずかしくなる。最近は本当に気が緩んでいた。改めて自分の立場を思い知る。
「相変わらず鼻につく娘だ」
シダールが呆れ果てたように頬杖をついた。
「人探しは上手くいかなかった。これ以上の情報は集まらぬ。春まではまだ猶予があるが、どちらにせよ早く決めた方が良かろう」
シダールの言う「人探し」が何のことか分からなかったが、レンフィには質問を挟む余裕がなかった。
「レンフィは我が妃にはならない。しかしそれでも生き残る価値があるか……この場にいる者たちで多数決を採れ」
聖女を生かすのか殺すのか。




