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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第三章 聖女と過去の幻

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33 恋歌

 


「レンフィ!」


 医務室にリオルが顔を出した。レンフィは包帯を丸める作業を止め、慌てて立ち上がる。


「どうしたの? 怪我?」

「いや、違う。昼飯一緒にどうかなと思って。また食堂になっちまうけど」

「行きたい」


 サフランに許可をもらい、レンフィはいそいそと医務室を後にする。

 食堂に向かう道すがら、緩みそうになる頬を引き締めるのが大変だった。数日前の夜のことを思い出すと、胸の高鳴りと密かな罪悪感が止まらなくなる。


 もっと好きになってもいいかという問いに対し、リオルは頷いてくれた。想うことを許してくれた。

 レンフィは遠慮なく、心を満たす温かい気持ちを育てることにした。

 今は幸せと切なさが共存している。胸の中がいっぱいになって苦しく、生きていると強く実感できるし、生きていたいと強く願える。


 想い続けていれば、女性として魅力的に成長すれば、いつかリオルと愛し合える日が来るのだろうか。

 いつもそこまで考えて、贅沢な自分を律する。

 このままでも十分幸せだと思うのに、随分と欲張りになってしまった。心が浮かれ切っている。


 今もそうだ。リオルの隣を歩いていると、ほのかに石鹸の良い香りがして、たったそれだけで、もう少しくっつきたい、また手を繋ぎたいと願ってしまう。

 しかし今は人目がある。レンフィもそこまでは大胆になれなかった。


「あの、誘ってくれてありがとう」

「これくらい礼なんかいらねぇよ」


 リオルの方から声をかけてもらえて、本当に嬉しかった。リオルもどこか嬉しそうで、真冬だというのに二人の間にはぽかぽかと温かい空気が漂っていた。


「今日はオレットさんはいねぇのか?」

「うん。午前中は姫様のところに用事があるらしくて」

「そっか。大丈夫だったか?」

「大丈夫。ヘイズさんのところに行った後は、ずっと医務室にいたから」


 精霊術について教えてもらいに行き、聞いた内容を簡潔に話すと、リオルは「へぇ」と頷いた。


「そういや、聖女時代のお前も攻撃には水の精霊術ばかり使ってたな。霧を発生させて光でかく乱する、みたいな戦法はあったけど。あれはあれでやりづらかったなぁ。でも、光の精霊術で攻撃されてたら、もっとヤバかったのか」


 レンフィは自らの手の平を見つめる。


「光は一度放ったら意識して操れないし、一瞬で目標に届いちゃうし、もし剣の表面とかに当たったら反射してどこに向かうか分からないって……怖くてとても使おうとは思えない」

「なるほど。そんなに制御が難しいのか。だから使わなかったのかな。乱戦になることもあったし……」

「多分。だからやっぱり光の精霊術は治癒専用にする。それで、他の属性の寵愛や加護を得たいと思ったんだけど、すぐには難しそうで……」


 緊急の連絡が入ったようで、ヘイズとは結局あれ以上は話せなかった。また様子を見ながら質問に行こうと思う。修行の方法を知りたい。


「あんまり焦るなよ。俺を……周りを頼ればいいんだから」


 レンフィは礼を言いつつも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「マグノリア様にもそう言われたけど……あ」


 ふと顔を上げると、中庭にシダールとマグノリアがいるのが見えた。

 密着して何かを囁き合っている。二人は春どころか、真夏の太陽のように熱い視線を交わしていた。近づいたら火傷しそうだ。

 思わず二人揃って足を止めてしまったが、直後にリオルが大いに慌てた。


「こ、これは……見んな!」


 一足遅く、シダールとマグノリアが口づけを交わす瞬間をばっちり目撃してしまった。

 レンフィはあわあわ言いながら、リオルに手を引かれてその場から遠ざけられる。


「ああ、もう。教育に悪い……」


 リオルは知らない。

 マグノリアが猫の名前を愛人と勘違いして嫉妬し、シダールに冷たく当たってしまったことを。その謝罪と仲直りの現場だったのだ。


 そしてマグノリアも思いもしない。

 今の光景を目撃していたのが二人以外にもたくさんいて、翌日には城中に知れ渡ってしまうことを。

 雰囲気に流されたことをしばし後悔する羽目になるのだった。


 中庭から離れると、レンフィは深いため息を吐いた。


「ものすごく仲良し……」

「そ、そうだな」


 火照った頬を両手で包んで冷やしながら、ふと自分の唇に触れる。あまりにも衝撃を受けすぎて、思わず心の声が漏れていた。


「私は……多分、したことない……」

「当ったり前だろうが!」


 急にリオルが大きな声を出したので、レンフィは怯えた。


「は、ごめん。怒ってねぇから。今のは気にしないでくれ」

「だ、大丈夫。でもどうして当たり前って思うの? 何か知ってる?」


 リオルはバツが悪そうに宙を見た。


「それは……昔のレンフィは男嫌いって有名だったし、白の神様にこの身を捧げますって感じの生き方をしてたんじゃねぇのかなって」

「……そうなんだ」


 節制を心掛け、色欲を断ち、神に仕える聖女。

 それくらいの覚悟がなければ、やはり水の精霊から寵愛を授かることは難しいのだろう。


 レンフィは過去の自分についてほとんど分からないままだが、それでもリオルと互角に戦えるほど研鑽を積んだことに対しては、素直にすごいと思っていた。

 自画自賛、と言っていいのか分からないが、とにかく生まれつきの素養を努力で昇華させたのだ。

 やはりどうしても焦りを覚える。今の自分にも同じ素養があるはずなのに、この体たらく。おそらく精神が弱すぎるのだろう。水の精霊がレンフィに精霊術を使わせてくれないのも、そのせいかもしれない。


 レンフィは晴れた冬空の向こうを見て、白い息を吐いた。

 何もかもが遠い。


 どこか物欲しそうなレンフィの様子に、リオルは冷や汗をかいた。


「そんなに興味があるのか? いや、さすがにこれはまだ……つーか、めっちゃ言いづらくなったじゃねぇか」

「え、何?」

「……なんでもねぇ」


 その後、多少ぎくしゃくしつつも、食堂で仲良くランチを楽しんだ。

 別れ際、リオルは何か言いたそうにしていたが、部下が急ぎの案件で呼びに来たので名残惜しそうに去っていった。






 午後、レンフィはカルナ姫の部屋に招かれていた。

 先日の宴のとき、とある約束をしていたのだ。


『レンフィ様も、習い事を一緒にいたしませんか? 二人ならもっと楽しいと思いますの』


 断る理由を見つけられなかった。カルナの機嫌を損ねてはいけない。その本能からの警告に従うことにした。

 教師が演奏する楽器に合わせ、カルナが可憐な歌声を披露する。


【――――】


 短調の不思議な旋律に重なり、美しく響く。

 思わずため息が漏れた。


「ふふ、初めての方に聞かせるのは、やはり少し緊張します」

「素敵でした。とてもお上手なのですね」


 心の底から感心して告げると、カルナは胸を張った。オレットも自慢げである。


「さぁ、レンフィ様も。まずは発声練習です。音階を一緒に」

「え? え?」

「わたくし、お友達と二重唱をしてみたいのです」


 促されるままお腹に手を置いて、「あーあー」「うーうー」と楽器と同じ音を出す。それだけでも恥ずかしくて死にそうだった。声が無様に震える。


「もっと大きな声をお腹の底から出してくださいませ。城中に響かせるつもりで!」

「そんな……これ以上は、無理です……」

「まぁ! そんなことおっしゃらず。自信をもって。音程は取れていますわ。オレットとは大違い」


 姫様ぁ、とオレットが泣きそうな声を出す。

 試しに一度オレットに歌ってもらったが、レンフィはかける言葉が見つからなかった。声量だけは素晴らしいが、カルナと同じ曲を歌ったように聞こえず、意識が闇の彼方に飛んでいったほどだ。


「レンフィ様、頑張りましょう。大きな声が出せるようになれば自信がつきますし、いざという時にも役立ちますから」

「いざという時、とは?」


 カルナは目を伏せた。


「……暴漢に襲われた時などです。あの時大きな声を出してくだされば」


 以前レンフィが第二軍の兵士に暴力を受けた際のことを、カルナは未だに気に病んでいるようだった。

 カルナの悲しそうな顔を見て、レンフィは意識を変えた。


「わ、分かりました。頑張ってみます。いざという時、大きい声で威嚇できるように……!」

「普通に助けを呼んでくださいね?」


 一通り発声練習を終え、レンフィがぐったりしたのを見て、カルナが楽譜を手渡してきた。

 当然レンフィには読めないが、一見してとても複雑な旋律を描いているように見えた。


「レンフィ様と一緒に歌いたいのは、“黒白恋歌”という古い歌ですわ。わたくしが“黒”、レンフィ様が“白”の声部を歌ったら、素敵だと思いませんか?」

「黒と白の……どういう歌なのですか?」


 カルナは楽譜を指でなぞりながら、口ずさむ。


【愛しい 愛しい あなた 捕まえたい】

【恋しい 恋しい だけど まだ会えない】

【この手は力を失っているから 捕まらない】

【この世界はまだ戦っているから 見守りたい】

【だから夢の狭間で待っている いつまでも待ってる】

【だけどいつの日か必ず あなただけを見つめ続ける】


 白と黒の声部を交互に、難しい旋律を軽やかに歌い上げ、カルナ姫は言う。


「これは黒の神と白の神を恋人に見立てた歌ですの。ほら、白の神は指がないでしょう? だから黒の神を捕まえられないんです。黒の神は、人間の戦いが終わらないから白の神を見ることができない……すれ違う二柱の恋を歌っているのです」


 うっとりとため息を吐くカルナとは反対に、レンフィは胸が苦しくなった。


「なんだか切ないです。神様たちは結ばれないのでしょうか」

「結ばれるとしたら、世界が完成したその時ですわ。争う人間を見捨てられないところが、黒の神様の素敵なところです。そして人間は争いを止められない。もしかしたら、二柱は永遠に一つにはなれないのかも」

「そんな……」

「でも、確かに会えないのは可哀想ですし、申し訳ないですけれど、わたくしはこのままでも良いと思いますの」


 カルナは幼い顔に似合わぬ達観した表情で述べた。


「二柱が出会わない限り、ずっとずっとお互いに恋をしていられますもの」

「ずっと……」

「会えない時間が想いを育てるのです。その時間は幸せなものではないでしょうか」


 レンフィは感嘆の声を漏らした。その発想はなかった。


「と、最近読んだ恋物語に書いてありましたわ。ご興味がおありでしょう? お貸しいたしますね!」

「! はい」


 そんなことを話して女子たちで盛り上がっている時だった。

 ノックの後、騎士が入室してきた。


「姫様、大変申し訳ありません。その、レンフィ殿に至急の要件があるとのことで、陛下と幹部の皆様がお呼びです」

「え」


 楽しい時間を邪魔され、カルナがむっと唇を尖らせる。


「ああ、そういえば、何やら慌ただしい様子でしたわね。お兄様の命令ならば、仕方がありません。丁重にお連れしてください」


 レンフィは心の準備が整わぬまま、騎士の後をついていく。

 このような呼び出しは今まで一度もなかった。不安で足取りがおぼつかない。こんなに心細い思いをするのは、この城で目覚めたばかりの頃以来だ。


「こちらです。……失礼いたします。レンフィ殿をお連れ致しました」


 見知った顔が一斉にレンフィを振り返る。

 臣下の中でも限られた者しか呼ばれない会議に招かれたのだった。



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