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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第二章 聖女と魔王、そして魔女

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26 帰還の宴


 

 とある冬の日の夜、ムドーラ王国の城で宴が催されることになった。

 シダール王から城勤めの者全てに通達があったのだ。仕事の手の空いている者は参加し、酒と食事を大いに楽しめ、と。


 皆は歓喜し、太っ腹な国王に感謝した。

 前王時代は考えられなかったが、シダールが即位してからは時々こういう催しが行われていた。リリト芋やルルナ林檎が開発された際の試食会などである。

 しかし、備蓄を消費して過ごす冬季に催されるのは初めてで、城の中はやや浮足立った雰囲気に包まれていた。確かに今年は豊作で、他国との貿易も盛んだったので、食糧の余裕はある。しかしなぜ今なのか。

 また国王の気まぐれなのだろうか、と誰かが言い出し、違う誰かがぽつりと零した。


 何か重大な発表があるのでは?


 まことしやかに噂されるそれは、語られるうちに信憑性を帯びていった。


 ああ、きっと、新しい妃のお披露目に違いない、と。






 当日、レンフィはバニラとジンジャーに挟まれる形で大広間に入った。

 参加者の装いは仕事の制服が多いが、若い娘たちのほとんどは着飾ったドレス姿だった。場が華やぎ、男たちの頬が緩む。

 勤務中はなかなか話せない相手と親睦を深める絶好の機会なのであった。


 レンフィは城下町で購入したピンクのワンピースを着てきた。

 本当は目立たなさそうな医療官の制服が良かったが、正式に城の人間になったわけでもないのに図々しいと思ってやめた。

 悩んだ末、バニラが強く推したこのワンピースになった。

 控えめにフリルが施されている可愛らしいデザインで、眺めているだけで幸せな気分になれる一着だが、いざ着てみると人の目が気になって仕方ない。


「大丈夫でしょうか……皆さん、嫌な顔をしていませんか?」


 料理や酒が置かれたテーブルを避け、レンフィはこそこそと壁際で縮こまる。


「そうね。どうしてあんたが普通に入場してくるんだって顔してるわ」

「ご、ごめんなさい。やっぱりお部屋で大人しくしているべきでしたよね……」

「そういう意味じゃないわよ」


 バニラが呆れ顔でため息を零し、ジンジャーが首を傾げる。


「みんな、レンフィさんは陛下と一緒に入場すると思っていたんです。今夜はレンフィさんが妃になるお披露目に違いないと。実際、どうなんですか?」

「いえ……えっと、もうすぐ分かります」


 偉い人たちから口止めされているレンフィは、心苦しく思いながら首を横に振った。


「そんな端にいたのか。来てないかと思った」


 リオルがにこやかに声をかけてきた。

 軍帽を手にし、儀礼用の軍服を身に纏う姿は、いつもと随分と雰囲気が違った。

 布地は黒。ちりばめられた赤と金の装飾は華やかで、きっちり締められた襟元は厳格で禁欲的。普段の印象とはまるで違う装いにも拘らず、不思議とリオルによく似合っていた。

 格好良い。レンフィは見惚れてしまい、言葉を返せなかった。


「あんた、すごい気合入ってるわね」


 バニラの言葉に、リオルは面倒くさそうに自らの軍服を見下ろした。


「普通の格好で来るつもりだったけど、俺はちゃんと儀礼服にしろって言われた。なんでだろ?」

「あんたも今夜のことを知らないの?」

「ああ。レンフィ絡みかと思ったんだけど……ここにいるしな」


 視線を受け、レンフィはもうすぐ分かるから、と同じ答えを繰り返した。


「でも、やはりただの慰労会ではないんですね……」


 ジンジャーが呟いたとき、どよめきが波のように広がった。

 広間の奥にある大階段の上、王族専用のソファ席に注目が集まる。この城の主、シダール・ブラッド・ムドラグナ王が一人の女性をエスコートして現れたのだ。


「シダール陛下、今夜も素敵……」

「待って。隣の女性はどなた?」

「まさかマグノリア様か!?」


 マグノリアが城に戻るのは三年ぶり。しかもその前はアークスの妃でありながら冷遇され、ほとんど表に出ていなかった。顔を知らない者も多い。

 シダールとの不仲は有名であり、城にいないことは分かっていたが、ほとんどの者はその行方すら知らなかった。幻の王妃と揶揄されてきた彼女が、シダールとともに現れたことで、大広間は軽い混乱に陥った。


 国王夫妻は豪華なソファに腰かけ、皆を見渡した。

 シダールは気怠げでありながらも薄く微笑んでおり、マグノリアはつんとした表情で階下を睨んでいる。

 レンフィにはマグノリアが緊張しているように見えた。心の中で声援を送る。


 傍らに立つ宰相ザディンが「静粛に」と手を叩く。その顔はどこか疲れ切っていた。


「皆さんに発表があります。長らく病気療養のため城を離れていたマグノリア様ですが、ご覧の通り無事に快復し、本日城に戻られました。今夜は皆でそれを祝いましょう」


 ほぼ全ての者の頭に疑問符が浮かび、戸惑いの色が満ちる。

 しかし誰かが「お帰りなさいませ」と言葉を発すると、まばらに拍手が広がり始めた。


 ここぞとばかりにレンフィは一生懸命手を叩いた。すると気づいたマグノリアと目が合い、微笑みを返してくれた。

 鋭利な美しさを持つマグノリアが表情を柔らかく崩すのを見て、拍手は大広間を震わすほど大きくなった。


 シダールまでもが機嫌良さそうに笑い、マグノリアに何かを囁く。くすぐったそうにしつつもそれに応じ、囁きを返すマグノリア。

 二人の仲睦ましい姿を見せつけられ、全員が理解した。国王夫妻の不仲説はデマ、もしくは関係が改善したのだと。

 これ以上にめでたいことはない。空気が一気に華やぎ、祝いの色に塗り替わる。


「皆、ありがとう。今まで不在にして、迷惑をかけました。今宵はどうか日頃の疲れを癒し、楽しんでいって」


 マグノリアが涼やかな声で述べ、グラスを掲げた。どこか高圧的でありながらも、艶麗で気品溢れる姿に、至る所からため息が漏れる。


「では、両陛下から声がかかった者は、御前へ参じるように。他の者は歓談を」


 そして今年の林檎酒が振舞われ、賑やかな宴が始まった。


 和やかな雰囲気にレンフィが安堵したのも束の間、何人かが静かに大広間から出ていくのが見えた。マグノリアの帰還を歓迎しない者たちだろう。あるいは、過去に彼女と何かがあり、後ろめたくて逃げたのかもしれない。


「驚いたな」


 リオルもバニラもジンジャーも呆れたようにレンフィを見た。


「王妃様の病気の話は本当か? もしかして、レンフィがそれを治したのか?」

「違うわね。病気だったなら、一番に婆様が駆り出されているはずだもの」

「でも、レンフィさんが一枚噛んでいるのは確かですよね? 最近の陛下との噂はこのことに関係していると見ました」


 レンフィは曖昧に頷いた。


「ごめんなさい。内緒なので……勝手に喋ったら、私と聞いた人が殺されてしまうんです」

「シャレにならねぇな」


 嘘を上手につく自信のないレンフィは、そうやって追求を断った。

 まさか国王が王妃に呪われていたとは言えない。呪いを解くために毒薬を呷ったことも、マグノリアの壮絶な過去を聞いたことも、パンケーキを振る舞ってもらったことも、しばらく話せそうになかった。


 そもそもシダールが呪いのことをごく限られた者にしか伝えなかったのは、いずれ戻ってくるマグノリアの立場を守るためだと聞いた。国王に害をなしたとなれば、たとえ王妃であっても罪に問われてしまう。

 確かに呪いは夫婦喧嘩の域を越えている。愛した者にはとことん甘いシダールは、素知らぬ顔でそれを隠蔽した。


「マグノリア様が戻ってこられたのは喜ばしいことだけど……ねぇ、あんたはどうなるの?」


 バニラの不安げな瞳に、レンフィは小さく微笑みを返す。


「まだ分かりません。でもシダール様の妃になることはないと思います」

「そんな……」

「あの、詳しくは言えませんが……前よりはシダール様に信じてもらえるようになったんです。少しだけ前進したと思います。だから、えっと」


 生存率が少しだけ上がった、とレンフィは自負している。

 解呪も、愛の証明も、力と心の限り頑張った。マグノリアの不興を買って消される心配もなさそうだ。己の価値を示せたと思う。

 あとはシダールの判断次第。レンフィはできるだけ悪いことを考えないよう、目の前の物事に取り組むと決めた。


 用意された食事を皆で楽しみながら、慎ましく過ごす。

 周囲の目は気になったが、さりげなくリオルが盾になってくれているのを感じ、それだけで悲しい気持ちは失くなってしまった。

 こっそりお礼を言おうと顔を上げると、リオルが神妙な顔つきでレンフィを見下ろしていた。


「え、どうしたの?」

「あのさ、レンフィ――」


 二人の間に、一人の騎士がさり気なく割って入った。


「ごめんね。リオルくん、両陛下がお呼びだよー」

「……ああ、俺の番ですか。分かりました。じゃあ、またな」

「レンフィさん、悪いね。すぐ済むから」


 マチスがウインクを残し、リオルを連れて行ってしまった。

 不完全燃焼である。しかし今日のリオルは後ろ姿まで輝いて見えた。しばらく目で追ってしまう。


「あの、レンフィ様。すみませんが、一緒に来ていただけませんか」

「わ」


 取り残されたレンフィの元に、今後はオレットが現れた。随分顔色が悪く、額に汗をかいている。その身を案じつつ、レンフィは頷いた。

 バニラとジンジャーに伝えて、オレットの後についていく。会場を出て、近くの部屋に案内された。

 オレットが呼びに来た時点で察していたが、待っていたのはカルナ姫だった。


 クッションを抱いてソファに座り込み、頬を可愛らしく膨らませている。


「姫様……あの」

「ひどいです。わたくし、レンフィ様にあんなにお願いしたのに」


 以前のお茶会でカルナ姫に言われたことがあった。


『お兄様の正妃になってほしい』

『あの魔女よりも、レンフィ様の方がずっと可愛らしくて才能に溢れている。きっとお兄様の癒しと力になれる』

『もうこの国に要らないと思う。でもお兄様はなかなか処分して下さらなくって』


 言葉の端々から伝わってきた。カルナはマグノリアを嫌っているのだ。彼女は呪いのことも知っている。兄を拒絶したマグノリアを疎むのは当然に思えた。

 部屋にはカルナ姫とオレットしかいない。レンフィは、素直に謝ることにした。


「ご、ごめんなさい。どこまでご存知か分かりませんが……私はシダール様とマグノリア様に仲直りをしてほしくて、協力しました。その、姫様のお気持ちまで考えていませんでした」


 オレットに促されて、カルナ姫の向かいの席に座る。

 カルナ姫の黒い瞳に赤い光が灯っていた。


「あの方は、王妃という公的な立場を受け入れながら私情に走った。本来ならば許されることではありません。お兄様を長年苦しめたのですから」


 幼い姫から出てくる厳しい言葉を噛みしめ、レンフィは頷く。


「そうかもしれません。でも、シダール様はマグノリア様を心から愛しています。マグノリア様も、シダール様のことを本当はずっと愛していたんです」


 たどたどしくなりながらも、懸命に伝える。


「悲しいすれ違いがあって、お互いに傷つけあってしまったんです。その傷は私には癒せません。でも、お二人が再び愛しあうことでなら癒せる。そう思ったんです」


 まだむくれているカルナに、レンフィは真っ直ぐ願う。


「姫様は、お二人が幸せになることが、どうしても許せないのでしょうか……?」


 部屋の空気がピリリと引き締まり、痛いほどの沈黙が落ちる。


「…………もう!」


 先に根負けしたカルナが、クッションを叩いた。


「分かりました、許します。このままじゃ、わたくしが子どもみたいだもの!」

「姫様……!」


 レンフィもオレットも安堵の息を吐いた。


「でも、マグノリア義姉様個人を許したわけではありません。あの方がお兄様の妃であることと、レンフィ様を許しただけですから。あの方については、これからの行い次第です」


 カルナが席を立ち、レンフィの隣に距離を開けずに座る。


「わたくしのこと、心の狭い子だと思います?」

「いえ、とてもお優しいと思います。私のことまで許してくださるなんて……ありがとうございます」


 その言葉に満足そうにしつつ、カルナはレンフィにもたれかかる。


「わたくし、弁えている方は好きですから。仲良くなりたい気持ちは変わりませんし」

「え、えっと……私はもうシダール様の妃にはなれませんが」

「それはもういいですわ。本当はレンフィ様のような姉が欲しかったのですけれど……よくよく考えてみれば、お兄様とはあまり相性が良くなさそうですし」


 分かっていただけますか、と言いかけた言葉をレンフィは飲み込む。薄々感じていたのだ。シダールとは決定的に何かが合わないと。


 カルナはじろりとオレットを見た。


「オレットの裏切りもありましたし……」

「姫様、それは……兄上が、レンフィ様が陛下にいじめられてると言ったんです」


 レンフィは首を傾げる。


 元々オレットはリオルの不在で落ち込むレンフィを間近で見て、心を痛めていた。そこに兄のマチスから「陛下がレンフィさんに毒料理を食べさせたみたい。可哀想ー」という話を聞かされ、完全に同情してしまった。

 それからシダールの寝室に入ったなどの噂が立ち、レンフィとリオルの仲がぎくしゃくするのを見て、とうとうオレットは我慢できなくなった。副官のブライダと打ち合わせ、二人きりにする作戦を決行したのだ。その甲斐あって、二人は元通りの仲良しに戻った。

 しかしそれは、シダールとレンフィが結ばれることを願うカルナへの裏切りであった。


 カルナに全てを白状したオレットは、心の中でレンフィにも詫びた。彼女の秘め切れてない想いが、カルナの玩具にならないことを祈る。


「ええ、全てを許しましょう。愛の前では全てが些細なことですもの」

「愛……?」


 レンフィが予期せぬ言葉に戸惑うと、カルナ姫は可憐に微笑んだ。


「良いのです良いのです。こういうことは、殿方に頑張っていただかないと!」


 


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