25 捕虜と王妃
悔しそうにマグノリアは呟いた。
「だってあの男、性格は最悪だけど……それ以外は非の打ち所がないじゃない」
レンフィは意味が分からず、首を傾げる。
「顔は最高だし、背が高くてスタイルも良いし、頭も良いし、仕事もできるし、魔力もあるし、何と言っても国王で、お金持ちで、人望もあって……他にもいろいろ男として魅力的でしょう?」
何を思い出したのか、顔を赤くするマグノリア。
レンフィは遠回しな惚気を聞きながら、マグノリアのことを「可愛い」と称したシダールに同意を示す意味で頷いた。自立した年上の女性に対して失礼かもしれないが、微笑ましい気持ちになった。
「そうですね。私にとってシダール様は恐ろしいという印象が一番なのですが……でも、一途なところは素晴らしいと思います」
「は? 一途?」
「はい、ずっとマグノリア様を想い続けていたなんて素敵です」
喜ぶと思ったのに、マグノリアは途端にやさぐれてしまった。
「それはない。私がいない八年、適当な女たちを侍らせていたことくらい知ってる。別にいいけどね。心を伴わないのなら、好きにすればという感じ」
「……ごめんなさい。余計なことを言いました」
マグノリアは咳払いをした。
「他の女のことはいいのよ。今はあなたの気持ちを聞きたい。どうなの? あの男の妻になる機会も資格も与えられておいて、本当にいいの?」
「だってシダール様はマグノリア様だけを愛して――」
「国王の妃は一人じゃなくてもいいの。形だけでも妃になっておけば、この先も殺されずに済むのでしょう? 例えば、二番目の妃にもなりたいとは思わない?」
レンフィは少し考えて答えた。
「思いません。お二人の邪魔はできません」
朧気な記憶だが、二人が抱き合う姿は完成した絵画のようだった。
たとえ絵の端でも入り込む勇気はない。場違いで居た堪れなくて、申し訳なくなるに違いない。
「ふ、ふぅん。そう。シダールのこと、少しも愛していないの?」
「はい。お二人が抱き合っているところ見ても、全く嫉妬しませんでした」
心の底からの安堵と祝福の気持ちしかなかった。レンフィは嫉妬を体験することができなかった。
「即答されるのも複雑だけど……でも、分かった。好きでもない男の妻になるほど、苦痛なことはない。納得した。他に好きな男がいるならなおさらね」
「え」
レンフィが固まると、マグノリアは首を傾げ、そして目を見開いた。
「あ、ち、違う。言い方を間違えたの。特別な一人という意味ではなくて、シダールより好きな男……シダールと一緒にいるより楽しい相手がいる。そうでしょう?」
「え、えっと……比べるのは失礼かもしれませんが……はい」
レンフィは一人の異性を思い浮べ、おずおずと頷いた。
顔がどんどん熱くなっていく。
今まで誰かと比べようと思わなかったが、確かにリオルはレンフィの一番だった。それを意識したら急に心臓が大きな音を立て始める。
『お前と最も仲の良い者に首を刎ねさせようか』
毒に苦しむ中、シダールにそう脅された。
あの時も、思い浮かんだのはリオルの顔だった。彼にそんな役目をさせたくなくて、必死に霊力を抑えた。
想像するだけで恐ろしい。たとえこのまま死ぬ運命だとしても、リオルにだけは殺されたくない。自分の最期の瞬間、彼がどんな顔をしているのか。それを知るくらいなら今毒で死んだ方がマシだと思えた。
しかし、自分はシダールの命令通り耐えて見せた。
だからきっと大丈夫。そう信じたい。レンフィは重いため息を吐いた。
「ちなみに、どんな男?」
「ど、どんな」
「少し気になっただけ。話したくないならいいけど」
せっかく続いていた会話が途切れるのも気まずいと思い、レンフィは言葉を選びながらゆっくりと話した。
「えっと……リオルはとても優しい人です。昔の私と戦っていた人で、私のことを嫌っていたはずなのに、いつも気にかけてくれるんです。笑顔を向けてくれて、頼もしくて、みんなに慕われていて。それに、私のこと……守るって言ってくれたんです。リオルの立場を考えたら、本当はそんなこと言っちゃダメなのに……でも、すごく嬉しかった」
思い出すだけで胸が痛くなる。ついでに喉の奥まで痛くなり、レンフィは少し冷めたお茶を飲み干した。砂糖が入っていないのにひどく甘い。
「……そう」
マグノリアは真っ赤な顔をして俯いたレンフィを見て、心がむず痒くなった。甘酸っぱくて初々しくて、見ているだけで恥ずかしくなる。
どこからどう見ても、恋する乙女にしか見えない。敵国に囚われた聖女が、どうしてこんなに艶々しているのだろうと思っていたが、謎が解けた。
嫉妬などの感情を抜きに、彼女がシダールに心を奪われなくて本当に良かったと思う。
あの性格破綻者ではダメだ。弄ばれて、心を壊されてしまう。レンフィが泣かされる未来しか見えない。
他の依存先を探したシダールの判断は正しかった。
マグノリアの目は覚めた。十歳年下の、記憶を失った無垢な少女相手に、醜く嫉妬していた自分を恥じる。
もしかしたらシダールを命を賭けで愛し、自己犠牲を厭わないほど尽くしているのかもしれないと考えていたが、全くその様子はない。
彼女は、話を聞く限りものすごく真っ当そうな男に心を奪われているようだ。
「……どうしよう」
レンフィを見ているともやもやする。
下手をしたらかつての自分と同じか、それ以上にひどい境遇に置かれかねない立場にいる。彼女には仮初の自由と、わずかな時間しか残されていないのだ。今なら分かる。あの時毒を飲み干したのだって、本当にそれ以外に選択肢がなかったからだ。
シダールはレンフィのことを特別憎みはしていないが、積極的に保護するつもりもない。というか、生かすとしてもこれからも便利な道具として使い潰しそうだ。
城の人間はどうだろう。どれだけ味方がいる。彼女がシダールの妃にならないと分かっても、気にかけてくれる者はいるのだろうか。
そのリオルという男が、レンフィのことをどう思っているのかも問題だ。ただの同情か、少しは好意があるのか。いや、そもそもシダールの命令でレンフィに優しくしていた可能性だってある。
教国の動きも見過ごせない。いつかレンフィがムドーラ王国に囚われていると気づくだろう。お互いの国がどう動くのか、マグノリアには全く予想できなかった。
気になる。放っておけない。黙って見ていられない。
「城に戻るの憂鬱だけど……仕方ないか」
レンフィを取り巻く状況、こればかりは自分の目で確かめなければならない。
マグノリアは使命感に駆られていた。素直に身を引いてくれたレンフィに引け目を感じるし、体を張って愛の証明を手伝ってくれた恩もある。
何より、シダールに選ばれずに不幸になるレンフィを見て、優越感を覚えそうになる自分が許せなかった。なんて浅ましい感情だろう。
王妃とは、高潔であるべきだ。少なくとも自分はそうありたい。自分本位の下卑た感情に囚われるわけにはいかなかった。
マグノリアは深いため息を吐く。他人のことを案じている場合ではないのに、余計なものを背負ってしまった。
「あの、何か心配事があるのですか?」
そして、他人を案じている場合ではないのはレンフィも同じである。マグノリアはますます心配になった。
「……わたしは王妃として何も務めを果たしていない。嫌われてることくらい分かっている。きっと信頼されないし、知らない顔も増えてるでしょうし、今更馴染めるかどうか」
今の自分には発言権などないに等しい。権力には関わりたくなかったが、そうも言っていられそうになくなってきた。どうやって周囲から信を得るか、考えねばならないだろう。
レンフィは眉尻を下げた後、しかし力強く頷いた。
「だ、大丈夫です。シダール様が味方なんですから、怖がることなんてないです。それに、優しい人たちもたくさんいます。マグノリア様はとても素敵な方だから、きっとみんなすぐに大好きになります」
「…………」
「それに、私を嫌っている人の方がたくさんいますよ。そういう方たちは、きっとマグノリア様の味方です。だから、大丈夫ですよ」
マグノリアはレンフィのいじらしさに、泣き出したい衝動に駆られた。
むくむくと湧き上がってくるこの気持ち――この哀れな少女を守らなければとマグノリアは固く決意した。
「あ、ごめんなさい……また失礼なことを言ってしまったかも」
「レンフィ」
「は、はい」
そっとレンフィの手を両手で包み込む。滑らかでハリのある肌に若干腹を立てつつも、戸惑う青い瞳を見つめた。
「嫌われ者同士、協力しましょう。お互いに城での地位を確保するの。いい?」
「え、えっと……いいのでしょうか? 私では逆効果に」
「嫌なの? わたしと仲良くするのが」
ものすごい勢いでレンフィは首を横に振った。
「いいえ、いいえ! 嬉しいです。仲良くしてほしいです」
「……ふん。じゃあ、よろしく」
こうして王妃と捕虜の間で奇妙な同盟が成立したのだった。
「…………」
レンフィもマグノリアも、社交的な性格ではなく、どちらかと言えば人見知りをする。しかし特殊な立場がそうさせるのか、お互いのことが気になって仕方がない。もう少し話してみたいと、どちらも願うようになっていた。
「せ、せっかくだから、お昼を食べていく? ここの食材を使い切らないといけないし……」
「え、良いのですか? 嬉しいです。もしかして、マグノリア様の手料理ですか?」
「大したものは出せない。期待はしないで」
台所に向かおうとするマグノリアを、レンフィが引き留めた。
「あの、私、まだ料理をしたことがなくて、いえ、あるかもしれないんですけど覚えてなくて……お手伝いさせてもらえませんか?」
「……別にいいけど」
聖女と呼ばれていた少女と、魔女と呼ばれた女性。
一人の男を巡って争うことがなくなった今、和やかな関係が構築されていった。




