24 聖女と魔女のティータイム
ああ、良かった。
やっと終わる。死んで楽になれる。
みんな、もう少しだけ待っていて。私も必ずそちらに行くから。
大丈夫。こんなに辛い思いをするのは、私で最後だよ。
最後に伝えたいことがあるの。それまでは、どうか……。
急がなきゃ、もう時間がない――。
目覚めた瞬間、レンフィは見ていた夢を綺麗に忘れた。悲しい気持ちだけが胸に残り、しばらく呆然と天井を眺める。
「起きた?」
覗き込んできたのは、きりっとした顔立ちの美しい女性だった。
「マグノリア様……」
「具合は?」
「え、あ、はい。大丈夫……です」
「嘘。完全に解毒できてないはず。もうシダールの呪いは解いたから、安心して霊力を使いなさい」
レンフィはその言葉をゆっくりと理解していき、慌てて体を起こした。しかし腕がじんわり痛み、体全体も思うように動かず、すぐに枕に逆戻りする羽目になった。
「ほら、早く治しなさい」
「本当に……呪いを解いてくださったんですか? シダール様と仲直りを?」
あの時、毒に蝕まれ、レンフィは途中から耳が聞こえなくなっていた。最後に二人が抱き合っているところを見たような気がするが、それも意識が朦朧としていたので自信がない。
マグノリアは面白くなさそうに、しかし頬を赤く染めて頷いた。
「ええ。でなきゃ、あなたをこの館に入れるはずないでしょう」
ここは森の館の一室だった。
窓の外の景色は明るく、完全に夜が明けている。
レンフィはマグノリアの言葉を信じ、安心して自らの体を蝕む毒と痛みを浄化した。よろよろと起き上がり、マグノリアに頭を下げる。
「本当に良かったです……ありがとうございました」
「やめて。どうして礼を言われるのか分からない」
確かに、おかしな立場から物を言ってしまった。レンフィは恐縮して謝った。
それから服を借りて着替え、マグノリアが淹れてくれたお茶を味わい、正妃と妃候補の二人きりという珍妙な時間を過ごすことになった。
シダールは諸々の根回しのために城に戻ったそうだ。マグノリアを信頼してのことだろうが、大胆なことをするとレンフィは驚いた。
「あの、ご迷惑をおかけしました……介抱していただいたことについては、やっぱりお礼を言わせてください」
「別に。あなたが飲んだ毒は、本当に死ぬものではなかったみたい。仮死状態になる特別製だって……呼吸が止まったときはもうダメかと思ったけど」
「そうだったのですね。確かに、死の世界がちらりと見えたような気がします……死ぬのってとても怖いことなのですね。ものすごく苦しかったです」
力なく答えるレンフィに、マグノリアは眉間に皺を寄せた。
「当たり前じゃない。薬は誰に対しても同じ効果が出るわけじゃない。本当に死んでいてもおかしくなかった。大体、本物の致死毒だと思って飲んだんでしょう? いくら捕虜の身だからって、生きる気もないわけ?」
「いえ、そんなことはありません。できれば生きたいです」
「その割には、あっさりと毒を口にしたように見えたけど」
レンフィはよく考えてから答えた。
「あの時は、他に選択肢がないと思ったのです。マグノリア様に信じてもらうためにも、私の価値を示すためにも。どうせ死ぬなら、お役に立ってからと思っていましたし……」
そして、マグノリアの顔色を伺いながら正直に告げた。
「それに、シダール様なら、私が死ぬ前になんとかしてくださると思いました。春まで私の命を保証してくださるという約束もありましたので」
「……あなたはシダールを信じていたんだ」
「どうでしょう。どちらかと言えば、シダール様が私が素直に毒を飲むと確信しているようでしたので……期待に応えないといけない気がして」
あそこでレンフィが拒絶すれば、この十日間の解呪が全部無駄になり、誰も彼も不幸になる可能性が高かった。最良の結果を得るためには、シダールの筋書き通りに動いた方が良い。レンフィは本能的にそう察知していた。
「ああ、あと、毒薬を用意していたのがヘイズさんでしたから。あ、ヘイズさんはいつも私の治癒術をとても褒めて下さるんです。応援もしてくださいました。だから、そう簡単に殺されないんじゃないかな、と少し期待していました。……ごめんなさい」
実は、レンフィにとってさほど分の悪い賭けではなかった。死ぬのは今ではないだろうと思っていたのだ。結果的にマグノリアを騙すような形になってしまい、罪悪感に襲われる。
マグノリアは疲れたように呟いた。
「なんか、わたし一人が慌てて馬鹿みたい……」
それきり会話が途切れがちになった。
レンフィは完璧に帰るタイミングを失くしていた。
マグノリアを差し置いて「城に帰ります」と言うのは無神経な気がして、思わず二杯目のお茶をもらってしまう。
そもそも、城に帰っていいのかも分からない。
自分はこれからどのような立場に置かれるのだろう。もはやシダールの妃になることはあり得ない。春まで生かしてくれる約束はあるが、どうなるか全く分からなかった。
「…………」
予めシダールからは、マグノリアが嫌がるのなら消えてもらうと宣言されている。
それは仕方のないことだと思いつつも、レンフィは今のうちに懺悔をしておくことを決意する。マグノリアと二人きりで話せる機会など、もう二度と訪れないかもしれない。
「あの……マグノリア様」
「な、何……?」
「ごめんなさい。解呪のためなのですが、夜にシダール様の寝室に入ってしまいました……きっと嫌な気持ちになりますよね」
無表情を装いつつも、マグノリアのこめかみがピクリと動く。
「そう……でも、結局何もしていないんでしょう?」
「はい。ベッドの上で治癒術を使っただけです」
「……もう少し詳しく」
「え? えっと、シダール様に背中を出して俯せに眠っていただいて、私は傍らで治癒術を使っていました。でも、明け方頃に力尽きて気を失ってしまって、いつも気づいたときにはシダール様はいなくなっていました」
「…………」
マグノリアは小さくため息を吐いた。
「不用心すぎる。それじゃ、何かされていても分からない」
「え?」
「シダールは何もしていないと言っていた。それを信じるしかない」
マグノリアはシダールとの会話を思い出す。
そもそもレンフィのことを妃にするつもりも、子どもを産ませるつもりもなかった。なぜなら好みではなかったから。外見の美しさは認めるが、何もかもが幼すぎる。それに素直すぎる女はペットとしては可愛くとも、妻としては刺激が足りない。
彼女が光の精霊の寵愛を受けるのを見て、マグノリアへの当てつけと呪い対策のためだけに生かすことに決めた。そう堂々と言われたときは殺意を抱いたものだが、マグノリアはなんとか思い留まった。
『じゃあ、どうしてすぐに解呪に取り掛からせなかったの?』
『惚れられたら面倒ではないか。他に依存先が見つかるまで待っていただけだ。それが、かつて戦場で殺し合っていた男に惹かれているのだ。面白くないか?』
『……あ、そう』
マグノリアは密かに心に決めた。死ぬまでに最低でも一度は、この男を痛い目に遭わせる。自分とレンフィの他、全ての女性たちの矜持のために必ず成し遂げると誓ったのだ。
シダールは薄く笑っていた。
これはマグノリアも知らない。シダールがリオルに対し、かつて自分が味わった『留守中に女を奪われる最悪の気分』を体験させていたことを。
もちろん単なる嫌がらせではなく、リオルをその気にさせるための布石であった。健全そうに見えて色恋に淡白な臣下に対する、シダール渾身の余計なお世話である。面白くなりそうだから、という期待もあるが。
この件に関し、シダールはレンフィを勝手に共犯者にした。すなわち意中の相手を煽るため、お互いを利用し合ったという形にしたのだ。なのでレンフィに罪悪感を抱いていなかった。
難しい顔で黙り込んだマグノリアに対し、レンフィは恐る恐る問いかけた。
「マグノリア様、やっぱり怒っていますか?」
「……あなたに対しては、別に。良い様に利用されただけでしょう。怒るべきなのはあなたの方じゃない?」
「そんな、めっそうもないです」
しばしの逡巡の後、マグノリアは静かに切り出した。
「あなたのこと、詳しく聞いた。正直同情する。でも、はっきりさせておきたい」
「はい」
その神妙な顔つきにレンフィは息を呑む。
「どんな理由にせよ、あなたはシダールのために毒を飲み干した。命を賭けた。そこまでしたのに、本当にシダールの妃になる気はないの?」




