104 最後の戦いへ
気づいた時、リオルは地上に戻っていた。
竜の骨の城を見上げ、傍らで倒れているシンジュラを見て、首を傾げる。つい先ほどまで確かに骨の城の中にいたはずなのに、どうして都の外側の平野にいるのだろう。
「レンフィ? ウツロギさん?」
近くに二人の姿がない。何が起こったのか分からぬまま、周囲を見渡す。
一番近くにいた小隊が警戒しつつ、近づいてきた。補給と救護活動をしていた魔法士の部隊で、幸いにもヘイズの姿があった。彼にしては珍しく表情を崩して驚いている。
「リオル君、どうしてここに? というか、突然この場に現れたように見えました……レンフィ様の空間転移ですか?」
「あ、そうか。レンフィがやったのか。でも、なんで?」
「さぁ、私に聞かれましても……ところで、彼は」
ヘイズの背後から、マリーが顔を出して飛び上がる。
「あ! シンジュラ様!? ど、ど、どういうことなんですか? 怖いんですけど!」
「こいつには勝ったよ。ちゃんと無力化している。すぐに殺さないことになったから」
「はぁ?」
まだ気を失っているのを確認し、シンジュラを魔法士たちに引き渡す。黒脈相手には無駄かもしれないが、簡単には逃げられないよう拘束してくれるだろう。
ヘイズに手早くこれまでの経緯を話す。
「なるほど。それでは、おそらくレンフィ様とウツロギ様はまだあの竜の骨の城にいる、と。封印のためでしょうか……?」
「そうかも。でもなんか嫌な予感がする。レンフィ、大丈夫かな」
その予感は直後に的中した。
骨の城の上部から爆発音が響いてすぐ、灰色の霧がみるみるうちに晴れていった。灰色の魔物たちが消えることはなかったが、青空に動揺し、目に見えて弱体化した。
地上の兵士たちは勝利を確信しつつも、歓喜を噛み殺して討伐を続ける。
「なんだ!?」
突然のことだった。
大地が震え、骨の城から禍々しい魔力が溢れ出していく。
「間に合わなかったのか!?」
精鋭部隊がシンジュラを倒したのだと思っていたが、もしかしたら最悪の事態が起きたのかもしれない。
上官から撤退の号令が飛び交い、全軍は速やかに都から離脱した。
「ああ……封印が解けたんだ……」
平野まで逃げ延びた兵士たちは、かつて大聖堂があった場所を見上げて愕然とした。
城から本来の生物の形へと骨格が組み変わっていく。純白の骨がしなり、腱も筋肉もないのに動き出す。
「――――っ!!」
巨大な竜の骨格が四肢を大地につけ、角付きの頭蓋を天に向けて咆哮した。
首の骨だけがどこか歪で、砕けたような跡が残っていた。黒脈の王が中心となって竜を討伐した時の傷だった。
あの巨大な竜の首を落とした者がいたなど、信じ難いことだった。竜が少し動くだけで、都の建物が砂糖菓子のように崩壊する。
その圧倒的な力を前に、兵士たちは絶望した。今まで手を焼いていた魔物が他愛ない存在に思えてくる。
「顔を上げろ!」
元帥ガルガドの檄が飛ぶ。
「どのような化け物が相手だろうが、関係ない! 逃げることは許さん! 戦って勝つのみだ!」
どうやって、と皆が心の中で呟いたが、誰一人として武器を手放す者はいなかった。恐怖を屈服させて顔を上げ、討伐対象を見つめる。
どの国の軍でも同じような光景が見られた。
この竜はかつて黒脈の王に一度討伐されている。何かの間違いで屍になっても動き続けているが、本来ならば既に人間に負けている。
古代の軍はとどめを刺し損ねて封印という道を選んだが、現代の軍の力をもってすれば討伐することは不可能ではないはず。
そんな、根拠のない叱咤激励が飛び交った。
「この時代の人間が負けるはずがない!」
「確実に進化を重ね、神々に近づいているはずだ!」
「我らの王が古代の王に劣るものか! 主の名の下に団結せよ!」
「史上最高の栄誉を手にし、凱旋するのだ!」
上官からの力強い言葉により、兵たちは戦意を失わなかった。それどころか竜の完全討伐の栄誉に胸を躍らせた。
「おい、ピノ! どっちが先に倒すか競争するか?」
「馬鹿じゃないの。さすがにボクらじゃ無理だよ。……でも、どっちが先に竜の骨を砕くか勝負しようか」
ガジュとピノも剣を構えた。
「それは楽しそうだ。僕も参加させてもらっていいかな?」
シダールの命令により第三軍に随行していたマチスがふんわりと笑った。リオルが抜けた戦力を補うための参戦である。先ほどまで猛烈な勢いで魔物を狩っていたが、その疲れを微塵も表情に出さない。
「もちろんです! 一番役に立たなかった人は罰ゲームですからね!」
「うわぁ、頑張らないと」
周りの軍人たちは無謀な勝負に苦笑しつつも、嘲笑ったりはしなかった。むしろ続々と勝負への参加表明をする。いつぞやのレンフィの水の繭を壊す勝負と同じ展開であった。
「竜ばっかり見て、魔物の残党にやられるなよ」
「違いない。でも、どうせ死ぬなら竜の方にやられたいな」
「馬鹿野郎! 滅多なことを口にするな! こういう時に言うと現実になるんだぞ!」
「そうだそうだ。もっと景気の良いこと言えよ! よし、俺たちで竜の足の一本くらいはへし折ってやるぞ!」
第三軍の兵士たちは絶望を捨て去り、希望を手に取った。
内心では城に向かったリオルたちの安否を気にしつつも、誰も心配を口にしない。我らの将軍は絶対に死んでいない。確かな信頼がそこにはあった。
「リオルが合流するまで、誰一人欠けることなく戦線を死守する! 総員、剣を構えろ!」
副官ブライダの号令に威勢の良い声が返る。
こうして、人間と竜の戦いが始まった。
リオルとシンジュラを城の外へ避難させた後、レンフィはウツロギと霊力を共鳴させた。
竜の封印は鎖の形をしていた。空の精霊術で干渉し、丁寧に解いていく。
「うっ」
封印が完全に解け、溢れ出した竜の魔力に呑まれ、意識が飛びそうになる。慌てて精霊術で防御しようとするが、それよりも早く温かい力に包み込まれた。
「…………」
気づけば、レンフィは眩い光の海を漂っていた。
「ソフィーラ! ああ……やっと会えた……」
声の方を振り返ると、銀色の髪の少女がウツロギに慈愛そのものの微笑みを向けていた。彼女の体は半透明で、光の中で像が朧気に波打つ。
ウツロギが手を伸ばしても、少女のそれと触れ合うことはなかった。もう肉体が朽ちて残っていない。魂だけが封印の核となってこの場に留まるのみだった。
「ごめん、ごめんね……遅くなって……ずっと一人にさせて……っ」
ウツロギの瞳から涙がとめどなく溢れた。子どものような泣き方をする父親に、ソフィーラは困ったように笑う。
『いいえ、父様。迎えに来てくれてありがとう。約束を守ってくれて嬉しいです』
「でも、たくさん待たせてしまった……」
『いいのです。確かにたくさん待ったけど、その分私は今、とても幸せです。やっと終わりの時が来ました。温かい場所に行けます』
ソフィーラは万感の想いを噛みしめるように言って、レンフィに微笑みかけた。
『あなたも、頑張ってくれてありがとう。たくさん苦しい想いをしましたね。全部、見ていましたよ』
教国にいた頃の自分のことを言っているのだと分かり、レンフィは答えられなかった。何も覚えていないのだ。ソフィーラの長い苦しみと比べられない。
『そう、不幸は誰とも比べられないし、可哀想な人が偉いわけではありません。でも、だからと言って自分を否定しないでください。あなたは苦難に晒されながら、自分にできることを精一杯やりました。昔も、今も。そして、未来の果てまで。愛を知る者は強い。きっとあなたは挫けないでしょう』
優しい声が心に直接響き、レンフィもまた涙を流した。
「ありがとうございます……ごめんなさい。あなたのことを忘れてしまって……覚えてなくて、ごめんなさい」
人間を代表して謝るのはおこがましいとは思ったが、レンフィはそう言わずにはいられなかった。
ソフィーラは儚げに微笑む。その表情はウツロギにそっくりだった。
献身的で慎ましく、慈愛に満ち溢れた無欲な心。
彼女こそが、真の聖女だと思う。
『あなたの幸せを心から祈っています。世界をあまねく照らす定めを持つ乙女よ』
最後にソフィーラはウツロギの耳元でそっと何かを囁いた。ウツロギは目を見開いたが、笑みを返してまた泣いた。
『では、私の最後の役目を全うします。いいえ、私だけじゃない。ここにいる“みんな”で一緒に』
その瞬間、白い光の海の中に七色の光の粒が溢れた。その一つ一つがソフィーラの言葉に頷くように瞬く。
『レンフィさん。少しだけ、お邪魔しますね』
「え?」
光の粒が殺到し、今度こそレンフィは意識を失った。




