28 lucky?
ランス様は朝から食欲がないと言い、スタンさんから無理矢理特製の野菜ジュースを飲ませられた。
「ランス、珍しいな?大丈夫か?」
安定の食欲を見せるダグラス様が卵を食べながら声をかける。
やはり珍しいのだ。珍しいことをしたから?昨夜のアレが良くなかったの?
「ダグラス様、きっと私のせいです。私が夕べ、ランス様の寝込みを襲ったから」
ブーーーーッ!
ダグラス様が卵を吹いた!!!
「え、エム様?」
「ランス様の了承もなく、無理矢理……」
ブーーーーッ!
ワイアット様がコーヒーを吹いた!
「ランス様痛そうだったのに、私、我慢させて……そのうち楽になりますって……」
「ら、ランス様が痛い思いしたのぉ?やっぱ逆ぅ?」
ロニー様の声が裏返った!
「ランス様、まだ痛いのでしょう?無理せずベッドに戻られては……」
「マッサージだ!皆!勘違いするな!エム!紛らわしいわ!まさかわざと純情な俺で遊んでるんじゃないだろうな!」
純情?
「遊ぶだなんて!私真面目に指圧しましたっ!」
「今日こそ、今夜こそ覚えてろよー!」
「ランス様?」
「残念ですが、ランス様、お仕事です。王都よりお手紙です」
ランス様がテーブルに撃沈した……。
◇◇◇
王からの大会議の招集だった。年に一度、国中の領主を全員集め、王の元で各々報告し、全員の合意が必要な決め事をする。
「この時期だったか……気がつかなかった俺が悪いのか?」
ランス様が片肘をつき、頭を支える。
確かに、トンボ返りだ。これがあるとわかっていたなら、それを済ませてここに戻っても良かった。
「今更言ってもしょうがありますまい」
ランス様の書斎にて、スタンさんが皆にお茶を配りながらキッパリ言う。
「どうですか、慌ただしくこちらに来てしまわれましたが、奥様も伴い王都に戻って公爵様に奥様をご紹介しては?」
なかなかにハードな旅だったけど、また戻る?私も?
今更王都へ?何もかも失って、捨てて、この地に来たのに?
「……エメリーン?一度王都に戻りたいか?ご家族や……会いたい人がいるのでは?」
家族に会いたいかと聞かれれば会いたい。でも、この間別れたばっかりだ。しかし……
「ランス様の良きように、従います」
ランス様が私の目を見つめる。
「オレは……エムに妻として、この地を守ってもらいたい」
ランス様の言葉にホッとする。まだ王都に戻る元気はない。というか、二度と王都に戻らなくても構わない。
「私も、ここに残りたいです」
「そうか……」
参内となればあれこれ準備がいる。それらを整えて明後日出発することになった。随行はダグラス様とロニー様。お二人とも王都にご家族がいらっしゃる。
「ワイアット、スタン、エムの全てを守れ。命がけで」
「命がけなど……大げさな」
スタンさんが首を振る。
「決して大げさではありません。主人留守中の領地、奥方は絶好の人質になり得るのです」
私に価値などないけれど、ランス様の価値が問題なのだ。私が無知だった。
「申し訳ありません。どうぞよろしくお願い致します」
◇◇◇
明朝、日の出とともに、二人の腹心と少数の部下を引き連れて出発されるランス様。早めに寝る支度をしていると、
「エム?」
「はい?」
「何か……エムの身につけているものをもらえないだろうか?」
お守り……にしてくださるのだろうか?ちょっと嬉しい。
でも私が身につけているもので、ランス様のお邪魔にならないもの……ない。ハンカチは前世では別れを連想させるし、アクセサリーも売り払った。唯一の母にもらった今私の首にかかるネックレスはランス様の首を回らないのではないだろうか?
「何もお渡しできるもの、見繕えません。何か用意しておけばよかった……代わりと言っては何ですが、ランス様の上着の内側に刺繍をするというのはどうですか?」
「時間がかかるだろう?」
「小さいものです」
私は裁縫箱を持ってきて、ランス様のマントと正装の上着を膝の上に置いた。朱と赤と金の糸を抜き、チクチクと縫う。ランス様は隣に腰掛け、作業を見ている。
「早いな」
「得意です」
こんなことばかり幼いころよりやらされていた。腕に自信はある。でも刺繍が好きなわけではない。
「これは?」
「鳳凰です」
別名不死鳥。ランス様とレッドの色で形作る。瞳はレッドの金。ひょっとしたら精霊の瞳は皆金なのかもしれない。植物やパターン以外、想像上の生き物など初めてだったが納得いく出来に満足し、次はマントを手に取ると、
「エム、表に縫って欲しい」
表となればデザインを考えねば……妻としておかしなものを着せられない。あれこれ考えて、留め具の周りを囲むように、小さなニ羽の鳳凰が尾をたなびかせて舞う様子をひと針ひと針想いを込めて刺した。非力な私はいつも側にいることはできないけれど、そっと心は寄り添っていると、一人じゃないと感じてくれたら……黒地に紅が光る。
「いかがでしょう?」
「素晴らしい」
ランス様が座ったままマントを羽織った。そして何故か私を膝に乗せ、上からマントを巻き、留め具をはめた。
「こうして……エムとこの地に来た」
「はい。私ときたらランス様にしがみつくばかりで、全く役に立たず……でも、何もかも初めてで、楽しい旅でした」
私の目の前は大きなランス様の胸。手を添えるとトクトクと鼓動が伝わる。生きている。私たち二人、今日もキチンと生きている。
「エムが俺の腕の中にいることが普通になった。いないと最早、落ち着かない」
私の背を撫でる。その背に流れる私の巻き毛を指に巻きつけて遊ぶ。旅のあいだ、私を睡眠に誘うときのように。
「エムが……王子に心を残していることは、聞いている」
…………え?
「だが、エムの居場所はここだ。二度と放すつもりも王都で王子に会わせるつもりもない」
頭を上げると、ランス様に厳しい表情で睨みつけられていた。
よくわからないけれど、誤解は解こう。
「何故そう思われたのか……私、コンラッド王子に心を残してなどおりません。思い出せば切なく、惨めな心持ちになりますが……幼い初恋なんてそんなものでしょう?正直、王都にはいい思い出など一つも無くて、一生近寄りたくないくらいです」
ランス様の表情に憐れみ?が混じる。別に構わない。私は微笑んだ。
「ランス様、こうして私を腕の中に入れて守ってくださってありがとう。ランス様のおかげで、この新しい土地で、大きく息を吸うことが出来る」
始まりこそ波乱含みだったけれど、ここでのこの数日の優しい生活は私を今までになくわがままにする。それはランス様の人望があってこそ。ランス様の妻だからこそ、許されていること。
「守っているのでは、ない」
「え?」
「愛して……いるから、こうして抱いている」
「……は?」
愛している?誰が?誰を?
私が口をポカンと開けるとランス様が苦笑した。
「やはりわかってなかったか。直球しかないと散々言われたが……エム、好きだよ。愛している」
ランス様が、私を?
「で、でも、ランス様は、私の〈祝福〉でランス様の〈祝福〉を中和するために、手に入れたかっただけで」
「会うまでそう思っていた。だが、エメリーンと対面し、城を出た時には、俺は見事にエムの虜になっていた。今ではエムと出会うキッカケになった、俺の〈死〉の〈祝福〉に感謝したいほど」
黙って、ただ、ランス様の瞳を見つめる。それは深紅にきらめき、ゆらぐことなく真っ直ぐに私を射抜く。
「エムが、一人で生きていく道を模索していると、いつかここを追い出されると思っていると聞いた」
「…………」
「ありえない。お前は俺のただ一人の女。エム、例え〈死〉が降りかかろうと手放すつもりはない」
腰に回ったランス様の腕が引き締まる。
でも、
「……先のことなど、わからないでしょう?私などより、もっと賢く、美しく、臣下に慕われ、ランス様の〈祝福〉をものともしない姫君が現れたら、どうしますか?」
「エム、俺をあのバカ王子と比べるな!不愉快だ」
「申し訳……ありません」
強い口調につい涙が浮かぶ。私が俯くと、左手でアゴを上げさせられる。
「未来の不確定事項を言い連ねて何になる。俺はお前を選んだ。俺はお前だけは裏切らない。俺の〈祝福〉を知った上で恐れず、俺の運命を自分に比べればどうってことないと言い放つお前だけは……」
ランス様は無骨な親指で私の目尻の涙を拭い、その親指をペロリと舐めた。
「エム、もう俺から逃げられないのだ。俺のことを好きになった方が……楽だぞ?」
「わたしは……英雄であるあなた様に……ふさわしくなど……」
「黙れ!」
私の口は、ランス様の口で塞がれた。大きな手を頭と腰に回されて、逃げられない。
甘く、熱く……痺れる。
数ミリだけ、唇が離れ、ランス様が静かに言い募る。
「俺は凡庸なただの新米領主で、エムは凡庸なただのその妻だ。俺たちはここで、凡庸で穏やかな余生を送る。文句があるか?」
茫然としている私に、チュッ……チュっとついばむようなキスを落とす。その合間に、囁く。
「エムは……この世で一番可愛い。俺のものだ。この可愛らしいエムの唇も涙に潤むスミレ色の瞳も何もかも全て俺のものだ。俺だけのものだ」
こんなに大きく力強い人なのに、触れるような優しいキス……
「エム、俺は無愛想で気が利かずきっとエムを幸せにできない。でも、エムは俺を幸せにしてくれた。生まれてはじめて欲が出た。もっと欲しい。エムを俺にくれ?」
「そん……いいえ……いいえランス様は、私をとっくに幸せにしてくれています」
ランス様こそが私を救い出してくれて、慈しんでくださったのだ!そんなランス様の私を見下ろす厳しい瞳の中に……すがるような何かが見える。
……拒める……はずが、ない。
「一生お側に……私だけを、置いてくださる……のです……か?」
「……言質は取ったぞ?」
先程までのものとは別の何かのように、食べるようなキスをされる。そのまま私を抱き上げて、マントを放り、ベッドに横たえ、パチンと音がなり、部屋が暗くなった。
唇が離れ、髪をすかれる。広がる黒い巻き毛を一房とって口づけを落とされる。そっと目を開けると、紅蓮の瞳に苦しみが浮かんでいる。
ああ、私もきちんと言葉にしなければ……
「……お慕いしています。ランス様」
ランス様がその瞳を細める。
「わ、私はこれより先、もっと深く踏み込んで、ランス様に落ちても……ご迷惑ではありませんか?」
「エメリーン、ブレーキをかけるな。堕ちろ。心も身体も、くまなく。俺と同じところまで」
両手をゆっくり上げて、ランス様の顔を包む。傷すら崇高な生き方そのもので、美しい。
出会って僅か二カ月あまり。私は生まれて18年、家から出たことも、王子以外の男性と親しく話したこともない箱入り娘。恋に落ちるには早すぎる!頭の片隅が警鐘を鳴らす。
でも、こんな不器用で、傷だらけで、誠実で、過保護で、笑うことが苦手な人を、愛さないでいられるわけがないでしょう?
私の中のストッパーがカタンと外れた。
「……好きです、ランス様。優しく強く脆いところ、全て」
「好きだ。偏見なく、弱く、逞しく、温かい俺のエメリーン」
◇◇◇
私はランス様と本当の夫婦になった。私たちの欠けていた何かがピタリと合った。




