第93話 思わぬ邂逅について
不死性というものは、定命の存在にとっての大きな願いの一つであろう。
全ての命あるものの本能に刻まれた“死を回避したい”と願う習性は、すなわち不死性の渇望に行きつくのだ。
本能に忠実なだけの獣には黙ってそれを受け入れる以外に道がないが、知性を持つ存在は違う。
時に魔法や邪悪な儀式によってその定めを捻じ曲げ、自身の命を永遠のものにすることを画策する。
その代表的な例が、不死人だ。
魔法士として最高峰にまで昇り詰めた者は、しばしばこの世の理を捻じ曲げる魔法の真髄を理解する。
そして理の一つである、自らの死という運命を捻じ曲げるのだ。
それが不死人。
ある意味魔法士を志す者の到達目標にもなり得るその悍ましい存在は、しかし運命を克服した強者とも言えるのではないだろうか。
「そこまで“堕ちて”しまっては、狩るより他にない」
師匠は私の隣を歩きながら静かに、しかし力強くそう言った。
その眼に決意と哀しみが入り混じったような、何か不思議な感情の色を湛えながら。
「新たな命が生まれるように、古き命もいずれは天に召されなければならない」
「・・・そうかなぁ?」
私と師匠は、ある魔物の退治をするために街の外へと赴いていた。
曇り空のおかげで朝である現在はそれ程寒くはないが、それでも私のようなか弱い乙女には堪える気温だ。
私はお気に入りになったばかりの毛糸の襟巻を握りながら、白い息を吐いた。
つい先日に廃棄することを決定した、昔から使っていた既製品の代わりに師匠がくれた物。
この白と赤の毛糸で編まれた襟巻は、葉っぱの模様が編み込まれたお洒落な一品だ。それに加えて、私の体格に合う様にぴったりと調節されているというのもお気に入りの理由だ。
決して、師匠の御手製だからという理由ではないのだ。
私は赤い葉っぱの模様を撫でながら、少しだけ口元を緩めた。
遥か昔。
まだ神と呼ばれる存在が一柱だけだった頃のある出来事で、この地上に魔法が生まれた。
本来この世に存在しない筈だった魔法は、この世の理をことごとく捻じ曲げた。
現象を。
運命を。
命の在り方を。
ゆえにその魔法を知り過ぎた者は、この世界から逸脱しかかった存在と言えるのだ。
だから、狩らねばならない。
この世界をこれ以上捻じ曲げないために、と。
道中で神話学の講義をしながら、師匠は遠くを見るようにしてそう言うのだ。
「全体、永遠に生きることなど苦痛でしかないよ」
「・・・わからない!」
私は師匠の説法を聞きながら大声で言った。
私は師匠に拾われる直前に、故郷の村で文字通りに八つ裂きにされるところだったのだ。
その時に直面した“死の恐怖”は、今でも時折思い出すことがある。
死ぬのは怖い。
だからそれを避けたいと願うのは、当然のことではないのか。
「・・・まあ、“生きること”と“死なないこと”は全く異なるんだがね」
「ますますわからない!」
私は寒さを吹き飛ばすような勢いで、さらに大声で言った。
つい最近死を願ったこともあったが、すでに自身の欠点についてを受け入れていた私は、そのような有害な考えを持つようなことはなくなっていた。
そうなると現金なもので、途端に死という現象が恐ろしく感じられてしまうのだ。
あの時街の外壁の上から覗き込んだ、地の底にまで続くかのような、一切の闇。
今でも思い出すと怖気が走る。
まったく馬鹿なことを考えたものである。
寒さと恐怖で身を震わせている私を見ながら、師匠は首をかしげていた。
「・・・それに君は、自分の本来の姿を失ってまで永遠に生きたいのかい?」
「え、それは・・・」
言われて私は考え込んだ。
自分の姿かたちが醜く変わり果てて、そのまま永遠を生きるだなんて地獄に他ならないのではないだろうか。
私は自分が骨だけになって、大好きなお菓子を食べられずにカタカタと顎の骨を哀し気に揺らしている様を想像した。
「・・・いやだ!」
「そうだろうとも。不死とは、今までの自分を捨て去るということでもあるんだ。それが本当に幸せなのかは、よくよく考えなければならないよ」
師匠はその大きな手で私の頭を撫でながら、やさしく言った。
“歩き骸骨”
その名の通りに、骨だけになっても歩き回る不死の存在である。
肉と皮と内臓が失せてもなお動くその魔物は、不死というよりもある種の操り人形に近いものなのだそうな。
悪意を持つ魔法士が口にすることすら憚られる手段で作り出すその魔物は、製作者の命令を忠実に実行する自動人形だ。
疲労や体調不良に陥らない強靭さと反抗することなど考えない従順さは、死霊術師と呼ばれる連中の先兵に適しているといえる。
まあ所詮は骨なので、鈍器で殴れば大体砕けて動かなくなってしまうのだが。
上記の不死人に比すれば非力にもほどがある存在だが、一般人にとっては驚異の魔物に他ならない。
聖職者を自負する師匠が、目撃情報に勇んで出張ってくるのも当然と言えた。
「でも、ただばたらきなんて!」
「ご近所さんからの頼み事なんだ。仕方なかろう」
さも当然という風に返す師匠に対して、私は頬を膨らませた。
寒い思いをしても得られるものがないだなんて、踏んだり蹴ったりではないか。
今私たちが向かっているのは、街の外にある共同墓地の一角である。
外壁に囲まれた街の歴史は長く、従って多くの人の亡骸がこの地に眠っている。
二万年分のそれは凄まじい数であり、時折その中の数人が・・・、もとい数体が目覚めてしまうことがあるそうだ。
ご近所さんが墓参りをした際に偶然見かけた“歩き骸骨”も、その一体だったのだろう。
何をするでもなく立ち尽くしていた骨の集合体を見て仰天したご婦人は、聖職者にして聖戦士にしてご近所さんである師匠に文字通り泣きついたのだ。
その未亡人である美しい女性からの頼み事を師匠が二つ返事で承諾したことが、私には大層気に入らなかった。
全体、師匠は聖戦士なのだから、きちんと依頼として報酬を受け取るべきである。
それなのにご近所さんの頼み事として処理してしまったら、今後もまた頼み事としてただ働きを強要されることになってしまうかもしれないではないか。
あるいは、さらに疑わしい理由もあるのだ。
「ししょう、はなのしたがのびてた!」
「まさか、冗談だろう」
師匠は私の方を見ずにそう言った。
件の未亡人は、師匠が何かと気に掛けているように思えるご近所さんの一人だ。
組合員だった旦那さんに先立たれたが、女手一つで幼い子供を育てているらしい。
健気なことだが、度々私の師匠に対して妙な態度を見せることがあるのはいただけない。
つい先日も、『たくさん作ったので』などと言いながら師匠が贈った燻製肉を、頬を赤らめながら受け取っていたのだ。
「まさか、ししょうのこのみって・・・」
「だから違うと言うに。私は、手掛かりになるかもしれないと思っているだけだよ」
「てがかり?てがかりって・・・」
一体何の手掛かりだろうか。
“歩き骸骨”なんて、不死とは言え下級も下級の魔物の一体に過ぎない。
そんなものが、一体何の手掛かりになるのだろうか。
「君がやらかした、誘拐騒ぎを覚えているかい?」
「・・・そりゃあ、おぼえてる」
急に話題を変えた師匠に対して、私はまたも頬を膨らませながら答えた。
誘拐事件。
街の少年少女らが連続で誘拐され、さらには洗脳されて誘拐の片棒を担がされたというとんでもない事件だ。
結局は私の大活躍で・・・、もとい大暴走で一応の解決を見たが、首謀者である魔法士は依然として見つかっていない。
今でも街の高名な占術師らや騎士団たちが捜索をしているらしいが、望みは薄いそうだ。
しかしそれが、一体“歩き骸骨”と何の関係があるのだろうか。
そう思って見上げると、師匠は頷いて口を開いた。
「“歩き骸骨”が自然発生することは、非常に稀なんだ。つまり・・・」
言いかけて師匠は、私の方を見た。続きを促しているらしい。
もったいぶるような言動にややいら立ちつつも、私は考えてみた。
師匠の教えによれば“歩き骸骨”は通常、魔法士の手によって製作され使役される魔物だ。
ならば、そんな悍ましい行為をする魔法士がいるかもしれない。
そんな魔法士とは、つまり・・・
「ゆうかいじけんの、はんにんかも!?」
「うん。まあ、かなり可能性は低いんだがね」
成程。
街を騒がすような犯罪行為を行う魔法士ならば、失敗した誘拐の代わりに新たな事件を起こそうと画策するかもしれない。
今回の“歩き骸骨”がその魔法士の手によるものならば、その足取りを追う手掛かりになる可能性はあるだろう。
「誘拐事件の犯人でなかったとしても、そんな悪事を働く魔法士はやはり放ってはおけないしね」
「うんうん」
もっともだ、と私は頷いた。
よしんば自然発生したものだとしても、やはり放置しておくべき存在ではない。
墓地に骸骨が立っているだなんて、それだけでも参拝客には大迷惑なのだから。
「なっとくできた。でも、やっぱりおかねはしっかりもらうべき!」
「君、まだそんなことを・・・」
などと話しつつ、私たち二人が歩いていると。
ぼんっ!
遠くから、なんだかお腹に響くような破裂音が聞こえた。
丁度私たちが向かっている方向。
共同墓地の方角からだった。
「君、警戒したまえ!」
師匠はそう言いつつ、墓地に向かって走り出した。
その背中に吊った大剣が揺れるが、不思議と音が出ていなかった。足音もだ。
あれだけの速さで疾走しておきながら、凄まじい技量だ。
一瞬呆気にとられかけた私は、自分を奮い立たせるように答えた。
「がってんしょうち!」
私は腰に吊った刺突剣に手をかけながら、師匠に追随した。
一応師匠の真似をしてみるが、速度を出そうとするとなかなかに難しい。
どんどん師匠から離されていくなかで、私は必死に追いすがった。
“歩き骸骨”の発生原因について話し合っていた矢先だが、これはひょっとすると、当たりかも知れない。
魔物の目撃情報がある墓地の方から、明らかに爆発によるものと思われる音が聞こえてくるのだ。
何者かが、戦闘している可能性が高い!
私は師匠の背中を追いながら、気を引き締めた。
墓地の“歩き骸骨”が目撃された一画に到着すると、事はすでに終わっていた。
恐らく人のものであろう焼けこげた骨が散乱し、同様に周囲の地面にも火の魔法によるものと思しき煙が立っていた。
師匠から大分遅れてそこに到着すると、師匠は誰かと対峙していた。
師匠は油断なく背中に吊った大剣に手をかけながら、目の前に立つその人物を睨みつけていた。
明らかに魔法士と分かる杖と、身体全体を覆う様な青色の外套だ。
「何者だ?」
師匠が誰何の言葉を投げかけると、その人物はあからさまに動揺した。
それも当然であろう。
師匠から放たれる気迫は、並みの戦士のそれとは格が違う。
本気になれば魔物ですら遁走させるようなそれを真っ向からぶつけられては、抵抗する気すら起きまい。
余程恐ろしいのだろう。
その人物は恐怖に顔をゆがめて、眼に涙をいっぱいにためていた。
・・・なんだか、見覚えがあるような?
私がぼんやりとそんなことを考えていると。
ふと、今にも涙があふれ出しそうになっているそれが、師匠の横に立った私に向けられた。
「あれ・・・?」
「え・・・?」
その人物をまじまじと見て、私は口を開けたまま固まってしまった。
見覚えのある、というかよく知る人物だったからだ。
「君、彼を知っているのかい?」
師匠の訝るような言葉には答えず、私はその人物に向かって歩き出した。
その人物は臆するようなこともなく、逆に笑顔を私に向けた。
「リィルさん!」
「くりすくん!」
「・・・?」




