第90話 神話の一節(あるいは、単なる昔ばなし その3)
はるか昔。
まだ、天上におわす神がただ一人だった頃のこと。
あるところに、一人の敬虔な娘がおりました。
その娘は、遂に悪い不死人の根城を突き止めました。
それはなんと、地上を火の海にしようと不死人が作り上げた、邪悪な機械仕掛けの“地の獣”の体内だったのです。
まるでお城の様に巨大なその“地の獣”は、しかしまだ目覚めてはいませんでした。
そこで勇敢な娘は、眠りこける獣の心臓を潰そうと、その口の中に飛び込みました。
しかし、そこには・・・
ばっきぃいいーーーん!
耳をつんざくような金属音とともに、少年の全身がぶるぶると震えた。
そのあまりの衝撃に全身が痺れ、気を抜けば先日購入したばかりの大剣を落としてしまいそうになったのだ。
モリクロスからの情報によれば、“地の獣”の心臓は少年たちの眼と鼻の先である。
しかし今一つ、厄介な障壁が立ちふさがっていたのだ。
「いちちち・・・、なんつー硬さだ・・・」
つい今しがた、少年がその自慢の大剣で切り開こうとした巨大な扉には、小さな傷が引かれた程度の変化しか見られなかった。
残念な結果ではあったが、アダマンティン製と思われるその材質から、この扉の先にあるものの重要さが窺い知れる。
やはりあの紳士の言っていたことは正しかったのだ。
「こっ・・・んの、大馬鹿!」
気が付くと、すぐ隣に“親友”のイリーナの顔があった。
いつの間にか耳を引っ張られ、そのまま耳元で叫ばれていたらしい。
幸運なことに、すでに一時的な聴力喪失状態に陥っていた少年には大した苦痛ではなかったが。
「え?あー、悪い!」
その言葉とは裏腹に、少年はニカッと暑苦しい笑顔を“親友”に向けた。
この少年の良いところは、とにかく笑顔でいようとすることだった。
なにせ笑顔というものは元気の源である。
暗くどんよりした表情でいるよりも、希望を引き寄せる力があるように少年には思えるのだ。
しかしそれは、時として他人の感情を逆なでしてしまう欠点でもある。
自他ともに認める頭の弱いこの少年には、未だにその事実が理解できていなかった。
「このボケンダラっ!ちっとは反省しなさいよっ!」
「いででででっ!?ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
そう言って耳を引きちぎらんばかりに引っ張り回す少女に、流石に涙目になりながら少年は謝罪した。
この“親友”である魔法士の少女は、何かと少年に対して過度な折檻をする傾向があるのだ。
一度怒り狂うと殺人級の魔法を容赦なく使用してくるため、少年はまずいと思ったらとにかく謝ることにしていた。
果たして、その効果があったらしい。
少女はフンッと鼻を鳴らすと、掴んでいた少年の耳を離した。
「んっとに考えなしねぇ」
そう言って口をとがらせるイリーナに、少年は少しばかり傷ついたような表情になった。
「でもさ、この“地の獣”が目覚めるのは時間の問題なんだろ?なら、一刻も早く先に進まなきゃならないじゃないか!」
少年は耳をさすりながらも自分なりの考えを披露した。
常日頃から思考力の低さを指摘されていたのだが、いい加減に自分でもどうにかしようと思っていたのだ。
「レオンが手こずってるようだしさ。だったら、俺がズバッと切っちゃえばいいと思ったんだよ!」
すでに全身の痺れと聴力の喪失と、ついでに引きちぎられかけた耳が完全回復した少年は、自らの愛剣を頭上に掲げながらそう言った。
事実、ここで足止めを食らってすでに十分が経過しようとしていた。
大英雄にして大盗賊にして“大親友”のレオンの活躍の場を奪うのは心苦しくもあったのだが、この恐るべき“地の獣”の目覚めは世界の危機と同義なのだ。
地上を残らず炎で焼き、海を干上がらせ、空を穢し尽くす。
そんな恐ろしい兵器の起動は恐らくもう間もなくだ。
ここは少々強引な手段だとしても、扉を力ずくで突破するのは間違いではない。
しかし。
「ちっと黙ってろや、考えなしの脳筋馬鹿」
こちらに一瞥すらくれない“大親友”のハーフリンクは、そう冷たく吐き捨てた。
彼の不機嫌さを表すように、その耳がぴくぴくと動いていた。
「ご、ごめん・・・」
少年は、“大親友”のその言葉にしゅんとした。
錠前破りなどお手の物であるレオンにとって、仲間の前で見せる醜態は耐え難いものがあるのだろう。
鬼気迫る勢いで扉の横の操作盤をいじくり回すその背中には、流石のイリーナも茶化すような言葉を投げなかったというのに。
少年が自分の考えなしの発言を後悔してうなだれていると、もう一人の“大親友”。
いや、“想い人”が進み出た。
「まあまあ、落ち着いてください!」
冷えかけた場の空気を和ませようと、“愛しの”アリシアが手を打った。
「ここまで多くの機械人形を打倒してきて、疲労も溜まっている筈です。一つ、休憩してはどうでしょうか?」
その言葉に、少年とイリーナは顔を見合わせた。レオンは相変わらず操作盤に向かって振り返ることはなかったが。
“地の獣”の目覚めが近い以上、数秒でも時間を無駄にすることは避けるべきだった。
しかしこうして扉を開ける手段がない以上、いっそ休憩しつつ別の手段を考えるというのは悪くないように少年には思えた。
如何せん、膂力と体力の他には取り柄のない少年の剣が通用しないのであれば、彼は見ていることしかできないのである。
「まあ、アリシアさんがそう言うなら・・・」
そう言って少年は、大剣を抱えたまま腰を下ろそうとした。
しかしその際に、イリーナが自身に怒りのこもった視線をむけていたことには気づかなかった。
イリーナが手にした杖を振り上げ、少年の後頭部を一撃しようとしたその瞬間。
「お生憎様だけどな」
そう言いながら、レオンが振り返った。
その表情からは先刻までの研ぎ澄まされた刃物のような気配がまったく消え去り、今ではいつもの余裕たっぷりな笑みが浮かんでいた。
「丁度今、開いたぜ」
その言葉と同時に、巨大な扉が鳴動し、観音開きとなった。
「おおっ」
少年は、思わずそう呟いた。
そして、目の前の光景に固まってしまった。
広い、広い、円形の部屋だった。
部屋の中心部には巨大な魔力炉と、そこから何本も曲がりくねった伝導管が、まるで大樹の枝のように天井に向かって伸びていた。
だが、それよりももっと目を引くものがあった。
少年たちの眼前には、機械仕掛けの巨人が待ち構えていたかのように、その大きな腕を振りかぶっていたのである。
「アイザックさん、来ますよ!気を引き締めて!」
アリシアの警告が耳に届いてはいたが、少年はしばし呆然とした。
何せ目の前に立っている・・・、いや、そびえ立っている巨人ときたら、以前戦った火龍よりもふた回り以上も大きかったからだ。
「マジかよ・・・。冗談キツイって」
絶望感に打ちひしがれる少年に、しかしその巨人は躊躇などするはずもなく、その太い柱の様な腕を叩きつけてきた。
一瞬遅れて我に返った少年は、愛剣を盾代わりに構えてその一撃を受け止めた。
どっがぁあああーーーーん!
先刻の大扉の時とは比較にもならない程の強烈な衝撃が、少年の身体どころかその広い部屋全体に走っていった。
少年の金属鎧が共鳴するように不可思議な音を立て、踏ん張っていた床が砕けて両足がめり込み、破片が宙に浮くようにして転がっていった。
そこいらの剣士ならばすでに破裂している筈だったが、この少年はそこいらの剣士とは鍛え方が違う。全体、この場に立つ四人は、すでに尋常の存在ではなかった。
「ちょっと脳筋!しゃんとしなさいよ!援護できないっての!」
すでに魔法士として熟達しきっていると言っても過言ではない“親友”のイリーナは、先の衝撃をしっかりと見越していたらしい。
少年以外にはきっちりと防御魔法をかけて、一切の被害を無効化していた。
別に、少年に対して思うところがあるから彼にだけかけなかったのではない。
イリーナは信頼しているのだ。
“この程度の一撃など、三人の盾たる少年には防げて当然である”と。
イリーナの叱咤と信頼を同時に受けて、少年は歯を食いしばった。
足腰、両腕に力を込めて、巨大な機械仕掛けの腕を押し留めた。
「かっはあぁぁぁ・・・」
少年は大きく呼吸をした。
同時に、全身に力がみなぎってくるのが分かった。
「アイザックさん!お願いします!」
背後から、アリシアの祈りの言葉が聞こえてきた。
この世界を創造した神の奇跡の一端によって、今少年の肉体は限界を超える能力を発揮しつつあったのだ。
人間である少年が自らの十倍以上はありそうな巨人の拳を押し返しているというのは、はたから見れば異常な光景である。だが、神域に到達しかかっているアリシアの奇跡によって飛躍的に向上した少年の力ならば、それは尋常の範疇に納まる程度の出来事だ。
少年はそのまま愛剣の柄を握りなおすと、まるで弓を引き絞る様に大きく振りかぶった。
「どっせい!」
少年が気合の入った掛け声と共に大剣を振りぬくと、拳を弾かれた機械巨人は安定を崩してたたらを踏んだ。すかさず少年の背後から、冷気の渦が巨人へと襲い掛かった。
並みの魔物なら心臓まで凍りつかせる、イリーナの恐ろしい魔法である。
「よっしゃ!」
少年は歓喜の声を上げた。
少年が盾になり、仲間がとどめを刺す。
いつものことだ。
しかし。
たちまちのうちに巨人は凍りついたが、動きを止めるには至らなかった。
先刻よりは幾分かは鈍くなったものの、ほとんど変わらぬ威力の拳が少年に向かって飛んできた。
「嘘だろおぉぉーー!?」
少年は絶叫しつつ、自分を殴りつけようとする機械の腕を剣で迎撃した。
どっがぁあああーーーーん!
お互いの剣と拳を弾きながらの、巨人と少年の根競べが始まった。
少年はイリーナとアリシアという心強い仲間からの援護を受け取って立ち向かうが、しかし機械仕掛けの巨人の底なしの体力を相手取るには分が悪かった。
三回、四回と打ち合ううちに、少年の表情に消耗が見え始めてきた。
全体、馬鹿馬鹿しい程の体格の違いを考えれば、そもそも数回ですら拮抗していることが驚嘆するべきことなのだ。奇跡の力を頼んだとは言え、やはり無能な少年の力には限界があった。
それでもこの愚かな少年が正面からの打ち合いに拘泥しているのは、もう一人の心強い仲間の存在があったればこそだった。
「レオォォォン!そろそろ頼むぅ!」
少年は剣を振るいながら、“大親友”の名を叫んだ。
彼が危機に陥ったときには、いつでもハーフリンクの大英雄が助けてくれていたのだ。
ならば今回も、少年が想像もつかないような手段でこの巨人を倒してのけるだろう。
そんな期待を胸に秘めていると。
「あー」
こんな時だというのに、なんとも気の抜けた声が響いた。
「でも俺じゃあさぁ、役に立たなくね?」
大部屋の壁にだらしなくもたれかかり、刺突剣を弄ぶレオンは面倒臭そうに言った。
この衝撃と破片の吹き荒れる入口を潜り抜けて、いつの間にか部屋の中に侵入していたらしい。
その大盗賊として相応しい貫禄は、しかし機械巨人との戦いに発揮される様子がなかった。
「デカすぎて無理だな。邪魔しねぇから、お前らでやってくれや」
頼りになる“大親友は”、そう言って頭の後ろで手を組んだ。
完全に観戦を決め込んでいる。
一瞬の間をおいて、見捨てられる形となった少年と少女たちは悲鳴を上げた。
「ちょっと!レオンさん!?」
「っざけんじゃないわよ!つべこべ言ってないで働きなさいよ小男!」
「うわああああん!レオォォォン!?」
口々に文句をぶつけられるハーフリンクの大英雄は、関係ないとばかりに大きく欠伸をした。
それとほぼ同時に、機械巨人から無慈悲な拳が飛んできた。
少年は顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、必死に大剣でその一撃を受け止めた。
しかし、待ち望んでいた救い主のあんまりな言葉に消沈した心は、少年の全身から力を奪い取ってしまったらしい。
少年は、その拳を弾き飛ばすことができなかった。
再び巨人の大きな手に抑え込まれる形となった少年は、体力の消耗から膝をついた。
途端に増していくように感じる重みに、身体全体が悲鳴を上げた。
限界である。
いくら体力馬鹿の少年でも、これ程の強敵相手に真っ向勝負をしていては長くはもたない。
万事休す。
最早これまでなのか。
少年が涙で滲んだ眼をぎゅっと閉じると。
「ったぁく、しょうがねぇな」
少年のすぐ耳元から、レオンの声が聞こえた。
少年が驚いてそちらに目を向けると、いつの間にかハーフリンクがその右肩に直立していたのだ。
「根性見せろよ、肉達磨?」
そう少年に言葉をかけると、その大英雄は軽やかに跳躍して機械巨人の腕に着地した。
そしてなんたることか、そのまま腕を駆け上がり始めたではないか!
どうやらこの巨人を打倒する方法を考え付いたらしい。その足取りには、まったく迷いがなかった。
やはりこの“大親友”は、恐るべき傑物である。
ああしてやる気のない体を装ってはいても、きちんと起死回生の一手を練り上げていたのだ。
「おっ、応!やらいでか!」
それが分かったからには、踏ん張らねばならない。
全体、この少年は。
剣士アイザックは、この素晴らしい仲間たちの盾となることを誓ったのだから。
「ぬああぁっ!」
少年は、絶叫と共に立ち上がった。
尽きかけていた僅かな体力を総動員し、巨人の意識をこちらに向けるために抵抗を続ける。
恐らくこんな無茶は、数秒と持たないだろう。
しかし、少年の“大親友”には数秒の時間さえ必要はないのだ。
「見っけ!」
英傑たるハーフリンクは、巨人の首筋に到達していた。まるで物語の勇者の様に必殺の剣を振り上げるその姿は、まさに大英雄の称号がふさわしい。
「止まりやがれぇっ!」
レオンはそう一声叫ぶと、壮絶な笑顔で刺突剣を巨人の首の根元辺りに突き立てた。
少年から見れば、虫の一刺しのようになんとも心許ない一撃だった。
だが、分かる。
その一撃は、致命的。
果たしてその効果は絶大だった。
恐らく中枢部分を破壊したのだろう。
今まさに、少年を叩き潰さんとしていた巨人は、ゆっくりとその体躯を横たえたのである。
「ははっ!やったぜ!」
横たわった機械巨人の前で。
少年は、三人を両腕で抱きかかえた。
「ちょっ、なにすんのよ脳筋!」
「痛ぇっての!」
「アイザックさん、止めてくださいよ」
口々に抗議する仲間達を、しかし少年は一層強く抱きしめた。
死の恐怖を間近に感じたからではない。
心身が疲弊していたからでもない。
ただ、嬉しかったからだ。
「俺達は最強だ!最高だ!そうだろ!」
そう言って笑う少年に、アリシアは苦笑した。
レオンとイリーナの二人は最初は呆れ顔だったが、徐々にその相好を崩していった。
そんな素晴らしい三人の仲間の顔を見て、少年は確信した。
そうとも。
俺達四人が力を合わせれば、何だってできる。
何にだって負けやしない。
俺達は、最高の仲間なんだ!
と。
「はぁ・・・。っとにコイツは」
「勝手にしてくれ。・・・と」
レオンの眼が、急に鋭くなった。
先程の巨人の時とは違い、明らかに真剣だった。
この大英雄にして大盗賊にして“大親友”のハーフリンクがこれ程の表情になるのは、久しぶりである。
迫ってくる何かの危険性を察知した少年と二人の少女は、即座に身構えた。
「本命が、来たぜ」
その言葉と同時に。
三人は、息を飲んだ。
まるで陽炎の様にその巨体を揺らめかせながら宙から現れたのは、一頭の巨大なドラゴンだった。
その薄汚れた鱗だけを見れば、元がどんな色だったかの判別など到底できない。
しかし異様な輝きの眼を除けば、その顔にはよく知る人物、もといドラゴンの面影があった
「ディン、さん・・・?」
少年たちの前に現れ出たのは、エインシャント・シルヴァー・ドラゴンの“ディン”だった。
私は眼を開き、寝台から出ようとした。
そして、できなかった。
自分の顔が涙に濡れていることに気が付いたからだ。
「何年ぶりだ?なんと懐かしい・・・」
気の遠くなるような昔の記憶。
間違いなく、人生の幸福の絶頂にあった瞬間。
あの直後から、最悪の喪失が始まったのだ。
私は陰鬱な気分のまま、のろのろと寝台を出た。
いつもと同じような動作で、いつもと同じ服を着用し、いつもと同じように居間へと入ろうとして。
そして気が付いた。
凄まじい寝坊をかましてしまったらしい。
しろすけを抱きかかえた弟子が部屋の前に立ち、怒りの表情で私を見つめていた。
「ししょう、おそかったね」
「・・・ああ、おはよう」
空腹による怒りなのだろう。
弟子は頬を膨らませて私を睨みつけていた。
その、むくれた表情。
彼女にそっくりだ。
私は黙って弟子に歩み寄ると、そっとその小さな身体を抱擁した。
ぼとりっ。
と、しろすけの身体が床に落ち、憐れな火吹き蜥蜴が抗議の鳴き声を上げながら私たちから離れていった。
「うわわっ!?なにすんの、ししょう!?」
弟子は抗議の声と共に暴れるが、私は離さなかった。
「すまない。少しだけ、こうさせてくれたまえ」
逃げようとする弟子を、私は一層強く抱きしめた。
たまらなく、恐ろしかったのだ。
また、失ってしまうような気がして。




