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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第82話 魔法士見習いクリスのお話 その7


 ある天気の悪い日に、お師様は突然奇妙なことを命じました。


 「ちょっと少年、これに着替えなさいな」

 「ええ?なんですか、これは」


 お師様が差し出してきたのは、なんとも怪しげな品々でした。

 丈の長い外套に、妙に尖った入れ歯。

 それに、白粉です。


 まるで変身用具のようなこれらを、僕は疑問に思いつつも命じられるままに着用し、顔に白粉を塗りたくりました。

 

 十分後。姿見に映っていたのは、いつもの地味な僕ではありませんでした。


 「あっはっは!うまく化けたわね!」

 

 僕自身、そのお師様の言葉どおり、化かされたような気分でした。


 まるで、おとぎ話に出てくるような恐怖の吸血鬼にそっくりだったのですから。


 それにしても、僕は言われた通りに着替えただけだというのに、大好きなお師様に笑い転げられてしまって哀しくなりました。  


 「ちょっとね、脅かしてほしいヤツがいるのよ」


 そう言ってお師様は、僕の大好きな、少女のような笑みを消し去りました。

 







 口の端が、つり上がっていました。



















 「だ、だいじょうぶ?」


 その女の子は、心配そうな眼をしていました。ぶつかってしまったのは僕の不注意が原因だというのに、少しも非難するような様子はありません。

 

 それなのに僕は、その優しい女の子が怖くて怖くてたまりませんでした。

 それも当然です。僕は、この娘の本性をよく知っているのですから。


 その舌足らずな口調と可愛らしく幼い外見から、普通ならば保護欲を掻き立てられるのでしょう。

 でも、僕は絶対に騙されません。

 

 一見人情味のあるこの娘は、ただ吸血鬼の振りをして脅かしただけの僕を、あれ程力を込めて殴りつけたのですから。


 「けが、してない?」

 「い、いや・・・」


 などと、若干停止しかかっていた頭から絞り出された考えは、随分と的外れなものでした。


 なにせあの時は、自分でも驚くほどに見事な変装っぷりだったのです。

 そこらの値引き店で購入した安物の防寒具を着込んでいる冴えない少年が、あの時泣き叫ぶほどに恐れた偽吸血鬼と同一人物だと気づくことはないでしょう。


 「だ、だ、大丈夫です。あ、貴女は?」


 しかし、必死になって冷静さを保とうとしていても、如何せん僕の身体はあの時の痛みと恐怖をしっかりと記憶していたようでした。

 『大丈夫、この女の子は気づいちゃいない』と強く念じているというのに、左の頬がヒクヒクと痙攣し、冷や汗がぶわっと溢れ出てきました。


 「だいじょうぶ、だけど・・・。あっ!」

 

 突然。


 すっ、と。

 

 女の子が、僕の左の頬に手を伸ばしてきました。


 その瞬間に蘇ったあの痛みに、僕は思わず目を閉じました。


 あの、首がもげるかと思う程の威力の一撃。


 あんなものを、また放たれたら・・・


 「・・・よし!とれたっ!」


 その言葉に、恐る恐る眼を開くと。


 女の子の右手が、一枚の枯れ葉を摘まんでいました。

 

 「えへへ・・・。あたまについてたよ!」


 そう言って女の子は、ふっと一息。

 赤く染まった葉を飛ばしました。



 いやまったく、なんという心優しい女の子でしょうか。



 かつて僕を酷く打擲した女の子の、その明朗な行動を目の当りにして。

 

 僕は、自分の穢れた心が恥ずかしくなりました。


 考えてみれば、お師様に唆されたとはいえ、何の罪もない少女を酷く怯えさせたのです。 

 どう考えたって非は僕にあるというのに、反撃されたことを根に持って。


 そしてまたこうして、少女の善意を勘違いしていたとは。


 『僕はなんて、駄目な男なんだろうか・・・』


 多感な時期の僕は、そうやってころころと考えを変えながら、すっくと立ち上がりました。

 

 まったくもって僕という男は、他人に対して迷惑をかけてばかりです。

 

 こんな体たらくでは、お師様に見合う立派な漢になるどころか、一人前になることすら覚束ない。

 

 僕はまたもや涙を堪えて、走り出しました。


 「どうもありがとう。そ、それじゃあ、僕はこのへんで!」

 「あ!」

 

 僕は女の子にお礼を言って、走り出しました。

 これ以上ここにいては、またこの女の子に迷惑をかけそうな気がしたからです。


 今日はもう、お師様に頼まれた品物を買って、寄り道せずにさっさと家に帰ろう。


 そう決意して、力いっぱいに駆けていると。


 「まって!」


 突如横から、声がしました。

 涙にぬれた眼を、そちらに向けると

 

 「うわっ」


 なんと、先刻の女の子が並走してきていました。

 僕は全力疾走しているというのに、なんてすごい娘でしょうか。


 「まって!ねえ、まってよう!」

 

 隣を走る女の子は、しきりに僕に何かを訴えかけてきていました。

 しかし、この女の子に対して自分が行った仕打ちの数々と、何より気が動転してしまっていたことから、僕の足は止まりませんでした。


 「まってってば!」

 「ごめんなさい!ごめんなさい!」


 最早何についてを詫びているのかも分からないままに、僕はひたすら謝罪しながら遁走を続けていました。


 運動不足で足がもつれかかり、涙のせいで視界がぼやけ、鼻水のせいで呼吸がしにくくなっていても。僕は走り続けました。


 とにかく僕の胸中にあったのは、この優しい女の子に合わせるような顔はない、という卑屈な思いだけでした。




 

 ほんの一分も走った頃でしょうか。




 

 僕は大通りに出た途端に、膝をついてしまいました。


 魔法士を目指している身とは言え、流石にこの体力のなさは致命的な気がします。


 女の子はそんな僕に寄り添いながら、また心配そうに見つめてきました。


 「だ、だいじょうぶ?」

 「い、いや、あ、あの、はい・・・」


 ぜいぜいと息を切らす僕とは真逆に一切の疲労の見えない女の子は、僕をいたわる様に背中をさすってくれました。



 いやまったく、なんという逞しい女の子でしょうか。



 僕はそう感心しながらも、突然逃げ出した自分を咎めもしない女の子に罪悪感を抱きました。

 同時に、不思議に思いました。

 

 『なぜこの娘は、追ってきたんだろうか』


 ぶつかったことを不満に思っている訳でもなさそうだし、一応謝罪もしているんだし。

 これ以上、用事はないはずなのに。

 

 そんな疑問に答えるように、女の子は僕にゆっくりと手を差し出しました。


 「これ、おとしたよ」

 「あ・・・」


 少女の小さな手の中にあったのは、僕の大切な財布でした。

 お師様からもらった、大切な金貨が入った、革の財布。


 恐らくこの娘とぶつかったときに、落としてしまったのでしょう。


 それをわざわざ、逃げる僕に届けようと追いかけて来てくれたのです。



 いやまったく、なんという親切な女の子なのでしょうか。



 この女の子からの重ね重ねの礼と、この女の子に対する重ね重ねの非礼に、僕は頭が上がりませんでした。


 もう何度目か分からなくなってきましたが、僕は涙ぐんで俯きました。

 その拍子に、ぽたぽたと地面に大粒の水滴が幾つも落ちました。


 「うわわっ!どうしたの!?」

 「ぼくは、ぼくは・・・」


 僕はついに地面に両手をつきました。

 

 もう、僕っていう男は駄目駄目だ。

 こんなんじゃ、こんなんじゃあ・・・

























 「ほら、しっかり!」
















 

 卑屈の闇に、身を投げかけたその時。

 

 まるで、天上から差し込む一筋の光の様に。


 少女は力強く、でも優しく、僕の手を取りました。


 「あ・・・」


 そしてその手に財布を置くと、そのまま両手で包み込むようにして、僕の身体を引っ張り上げました。


 その小さな手から、確かなぬくもりを感じ取って。

 

 僕の眼からこぼれていた涙が、すっと止まりました。


 僕はそのまま女の子に手を引かれて、ゆっくりと立ち上がりました。


 「なんだかわからないけど、だいじょうぶ!」


 女の子はそう言って手を離すと、にっこりと笑いました。

 その年相応の無邪気な笑顔に、何故だか僕の心は震えました。


 初めて魔法を覚えた際に、お師様に褒めてもらったあの時と同じ。

 

 あの、胸の高鳴りが。


 「あなたは、たちあがれたから。きっと、だいじょうぶ!」


 女の子は僕に向かって手を振りながら、危なげなく走り去っていきました。



 いやまったく、なんという素敵な女の子なのでしょうか。



 後に残された僕は、つい数分前までの負の感情が綺麗に消え去り、何か名状しがたい幸福感に満たされていました。


 まるで、この気持ちは・・・
















 「いやいやいや!僕には、お師様という心に決めた人が!」


 僕は受け取った財布を抱きしめながら、一人身悶えしていました。

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