第80話 魔法士見習いクリスのお話 その5
腕力?剣術?知識?魔法?チート能力?
人の強さって、そんなものでしょうか。
身も心もボロボロになった僕は、ようやく家に。
大好きな大好きな、お師様のもとにたどり着いた。
僕は震える手で、扉の取っ手を握ろうとして・・・
それが、できなかった。
今、お師様の顔を見てしまったら。
ここまで必死に堪えていた感情が、暴発してしまいそうだったから。
「お帰りなさい」
僕が立ち尽くしていると、扉の向こうから声がした。
優しい優しい、お師様の声が。
一瞬だけ身体を震わせて、僕は恐る恐る取っ手をひねった。
扉の向こうには待ち構えていたらしい。
少女の様に可愛らしい可愛らしい笑顔のお師様が、すぐ扉の前に立っていた。
「少年?」
お師様の、少女のような笑顔が曇った。
僕の、顔を見たからだろう。
なにせ僕の顔ときたら、唇をぎゅっと結んで。眼は血走っていて。眉はつり上がっていて。
それはそれは、酷い顔だったのだから。
「・・・う」
そして案の定、お師様の顔を見てしまったとたんに。
僕は。
「うわあああああ!」
僕は、はじけるようにして泣き叫んでしまった。
堤防が決壊するかのように、僕の中にため込まれていた感情が。
そして涙が、あふれ出していった。
ああ、情けない。
お師様の前で、こんな情けない姿を晒すだなんて。
否。
全体僕は、能無しで、卑怯者で、ヘタレで、弱虫で、泣き虫な男なのだ。
そんなこと、とうの昔にお師様は分かっていたはずだ。
お師様にとって、僕は救うには値しない不出来な弟子なのだから。
だから、ほら。
お師様は、もう呆れもしない。失望もしない。その、僕を見つめる眼は・・・
「少年」
突然、僕の身体が優しく包み込まれた。
最近になってどんどん身長が伸びてきていたので、すでに同じくらいの背丈になってきていた僕を。
背中に回されたお師様の華奢な両腕が、まるで赤子をあやすように僕を撫でた。
「つらかったのね」
お師様の顔は、見えなかった。
だけど僕は。
優しい優しいお師様にしがみつくようにして、泣きじゃくった。
街を出発してから一日目のこと。
まだ街からそれ程離れていないということから、野営中だというのにお三方は酒盛りを始めました。
「私たちには、大きな野望があるのよ!」
ニーニャさんは麦酒が入った大きめの盃を振りかざしながら、高らかに宣言しました。
そしてそれに続く様に、リャノンさんとライネンさんも自分たちの盃を長姉のそれに打ち付けました。
僕は飛び散る麦酒を防ぎつつ、それを聞いていました。
本当は日課の呪文書への書き込みと確認をしたかったのですが、聞かないでいるとまたどんな嫌がらせを受けるか分かったものではなかったからです。
「確か、街みたいな自治体を作るんでしたよね?」
揺れる馬車の中ではできない作業なので、貴重な寝る前の時間を削ってでもやってしまいたかった日課なのですが。僕は諦めて、半ば引きずり込まれるようにお三方の輪の中に入ったのでした。
僕の問いかけに、まったく同じ顔の三姉妹は、まったく同時に頷きました。
このお三方は三つ子であるらしく、外見的には全く見分けがつきません。
同じ長い黒髪。
同じとび色の眼。
そして、少しだけ尖った耳。
唯一違うのは、その口調でしょうか。
「私たちのような混血児が、侮蔑も差別もうけることのない場所よ!」
「森人も無能人もいない、素敵な住処ね!」
「私たちが作り出す、新たな故郷!故郷!」
この宣誓の言葉は、お三方が酔う度に聞くものでした。
それくらいに、彼女たちが固く心に誓ったことなのでしょう。
そう。
この女性たちは、いつだって爪弾きにされてきたのだそうです。
美貌と才能という、多くの定命の者たちが望んでも得られないものを持ち。
経験と努力という、決して驕ることのない真摯な生き方をしてきたというのに。
「お三方は、人間と森人との混血である筈なのに。何故、その様な・・・?」
どうしてこの女性たちは、人間からも。そして、森人からも受け入れられないのでしょうか。
どうしたこの女性たちは、人間を。そして森人も受けれないことを宣言するのでしょうか
僕は、興味に任せて聞いてしまいました。
『それは・・・』
一斉に口ごもった三人の女性たちを訝りながら、僕は続けました。
「何故、人間と森人とが共存できるような自治体ではなく、混血児のみのそれを?」
僕は、常々不思議でした。
彼女らの語る夢は、両種族の共存ではなく、あくまでも自分たちの安寧の地の延長線上にあるものです。
混血児としての出自のために双方から差別を受けたにしても、それらを完全に排斥するような居場所を手に入れたいだなんて。
同じ無能人・・・、つまり人間である僕にそれを聞かせることも含めて、分からなかったのです。
すると、お師様の次に大好きな三姉妹は、酔いの冷めたような表情になりました。
そのあまりの変りように、僕は自分の放った疑問の言葉が、恐ろしいほどにお三方の心をえぐってしまったことに気づきました。
それを肯定するように、先刻とは打って変わってしんみりと、お三方は語り始めました。
「私たちの母はね。昔、無能人たちに乱暴されたのよ」
「・・・え?」
突如告げられた悲劇に、僕は眼を白黒させました。
森人はその生来の美貌から、暴漢の劣情のはけ口にされるという非道な事件の被害者になることがあるそうです。
勿論そんな大罪を犯した人間は牢獄行ですが、しかし、それが一体お三方とどのような関係が。
そう思うのとほぼ同時に、背筋が凍るような考えが、浮かびました。
まさか、このお三方は・・・
「母はそのせいで、私たちを身籠ったのね」
「そんな・・・」
多感な時期の僕の、愚かに過ぎる妄想であってほしい。
そのような願いは、脆くも砕けました。
そうか、だからこの女性たちは。
「母も森人たちも、私たちのことが嫌い。憎い」
「そんなことって・・・」
三姉妹の告白に、僕は凄まじい衝撃を受けました。
人間からは半森人と呼ばれ、森人からは半無能人と呼ばれる存在。
あるいはその出自が、本来あるべき愛の営みの結果であったのならば。この三姉妹は街か、あるいは森人の集落のどちらかに、温かく迎え入れられていたかもしれなかったのに。
恐らくこの三姉妹は、森人の集落で想像を絶する仕打ちを受けてきたことでしょう。
それならば、母親と同じ種族たる森人を嫌うのも分かります。
同時に、その原因となった人間を憎悪することも。
「ご、ご、ご・・・」
僕は自分の愚かしさが心底憎らしくなりました。
お師様の次に大切な三姉妹を、自分の興味に任せて傷つけてしまったことが。
それ以上に、僕の方が泣きそうになってしまったことが、憎らしかったのです。
「ごめんなさい!ごめんなさい!僕はなんて、なんて・・・」
僕は必死で謝りながら、顔を伏せました。
他人を傷つけておきながら泣くだなんて。
そんなの許されるはずがありません。
僕の背中に、“あいつ”が。
もう一人の僕の影がちらついてきました。
また、失ってしまう。
僕の大切な人を。
嫌われてしまう。
僕の大切な人に。
そう、震えていると。
「気にするんじゃないわよ!」
そう大声で言ってニーニャさんは、僕の背中を力いっぱいに叩きました。
その衝撃で、僕の背中にまとわりついていた“あいつ”は雲散霧消してしまいました。
「無能人は、大嫌いなんだけどね!」
そう大声で言ってリャノンさんは、俯いていた僕の頭をくしゃくしゃにするように撫でまわしました。
その勢いで、暗い気持ちがぼろぼろと身体から剥がれ落ちていきました。
「クリスちゃんと、そのお師様は特別!特別!」
そう大声で言ってライネンさんは、僕の顔を両手で挟んで持ち上げました。
そのせいで、僕の眼にたまっていた涙が飛び散ってしまいました。
『だから、気にしないの!』
途端にいつもの通りの姦しさを取り戻した三姉妹は、盃を放り出して僕に抱き着いてきました。
香水と、麦酒の酒精の匂いと。そして、女性らしい身体の部分が密着してきたせいで頭がひどくくらくらとしました。
でも。
僕は、されるがままになっていました。
もみくちゃにされながら、
僕は
「見捨てたりなんか、するものかっ!」
つい半日前の出来事を思い出しながら、僕は腹の底から叫んだ。
そうやって自分を鼓舞しないと、そもそも立ち上がるどころか動くことすらできそうになかったからだ。
未だに足には、もう一人の僕がまとわりついていた。
ともすれば、そいつに引かれるままに砂の上にうずくまってしまいそうになったけれど、絶対に膝を曲げなかった。
どんなに背筋が震えても、どんなに歯の根が鳴っても、ただ見ている訳にはいかなかった。
立ち上がらなければならなかった。
僕は、お師様の弟子なのだから。
僕は性懲りもなく、呪文を唱えだした。
今度は、覚えたての“熱線”。命中率は落ちるが、先刻の“魔導弾”とは威力が段違いだ。
しかし、同じように外皮を狙ったのでは意味がない。
そうだ。
“魔蛇”の外皮は、僕程度の見習いでは。
いや、そこそこの使い手だって、容易く貫くことはできないだろう。
だが、外皮でなければどうだ。
例えばその、無防備に開けられた口では?
今、まさに三姉妹を貪らんと開けられた、その大きな大きな口。
外側の、まるで鎧の様に光る外骨格とは違い、なんとも柔らかく脆弱そうではないか。
僕が杖と呪文書を握りしめた瞬間に。
またもやもう一人の卑屈な僕が現れて、僕の身体にまとわりついてきました。
馬鹿だなあ、お前は。・・・そうかもね!
できっこないだろうが。・・・でも、やるさ!
やるだけ無駄だって。・・・やらないうちから!
とっとと逃げろよ。・・・お断りだ!
「うわあああああ!」
僕は、絶叫とともに。
自分の身体にまとわりついていた卑屈なもう一人の自分を。“恐怖”を払いのけるようにして、全力で“熱線”を放った。
勿論狙いは、“魔蛇”の大口の中だ。
僕の杖から迸った一本の赤い光線は、凄まじい速度で突き進んでいった。
そして一秒とたたすに、ぶよぶよと脈動する醜悪な肉の壁に焼けこげたような痕が出来上がると。
空が割れたかと思う様な、絶叫が響き渡った。
同時に、余裕ぶっていた“魔蛇”が、その巨体を大きく震わせた。
浅い!
僕は朦朧とする意識の中で、再度詠唱を開始した。
休みなく魔法を使用するということは、己の精神力をすり潰す行為だ。
しかし。
僕の視界の端に、お互いを抱きしめながら縮こまっている、三姉妹の姿が映った。
すると何たることか、霞がかかりかけていた頭が、僅かばかりに晴れたではないか。
安いものだ。
すり潰せるものが残っているのなら、どんどん潰してしまえばいい!
それで、あの大切な人たちの命を救えるのならば!
僕は、襲い掛かってくる眩暈をはねのけて、“魔蛇”に狙いをつけた。
実に幸運なことに、“魔蛇”は己に傷を負わせる存在へ警戒心を抱いたようだった。
僕が“魔蛇”に第二射を放つ頃には。
やつは、その間抜けな程に開きっぱなしの口を、僕に向けていた。
おかげで、なんとも狙いやすかった。
もう、僕は叫ぶこともせずに。
ただ静かに、それでも必死に。
“熱線”を放った。
恐らく、何か重要な器官を撃ち抜いたのだろう。
僕の二射目の“熱線”を食らって。
“魔蛇”は、その巨体をゆっくりと砂地に横たえた。
三姉妹が呆然と、横たわる巨体と僕の姿を交互に見ていた。
僕は、やった。
否。
僕は、やりました。
卑屈な自分自身に、そして強大な魔物に、そして大切な人たちを再び失うという恐怖に、打ち勝ったのです!
「うわあああああ!やったぞおおお!」
僕は、ガラにもなく雄たけびを上げました。
そして。
精神力を使い果たした僕は、砂地に倒れ伏しました。
「うわあああん!すごく怖かったですう!」
「おお、よしよし。でも、小鬼程度でこの有様じゃあ先が思いやられるわねえ」
「・・・はい?小鬼?」
「え?アイツらに、小鬼の巣穴に放りこまれたんでしょ?」
「・・・」
次回から、またリィルちゃんが出てきます




