第79話 見習い魔法士クリスのお話 その4
ちょっと解説が多いです。
申し訳ありません。
ガタガタと激しく揺れる馬車の中で、僕は必死に宙に浮きそうになる身体を抑えていました。
「クリスちゃん!貴方も協力してくれないと、このままみんなであいつの腹の中よ!」
ニーニャさんが手綱を握りながら、叫びました。
その物騒な台詞の割には、声にあまり悲壮感がないように感じられます。
流石に女性ばかりで行商なんてことをやっているだけはあって、こういった修羅場には慣れっこなのでしょう。
反面僕はと言えば、ろくに返事もできずにガチガチと歯を鳴らしているばかりでした。
「あちゃあ。クリスちゃん、完全にまいっちゃってるわよ」
リャノンさんは、馬車の窓から身を乗り出し弓に矢をつがえて、やれやれと首を振りました。
これ程に揺れがひどい馬車の中にあって、“あいつ”に狙いをつけた矢の先は動いていません。
百発百中の弓の使い手として鳴らしているだけはあって、この程度の不安定さには慣れっこなのでしょう。
反面僕はと言えば、今になってからようやく抱きしめていた呪文書の存在に気付いたばかりでした。
「根性なし、根性なし」
ライネンさんはため息一つをつきながら、馬車の仕掛けを作動させていました。彼女が馬車の側面についた取っ手の一つをひねると、がこんっ、という音と共に馬車の後部から何かの球体が幾つも地面に転がり落ちていきました。
砂地を軽快に転がっていくそれらは、馬車に追いすがろうとする“あいつ”の巨体に触れるや否や、けたたましい破裂音と閃光と煙を周囲にばらまきました。
細工が得意なだけはあって、自らに降りかかる脅威を退ける仕掛けは、いくつも用意していたのでしょう。
反面僕はと言えば、自分の使える攻撃魔法が“魔導弾”三発と、やっと覚えた“熱線”二発のみだったことに絶望しているばかりでした。
『やったか!?』
爆発に巻き込まれた“あいつ”を確認して、お三方は歓声を上げました。
でも、僕にはわかっていました。
その、結果が。
「やれっこない・・・」
数秒後。
僕の絶望的な呟きを証明するかの如く、地響きと共に大量の硝煙をかき分けて、“あいつ”はまた僕らを追いかけ始めました。
その巨体に似合わぬ軽快なのたうちは、触れれば僕らの脆弱な身体など容易くぺちゃんこにしてしまうようなすさまじい勢いでした。
“魔蛇”。
姿かたちや生態が少々異なる様々な亜種が、地上の人の住まわない限りのいたるところに存在していますが、ほぼ共通している点があります。
それは、ミミズそっくりで、そしてとんでもなく悪食で、すごく硬くて大きいということです。
ある種類は森に住み着き、ある種類は溶岩の中を泳ぎ回り、ある種類は凍りつくこともなく氷原に穴を穿つ。
要するに、どんな環境にも適応してしまうという恐ろしい魔物なのです。
お師様から簡単に教わってはいましたが、街から馬車で二日もかかる距離にまでくればこのような恐ろしい存在の生息域ということなのでしょう。ただ、ニーニャさんに言わせれば、『ありえない』ことのようでした。
「こんなに街の近くに巣をこさえるなんて、今までになかったわよ!」
徐々に距離を詰められているためか、先刻よりも若干声を張ってニーニャさんは言いました。
この砂ばかりの荒れ地に住まう“魔蛇”は、“砂魔蛇”と呼称される種族だと思われました。
お三方と僕が乗った馬車が砂地に差し掛かると、まるで大きな大きな蟻地獄の巣のような、穴の開いた窪地が幾つも見つかりました。最初はまったく分からなかったのですが、これが“魔蛇”の巣だったのです。
本による知識しかなかった僕はともかく、様々な土地を行き来している経験豊富な三姉妹が気づかないというのには驚きました。つまりこの魔物は、本来なら人里から余程遠く離れた土地にしか生息しないということなのでしょう。
また一つ、賢くなったなぁ。
「こりゃあ、邪神が攻めてくるっていう兆しなのかもね!?」
リャノンさんはそう叫びながら、矢を放ちました。
矢は狙い過たずに“魔蛇”の頭部に向かっていきますが・・・
ちぃんっ!
その強固な外骨格は、質量の軽い矢で貫くのにはあまりに堅牢なようです。
“魔蛇”は自分の頭に何かが当たったことに気づいた様子もなく、真っすぐに僕たちを追ってきていました。
「来るな!来るな!」
血相を変えたライネンさんは、必死に叫びながら馬車の後部の扉を開くと、新たな仕掛けを作動させました。
据え付けられていたその何本もの筒が束ねられたような機械の取っ手を右手で掴むと、それを力いっぱいにぐるぐると回し始めました。
途端に、先刻の爆弾と同じくらいの破裂音が連続して響き始めました。
その昔、異界から流入してきたという、銃。
本来単発の筈のそれを、連射ができるように改造していたようです。
凄まじい発明ではありますが、やはり“魔蛇”を撃ち殺すには威力が足りなかったようです。
穴をあけるどころかへこみすらつくることはできずに、銃弾は散らばっていきました。
無敵とも思える“魔蛇”は、一層速度を上げると、ついに馬車に肉薄しました。
どっがしゃあーーーん!
強烈な衝撃を伴って、馬車はごろごろと砂地を転がりました。
これ程酷く打ち付けられたのに壊れないというのは、下が砂地であったからなのか。
あるいは、お三方の大切なこの馬車がとても丈夫だったからなのでしょうか。
「あうっ!」
馬車が停止するまでの間に、中にいたお三方と僕は残らず外へと放り出されました。
幸いなことに、転がった馬車に巻き込まれた者は誰一人としておらず、同時に四頭の馬たちも無事なようでした。
確か、必要に応じて馬と馬車を繋いでいる金具を切り離すことができるんだったかな。
そのおかげで馬たちは、僕らを置いて元気いっぱいに逃げていきました。
砂場に散り散りになって取り残された僕たちは、呆然と頭上を見上げました。
先刻馬車を転がした“魔蛇”が、ゆっくりと頭部を持ち上げて僕たちを見下ろしていたのです。
もう、僕たちが逃げることができないと理解しているのでしょう。
その、尖った頭部の先端部分が徐々にまくれ上がると、外皮の下に隠れていた筒のような口の中に無数の牙が見えました。
環状に規則正しく生えそろった、しかし歪な形のそれらは、僕らを飲み込むことを待ちわびているかの如く、びくんびくんと気色悪く脈動していました。
「う、わ、あ・・・」
本来僕のような泣き虫は、こういう状況ではただ泣いているか。
あるいは、腰を抜かして動けなくなっているかのどちらかなのでしょう。
ですが、いざこのような緊急事態に陥ってみると、存外身体が動くものです。
僕は大切な呪文書が懐にあることを確認して、砂場を這いずる様に走り出しました。
当然、“魔蛇”とは反対側にです。
体力のない僕が、走って、走って、走って。
そして、ふと気が付きました。
追いかけてくる、気配がない。
“魔蛇”は勿論のことですが。
ニーニャさん。
リャノンさん。
ライネンさん。
全然、ついてこないや。
僕は走りながら、後ろを振り返りました。
そして、見てしまいました。
足を押さえてうずくまる長女のニーニャさんに、二人の妹であるリャノンさんとライネンさんが駆け寄っているのを。
恐らく、足をくじいたか、あるいは骨を折ってしまったのでしょう。
どちらにしてもその様子から、走って逃げるというのは無理なようでした。
「に・・・」
僕は、思わず呪文書を抱きしめました。
魔法士にとっては大切な。
そして僕個人にとって大切な。
魔法士だった、僕の父の形見。
「逃げて!」
僕は、“魔蛇”に向かって魔法を放ちました。
“魔道弾”。
一度狙いをつければ、障害物に当たらない限りは必ず標的に命中するという、魔力による誘導弾です。
まだ見習いの僕が放つそれは、熟練の魔法士よりも明らかに見劣りする光でした。
それでも、牽制程度にはなるかもしれない。
ぱちんっ!
先刻の、ライネンさんの手による爆弾や銃弾に比べれば、なんとも頼りない乾いた音が聞こえました。
「ああ、そんな・・・」
僕の渾身の“魔道弾”は、“魔蛇”の外皮のほんの表面を焦がしただけでした。
当然痛みも熱さも感じていないようで、“魔蛇”は僕に興味を示すこともなく、ゆっくりと三姉妹の方へと口を近づけていきました。
「三人とも、逃げて!逃げてください!」
こんな差し迫った状況だというのに何故だかゆっくりと時間が進んでいるように錯覚しました。
僕の必死の叫びに、しかし三姉妹はそろって首を振りました。
お互いの手をしっかりと握りしめて。
笑顔で。
そして三姉妹は、僕に優しく言いました。
「逃げるのよ」
でも、それじゃあ貴女たちはどうするんですか、ニーニャさん。
「大丈夫。こいつは、私たちがやっつけるからね」
そんな。だってそんなに、震えているじゃあないですか、リャノンさん。
「早く、早く」
僕だけが、逃げるだなんて。できるわけないでしょう、ライネンさん。
三姉妹に答えようと思っているのに、口が動かない。
僕は、逃げるわけにはいかない。
だが、僕には何もできない。
自分の力では、この状況を打開できない。
その事実を突きつけられて、僕は砂地に膝をついた。
“あの時”と同じ。
僕はまた、大切な人たちを目の前で失うのだ。
駄目だ。
僕のような、見習いでは。
否、僕のような才能のない泣き虫には、何もできやしない。
感情が圧倒的な絶望に支配され、訪れる未来に確信したその瞬間に。
もう一人の卑屈な僕が現れて、耳元で囁き出した。
そうさ。
お前は無力だ。
誰かを助けることなんて、絶対にできやしない。
父と母が“奴ら”に食い殺された時にだって、黙って見ていただけだっただろう。
今回も、同じことじゃあないか。
ああ、言っとくけどな。
今度は助けなんて来ないぞ。
あの時のように都合よく、強くて素敵なお姫様が救いに来てくれたりなんかしない。
全体、お前みたいな能無しに、あの女性が少しでも期待している訳がないだろう。
お前は泣き虫の、弱虫の、ヘタレの、卑怯者だ。
精々あの三人を囮にして、逃げればいい!
もう一人の卑屈な僕は、好き放題に言って、僕の中に戻っていった。
まさに、三姉妹が飲み込まれそうになっていた、その瞬間に。
僕は
人の持つ“強さ”って、なんでしょうか。




