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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第71話 交流の準備について


 「ししょう!このげどう!」

 「仕方がないんだよ」


 師匠は逃げようとする私の首根っこを掴むと、そのまま力任せに、ぽーんと宙に放り投げた。


 私はくるくると空中できりもみ回転をしながら、受け身も取れないままに寝台へと落着した。


 ぼすんっ、という音と共に私の身体が深く寝台に沈み込み、次いで肺の中の空気が自分の意志とは関係なしに押し出された。


 一瞬だけ呼吸ができなくなった私は、即座に次の行動に移ることができずに、師匠の接近を許してしまった。


 「いやだ、いやだ!」

 「そうはいかないよ、君」


 私の必死の抵抗もむなしく、師匠は白衣の女性と一緒になって私の腕を、肩を押さえつけた。


 それなりに鍛えている私だが、大人に二人がかりで来られては、力比べでは勝ちようがない。

 私は寝台の上に寝かされたまま、まともに身動きができない状態にされてしまっていた。


 「そんなにふといの、むり!」

 「大丈夫だよ。痛いのは最初だけだから」


 私は、眼前にさらされた“それ”を見つめて涙目になった。


 大人たちの、そんな私を見つめる眼が、怪しく光っていた。

 

 なんということだろうか。

 私の最大の理解者であるはずの師匠の裏切りによって、私は人生で最大の危機に直面してしまったのだ。

 

 必死に足だけをバタバタと動かしたが、残念ながら師匠の脇腹を蹴り飛ばすくらいしかできなかった。


 「ふふふ・・・。さぁ、お嬢さん。観念しなさい!」


 師匠と女性の背後から、別の白衣の男が偏執的な眼で私をねめまわしながら、ハァハァと荒い息をついて言った。


 これから始まる凌辱に恐怖し、私は大声で助けを求めた。


 「だれか、だれかー!たすけて、たすけてー!」


 私は乱暴に押さえつけられながらも、力の限りに訴えた。


 しかし、誰も助けには現れない。

 これ程に広く、大勢の人がいる施設のはずなのに。


 このままでは、奪われる。


 奪われてしまう。


 私の、大切な・・・


 「じゃあ、いくぞぉー?」


 白衣の男がそう言いながら、“それ”を近づけてきた。


 最早、これまで。


 私は眼を固くつぶると、断末魔の叫びを上げた。

 

 



































 「ちゅうしゃ、いやだーーーーーー!」

 














 

 ぶすりっ


 「いたっ!」















 あれから私は、立て続けに三回も注射を打たれ、大量の血を抜かれてしまった。

 しばらくの間頭がくらくらしたのだが、それは別に貧血だからではなく、強い精神的な負担を感じたためなのだそうだ。


 「お二人とも、すこぶる健康体ですよ。これなら、問題なく“環”の向こうへ行けます」

 

 白衣の男は、笑顔でそう言った。

 

 私と師匠から採取した血液の検査には、数十分程かかるらしい。

 だが現在わかる範囲でも、特に問題はないのだそうな。


 まあ、毎日毎日嫌になるほどに健康的な暮らしを強いられているのだから、当然であるが。 


 「よく我慢したね~」


 涙目で鼻をすする私に笑いかけながら、その医師は懐から飴玉の包みをよこした。

 

 恐らく、私の様に注射が嫌でぐずる子どもへの対応には、慣れているのだろう。

 ちょいちょいと私の頭を撫でながら、「頑張ったね~」などと気安く話しかけてきた。


 ふんだ。

 子ども扱いしないで欲しいものだ。


 私は確かに注射が嫌いだが、それはただ単に健康である自分がお医者様のお世話になるのが嫌だ、という理由によるものなのだ。


 決して、痛かったからではないのだ。


 私は医師からのご褒美を突き返すと、師匠の腕を引いて診察室を飛び出した。

 

 「結果が出るまで、ちょっと時間を潰していてくださいよ」

 「承った。では、また後程」


 医師からの言葉に後ろを振り返る師匠を、私は乱暴に引っ張った。 









 ここ中央病院は街でも一番の専門医療機関であり、従ってその設備の充実具合は他の診療所などの追随を許さない。


 手術施設はもちろんのこと、長期入院が可能な病室に、治療後の身体機能回復運動のための高価な器具類、さらには患者たちの心の癒しのための娯楽室なんかもあるのだ。

 勿論、食堂だってある。


 まあ、今回は昼食後なので世話になることはないが。


 「ぐすん。すっごく、いたかったよう」


 私は師匠と共に、広く清潔感のある病院の廊下を歩きながらそう言った。

 

 決してその場にいる者を不安にさせないような、柔らかな色合いの壁紙と照明、そして壁に掛けられた絵画などからは、身体を痛めた人々の心を少しでも支えようという気遣いが感じられる。


 だが、傷つけられた私の心は、そう簡単には癒えないのだ。


 「・・・私も、それなりに痛かったよ」


 師匠は私と同じく注射器を刺された左腕を・・・、ではなく私に散々蹴られた脇腹を抑えながら、そう言った。


 心なしか、私に向けられる視線には非難の感情が含まれていた。


 だが私だって、痛い思いをしたのだ。

 採血なんて、生まれて初めての経験だったのだから。


 私の父も医師ではあったが、私の注射嫌いをよく知っていたために、必要な時には飲み薬を用立ててくれたのだ。まあ、それだって苦くて大嫌いだったが。


 だから、師匠が急に『中央病院で検査を受ける』などと言い出した時には、半狂乱になって抵抗したのだ。


 「なんだって、ちゅうしゃなんか!」

 「仕方がないんだよ。異界との交流における、取り決めなのだ」


 師匠は自分の左腕の採血痕を指さしながら、憤る私をなだめるように解説を始めた。

 消毒用の綿と、その上から張られた粘着帯は、先刻の苦痛を想起させる。


 「“防疫”、というやつでね。未知の病原を異なる世界に持ち込まないように、こうして血液検査を行わなくてはならないんだ」


 私は若干師匠から眼をそらしながら、耳だけはしっかりと向けていた。


 病原。

 つまりは、病気の元ということだ。

 

 今朝がた師匠からの即席授業で教わったばかりだが、細菌や微小構造体というものがそれに当てはまるらしい。

 こいつらは眼には見えないが、時として人の命を奪う程の強力な毒を生成するのだそうな。

 しかも、私たちの身体の中に入り込んで、無尽蔵にその数を増やすらしい。


 なんとも恐ろしい存在だが、私には精々風邪の時にしか“世話”になってはいない。

 

 「わたしは病気なんて、したことないもん。さいけつなんて、いらないもん」

 「私たちにとっては無害でも、異界の住人にとっては有害な何かがあるかも知れないんだ。“共生微生物”についても、今朝叩き込んだだろう?」


 師匠に言われて、私は頭をひねった。


 確か、私たち人や動物などの定命の存在の身体の中には、ほぼ必ず細菌や微小構造体が住み着いているんだったか。


 そしてそいつらの中には、私たちが生きる上で役に立つものも存在するのだそうな。

 なんだか実感がわかないが。


 「それらのおかげで、私たちは健康を維持することができるんだ。だが、異界の住人にとっては同じとは言えないかもしれないんだ」

 「・・・つまり、わたしたちのからだの中のびせいぶつが、ニホンのひとたちに悪さをするかもしれない?」

 「その通りだよ。以前案内した少年たちも、交流事業の前後で入念な精密検査を受けているのだろうね」


 成程。

 向こうも同じなのか。

 彼らも痛い想いをしたのならば、ちょっとは心の支えになるなあ。

 

 などとしみじみと思っていると、突如、私の脳裏にひらめくものがあった。


 私は恐る恐る、師匠へと問いかけた。


 「ししょう、ししょう」

 「なんだい」


 “向こうも同じ”。

 そう、その通りだ。 

 

 向こうにも同じく存在するであろう細菌や微小構造体とやら。

 それらは、ひょっとすると・・・


 「ひょっとして、ニホンのひとたちには無害なものでも、わたしたちにとっては・・・」

 「素晴らしい、よく分かっているじゃないか」


 師匠は彫像のような顔のまま、感心したようにうなずいてくれた。

 それ自体は嬉しいのだが、しかし、そうなると。


 「じゃ、じゃあ、わたしたちがニホンに行くのって・・・」

 「その通り。ひょっとしたら、何か有害なものに触れるかもしれないんだ。つまり私たちは、実験動物としての役割も担っているんだよ」

 「じ、じっけんどうぶつ・・・」


 それはつまり、異界で触れるありとあらゆるものが、私たちの世界にとって無害か有害かを私たちが身をもって調査するということだ。

 

 もしも仮に、有害な微生物だのに触れてしまったならどうなるのか?


 私は先刻の様に寝台の上に押さえつけられ、見たこともない器具によって拷問めいた“調査”を受ける自分の姿を幻視してしまった。


 「なんだ、行きたくなくなってしまったのかい?」

 「え、いや、それは・・・」

 

 不安が顔に出てしまったのだろうか。

 師匠が彫像の様な顔を傾けて、私を覗き込んでいた。

 

 別に、異界に行きたくない訳ではないのだ。

  

 だが、もしも。


 もしも有害な細菌だのなんだのに触れてしまったら。


 「そうかぁ。なんとも、残念だね。それならば、私一人で行くことになるなぁ」

 「え、え、そんな、でも・・・」


 師匠は、やけに間延びした口調でそう言った。

 

 反対に私は慌てることとなってしまった。


 異界には行きたい。


 だが、良く分からないバイキンなんかが自分の身体の中に入り込んでくるのは怖い。


 知識のない私は、その眼に見えない生き物たちが一斉に私の身体に牙を向けるような、そんな恐ろしい感覚を覚えてしまったのだ。


 師匠はそんな私の様子をよくよく観察したうえで、何故だか意地の悪いことを言い出した。


 「実は今回の交流は、以前出会った学士の卵たちとの触れ合いが主な催しなのだそうだよ」

 「え、え、え、うそぉ・・・」

  

 なんということか!


 あの幸福なひと時を共有し、そして文通を繰り返している彼らと、再び相まみえることができようとは!


 もう二度と会うことなどできはしないと覚悟をしていたのに、これはまさに奇跡ではないか!?


 だが、しかし、おっかないバイキンが・・・


 「なんと、彼らの通う“学校”という場所に行けるのだそうな。いやぁ、領主様は大分頑張ってくださったようだよ。これは、私も張り切らねば」

 「あう、あう、あう・・・」


 ああ、“学校”!

 

 私と同年代くらいの子どもたちが集まって、一緒に学業に専念する場所であるらしい。


 見てみたい。


 そして、他の子どもたちにも会ってみたい。


 そして、友達をたくさん作りたい。


 でも、でも、でも・・・


 顔を赤らめたり青ざめたりと、くるくると表情を変え続ける私を眺めながら、師匠は頷いた。


 「大丈夫だよ、君。そんなに心配するほどのことはないさ」


 突然いつもの冷静な口調に戻った師匠に、私は拍子抜けしたような気分になった。


 彫像の様な師匠の顔を見つめると、なんだろうか、その眼に映るのは、ほんのちょっとだけ喜びの感情?


 困惑する私をよそに、師匠は種明かしを始めた。

 

 「そも、ニホンとは何十年も前から細々とではあるが交流をしていたんだ。それに、異界の子どもたちは街の料理を食し、私たちと直接触れ合ったのだ。それで無事なのだから、逆もまた然りだ」


 言われて私は、はっとした。


 そう言えば、そうではないか。


 私はすでに、異界の子どもたちと触れ合い、昼食をともにしている。

 だが、私はこうして元気なままだ。

 

 それに、彼らだって今でも変わらずに私に手紙を送ってきてくれている。

 最近は、“修学旅行”という勉強と旅行を足したような催しの写真を送ってきてくれたのだが、そこに写る彼らはみな元気そうだった。


 「あれ?じゃあ、わたしがニホンにいっても・・・」

 「うん。余程のことがなければ、病気などにはならないだろうね」


 私は信じられないものを見るような眼で、師匠を見つめた。


 師匠は、私の不安を解こうともせずに、あえて板挟みにあって困っている様を見ていたのだ。


 なんという外道であろうか。


 「・・・なんで、もったいぶって、おしえてくれなかったの?」


 半目で睨みつける私に怖気ることもなく、師匠は答えた。


 「うむ。先刻の蹴りへの仕返し、という奴だね」


 彫像の様な顔のままに、腕を組んでしたりと言い放つ師匠に向かって、私は全力で後ろ回し蹴りを叩き込んだ。


 


 










 「結果が出ました!」

 「如何だったかな?」

 「まったくもって、問題なし!異界行きを許可します!」

 「よかったね、君」

 「・・・」

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