第69話 領主からの依頼について
誤字脱字が多くて申し訳ありません。
小さな執務用の机と、来客用の四つの席寝椅子に小さな卓。
そして壁には、良く分からない専門書がぎっしりと詰まった本棚。
飾り気のない、殺風景と言ってもいい空間だ。
だがここは、この街で最も偉い人間の仕事部屋である。
「さぁ、どうぞ」
「あ、あ、あ、ありがとう、ございます・・・」
私は震える手で、紅茶の入った湯呑を受け取った。
そんな私の様子を見ながら、目の前の女性は微笑んだ。
皺が刻まれていながらも、その年齢を感じさせないような凛とした表情は、精神力の強さを反映しているようだ。
笑顔の中でも射貫くような視線は、この人物が未だに”現役”であるということを証明している。
「そんなに緊張しなくても、いいのですよ」
そう言って、目の前の女性は。
この街の領主にして、最高権力者にして、最強の女騎士は、悠然と紅茶をすすった。
私たちは、突如領主からの出頭命令を受けた。
「『拒否したら、柱に吊るす』・・・だそうです」
伝達に来た文官は、あんた等はいったい何をやらかしたんだ、という眼で私たちを見ていた。
当然、毎日を清く正しく美しく生きている私には、領主の怒りを買うような覚えはない。
となると、原因は師匠である。
「分かった」
何かをやらかした師匠はこともなげにそう言って、昼食もそこそこに余所行きの正装へと着替え始めた。
私は、空になった皿と未だに野菜の和え物が残る皿を交互に肉叉で突きながら、そんな師匠を見つめていた。
膝の上のしろすけは、自分の顔の前を行ったり来たりする肉叉を追いかけて、顔を左右に振っていた。
本当に、師匠という人間の人脈はよくわからない。
グレンのような遊び人や、先日の色ボケ天使。
はたまた組合や聖職者とのつながりがあるかと思えば、今度は街で一番偉い領主様である。
ひょっとして師匠は、大物なのではないのだろうか?
しかし居間の姿見の前でうんうん唸りながら、外套の色を選んでいる冴えない男からは、そんな風格は微塵も感じられなかった。
私からの視線に気づいたのだろうか。
師匠が私の方を見て、問うた。
「君も、来るかい?」
どうやら、私は物欲しそうな顔をしていたらしい。
そうかも知れないし、実際に私はうらやましかった。
だから、私の答えは決まっていた。
「いく!」
私はしろすけを抱きしめながら、即答した。
なにせ領主と面会できる人間なんて、この街ではほんの一握りなのだ。
最高権力者である領主と、一聖職者である師匠との交友関係については小一時間程問いただしたいところであったが、それ以上に伝説にして最強の女騎士に会ってみたいという誘惑が勝った。
師匠の皿の鶏の揚げ物を口の中に放り込み、私も急いで正装へと着替えることにした。
勿論、付け合わせの野菜の和え物はしろすけに進呈するのだ。
「ごめんよ、しろすけ。これをあげるから、まっててね」
「駄目だよ、しろすけ。ちゃんと帰ってきてから食べさせるのだから」
しろすけは、私と師匠のどちらの言うことを聞くべきか考えているのか、何度も頭を傾げていた。
この街は、いや世界は、実力主義で成り立っている。
いかに生まれが優れていても、その実力を十全に発揮できなければ、たとえ貴族であっても数代で無残に没落してしまう。
逆にどれ程に生まれが卑しくても、その才能を開花させることができれば、行政の中枢にまでのし上がることだって不可能ではない。
今、私と師匠の目の前にいる女性も、実力者の一人だ。
領主アーマ。
彼女は二十年ほど前に、旧領主の首を刎ね飛ばした張本人である。
自身になびく身内貴族で議会を固めていた専制的な旧領主は、この街の市民を、そして周辺の村民を食い物にしていた。
そんな圧政を強いられていた市民たちの支持を受けて立ち上がったこの女性は、この街の救世主にして良き統治者である。
二十歳にして、あらゆる武芸と魔法を修め、政治を学び、虐げられる弱者達の声を聴いた。
没落した元貴族という哀しい生まれであり、彼女自身も掘立小屋で暮らすような貧乏人だったらしい。
しかしその素晴らしい才能と精神力で、肥え太った旧世代の権力者たちを淘汰し、新たな法を布いたのだ。
そして二十年間、この街は平穏に機能している。
まさに、立身出世の体現者。
美しき反乱者。
可憐なる救世主。
彼女を湛える言葉はいくつもある。
この街の人間ならば、知らぬ者などいない。
まさにまさに、生ける伝説なのである。
「騙されてはいけないよ、君」
紅茶を飲んで眉根を寄せた師匠が、そう言った。
いつもの無表情だったが、受け取った紅茶の何かが気に入らなかったらしい。
その眼を不機嫌そうに細めながら、「鉄の薬缶を使ったな・・・」などと呟いていた。
「だまされるって、どういうこと?」
私は、領主に勧められた砂糖をどばどばと紅茶に入れながら、師匠に聞き返した。
師匠はその不機嫌そうな眼を領主に向けながら、鼻を鳴らした。
ひょっとして、師匠を不快にさせているのは紅茶ではなく、この領主なのだろうか。
「この女性はね。とても恐ろしい、計算高い人物なんだ」
師匠は湯呑と皿を目の前の卓の上に置いて、そう言った。
とうの領主は、まるで他人事のようにそれに耳を傾けていた。
「市民を焚き付け、他の貧乏貴族の後ろ盾を得て、議員の貴族たちに仲たがいをさせて。散々工作をして反乱を起こしたんだ。まさに悪魔のような女だよ」
「ご挨拶ですわねぇ。私は善意で街を救ったのですよ」
領主は、年齢相応に落ち着き払った様子で師匠の中傷を受け流していた。
反対に師匠は、無表情のままに、実に感情豊かな反応を示していた。
左右のこめかみを指で挟み、大きくため息をついたのだ。
稀に、私が師匠を困らせた時にやる仕草だった。
「・・・私は忙しいんだ。早く用件を言いたまえよ」
「まあまあ、そう焦らずに。お菓子でもどうぞ」
急かす師匠をなだめながら、領主は今度はお茶請けの菓子を机から取り出した。
師匠は、余程のことがない限りは出されたものはきちんと食べる男だ。
鼻を鳴らしながらも、まんまとその焼き菓子に手を伸ばしていた。
上品に微笑みながら師匠をあしらうその手腕は、なんというか、とても慣れている感じがした。
私以上に、師匠という人間の扱い方をよく心得ているように思えたのだ。
それがなんだかとても気になって、私は二人の会話に割り込んだ。
「ししょうと領主さまって、なかがいいの?」
「別に、仲がいいわけではない」
師匠は片手で焼き菓子を摘まみ、もう片手で首筋を撫でながらそう言った。
どうも一服盛られてしまったらしい。行儀が悪い。
などと思っていると、領主がとんでもない一言を放った。
「この方が世話してくださったおかげで、今の私があるのですよ」
私は思わず、紅茶を吹き出しかけた。
「な、なんのじょうだんを・・・」
私はむせながら呟いた。
こんな歴史に名を残すような偉人が、なんだって師匠の世話になるというのだ。
本当に、冗談はやめてもらいたい。
しかし師匠は、それを真に受けたらしい。
なんだか作業の様に菓子と紅茶を交互に口に入れつつも、口をはさんできた。
「それを言わないでくれたまえ。後悔しているんだ」
師匠はいら立ちをごまかそうとしているのか、次々と菓子を口の中に放り込んでいった。
無表情にそれをやるものだから、その絵面は何かの喜劇の一種に見えてしまう。
やがて焼き菓子がなくなると、師匠は我に返ったように咳払いをした。
「もういい。これ以上はぐらかそうというのなら、私たちは失礼するよ」
食うだけ食って、師匠は情けない捨て台詞を吐いた。
領主様の前で、格好悪いなー。
私はそう思って、席を立とうとする師匠を引き留めようとした。
すると。
「貴方に、依頼があるのです」
言いながら領主は執務机から離れ、私と師匠の対面に座った。
師匠は嘆息すると、椅子に座りなおして背筋を正した。
やっと、本題に入るようだ。
私は二人の邪魔をしないように、静かに紅茶の中に砂糖を入れていた。
「依頼とは?」
「異界との交流事業ですよ」
異界との交流。
その言葉に、私は思わず声を出しそうになった。
あの、少年たちとの出会い。
とても、幸福なひと時。
私の、確かな思い出になっている。
「貴方に、ニホンへと行っていただきたいのです。ほんの数時間ですが」
「前回の逆、ということか・・・」
領主からの依頼に、しかし師匠は即答をしなかった。
普段の師匠は、依頼されたことはほとんど二つ返事で応じてしまう。
だから迷うそぶりを見せるような時は、大抵はどのようにお引き取り願うか、その際の言葉を選んでいるに他ならないのだ。
いくら領主からの頼みとは言え、師匠は簡単には首を振らないだろう。
「それは、難しいな」
「貴方の先日の無理難題に比べれば、大したことではないでしょう」
領主様は鼻で笑いながら、切り返してきた。
先日のとは、ひょっとして異界との文通のことだろうか。
あの時は、“検閲”とやらのせいで私と異界の少年たちとの手紙がめちゃくちゃにされてしまっていた。
師匠は困った私のために骨を折ってくれたそうだが、そのしわ寄せが同じ異界との交流でくるとは思わなかった。
「私の長年の外交努力をふいにしたのですから、埋め合わせをしていただかないと」
「冗談はやめてくれたまえ。子ども同士の文通内容を覗き見るというのが外交などと言うのならば、この依頼は差し詰め侵略戦争だろうな」
「それは、冗談のおつもりなのかしら?あまり面白くないですわねぇ」
「ならば私が代わりに笑おうかね」
私は紅茶を飲みもせずにせっせと砂糖を入れながら、ただただ二人の会話に聞き入っていた。
まるで師匠とこの領主様との間で、見えない剣舞が繰り広げられているように感じられたからだ。
それ程に二人の言葉のやり取りは、小気味のよい調子で交換されていたのだ。
二人は、かなり長い年月を共に過ごしたに違いない。
私は、そのように直感した。
ひょっとして師匠は、この領主の縁者か、あるいはいっそ隠し子だったりするのかも!?
とんでもない醜聞を知りえてしまったような気がして、私は知らずに感動で身体を震わせていた。
後で日記にしっかり記帳しなければ!
などとくだらないことを考えていると。
「まあ、別にニホンへと行ってくださるのならば、誰でもよいのです。ただ、情けない貴族の男どもは尻込みするばかりでして・・・」
そう言って領主様は、ちらりと私を見た。
え。
なんだろうか。
この話の流れで、どうして私を見るのだろうか。
私は、今度は恐怖で身体を震わせながら、ひたすら砂糖をざぶざぶと紅茶に注いでいた。
とうとう、私の紅茶から砂糖とお茶があふれ出した、その時。
領主は私に優しく微笑みながら、問うた。
「どうかしら、貴女。異界に、ニホンに行ってみたくはないかしら?」
どうやら、私は物欲しそうな顔をしていたらしい。
そうかも知れないし、実際に私は師匠がうらやましかった。
だから、私の答えは決まっていた。
「いきたい!」
私は紅茶の湯呑を抱えながら、即答していた。
なにせ異界との交流ができる人間なんて、この街ではほんの一握りなのだ。
また、新たなオトナの政治的なアレコレに巻き込まれてしまうという不安もあったが、あの異界の少年たちとの奇跡のような出会いをもう一度体験できるという誘惑が勝った。
「君、安請け合いは・・・」
師匠が浮かれる私をたしなめるように、肩に手を置いた。
しかし領主は、それを遮る様にして話を続けた。
「決まりですわね。ディンさんの代わりに彼女が行ってくださるというのならば、私はそれで構いませんが・・・?」
領主は凛とした表情で、しかしどことなくいたずらっぽく笑いながら、師匠に目配せした。
ぐぬ、という師匠の悔しそうな唸り声が聞こえた。
「ししょう・・・?」
私は不安気に師匠を見た。
確かに、私は異界へと足を運んでみたい。
だが、たった一人で異邦の地に赴くのは恐ろしいとも思うのだ。
だから、一緒にいてほしい。
私と一緒に、素敵な体験をして欲しいのだ。
そんな思いを込めて師匠を見つめると、師匠は少しだけ唸ってから答えてくれた。
「・・・承った」
「ありがとう、ししょう!」
「いや、なに。私も、興味はあったんだ」
「きょうみって?」
「大したことではないさ」
「きっと、ニホンのお酒が欲しいのでしょう」
「あ!なるほどー!」
「・・・」




