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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第68話 天使について 後


 怒るべきか、呆れるべきか。

 それが、問題であった。


 いや。

 答えは、すでに出ていたのだ。


 「ねぇ~、ディンさ~ん。お腹空きましたぁ~」

 「分かった。分かったから、引っ付かんでくれ」


 六枚の翼をせわしなく羽ばたかせながら、その美しい天使は師匠にまとわりついていた。

 師匠はそれをうざったそうに振り払おうとはしていたが、ふわふわと自在に宙を舞う彼女にはてこずっているようであった。


 「お腹と背中がぁ~、くっつきそうぅ~」

 「ああ、もう・・・。君、早く家に帰ろう。人目に触れてはまずい」


 師匠はいっそ諦めたのか、背中からしなだれかかってくる美しい女性を引っ張りながら歩き始めた。


 そして師匠とその女が私の横を通り過ぎる瞬間に、私の眼にはっきりと、師匠の背中に押し付けられる、二つの巨大な果実が見えた。


 「で、でかい・・・」


 私は知らず知らずの内に、声を出してしまっていた。


 この頭の緩そうな天使様は、私が夢の中で度々出会う不思議な娘とよく似ていた。


 ただし、胸の大きさを除いて、だが。


 天の使い走りは師匠から離れまいと、その首にしっかりと腕を巻き付けていた。

 そのため師匠の身体が揺れるたびに、その背中に密着していた胸がぐにゃぐにゃと変形するさまが、妙に鮮明に見えた。


 「こらぁっ!」


 私は呆れを放り出し、怒りを纏った木剣の一撃を見舞った。


 別に、私の師匠に対して、いやに馴れ馴れしくべたべたと引っ付いていたからではない。

 別に、私よりも四倍、いや五倍程の胸囲を持っていたからではない。


 その、天使として相応しくない振る舞いが気に入らなかっただけだ! 


 師匠からの訓練のたまものか、私の一太刀は見事に女天使の後頭部に命中した。


 「ぎゃんっ!?」


 女天使は犬のような悲鳴を上げると、師匠の背中からずるずると滑り落ちていった。




 





 「あうぅ~・・・。痛いぃ~・・・」


 お屋敷の居間にて。

 

 女天使は、頭を押さえながら涙目になっていた。


 相変わらずその腹からは、空腹を告げる虚しい音が響いていた。


 「こんなのが、てんしだなんて・・・」


 私は軽いめまいを感じながら、呆れたように言った。


 私の膝の上ではしろすけが、珍妙な客人に対して不思議そうな眼を向けていた。

 

 天使というのは、もっと荘厳で、凛々しくて、要するに格好いい存在だと思っていたのに。

 これでは、印象を悪くするのは当たり前ではないか。


 「君、侮ってはいけないよ。それでも、天上では一二を争う程の実力を持っているんだ」

 

 台所の方から、調理の音に交じって師匠の声が聞こえた。


 鍛錬を早々に切り上げて屋敷に戻ると、師匠は即座に朝食の準備を始めたのだ。

 なにせこの駄目天使ときたら、昏倒して師匠に引きずられている間にも「お腹が空いた」と呟き続けていたからだ。 


 「えへへ~。それほどでもぉ~」

 「うそくさ・・・」


 師匠の言葉に、私は女天使をまじまじと見つめた。


 あの不思議な娘と同じく、美しい金色の髪と、絹のように白い肌。

 女の私から見ても、美しい。

 

 ただ、違うところも多い。

 背中に生えた三対六枚の白い翼と、腹立たしいほどに大きすぎる胸。

 そして何より、その間延びした態度である。


 「それよりぃ~、お腹が空いたんですけどぉ~?」

 「分かっている。そら、今行くぞ!」


 師匠は威勢の良い掛け声と共に、両手と両腕に器用に四枚の大皿を乗せて、食卓までやってきた。


 その大皿には、それぞれ肉料理、野菜料理、麺麭の包み、切り分けられた果物が山と積まれていた。


 『すごい!』


 私と腹ペコ天使は、思わず同時に叫んだ。

 しろすけも、それに同意するようにして甲高い鳴き声を上げた。


 肉の大皿では、鶏、豚、牛が三者三葉に調理されていた。

 

 手羽先を柔らかく煮込んだもの。

 豚の背中肉を生姜と胡椒で味付けしたもの。

 牛の腰肉をじっくりと弱火で焼いたもの。

 

 どれも私の好物だ。


 野菜の大皿では、苦手な葉野菜と赤茄子を始め、もやし、瓜、玉蜀黍などが植物油と酢で和えられていた。

 かなり肉料理の味が濃そうなので、口を休めるにはちょうど良いかもしれない。


 麺麭の大皿では、二つに割られた白麺麭の間に、ゆで卵やツナや野菜などが詰めあわされていた。

 しかもそれだけではなく、わざわざ四角錐の形になる様にそれらが積み上げられており、見た目にもお洒落だった。


 果物の大皿には、林檎、梨に加えて、季節外れの桃や西瓜がいずれも一口大に切り分けられていた。

 ひょっとして、温室栽培の高い奴なのだろうか。この時期に食べられるとは、なんとも嬉しいではないか。

 しろすけは、ぺろぺろと舌で口の周りを舐め始めていた。


 「それじゃ、さっそく・・・」


 肉叉を手に取って四枚の大皿へと伸ばしかけた私は、ふと他の二人の様子に気が付いてその手を止めた。

 師匠と天使は、どちらも同じように胸の前で手を組み、祈りの言葉を呟いていたのだ。


 「偉大なる主神、アリシア様・・・」

 「今日の糧に感謝いたします・・・」


 二人のぴったりと息の合った祈りにきまりが悪くなり、私は手を引っ込めて、しろすけを抱きしめた。


 私と師匠の二人だけの時には気にもしなかったが、こうして食卓で自分以外の全員が祈っていては、先に食べ始めるのは気が引きてしまう。


 私は祈りが終わるのを待って、しばし所在なげに二人の様子を見つめていた。


 成程。

 こんなダメ天使でも、一応礼儀というか節度というか、そういうものは持っているのか。

 私も、ちょっとは見習ったほうがいいのかな?

 

 などと私が、殊勝な心掛けをしようとしていると。


 「では、いただきますねぇ~」


 祈りが終わった途端に、女天使の様子が一変した。


 腹ペコ天使は両手に肉叉を構え、眼を怪しげに光らせて、じゅるりと涎をすすった。


 そして目にもとまらぬ速さで肉を、野菜を、麺麭を、果物を突き刺し、まるで飲み下すようにして口の中に次から次へと押し込んでいくではないか。


 呆気にとられる私に小皿を渡しながら、師匠は静かに告げた。


 「君、早く自分の分を食べたまえ。なくなるから」


 師匠の眼とその言葉は、師匠の悲哀をたっぷりに含んでいた。






 「ふぅぅ~。生き返った~」


 デカ乳女はそう言うと、椅子にふんぞり返って腹を撫でた。

 口の周りには食べかすがべたべたとついており、同じ女として見ていられない体たらくであった。


 朝食が始まってから、僅か十分である。

 あの四枚の大皿の中身の、実に八割がこの女の腹の中に納まっていた。

 

 天使というのは、よほど優れた胃袋を持っているらしい。


 おかげで私もしろすけも、そして師匠もまだすきっ腹であった。


 「それでぇ~、一体なんの御用ですかぁ~?」


 腹が膨れて満足したためだろうか。

 私たち二人と一匹からの非難の視線を気にもせずに、大喰らい天使は話を切り出した。


 私と師匠は、うっ、と言葉に詰まった。


 散々馳走しておいてなんだが、今更、私が興味本位で呼んでくれと師匠にせがんだ、などとは言えなかったのだ。

 さて、どうしたものか。

 

 天使は首をかしげながら、師匠の方をみて微笑んだ。


 「ひょっとしてぇ~、とうとう私とぉ~、赤ちゃんを作りたくなったんですかぁ~?」


 女天使はそう言ってふわりと宙に浮かび上がると、師匠の顔に両手を伸ばして頬を優しく包み込んだ。

 その表情は微妙に赤らんでおり、なんというか、発情しているように見えた。


 「はっ?えっ?」


 私は天使のその言葉と行動に理解が追い付かず、間抜けな声を出した。


 今、この色ボケ天使はなんと言ったのだ?

 赤ちゃんを作るとか、なんとか?

 

 では、誰と作るのだ?

 ひょっとして、その、ししょうと?


 「いいですよぉ~?貴方が望むのならぁ~、二人でもぉ~三人でもぉ~」

 「おい、止めてくれ。顔の周りが汚いよ」


 恐らく並みの男連中だったら、即座になびいてしまうのだろう。

 それ程の誘惑に対して、しかし師匠は少しも応じる気を見せなかった。


 「うぅ~ん。いぃ~い、においぃ~・・・」


 だが、肉欲天使はそれに構わず、私の師匠にむしゃぶりつこうとした。





































 「ふ    ざ    け    ん    な   !」






















 しろすけが悲鳴をあげて、私の膝から飛びのいた。

 

 とうとう我慢の限界に達した私は食卓の上に飛び乗って、隠し持っていた刺突剣を構えた。


 「この、はつじょうてんしめぇー!」

 「ひやぁぁ~!?」


 今ここに、私と天使との戦争が勃発した。


 私の繰り出す突きから逃げるように、天使は居間中を飛び回った。

 

 そして私は、それを追って居間中を縦横無尽に駆け巡った。


 「しろすけ。危ないから、こっちにおいで」


 しろすけは私たちの乱闘を横目に、師匠の下に駆け寄った。


 「とりあえず、気が済むまで暴れてもらおうか」


 師匠はしろすけを抱きかかえたまま、台所へと消えた。

 食後の紅茶を淹れに行ったのだろう。


 私は安心して、発情天使の尻を突き回した。


 「とりゃー!」

 「やぁ~めぇ~てぇ~!?」


 私と駄天使の戦闘は、三十分にわたって繰り広げられた。


 その間、師匠は三杯の紅茶を味わい、しろすけは林檎を二つ平らげた。

  

 そして、私は椅子を二脚と本棚をぶち壊し、駄天使は突かれた勢いで食卓に墜落し、見事にそれを真っ二つにへし折った。

 

 散々な被害をもたらした私と天使との間の戦争は、師匠からの「いい加減に、もう止めて」という嘆願であっけなく幕を下ろした。





 「ん、もう!とっととかえれ!」


 先に体力が尽きた私は、ぜいぜいと荒く息をつき、倒れた本棚に腰を下ろしながら天使に叫んだ。 


 「はあぁ~い。お腹いっぱいになったしぃ~、帰りまぁ~す」


 色ボケ天使はお尻をさすりながら、ふわふわと宙に浮かび上がると、ぺこりと頭を下げた。

 こちらは疲れた様子もなく、最初に出会った時の様に超然とした笑みを浮かべていた。


 「もう、帰るのかい?もう少しゆっくりして行きたまえよ。この娘に紹介してやりたいのだが」


 師匠が私たちの破壊の後を片付けながら、いらないことを言い出した。

 

 止めてよ、師匠。

 こんな女、とっとと出て行ってもらいたいのに。


 その祈りが天に通じたのか。

 はたまた天の御使いたる彼女に通じたのか。

 

 満腹天使は、笑顔のまま顔を横に振った。


 「わたしもぉ~、こう見えてぇ~、結構忙しいんですよぉ~」


 忙しんだったら、なんで師匠の召喚に応じたのだ!?

 あまつさえ、私たちの分の朝食まで食べよってからに!


 私は鼻息も荒く、しっしっと女天使を追い立てた。

 天使はそんな私に、笑顔のまま手を振り返した。


 「あなたたちにぃ~、アリシア様のぉ~、ご加護があらんことをぉ~」


 

 玄関の扉を開けたまま去っていく客人を、私と師匠はそれぞれ異なる表情で見送っていた。

 師匠はいつもの無表情で。

 私については・・・、まあ、言うまでもなかろう。


 「さいってーなやつだった!」

 「折角呼んだのだから、話を聞くぐらいしてもよかったのに」

 「じょーだんじゃない!」

 

 私は、後片付けにいそしむ師匠に向けて怒鳴った。


 確かに呼んで、朝食をごちそうしただけだったが。

 それでも、十分な収穫はあったのだ。


 天使というのは、どうやらろくでもない連中らしい。

 むしろ欲求にまみれた豚だ!


 それにしても。

 

 「・・・ししょう、鼻のしたがのびてた」

 「まさか。冗談だろう」


 まだ朝も早いというのに、私同様に疲れ果てた眼をした師匠が返事をした。

 いや、顔はいつものように彫像だったが。


 「あんなのでも、私の主神アリシア様が創造した大天使なんだ。許してやってくれたまえ」

 「・・・あんなのが、だいてんし?」


 私は首を傾げた。


 大天使と言うからには、ただの天使よりも一層位が高いか、あるいは強大なのだろう。

 だというのに、そんな風格など微塵も感じられはしなかった。


 およそ『大』が付くにふさわしいところなど、あの主張の激しい乳くらいなものではないか。


 「あれでも、バリバリの実戦派なんだよ。邪悪な者たちとの闘いでは、常に先陣を切って突撃していくんだ」

 「えぇ・・・」

 

 私は、あの女天使が締まりのない表情で悪魔と戦う姿を想像した。


 駄目だ。

 勝てそうにない。

 三叉槍でお尻を突かれて、泣いていそうだ。


 「てんしって、ほんとうにすごいの?」

 「いや、その、なんだね。天使というのは、本来とても高潔な存在なんだ。だから、彼女だけを見て判断しないで欲しいのだが・・・」


 私の疑問に、師匠は自信なさげに首筋を撫でていた。


 自身の敬愛する主神であるところのアリシア様が、あんな欲にまみれた天使を創造したことが信じられないのだろう。

 私だって、ほんの小一時間で天使という者たちの印象が地に落ちてしまった気分だ。

 

 これでは、あの紳士的な大悪魔の方がなんぼかましなのではないだろうか。

 

 もう、考えれば考える程に天使の株価が大暴落してしまいそうだ。

 なんだか他人事なのに情けなくなってしまい、私は話題を変えることにした。


 「ところで、ししょう。きせきって、ほかにも何かできるんですか?」

 「うん、ああ、そうだね」


 師匠は気持ちを落ち着けるためか、はたまた弛緩しきった場の空気を引き締めようとしたのか、えへんえへんと咳ばらいをした。


 「毒を消す。自身の潜在能力を引き出す。死者を蘇らせる。それに、未来を知ることもできるね」

 「へえぇ、しにんをいきかえらせるの。それに、みらいをしるって?」

 「予知だよ。魔法による占術とは格が違う。確たる未来の在り様を、前もって知ることができるんだ」


 予知。

 未来を知る。


 なんだかその言葉に、私は言い知れぬ不安を感じ取っていた。

 

 「予知のきせきって、どうやるんですか?」

 

 その不安を払いたい一心で、私は師匠に解説を求めた。

 そんな私の心中を察することもなく、師匠はやや得意げな口調で語り出した。

 

 「通常は、何時間も祈祷を行うらしい。だが、真に敬虔な聖職者ならば、夢に見ることができるそうだよ」

 「夢にみる?」

 「そうとも。いわゆる、予知夢というやつだね」


 君も徳を積んで精進したまえ、などと食卓の残骸を片付けながら言う師匠の戯言を聞き流しながら、私は胸中をざわつかせていた。


 今朝がた見た、あの夢。

 師匠に抱擁されるという夢は、正夢となった。

 

 あれはひょっとして、予知夢だったりするのだろうか。


 いや、そんな、まさか。


 敬虔どころか聖職者になってすらいない私が、予知の奇跡を行使できるわけがない。

 偶然、夢と同じような出来事が起こっただけだ。


 でも。


 もしかしたら。


 私は、思い出していた。


 あの、いけ好かない女魔法士と邂逅した日


 あの日、見た夢は。



















 「それにしても、何故主神はあんな天使を創造したのだろうか」

 「ひょっとして、ぶんしんのつもりだったりして?」

 「まさか。主神はあれ程欲にまみれていない。それに・・・」

 「それに?」

 「・・・豊満でもない」

 「・・・」

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