第65話 逢引き?について 前
「今日は、私と一緒に遊びに行こう!」
「・・・ししょう、とうとう頭がおかしくなったの?」
朝の八時過ぎになってようやく自室から這い出してきた私を、師匠は元気に、しかし無表情で出迎えてくれた。
そして、起き抜けの私の頭を覚ますような言葉を放ったのだ。
拾ってもらってから一度だって言ってもらったことのない台詞に、私は師匠の正気を疑ってしまった。
「しかし本当に、ご挨拶だね、君」
「ああ、うん、おはようございます・・・」
昨日の今日なので、一体どんな顔をして師匠の前に立ったものかと、寝台の上で小一時間程悩んでいたというのに。
この訳の分からない師匠の言動のおかげで、心の準備は全部台無しである。
「もう、いいや。ばかばかしい」
「うん?」
「なんでもありません。おなかすいた」
「ああ、それは勿論だとも」
すでに師匠は済ませていたらしく、食卓の上には一人分の朝食しか置かれていなかった。
私は、昨日のなんやかんやに関する礼や謝罪の言葉を飲み下して、そそくさと椅子に座った
今日の朝食は、白麺麭に牛酪。そして豆と葉野菜の和え物だった。
麺麭はまだしも、豆と葉野菜の連携は非道に過ぎる。
つい半日前に死を願った憐れな少女に対する仕打ちとしては、ちょっとどうなのだろうか。
「・・・やさい、いやだ」
「好き嫌いをしたら、丈夫な体にならないよ」
そう言いながら、師匠は硝子の容器を私の目の前に置いて、なみなみと“それ”を注いだ。
本当は“これ”も臭いが嫌で苦手だったのだが、師匠に無理やり矯正されてしまっていた。
今でも、あのつらい日々はつい昨日のことのように思い起こされる。
毎朝毎朝、師匠は嫌がる私の口に、無理やり白くて生臭いものを注ぎ込んだのだ。
まったくもって、師匠は鬼畜の外道である。
『うぇぇ、くさぃぃ・・・』
『ちょっとだけ、ちょっとだけだから!』
『ごほっ、もうやだぁ・・・』
『ほら、ごっくんするんだ!ごっくん!』
「君!この回想はやめてくれたまえ!主神に誤解されてしまうから!」
「だって、ほんとうだもん」
「たかが牛乳ではないか!?」
「だって、くさいんだもん」
このまま同じ様に野菜ばかり食べさせられては、私は師匠の言うことをよく聞く改造人間、いや青虫怪人にされてしまうだろう。
それを回避するには、頼れる僕を召喚するより他にない。
「しろすけ、しろすけ!」
私は可愛い抱き人形兼毒見係兼野菜処理の専門家に、援軍を要請した。
しかしながら、いつもならば甲高い鳴き声を上げてちょこちょこと走り寄ってくる白い影が、いつまでたっても現れなかった。
「しろすけ?どこいったの?」
「ああ。彼なら、あそこだ」
私がきょろきょろと今を見渡していると、牛乳の容器を片付けてきた師匠が、私の背後を指さした。
言われて振り返ってみると。
何やら居間の隅っこに、『反省中』などと書かれた張り紙が張られた柵が設けられていた。
その中からは、白い尻尾がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「・・・なに、あれ?」
「独房だよ。残念ながら、彼は自身の欲望に敗北してしまったのだ」
したがって、今朝の果物はないんだよ、と師匠は続けた。
成程。
私が毎朝しろすけに与えていた野菜がなかったので、今朝のしろすけは満腹にならなかったのだ。
そこで、食卓上の果物籠から失敬してしまった、と。
「そういう訳で、君の野菜を処理してくれる味方は存在しないのだ。観念して、食べてくれたまえ」
「・・・おのれ、ししょうめ!」
「憤ったところで、野菜は消えないよ」
「ぐぬぬぬ・・・」
この、いつも二人でやるような寸劇めいたやり取りは、十分くらい続いた。
だがこれは、決して無駄な時間ではなかった。
罵り合いというか掛け合いの後に、師匠は、ほっ、とため息をついたのだ。
「その、なんだね」
少しだけ眼をそらしながら言う師匠からは、安堵の感情を読み取れた。
師匠も私と同じように、昨日の今日でどのように接するべきかが心配だったのだ。
いつものように漫才ができたことで、私が元気を取り戻せたことを確認したのであろう。
まったくもって、弟子と師匠は似るものである。
どっちがどっちに似たのかは、分かりかねるが。
「ちゃんと食べたら、素敵なところに連れて行ってあげるから。だから、残さずに食べてくれたまえよ」
「・・・ふんだ」
師匠の優しさを感じとれたが、しかし気恥ずかしい私はそっぽを向いて、葉野菜をかじった。
三十分程かけて野菜和えを平らげた私は、師匠に連れられて街道を歩いていた。
今日の師匠の出で立ちは、いつものような野暮ったさは微塵も感じさせないものだった。
首に密着する丸く高い襟の襯衣の上には、柔らかい起毛仕立ての上着を羽織り、茶色い綿素材の下履きで決めている。
街で流行の服飾の中でも、落ち着いた雰囲気が醸し出されるような組み合わせの一つだ。
「いったいぜんたい、どうしてそんな格好を?」
「うん。君と一緒に出掛けるのだから、相応しい服装でなければならないと思ってね」
晴れているというのに、今日はかなり肌寒い。
師匠のこの服装も、この気温にぴったり合っているので、隣を歩いていても恥ずかしくない。
それにしても、そろそろ秋も終わりが近づいてきたようだ。
初雪が観測されるのも、時間の問題だろう。
「ししょうが、じぶんで着合わせをかんがえたの?」
「勿論だとも!」
師匠は腰に手を当てて、即座に私の疑問に答えた。
冷たい風が、私たちの間を吹き抜けた。
自信満々にそう言う師匠は、何故だか私とは眼を合わせようとしなかった。
「・・・」
「いや、その、すまない。白状すると、全てグレンの奴に依頼したのだ」
私が半目で師匠を睨みつけると、あっさりと師匠は自供した。
あいつめ、大金を請求しおってからに、などと師匠はぶつぶつと呟いていた。
「なあんだ。やっぱりじぶんでは、むりだったんだ」
「その、面目ない・・・」
ちょっとだけ肩を落とした師匠を、私はよしよしと慰めた。
確かに、こんなに良い着こなしを師匠一人でできようはずがない。例え十万年かかったって不可能だ。
だが、自分の弱点を理解して潔く他人に助力を乞うという姿勢には、好感が持てるというものだ。
今まで散々私からの忠告を受けて、今日、ようやっと師匠は大きく成長したのだ!
「ししょう、えらい!がんばった!」
「ありがとう。その、あれだ。君の着こなしだって、美しいのではないかな、と思うよ」
言われて私は、歩きながらその場でくるりと回って見せた。
今日の私の服装は、普通よりもちょっとだけ裾が高い黒い下履きに、白い襯衣。
寒くなってきたので、その上に灰色の前開きの編み物の上衣を。そしてさらに、黒色の外套を羽織っている。
雑誌ではあまり紹介されていない着合わせだが、黒、白、灰色の明暗による表現は悪くないと思っている。
「かわいいですか?」
「うん。とても可愛いと思うよ」
無表情な師匠の素直な賞賛に、私は顔を赤くしながら微笑んだ。
女の子に対して『可愛い』という単語が即座に出てくるとは、やっぱりなかなか成長しているではないか。
『美しい』という評価をする際には若干躊躇していたのが、ちょっとだけ気になったが。
それにしたって、今日の師匠はとても私に気を使ってくれているではないか。
きっと、落ち込んでいた私を元気づけようとしてくれているのだろう。
なんて素晴らしいんだ!
「ところでししょう。きょうは、どこにいくんですか?」
「ああ、それはだね・・・」
師匠はもったいぶって、えへんと咳ばらいを一つした。
師匠がわざわざ着飾ってまで、私を連れて行こうというのだ。
一体、どんな素敵なところなのだろうか!?
私が期待に胸を膨らませていると。
「遊園地だよ」
師匠は腰に手を当てて、したりと言い放った。
師匠のその言葉に、私は絶句した。
素敵なところって、遊園地なの?
「ゆうえんちだなんて、こどもじゃあるまいし・・・」
「ええ!?いや、君は子供だろうに」
師匠は、私の反応を予想していなかったらしい。
無表情ながら眼を大きく見開いていた。
子供だましだとは思うが、確かにこの街の遊園地は、行楽施設としてはかなり充実していると思っている。
常に最先端の魔法技術を使った遊具を導入し続けており、毎年のように新しい絶叫遊具なんかが登場するのだ。
その遊園地には、象徴たる『龍の子 ドラちゃん』という可愛らしい架空の人物がおり、その関連商品も子供たちには大人気なのだ。
だが、所詮は子供向けの施設に過ぎない。
全体、普段の鍛錬やら冒険やらでの壮絶な体験は、絶叫遊具なんぞ鼻で笑ってしまうようなものばかりだ。
はっきり言って、そんな中途半端なお遊び施設に足を運んだって、盛り上がれそうにないのである。
「もっと、すてきなところはないんですか?」
「ええと、いや、その、どうしたものかな・・・」
よほど自分の提案に自信を持っていたのだろう。
あっさりと遊園地行きを却下された師匠は、眼に見えて焦り出した。
どうやら、代案はなかったらしい。
せっかくここまで完璧だった師匠の立ち居振る舞いは、ここで脆くも崩れ去ってしまった。
おっと、いけない。
きっと師匠は、私を元気づけようとして、計画をしてくれたのだ。
せっかくのその親切を、そして今日という一日を無駄にしないためにも、今度は私が助力しなくては!
「ししょう、ししょう」
「なんだい」
師匠は首筋を撫でながら、私を見た。
私は困ったような眼をしていた師匠に、笑いかけてあげた。
「ここはすなおに、かいものでもしましょう」
「買い物?そんなことでいいのかい?」
「それでいいの!」
そう言って私は、訝る師匠の手を握った。
私は、とても嬉しかったのだ。
師匠は昨日、私のことを本気で叱ってくれた。
死を願った私が、立ち上がるために手を差し伸べてくれた。
そして落ちこんだ私を慰めようと、稚拙ながら行楽の計画まで立ててくれていた。
これに文句をつけるようでは、人として、女として失格ではないか。
だから私も、師匠からの愛情を受け止めて、それに応えるのだ。
私は師匠の手を引っ張りながら、歩き出した。
師匠は抵抗することもなく、私に従って歩いてくれた。
道行く人々は、そんな私たちの姿をみて、微笑んでいた。
私はそんな人々に、微笑みを返した。
いいだろう?
私は、とても幸福だ。
だって師匠は、私を大事にしてくれているんだ。
私は、心の中で密かに彼らに自慢をしながら、商店通りへと師匠を連れて歩いた。




