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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第60話 神話の一節(あるいは、単なる昔ばなし その2)

申し訳ありません。

調子に乗って書いていたら長くなりました。



 はるか昔。


 まだ、天上におわす神がただ一人だった頃のこと。


 あるところに、一人の敬虔な娘がおりました。


 その娘は、自分と同じくらいに心の清い三人のお供を連れて、大きな港町へとたどり着きました。


 その港町でも娘は大勢の人々を救おうとし、その度に三人のお供は進んで力を貸しました。


 ある時。偉大なる銀の龍が、悪い不死人に大切な卵を盗まれてしまいました。


 それを知って怒った娘は、その卵を取り返そうと不死人へと立ち向かいました。


 永く続く、不死人たちとの闘いの始まりでした。 








 

 赤い髪の少年は波止場に身体を横たえ、手にしていた大剣を放り出した。


 「もう、無理!指一本動かない!」

 

 息も絶え絶えにそう叫ぶ少年に対して、あの偉そうな小男は冷酷に告げた。


 「無駄口叩くなっ!」


 小男は刺突剣を構えると、なんの躊躇もなくあお向けになっている少年に向かって無慈悲にそれを突き立てた。

 

 「無茶苦茶だ!?」


 少年は絶叫してから、大剣を引っ掴んで固い石造りの上を転がった。

 一瞬遅れて、先刻まで少年の身体があった場所に無数の穴が開いた。


 いくら魔法の力が添加された業物とは言え、こうも容易く石に穴を穿つことなどできはしない。

 だが、それを片手でやってしまうのがこの小男の恐ろしいとこのなのだ。


 「殺す気か!?こんな出鱈目な稽古を続けてたら、いつか本当に死んじまう!」


 少年の必死の訴えに対して、あの小男はやはり無慈悲に即答した。


 「おう、死ね!テメーは才能がねぇんだからいっそ死ね!そうすりゃもっとまともな剣士雇って、テメーの代わりにこき使ってやらぁ!」

 「うわああああん!レオォォォン!」

 

 立ち上がった少年は、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら必死に大剣を振り回した。

 一年前と比べれば、素人の眼から見ても明らかに上達しているのが分かる。

 

 直撃すれば五体が破裂するような威力であろうに、しかしあの小男にとっては子供が棍棒を振り回している程度にすら感じられないらしい。


 空気を切り裂き、身の毛もよだつような音を立てる斬撃を、なんと眼をつむったままにかわしていた。そして隙あらば、手にした刺突剣で少年を突き回していた。

 

 「おら!足元しっかり守れ!ケツの穴増やすぞ!?」

 「ひぃぃぃぃっ!お師様ぁっ!アリシアさぁん!助けてぇっ!」


 いつものように、とんがり帽子をかぶって係留柱に腰掛けていたアタシは、呆れながらその様子を眺めていた。


 この港町に居ついてから、早くも一年が経過していた。


 アタシは魔法院に。

  

 アリシアは修道院に。


 この泣き喚いている少年は、どこかの酒場に転がり込んで皿洗いをしているらしい。


 小男の方は知らない。

 なにせ、自分のことを語りたがらないのだ。


 「今日は、駄目そうね・・・」


 アタシはため息をついて、持ってきていた本を開いた。

 つい昨日購入したばかりの、真新しい小説。


 主人公の男が、意中の娘に想いを告げる場面。

 昨夜は、ここまでで読むのを止めてしまっていたのだ。


 これは、港町で人気の恋愛物語だった。


 いつもならば必死に魔導書やら錬金術の専門書やらを読み漁っていたのだが、つい先日にその必要がなくなってしまったのだ。


 「なんで足元ばっかり狙うのぉっ!?」

 「テメーはタッパあんだから当たりめぇだ!それでゴブリンに殺されかかったろうが!」

 

 少年が泣き言を叫び、小男が罵倒する。

 そんな騒音と言って差し支えないやり取りを背景にして、アタシはパラパラと小説を読んでいた。


 いつでも何処でも、あの二人が揃うとかように大騒ぎを起こすために、いい加減に慣れてしまっていたのだ。

 

 今ではかえって、このじゃれ合いを聞いている方が集中できるようになってしまった。


 『末期的だわ・・・』


 そう思いつつも、アタシはちらちらと少年の方を盗み見ていた。


 いつもならば、構わずに本を読んでいられるのに。

  

 だが、今日は集中できないのだ。


 見ていると、小男からの一撃をよけそこなったらしい。

 少年は足をもつれさせて転倒した。


 稽古が始まってからもう何度目かは分からないが、少年は大剣を投げ出した。


 「鬼!悪魔!いっそ殺せ!さあ、殺せ!」


 そのように叫ぶ少年に対して、ようやく小男は構えを解いた。

 右手の刺突剣で肩をトントンと叩くと、わざとらしく大きなため息をついた。


 「ったく、しゃーねぇなあ。ちっとだけ休憩!」


 そう言って小男は、トコトコとアタシの方に寄ってきた。

 そして刺突剣を腰に収め、「どっこいしょ」、などと言って係留柱の横にどっかと胡坐をかいて座り込んだ。


 その見た目に反して、やっていることはおっさんのそれである。


 「よぉ」

 「おはよ。朝から元気いいわね、アンタたちは」


 早朝の波止場で、この小男があの筋肉馬鹿に稽古をつけるのは日課だった。


 最初は、『才能がないからやめちまえ』だの『責任なんざとれねぇから田舎に帰れ』だのと冷たくあしらっていたくせに、今ではいっぱしの師匠気取りだ。


 毎日毎日、天気が良い日は必ず、ここで稽古をつけてやっているのだ。


 そして、それを眺めながら読書をするというのも、アタシの日課だった。


 「俺はもう、大分きついんだよ。あのガキ、体力だけはあるからな」


 言いながら肩を回す小男は、どこからどう見ても少年。それどころか子どもだ。

 だが、彼がハーフリンクという種族的な特徴から、外見的な年齢と実年齢が一致しないということは知っていた。

 

 この小男は、これでも三十路なのだ。

 しかもそれは、アタシたち人間に置き換えれば六十代に相当してしまう。


 「それでも付き合ってんだから、相当な物好きだわ、アンタ」

 「かもなぁ」


 小男は胡坐を解いて、足を投げ出した。


 まあ、それを毎日見に来ているアタシだって、相当な物好きだわ。

 

 アタシは小男から少年の方へと視線を移した。

 

 汗と涙でぐっちゃぐちゃ。

 無様にぜえぜえと荒い息をついている。

 

 どう控えめに表現しても、どぶ川に落ちた野犬である。

 

 『何だって、あんな冴えない男を・・・』


 まったくもって、物好きにもほどがある。


 アタシは開いていた小説に突っ伏した。

 隣の小男に、赤面しているのを見られたくなかったのだ。

 

 「魔法院、修了すんだって?」

 「・・・耳が早いわね」


 急に話しかけられて、アタシは本から顔を離して小男を見つめた。


 その通りだった。

 まさに先日、院長先生殿から直々に言い渡されたのだ。

 

 アタシにとっては当然の結果だったが、院長先生は涙を流して喜んでいた。


 なんだったかな、『歴史的な快挙だ!』とか『君は伝説となるだろう!』だとか。


 反面アタシは、目標を簡単に達成してしまって拍子抜けしてしまっていた。

 

 この港町は他国との交易が盛んな分、様々な魔法技術が入ってくる。

 そのため、この地の学院は大陸でも最先端の魔法研究施設だったのだ。


 アタシの目標は、そこで立派な魔法士となることだったのだが・・・


 「史上最短だって?オメデトさんだな」

 「ふん。別に大したこっちゃないわよ。アンタらに付き合ってなけりゃ、もっと早かったんだから」


 普段嫌味ばかり言ってくる小男からの賞賛がこそばゆくって、アタシはそっぽを向いた。


 もっと短くできたというのも、当然と言えた。

 なにせお人よしのアリシアと直情少年は、何か町で問題が起こると即座に解決しようとすっ飛んでいくのだ。

 しかも自分たちの手に負えないとなると、しゃあしゃあとアタシの手を借りに来る。

 

 おかげで半年で済む筈だった研究に、倍の時間をかけることになってしまった。

 

 まあ、嫌々ながらもそれに付き合っていたアタシも、相当のお人よしなのだろうが。


 「ま、これをきっかけに、少しはあのガキと話してみたらどうだ?」

 「話すって、何を」


 小男は、ぎくりとするアタシを見ずに続けた。


 「・・・このままだと、あのガキはアリシアになびくぞ」

 「んなっ」


 こんな小男に、見透かされた。


 そのような偏見に基づく低次元な考えなど、もはや浮かんではこなかった。


 この大盗賊レオンは、恐るべき傑物である。一年という短い付き合いだが、それぐらいは理解できていた。

 その外見に反する高い身体能力と、長い間冒険を続けて培った経験による観察眼は、アタシが出会った大人たちの中でも群を抜いていた。


 むしろ、このハーフリンクの大英雄に隠し通せるなどと思い上がっていた、アタシが小娘なのだ。


 しかし。


 「・・・っざけんじゃないわよ!なんでアタシがあんな脳筋ヤローに!」


 それを素直に認められないというのも、アタシが小娘である証左なのだ。

 まったく、嫌になってしまう。


 「あーあー、はいはい。そういうことにしとくけど」


 小男はやれやれと頭を振って、立ち上がった。

 どっこいしょ、だのと言いながらなのがやはりおっさん臭い。


 「一応、人生の先輩として言わせてもらうと。後悔しないように、行動は早めにな」


 言うだけ言ったようで、小男は少年の方へと歩き出した。

 未だに身体を起こすことすらできていない少年に向かって、「おらっ!立てっ!」だのと怒鳴っていた。


 「っとにもう!あのおっさんは!」


 残されたアタシは、購入して日が浅く、それなりに値が張る本を握りしめた。


 何が人生の先輩だっての、偉そうに!

 それができれば苦労はないのよ!

 っていうか、なんでアタシから声かけなきゃなんないのよ!?

 そりゃ、アイツから声をかけてくれば?まあ話してやんなくもないけど?


 などと悶々としていると。


 「おはようございます!」


 小男に蹴とばされる少年の向こうから、親友が現れた。


 お人よしの、アリシアだ。

 

 聖職者のくせに、陽光を反射する金色の髪が実に美しい。

 アタシの栗毛色の髪とは大違いだ。


 アリシアは、いつもの太陽のような笑みを湛えながら歩いてきた。 

 その腕の中には、先日助けた“姫君”がいた。


 「おはよう!アリシアさん!」


 意中の娘の接近を察知して、急に元気になった色ボケ少年が跳び起きるようにして立ち上がった。

 

 いつもいつも、アリシアばっかりに笑顔を向けよってからに!


 嫉妬というよりも、単純に少年への怒りが湧いてしまう。


 「今日も頑張っていますね・・・あっ!」


 少年を労おうとしたアリシアの腕から、“姫君”が飛び出した。


 銀色に輝く彼女は、その小さな翼をはためかせて、少年へと突撃した。


 「うわわっ!ちょ!やめて!」


 “姫君”に鼻へと噛みつかれた少年は、涙を流して彼女の小さな身体を持ち上げた。


 先日、不死人との死闘の末に救い出したシルヴァー・ドラゴンの赤子だ。


 あの恐るべき不死人から取り戻した卵は、その親元へと返す前に孵ってしまった。

 中から生まれたこの愛らしい赤子は、何故だか少年にやたらと懐く様になってしまった。


 しょっちゅう足だの腕だのに噛みついて、愛情表現をしているつもりらしい。


 可哀そうなことに、親であるエインシャント・シルヴァー・ドラゴンは、『世話を頼む』などと言い残して不死人との闘いに赴いてしまった。


 本当の親の顔をしらない憐れな娘は、今ではアリシアの修道院に厄介になっているらしいが・・・


 『まるで家族じゃない?冗談じゃないわよ・・・』


 “赤ん坊”をはさんでにこやかに語らう二人の男女の姿に焦燥感を覚えていると、またも闖入者が現れた。

 

 「やあ。元気そうだね、諸君」


 男性用の高級な燕尾服に身を包み、小粋な紳士帽子と伊達の杖を携えた男。

 この港町にたどり着いてから、やたらと縁のある人物だ。

 

 モリクロスと名乗るその紳士は、柔和な笑みを絶やさない男だ。

 脳筋馬鹿とお人よしのアリシアは仲良くしているが、なんだか得体が知れない恐ろしさを感じることがあって、アタシは進んで関わろうという気になれなかった。


 「あ!モリのおっさん!」

 「おっさ・・・、おっさん?」


 アタシ以外には誰からも慕われそうで、いつも紳士然とした態度を崩さない男なのだが、少年の前ではそれが形無しになる。


 そりゃあ、外見的にはこの場の誰よりも年長だが、言い方ってものがあるだろうに。 


 「君、前にも聞いた気がするのだが。おっさんとは、私のことかい?」

 「そりゃそうだ!おっさんは一人しかいないだろ!」


 無礼な少年の言葉に、モリクロスは忙しく口髭を撫でだした。

 必死に冷静さを保っているようだが、おっさんとの呼称は甚だ心外だったらしい。

 何やら話があったはずだろうに、拘泥しはじめた。


 「君。いい加減に、名前で呼んでくれたまえよ。私はモリクロスだ」

 「ああ、分かってるって!モリのおっさん!」

 「おっさん・・・」

 

 処置なしと判断したのか、モリクロスは救いを求めるようにしてアタシの方を見た。

 

 「なあ、お嬢さん。私は、おっさんに見えるかな?」

 「知らないわよ。あんな馬鹿の言うこと、気にしなけりゃいいでしょうが」


 アタシは冷たく言い捨てた。

 こうして話していても、なんとなく気持ちが落ち着かなくなってしまう。

 できればとっとと用件を済ませて、この場から去ってほしいのだ。

 

 反対にモリクロスの方は、表面的には平静に戻ったようだ。帽子を取りながら、話題を変えた。


 「ふむ。ところで、魔法院を修了するようだね」

 「・・・アンタも耳が早いわね」


 小男と言い、いったいどこからそんな情報を仕入れてくるのだろうか。

 魔法院なんて、閉鎖的な社会だ。


 そこで活躍したからと言って、市井の人々には関係ないだろうに。


 紳士はちらりと、龍の娘と戯れる少年を見た。


 「これをきっかけに、あの少年に告白したらどうだね?何なら助力するが」

 「・・・ったく、どいつもこいつも」


 紳士への嫌悪感が、いっそう増していくのが自分でもはっきりと分かった。


 っていうか、アタシの態度ってそんなに分かりやすいのだろうか?

 いや、そうだとするのならば、あの脳筋だって気づいてくれても・・・

 

 いや、無理だわ。


 あの脳内筋肉大馬鹿野郎じゃ。

 

 例え十万年かかったって、無理!

 

 それにしても、なんてうざったいモリクロス。

 上から目線でおせっかいを焼きたがるのは、紳士ではなく年寄りであることの証左だ。


 「断言するわ。アンタ絶対おっさんよ」

 「おっさん・・・」


 アタシの腹いせ混じりの評価に、モリクロスはまたしても落ち着きがなくなった。いい気味だ。

 口髭を撫でる紳士は、今度は小男の方へと小走りに近寄って行った。


 「なあ、レオン君。私は、おっさんかね?」

 「知らねーよ、オッサン。気安くすんなよ」

 「おっさん・・・」


 どうやら、あの男に良い感情を抱いていないのはアタシだけではなかったらしい。


 鋭い観察眼を持つあの小男があれ程露骨に拒絶するということは、実はこの紳士は恐ろしい存在なのではないのだろうか?


 アタシがそんな一抹の不安を抱いていることなど気づいた様子もなく、モリクロスは今度はアリシアの方へと向き直った。

 少しだけ、眼が血走っていた。

 

 「なあ、アリシア君。わ、私はおっさんかな?」

 「ええと、その。す、素敵なおじさまだと思います」

 

 にじり寄られたアリシアは、少年から引きはがした“姫君”を抱きかかえて、後じさりながら答えた。


 「おじさま・・・」


 なんだか、微妙な表情になった。


 おっさんよりかは大分ましなのだろうが、それでもその単語には、呼称された人物をある一定以上の年齢に表現する力が宿っている。


 結局のところ、モリクロスがこの場で一番年を食っているように見えるのは確実なのだ。


 「で、何の用だい、おっさん!?」


 打ちひしがれている紳士を気遣うこともなく、馬鹿剣士は用向きを尋ねた。


 「・・・もういい。君たちに、頼みがあって来たのだが」


 最早あきらめがついたようで、モリクロスはため息を一つついてアタシたちの方を見た。


 「何かお困りですか?」


 急に真顔になった紳士の様子から不安を感じ取ったのか、アリシアは“姫君”を強く抱きしめた。

 シルヴァー・ドラゴンの卵の奪還を依頼してきたのは、この男だったのだ。


 度々アタシたちに依頼を持ってくるのだが、いつだって一介の冒険者の手には余るようなものばかりだった。


 「ああ。先日の、不死人のことでね。緊急の事態なんだが・・・」

 

 新たな厄介ごとについて、語られ始めた、その時。

























 「よっしゃ!引き受けた!」


 
















 完全復活したらしい体力馬鹿の少年は、元気に大剣を振りかざして叫んだ。


 間を置かないその返答に、モリクロスどころか単細胞少年以外の全員が絶句した。

 

 「アンタね・・・。話くらい聞きなさいよ」

 「だってさ、おっさんは困ってるんだろ?なら助けなきゃな!」


 少年は、暑苦しくそう言った。

 先刻までの悲痛な顔はどこかへ消え去り、必ずやり遂げられるという根拠のない、しかし力強い笑みを浮かべていた。


 『困っている人は、助ける』

 

 いつも口癖のように言うのだ。


 この、笑顔で。


 ああ、そうか。


 アタシって、コイツのこういうところを・・・


 「よし、行こうぜアリシアさん!レオンも!それと・・・」


 笑顔の少年の眼に、アタシの顔が映った。


 やれやれ。

 しょうがないわね。


 アタシは本を閉じて、立ち上がった。

 

 すると。


 「イリーナは、今回はいいよ!」

 「・・・へ?」


 予想だにしなかった少年の言葉に、アタシは言葉を失った。

 いつもだったら、『お前の力が必要なんだ!頼むよ!』って言ってくれるのに。


 「ですが、イリーナさんがいないと・・・」


 言いすがる親友に対して、少年は顔を伏せながら理由を述べた。


 「だってさ、大事な研究をしてるんだろ?いつも面倒ごとに巻き込んじまってるから、悪いじゃん!」

 

 少年はそう言って、私に笑顔を向けた。


 『勝手に仲間扱いすんなって言ってんでしょうが!この筋肉達磨!』


 『アタシは忙しいって言ってんでしょ、この馬鹿!』


 『研究が大詰めで、マジで寝てなくてつらいのよ。勘弁してよ・・・』


 『いい加減にしなさいよ、この脳筋の大馬鹿!』


 そう言えば、頼まれるたびにそう言って断っていたっけ。

 まあ、結局無理やり連れだされて、最後まで協力しちゃってたんだけど。


 「・・・だとさ?」


 小男のやつは、にやにやと笑いながら私を見た。

 

 このおっさんめ。

 他人の気持ちを分かってるくせに。

 

 ったくもう。

 普段は嫌がるアタシを無理やりにでも連れていくってのに。

 変なところで、気を遣おうってんだから!


 「舐めて貰っちゃ、困るわね!」


 アタシは本を投げ捨て腰に手を当てて、仁王立ちをした。


 「このイリーナ様はね、そこいらの魔法士とは次元が違うのよ!超々優秀なの!」


 少年は、アタシの剣幕に驚いたような顔をした。

 

 違うでしょ。

 アンタは、そんな顔してちゃあ駄目なのよ!


 「だから、アンタたちを手伝ったって、負担になんかならないのよ!」


 そしてアタシは、ずんずんと面喰っている少年に詰め寄ると、その分厚い胸板を指先で突いた。

 少年はアタシの言わんとするところが理解できないのか、アタシの顔と指先を交互に見つめていた。


 ほんっとうに、鈍いヤツだ!


 でも、分かっている。

 

 だから、はっきりと言ってやる!


 「そういう訳で、アタシも連れて行きなさい!」


 その言葉に。

 

 赤い髪の少年は、やっとアタシに満面の笑顔を返してくれた。


 「そっか!ありがとうな!イリーナ!」


 そう。

 

 それでいいのよ。

 

 アンタの、その暑苦しいくらいの笑顔!


 アタシはそんなアンタが・・・













 「・・・イリーナ様、イリーナ様!」


 弟子の呼び声に幸せだった頃の夢を中断されて、私は短く息をついた。

 

 安楽椅子の上で読書をしていたら、いつの間にか転寝をしてしまっていたらしい。

 随分と、懐かしい夢を見た。


 できればもう少し見ていたかったのに、無粋な少年だこと。


 眼を開けると。

 くりくりとした二つの大きな眼が、アタシの顔を覗き込んでいた。


 「紅茶が入りました!今度は自信があるんですよ!」


 そう言いながら、少年は目の前の卓に湯呑と皿を置いた。


 起き抜けのアタシは半目のままそれを手に取って、香りを確認した。

 どうやらこの少年は、お湯を沸かしすぎたらしい。ちょっと香気が良くない。

 

 まだまだ、アイツの足元にも及ばないわね。


 「何度も言ってるでしょ、少年?」


 紅茶を一口飲んで、アタシは続けて言った。


 「お師様と、お呼びなさいな」

 「はい!お師様!」


 この子犬の様に人懐っこい弟子は、アタシがちょっと前に拾ってきた。

 

 魔法について教えてやる代わりに、身の回りの雑用なんかを押し付けているのだが、本人は弟子入りしたつもりだったらしい。


 だからアタシもふざけて、アイツの真似して『お師様』と呼ばせているのだ。


 全体、アタシのような人間に、人を育てるなんてことは。

 いや、子どもを育てるなんてことはできはしないのだ。そんな資格はありはしない。


 だからこれは、単なるおふざけ。


 ただの暇つぶしなのだ。


 「さて、と」


 アタシは赤点ギリギリの紅茶を卓に置いて、安楽椅子から立ち上がった。

 

 残念ながら、飲み干すには値しない。

 もっと精進したまえ、アタシの“弟子”。


 それを見た“弟子”は、しょぼくれた顔でアタシに訊ねた。


 「お出かけですか?」

 「ええ。ちょっと、あの小娘のところにね」


 卓に立て掛けておいた愛用の杖に手をかけながらそう答えると、たちまち“弟子”の顔が恐怖で歪んだ。

 どうやら前回のちょっかいで反撃されたことが、精神的な傷になっているのだろう。


 「ぼっ!僕はもう嫌ですよ!あんなおっかない娘のところ!」


 そう言って悲痛に涙を浮かべる顔は、アイツにそっくりだ。


 髪の色も、顔も、性格も。

 何もかも違うが、ここだけはそっくりだ。


 「安心なさい。アタシだけで行くから」


 アタシは卓の上のとんがり帽子をかぶると、口の端をゆがめた。


 “弟子”の顔が一層、恐怖で歪んだのが分かった。


 「ちょっとばかし、あのクソガキには言ってやらにゃならないことがあるのよ」

 

ここから先は、しばらくシリアスパート、というか胸糞パートになります。

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