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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第58話 不公平と嘘について 後


 これって、まったくもって不公平なのではないだろうか!?


 私は大量の洗濯物を抱えて廊下を歩きながら、歯を食いしばった。

 一枚一枚ならば大したことはないが、師匠との二人暮らしではありえない量の敷布は、私の細腕でには余る重さだったのだ。

 

 「あらまあ!力持ちねえ、リィルちゃん!」

 「本当!助かるわ!」


 職員の皆さまは、口々に私を賞賛した。

 師匠以外の人たちに褒められた経験などほとんどなかったために、私はあっさりと気をよくしてしまった。


 えへへ。

 いや、まあ、それ程でも。

 なにせ私は、嫌な師匠の元で厳しく鍛えられていますから・・・


 「もっと、こき使ってもらって結構だ」

 「あら、そうなの?」

 「じゃあ、もっとやってもらおうかしら!」


 ・・・って!

 そうではない! 


 重労働を強いられている私の目の前に現れた師匠に気が付いて、私は怒りとその理由を思い出した。


 なんで無理やりに連れてこられたか弱い乙女の私が、こんな力仕事をさせられているのだろうか!?


 「すまない。手が離せないんだ」


 しゃあしゃあと言い放った師匠は、お茶とお菓子を盆の上にのせて早歩きで私の横を通り過ぎていった。


 嫌がる私を連れてきた師匠の方ときたら、あの車椅子のお爺ちゃんにかかりっきりなのだ。


 ふざけるな!

 師匠は楽ちんではないか!?

 

 「どうかしたの、リィルちゃん?」

 「まだまだお手伝いしてもらいたいわ!」


 




 昼食の後、私は様々な作業に駆り出されることになった。


 なにせお年寄りたちの食事は、時間がかかるのだ。

 

 師匠から、『食事はよく噛んで食べること』と教えられていたが、この施設での食事はよく噛んでも十分もかからなかったのだ。なにせ、噛む力の衰えたお年寄りたちのための食事なのだから。


 早々に食べ終わってしまった私は、結果として暇を持て余し、この時間を有効活用することになったのだが・・・。


 だからと言って、限度というものがあるではないか!?


 山と積まれた敷布を洗濯場へと運びながら、私は師匠を睨みつけた。


 「聖職者の卵たるもの、人々のために身を粉にして働きたまえよ」


 師匠が車椅子のお爺ちゃんの口元を手拭で優しく拭きながら、そう言った。


 あんただ、あんた!



 あの騒動の後、何故だか師匠は車椅子のお爺ちゃんのお世話を買って出た。


 素人に任せるわけにはいかないという、職員からの当然すぎる意見に対して、師匠は静かに、だが強く言ったのだ。


 『私がやるべきなのだ』


 と。


 あのお爺ちゃんは結構な古株であるらしく、昔はお年寄りたちとも職員たちとも仲が良かった。

 だが、その息子である街の中央病院の医師は、あまりの多忙さからまったく面会に訪れないのだそうだ。

 

 最近は認知症を患ってしまったらしく、親しくしていた友人にも、職員たちにも暴力を振るうようになってしまったそうなのだが・・・






 



 「なんだお前!いつから香水なんてつけるようになった!?」

 「いや、その・・・」

 「色気づく暇があったら勉強しろ!いつも言ってるだろうが!」

 「・・・申し訳ない」


 師匠は自分から面倒を見たいと言っておきながらも、お爺ちゃんの相手には苦戦を強いられているようだった。


 なにせ、何をするにしても怒る。

 そして二言しゃべる間に、杖による一撃が飛んでくる。


 これは職員だって、手を焼くだろう。


 「なんだか、今日のお爺ちゃんはうれしそうねえ」

 「ええ。いつもよりも、口数が多いわ」


 職員さんたちは、慌ただしく走り回る師匠の様子を生暖かく見守りながら、そう言った。


 ・・・ええ!?

 あれで機嫌いいの!?


 今度はお茶がぬるいとかで尻を叩かれていた師匠は、へこへこしながら新しいお茶を淹れに行った。

 それを見ていたお爺ちゃんは、不機嫌そうな顔をしてはいるものの、その眼に浮かぶ感情は喜びに満ちていた。

 

 成程、意外とそうなのかもしれない。

 あのお爺ちゃんは、先刻の食堂の時の様に師匠を散々小突き回したりはするものの、決して遠ざけようとはしていなかったのだ。


 むしろ怒鳴りつつも、なんのかんのと身の回りの世話をさせようとしている。


 その理由は、なんとなく察しがついた。


 「おい、トニィ!受像機つけろ!」

 「承った」

 「変な言葉遣いすんじゃねぇ!だから下らねぇ草紙本なんざ、読むなって言ってんだ!」

 「・・・申し訳ない」


 どうやらあのお爺ちゃんは、師匠のことを息子か何かと勘違いしてしまっているらしかった。

 あるいは、師匠があのお爺ちゃんの面倒をみると言い出したのも、それが理由だったのかもしれない。


 師匠は杖で叩かれ、罵倒され、それでも懸命にお爺ちゃんと向き合っていた。


 ・・・あれ、そう言えば。

 あのお爺ちゃんの面倒を見始めてからは、師匠はずっと、首筋を撫でていないのではないか?

 あの、師匠が困ったときによくやる癖。

 それを、全然見ていないような気が・・・



 

 


 師匠がお爺ちゃんに掛かりっきりになっている分、私は馬車馬のようにこき使われることになってしまった。

 

 ちょっとしたことでも職員さんたちがおだててくるものだから、ついつい調子に乗ってしまったのだ。


 「働き者のいい娘さんだわー」

 「大きくなったら、ここに就職してくれないかしら!」


 賞賛の言葉を惜しまない職員さんたちの、私に向ける笑顔は本物だった。


 だが、お年寄りたちに向けるそれには、時々、ほんの少しだけ違和感があった。


 なんというか、笑顔ではあるのだが、その眼には辛さや悲しみが浮かんでいるような。

 そんな気がしたのだ。


 


 

 師匠のことを忘れる程に働いて。

 ふと気が付くと、空は赤らんでいた。


 今日は珍しく暖かかったために、施設の窓は開放されていた。

 私がそれを閉めて回っていると、すでにお年寄りが離れつつあった中庭に、見慣れた姿があった。



 師匠だ。


 やっぱり車椅子を押しながら、あのお爺ちゃんと何かを話していた。  

 

 「中央病院の勤務になったんだって?随分忙しそうじゃねぇか」

 

 昼間の大立ち回りが嘘のように、お爺ちゃんは落ち着いていた。

 なんだか、随分と穏やかな口調だったのが気になって、私は影からこっそりと二人を盗み見た。


 すると。


 「・・・親父のおかげさ」


 私は、ぎょっとした。


 師匠の言葉遣いが、いつもと違っていたのだ。


 あの、大悪魔のときの、乱暴な言葉遣いではない。

 

 ぎこちないが、いつもの抑揚のない声音に、少しだけ温かさと、親しみが込められていた。


 「親父が頑張ってくれたから、僕は立派な医者になれた」

 

 師匠はゆっくりと車椅子を押しながら、お爺ちゃんに語り掛けていた。


 その口ぶりから察するに、どうやら師匠は、お爺ちゃんの息子を演じているらしい。


 認知症で師匠を息子と勘違いしているとはいえ、お爺ちゃんを騙くらかすとは、なんて酷い師匠だ!

 

 「・・・身体壊すんじゃねぇぞ」

 「心配すんなよ、親父。僕は親父のように、立派になってみせるから」


 そう言って師匠は、少しだけ頬を引きつらせて、歯を見せた。


 あれ。

 これって、もしかして。

 笑っている・・・

 つもりなのだろうか? 


 師匠のぎこちない笑顔に、やっとお爺ちゃんは笑い返した。


 その二人の姿に、何故だか私は、『私と父親』の姿を幻視した。







 もしも。






 もしも私の父が、まともだったならば。






 いや。








 “私が”まともだったならば。








 何十年か先に、こうなっていたのではないだろうか。


 『そんな無益な思考は、止めたまえ』


 師匠ならば、きっとそう言うだろう。


 卑屈になるな。

 自分を否定するな、と。



 だが、どうしても考えてしまうのだ。


 もしも。


 もしも、と・・・



 



 

 

 


 

 一日の慈善活動を終えて、私と師匠はぐったりしながら施設を後にした。


 お爺ちゃんお婆ちゃんらは口々に、『孫ができたみたいだ』とか『またいつでも来てくれ』などと言っていたが、当分の間は御免だった。


 「そう言わないでおくれ。私は、あと六日間残っているんだ」


 師匠は無表情のまま、肩を落としてそう言った。

 

 残りの六日間も、あの施設で活動するのだろうか?


 「いや。私の主神が、事細かに予定を組んでくださっていてね。明日は孤児院。明後日は病院。という具合に、様々な場所に赴くことになるのだが・・・」


 ちらりと私に救いを求める眼差しを向けてくる師匠を、私は無視した。

 そして師匠とお屋敷への帰路についた私は、今日の師匠の振る舞いについて評価を下した。


 師匠はきっと、地獄に落ちるだろう。

 

 「それについては否定しないが。理由を訊ねても?」


 疲れと、そして休日を潰されたという不満から出た心ない言葉を、しかし否定しなかった師匠に少々面喰ったが、私はそっぽを向いて答えた。


 無理やりに手伝わせたこと。

 不公平すぎること。

 そして、あのお爺ちゃんに嘘をついたことだ。


 本当は息子などではないのに、あの可哀そうなお爺ちゃんをだまして付け入ったのだ。

 こんな悪徳は、師匠の大事なアリシアさんが、許しては置かないだろう。

 きっと、奉仕活動の期間が延長されるのだ。

 ご愁傷様だ。


 そのようにぐちぐちと言う私の頭を、師匠は優しく撫でた。


 「確かに嘘をつくのは悪だが・・・。あれは、誰も傷つかない嘘だ。いわば、善なる嘘だよ」


 などと師匠は、少しだけ後ろめたそうな口調で取り繕った。

 だが、首筋を撫でてはいなかった。


 「それに、今日一日の慈善活動は、君にも良い経験になっただろう」


 そんな師匠の開き直るかのような態度に、私は鼻を鳴らして押し黙った。


 まあ、確かに師匠が言ったように、いい経験だったかもしれないのだ。

 他人に褒められるというのは、なかなか悪くない気持ちだったのだから。


 それにしても。


 「うん?」


 あの、お爺ちゃんとの会話。

 まるで、本当の親子のようだった。


 「・・・そうだったかな?」

 

 師匠は首をかしげていた。

 

 師匠は嘘をついた。

 つまり演技をしていたわけだが、それがなんとも真に迫っているようにも感じられたのだ。


 ・・・師匠。


 「なんだい」


 師匠のお父さんは、どんな人?


 「・・・」


 師匠は、首筋をなでながら、しばらくの間黙っていた。

 なんというか、言いたくないというよりは、記憶の奥底を必死にまさぐっているように思えた。


 やっぱり師匠と同じ、聖戦士。

 あるいは、司教だったりするのだろうか。


 「・・・いや。農奴、だったな」


 たっぷりと三十秒かかってから、やっと師匠は答えてくれた。


 のうど。


 その言葉の意味は分からなかった。


 だが私は、またやらかしてしまったようだ。


 それだけは、はっきりと分かった。


 「・・・そう言えば、まったく孝行できなかったな」


 頭を掻きむしる私を尻目に、師匠は無表情のままくるりと後ろを振り返った。

 

 介護施設を見つめる師匠の眼を、私は見ることができなかった。






















 「あら!また来てくださったんですね!」

 「ご無沙汰している。あのご老体は、お変わりないだろうか」

 「ああ・・・。あのお爺ちゃんは・・・」

 「どうか、なされたのか?」

 「・・・つい先日、神々の元に召されました」

 「それは・・・」

 「『最後に息子に会えてよかった』と、笑顔でしたよ」

 「・・・」

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