第55話 高司祭ジャックによる不良少年の指導 (あるいは、導くことと挫くことについて 中)
本編よりちょっとだけ未来のお話です。
それと、今回も少し下品な表現があります。
「司祭様。わざわざ足を運んでいただけるとは」
まだ若さを残す刑務官は、その言葉とは裏腹に助かったという表情でジャックを迎えた。
ジャックには、その気持ちが痛いほどに理解できた。
なにせ相手は、札付きの悪餓鬼だ。
幼少期の窃盗から始まって、器物破損、傷害、集団危険行為、速度違反、凶器準備集合罪と、未成年だというのに実に輝かしい経歴の持ち主なのだ。
当然大人の言うことに聞く様なタマではなく、三度目の収監を迎えても太々しい態度を取り続けて、この未成年刑務所の全職員に対して攻撃的であり続けていた。
規則に従うどころか、同じように収監されている少年たちを唆しては暴動紛いの行動を起こそうとしているため、遂にジャックが乗り出したのだ。
「迷える若人のためならば、何処へでも参りますとも」
「ありがとうございます。貴方の前にも、何人かの聖職者の方々が面倒を見ようとしてくださったのですが・・・」
その結果については、ジャックはよく聞き及んでいた。
暴言、殴る、蹴るなどは序の口。
時には小便を引っかけたり、服をひん剥いてナニの穴にへし折った椅子の脚をぶち込もうとしたりと、悪鬼のごとく暴れまわっていたとか。
同輩たる彼らは口々に、『ありゃ、悪魔ですわ』と、這う這うの体で逃げ帰ってきたのだ。
「それにしても、あなたほどに位の高い方が来てくださるとは・・・」
「位など。所詮私は、一介の生臭坊主ですよ」
ジャックは言いながら、刑務官に連れられて一つの部屋に入った。
その小さな部屋には、小さな机と二脚の椅子があるのみだった。
窓は厳重な格子で覆われており、天井からの弱々しい魔力光も手伝って、中にいる者が精神的な苦痛を感じるのには十分だ、とジャックは感じた。
しかし先客である少年には、いささかの負担にもなっていないようだった。
「んだよ。また小うるさいのを連れてきやがったのか?」
そう言って床に唾を吐き捨てた少年は、聞き及んでいた通りに反抗的な鋭い目をジャックに向けた。机の上に足を投げ出す様は、この小さな部屋の王たるにふさわしい風格であった。
「この糞餓鬼が!お前のためにわざわざおいでになったんだぞ、それを・・・」
「ああ、大丈夫ですとも」
ジャックは怒声を張り上げる刑務官を抑えながら、少年を眺めた。
この少年の経歴についてはよく承知していた。
数々の非行を為す不良少年。
暴走族の頭。
そして、迷える若人。
ジャックにしか導けない。いや、ジャックだからこそ導くべき存在だ。
「刑務官殿。彼と二人きりにしてはいただけないでしょうか」
「ええっ!?しかし・・・」
この少年を指導しに来た聖職者達の末路を知っているのであろう刑務官は、仰天した。
だが、これからこの少年を導こうというのに、この刑務官がいてはいちいちうるさそうなのだ。
「大丈夫ですよ。これでも私は、腕っぷしにはそこそこ自信があるんです」
そう言ってジャックは、司祭服の袖をまくり上げた。
そこには、丸太と見まごう程のたくましい腕が覗いていた。
「はぁ、まあそこまでおっしゃるのなら・・・」
刑務官は訝りつつも、その面会室から出て行った。
後に残されたジャックと少年は、しばしの間見つめ合った。
「んで?遂に拳骨で言うこと聞かせようってのかい?」
「まさか。暴力など振るわないよ」
明らかに自分よりも力強い肉体を持つジャックを挑発してくる少年だったが、およそ腕力に屈服するような軟な精神などではないのだろうということは、察しがついていた。
かつての自分が、そうだったからだ。
“あの日”までは・・・
「君と、話がしたいんだ」
ジャックは言いながら、少年の対面の椅子へと座った。
そして机の下に鞄を置くと、足の間から少年の顔を見据えた。
「ジャックだ。よろしく」
「うるせえよ、糞坊主。お説教なんざ、いらねんだよ」
そう言いながら、睨み返してくる強い眼!
昔の自分と同じ、相当な反骨精神を持っている。
その行いはともかくとしても、何者にも屈しないという強い意志は賞賛してやりたいものだ。
ジャックはそう思って、鞄の中に手を突っ込んだ。
「聖書なんざ読まねえでくれよ。眠たくなっちまう」
「なに。目の覚めるものを用意してきたんだ」
あくまでも歩み寄りを拒絶する少年の眼前に、ジャックは鞄から取り出した二本の“それら”を突き出した。
「なんだよ、こりゃ?」
「ふふ・・・。神からの恩寵だ」
そう言ってジャックは、片手で一本の栓を外して少年の前に置いた。
「恩寵って・・・。麦酒じゃねえか!?」
少年は足を引っ込めると、麦酒の瓶を引っ掴んだ。
ジャックはにやりと笑うと、もう一本の酒瓶の栓も外してそれを一口飲んで見せた。
「君もどうだい?」
「君もって・・・。俺は未成年だぜ?」
不良少年の至極まっとうな指摘に対して、ジャックはいたずらっぽく笑いかけた。
そしてこれ見よがしに、ぐびりぐびりと喉を鳴らしながら自分の瓶の麦酒を喇叭飲みした。
「構うことはない。私の主神は、おおらかなんだ。これくらいはお目こぼしして下さるだろう」
「本当に聖職者かよ、あんた・・・」
少年は呆れつつも、瓶を傾けた。
しかし悪ぶってはいても、この鉱人の手による銘酒はなかなかに応えたらしい。
酒精の強さに驚き、少しむせていた。
「酒で懐柔しようってのかい?」
「いや。話がしたかったんだ」
ジャックは麦酒をあおりながら、椅子にふんぞり返った。
彼がこの地区でも指折りの高司祭であることを知る同輩が見たら、卒倒するような姿である。
だが、ジャックは元来こういう質の人間なのだ。
他人を導くのだって、ありがたい説教をたれるよりも、酒を飲んで腹を割って話す方がやりやすい。
「聞けば、族の頭なんてやってるそうじゃないか」
ジャックの言葉に、少年は舌打ちをした。
それの何が悪いんだ、とばかりに睨みつけてくる。
成程、それを誇っているのだな。
ジャックはうっすらと感じ取った。
「なんで、そんなことをしてるんだ」
「決まってらあ。この街で一番の走り屋になるためだ」
少年は、ジャックに負けじと麦酒をあおりながら、吠えた。
顔が少し赤くなってきている。
酔いのためか、自分の思いを語る熱さのためか。
あるいはその両方なのかもしれない。
「俺は伝説の走り屋、『鷹の嘴』みてえになるんだ」
そう語る少年の眼は、大人に反抗する少年の眼ではなく、自分の夢を語るそれであった。
『鷹の嘴』。
なんという懐かしい呼び名だろうか!
「ちっぽけなものだよ。この街で一等の走り屋など」
ジャックは気恥ずかしさを隠すようにして、一気に麦酒を飲みほした。
やはり、この少年を導くのは、ジャックが適任だったのだ。
「何がちっぽけだ!『鷹の嘴 ジャック』は、今でも族の間に語り継がれる伝説の漢・・・」
「ちっぽけなものだったさ。私がそうだったから、よく分かる」
ジャックは少年の、やや必死な訴えを遮る様にして、机の上に新たな麦酒の瓶をどんと置いた。
「どんなに粋がったところで、あの“赤い魔人”には・・・」
そう呟きながら、ジャックは瓶を両手で掴んで顔を伏せた。
注意深く観察すれば、その身体が小刻みに震えていたのが分かったのだろうが、しかし少年は別のことに気が向いていた。
「ジャック・・・、『鷹の嘴 ジャック』?あれ、まさか、伝説の走り屋ってのは・・・」
少年が、自分の酒瓶を掴みながら呆然とジャックを見つめた。
「ひょっとして、あんたは・・・?」
恐る恐る、という風に訊ねるてきた少年に対して、ジャックは顔を上げた。
「いかにも。恥ずかしながら、私が『鷹の嘴』だった。今ではこの通り、敬虔な救済の神の信徒だ」
そしてジャックは、新たな酒瓶の栓をあけると、少年に笑いかけた。
その顔に浮かんだ聖職者にふさわしい品のある笑みに、少年は愕然としてしまった。
「そんな、そんなぁ・・・」
自らの憧れ、目標でもあった漢のあんまりな結末を眼にした少年は、がっくりと椅子の背もたれに身体を投げ出した。
「嘘だろ・・・。伝説の漢が、まさか坊さんになっちまってたなんて・・・」
そう呟きながら、少年はまた麦酒をあおった。
目に涙が浮かんでいた。
それ程までに自分の過去の栄光を追いかけてくれていたことに、ジャックはうれしくなった。
だが、そんな栄光はまやかしだったのだ。
今日はこの少年を、“あの日”自分が導かれたように、ジャックが導いてやらねばならないのだ。
「幻滅したかい少年。だが、私はこうして神の下僕として生まれ変わって、ようやく分かったことがあるんだ」
ジャックは笑みを消して、ずい、と少年に顔を近づけた。
少年はもはや反抗するどころか、受け入れがたい現実から少しでも逃れるようにして、身体を後ろへとさらにのけぞらせた。
「な、なんだよ。分かったことって」
「それはな・・・」
ジャックは立ち上がった。
それを見上げる少年は、悲壮な顔をしていた。
自分が憧れていた存在が、陳腐な言葉で自分を諭そうなどというのが我慢ならないのだろう。
「やり直す機会はいくらでもあるってか?お前みたいな人間の出来損ないでも、まともになれるってか?そんなお説教は聞き飽きたぜ」
「いいや、違う。そんなことじゃあないんだ」
ジャックは新たな酒瓶を一気飲みすると、酒精臭い息を伴って大声を張り上げた。
「私たちは!偉大なる主神アリシア様の下にあっては!みな等しく糞以下なのだ!」
「・・・え?今、なんて?」
あまりにも予想外の言葉が飛び出してきたために、少年は自分の耳を疑っていた。
無理もない。
ジャックから放たれた言葉は、少年の憧れの漢としても、聖職者としても、人生の先輩としても、いずれにもふさわしくない言葉だったのだから。
「糞以下だ!糞だって肥料になる分なんぼかましなんだ!我々はそれにすら劣る存在なのだ!」
酔いが回りつつあるジャックは赤ら顔で瓶を投げ捨てると、少年に詰め寄った。
いよいよ、ジャックによる指導が始まるのである。
「さあ、少年!私と共に、腹に力を入れて叫ぶのだ!」
「は、はい!」
そのあまりの剣幕に押されるようにして、少年はびしりと起立した。
ジャックは満足げに頷くと、右手を胸にあてて高らかに宣誓を開始した。
「偉大なる救済の女神!アリシア様に栄光あれ!」
「い、偉大なる救済の女神、アリシア様に栄光あれ・・・」
少年は、ひょっとしてこの人は悪酔いする系なのかな?などと思いながらもジャックの言葉を繰り返した。
「声が小さいぞ、少年!慈悲深き女神よ、永遠なれ!」
「じ、慈悲深き女神よ、永遠なれっ」
「もっとだ!もっとだ少年!我ら卑しき凡夫のすべてを、いと気高きアリシア様のためにぃっ!」
「あ、アリシア様のためにっ!」
どんどん叫んでいるうちに、酒精が回ってきたのだろうか。
ジャックの眼が危険な輝きを帯び始め、それを真正面から受け止めていた少年はがくがくと膝を揺らした。
「我ら糞虫のすべては、麗しき女神アリシア様のために!」
「我らくそむ・・・ええ?」
「我らは塵以下の存在なれど、その命を懸けてアリシア様を尊崇する者なり!」
「ごみって・・・、マジでぇ?」
もはや聖職者どころか危ない親父になり果てているジャックに対して、少年は身の危機を感じつつあった。
このままこの場にとどまっては、ひょっとしたら自分は取り返しのつかない状態に陥ってしまうのではないだろうか、と。
「少年!どうしたあっ!?お前の信仰心はその程度なのかぁ!?」
信仰心もなにも、俺は反社会的な不良なんですけど・・・。
そう訴えたかった少年は、しかしジャックの眼に宿る狂信的な熱意と悦楽に恐怖し、震えながらジャックに従った。
「我らは糞以下の存在です!」
「わ、我らは糞以下の、存在ですっ」
少年はもはやジャックを、“かつての憧れの漢”とも“説教臭い聖職者”とも“うざったい大人”とも見ていなかった。
少年の目の前にいるのは、まぎれもない狂信者である。
ジャックは太い腕を少年の肩にまわすと、頬ずりしながら空いている方の手で頭をわしゃわしゃと撫でまわした。
酒臭い息に、少年は顔をしかめた。
「そおぉだ!いいぞ少年!今日から君も、私と兄弟!同じアリシア様の信徒だ!」
「えぇ・・・」
ジャックは不満気な少年の肩をきつく抱きながら、窓の外を指さした。
「喜べ少年!ただの蛆虫だった貴様は、アリシア様の聖名の元で人々を救済する美しい羽の生えた蛆虫に生まれ変わったのだ!ともに空を駆けよう!」
「どっちも同じ蛆虫じゃん・・・」
太陽だか青空だかを指さしたつもりなのかもしれないが、すり硝子だったために外の様子は今一つ分からなかった。
「アリシア様の、その慎ましい御胸に抱かれるその日まで!我らは皆等しく塵屑だ!」
「慎ましいって・・・。それ、暗に貧乳って馬鹿にしてない?」
「きぃえええええぇい!」
小部屋に、ばしぃーっ!という小気味のよい音が響き渡った。
「ぶ、ぶった・・・。嘘だろ、暴力は振るわないって・・・」
酔いのためか、あるいはあこがれていた漢からのあんまりな仕打ちのためか。
引っぱたかれた少年は、へなへなと床に尻もちをついた。
しかしジャックは怒りの形相で少年の胸倉をつかむと、即座に、そして無理やりに彼を立たせた。
「貴様ぁっ!清貧を体現しておられるアリシアさまを侮辱するなぁ!」
「清貧って・・・、それ、ひょっとしてまた馬鹿にしてるんじゃ・・・」
「きぃえええええぇい!」
またも小部屋に、ばしぃーっ!という小気味のよい音が響き渡った。
「に、二度もぶった・・・。酷いや・・・」
「やかましい!この不信心者め!」
再度引っぱたかれて完全に心を挫かれた少年は、尻もちをついたまま部屋の入口へと這いずり始めた。
しかしジャックは、少年の首根っこを引っ掴んで無理やりに彼を立たせると、首に腕を回してがっちりと締め上げた。
「さあ兄弟!一緒に糞虫としてアリシア様のために求道しようではないか!?」
「うわあああん!神様ぁ!救済の女神様ぁ!どうか助けてぇ!」
三十分後。
刑務官が部屋へと戻ると。
そこには酩酊し、半裸で救済の女神に祈りをささげる司祭と少年の姿があった。
「偉大なるアリシア様!我々は無価値な糞野郎です!」
「く、糞野郎です!」
「いいぞ少年!いや、兄弟!」
「あううううう・・・」
絶句した刑務官は、静かに扉を閉じると、足早にその部屋から去っていった。




