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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第54話 導くことと挫くことについて 前


 「さあ、今回の対戦相手の方々だ。君、ご挨拶をしたまえ」


 師匠の言葉に、私は。

 

 いや、その場にいた師匠以外の全員が絶句していた。


 断言できる。


 今、私と“対戦相手の方々”の心は一つだ。






 『この男は、頭がおかしい!』





 「うん?どうしたんだい?」


 先刻自分で痛めつけた棟髪刈りの巨漢を踏みつけながら、師匠は首をかしげていた。


 「お、お、お、お、お前らは・・・」


 “対戦相手”の男の一人が、私たちを指さしながら絞り出すように言った。


 「一体、何なんだぁ?」

 「先刻述べただろう」


 なけなしの勇気を振り絞っての発言だったであろうに、その震える男の当然すぎる疑問は師匠に一蹴されてしまった。


 「私は聖職者として、君たちを正しく導くのだ」
















 下部組織?


 「そう。『銀のなんとか』の下で、権威を笠に着ていたチンピラ集団だよ」


 師匠は昼食後の紅茶を飲みながら、そう言った。

 

 食後に紅茶を飲むのは、あまり相応しいとは思えない師匠の習慣の一つだった。

 野卑が服を着ているような男である師匠が、『ふむ、今日もなかなか・・・』などと呟きながら湯呑を傾けている姿は、なんの喜劇の一場面なのかと眼を疑ってしまう。


 全体、紅茶などという貴族主義的な飲み物なんて、私たち一般庶民には合わないのである。

 

 「君。以前は、山の手の生活に憧れてはいなかったかい?」


 似合わないというのに優雅に湯呑を傾けながら、師匠が私に訊ねた。


 確かに、今の広くて立派なお屋敷は大変気に入っています。

 でも、気取ったような振舞い方などしたくはありません。


 自分の湯呑の中にたっぷりと苺の果醤をぶち込みながら、私は平然と返した。

 

 それに紅茶って、なんだか味が薄いし甘くないから嫌いなのだ。

 

 「もっと味わってくれたまえよ、君」


 いつもの彫像の様な顔ながら、少しだけ眼に悲哀をたたえて師匠は言った。


 それより師匠。

 話の続き。


 「・・・承った。『銀のなんとか』が衰退しつつある中で、無数の下部組織が活発に動き始めているんだ」


 『銀のなんとか』もとい『銀の鷹団』は、組合の総力を結集した手入れによって壊滅的な打撃を受けたらしい。

 それなのに、その下っ端連中はやにわに元気になり始めたのだ。

 それを証明するように、一般市民を巻き込んだ犯罪組織同士の抗争が数件報道されていた。

 せっかく悪の元締めをやっつけつつあるのに、酷いものである。


 だが、この理由については私にもなんとなく理解できていた。


 要するに、餓鬼大将が排斥されかかっているので、後釜を狙った悪餓鬼どもが牽制しあっているということである。


 「おおよそ、その理解で正しいね。そんな訳で、現在の街は少々治安が悪くなりつつあるんだ」


 それは大問題である。

 私の様に、平和を愛する可憐で美少女な乙女にとっては、なんとも住みにくいではないか。


 早いところ、立派な聖戦士様にでも解決してもらいたいところである。


 私は自分の湯呑を傾けながら、ちらりと師匠を見た。


 「君もそう思うのかい?いやあ、よかったよかった」


 師匠は皮肉を理解しているのか、彫像の様な顔ながら機嫌のよさそうな口調でそう言うと、私の湯呑に新たな紅茶を注ごうとした。


 私はそれを丁重に拒みながら、師匠に訊ねた。


 それで師匠。

 その話が、私たちになんの関係があるのだろうか。

 いや、なんとなく分かるが。


 「それは勿論のこと。街の平和と弱き人々の安寧のために、私たちも一肌脱がなければならないと思ってね」


 返ってきたのは、耳に胼胝ができる程に聞いた謳い文句である。


 世のため人のために、犯罪組織と戦おうというのか。ご立派なことである。


 「茶化さないでくれたまえよ、君。私は人々を救うという崇高な目的を持って、悪を為す犯罪者たちと戦おうというのだ」


 成程、成程。

 それで、もう一つの目的は?


 「あー・・・、うん。『銀のなんとか』の下部組織は大小無数にあってね。とても衛兵や組合だけでは対応しきれないらしいんだ。だから・・・」


 ふんふん。

 だから?


 「その、あれだ。そう言った組織の構成員を捕らえると、報奨金が出る」


 ああ、やっぱり。

 悪い奴らをぶん殴ってお金をもらおうだなんて、大した聖職者様だこと。


 「いや、別にお金のためにやるわけではないぞ。私は常に弱き人々を救い、機会があれば道を踏み外そうとしている者を正すことだってするんだ」


 ほうほう。

 では、悪い奴らを会心させることもできると?


 「勿論だとも。私は聖職者なのだから、人々を導くことが生業なんだよ」


 へえええ。

 それなら今回も、非暴力的かつ平和的にチンピラ集団を無力化できると?


 「できいでか。聖職者の卵たる君には、一つ私がその何たるかをお見せしようではないか」


 私に乗せられる形となった師匠は、いそいそと野暮ったい司祭服へと着替えに自室へ向かった。


 やれやれ。

 今回は、危ないことをしないで済むとよいが。






 

 夜九時。

 こんな時間だというのに、街には活気づく区画がある。

 それがここ、歓楽通りである。

 

 師匠に連れてこられたのは今回が初めてだが、何やら大人の遊び場がたくさんあるらしい。どんな遊びがあるのかは、なぜか全然教えてくれなかったが。


 それで、師匠。

 今、ぶっ飛ばしに向かっているのは、どういう連中なのだろうか。


 「会心させに、だ。『銀のなんとか』の下部組織の一つと言えば大げさだが、要するに珍走団だ」


 ちんそうだん?

 

 「昼夜構わずに、大騒ぎしながら街中を馬で走り回る迷惑な連中だ。腕っぷしに自信があるせいか喧嘩っ早いし、物を壊すし落書きするしで、ろくな連中ではないね」


 なんだか聞いていると、村の悪餓鬼とそう変わらないようだが。


 「君の認識は正しいね。詰まるところ、内面は子どものまま肉体だけ成長してしまった連中ということだ」


 そんな風に師匠と話しながら歩いていると、奇妙な光景が眼に入ってきた。


 寒くなってきたこの時期に、何故かやたらと肌の露出が多い服装の女が、盛んに道行く男たちに声をかけている。

 男たちはそんな如何わしい格好の女たちに手を引かれながら、何かの店に入っていく。


 それらの店の光り輝く看板には、『夜の美姫』だの『失楽園』だの『秘蜜の蝶』だのと訳の分からない文字が、テカテカと踊っていた。


 師匠、師匠。

 ここは一体、どういう場所?


 「ありとあらゆる悪徳の縮図。この地上に顕現した地獄だよ」


 師匠ははっきりと眉をしかめながらそう言った。

 

 ううん。

 良く分からない。


 「分からなくていい。さて、こっちだ」


 周囲からの奇異な視線を浴びながら、私と師匠は脇道へと入った。

 良く分からないが賑やかな大通りとは打って変わり、ここは静かで陰鬱だった。


 師匠はあらかじめどこかから仕入れてきていた情報を元に、その珍走団とやらのアジトを目指していた。『銀の鷹団』の下部組織ともなれば、いくらチンピラと言えどもそれなりの根城なのだろう。


 私がそんな風に気を引き締めていると。


 「あった、ここだ」


 師匠が指さしたのは、廃業して久しいと思しき飲食店だった。

 入口の扉はすでに外され、中にはおぼろげな明かりの周囲に人影が見えた。


 ・・・なんだか、すごく拍子抜けだ。


 「それは君、相手はチンピラだよ。財力も組織力もなく、ただ権威にすがって生きる連中などたかが知れている」


 そう言って師匠は、その飲食店跡地へとずんずん入り込んでいった。


 先ほどの大通りで道行く人々から視線を集めていたのは、師匠の格好が場違いだったからだろう。それくらいは、なんとなく察することができた。

 

 では、今この場ではどうなのだろうか。


 師匠をねめつけるチンピラたちは、そろいもそろって革製の上着の下に、『喧嘩上等』だの『母と〇〇』だの『聖なる〇〇』だのと印字された襯衣を着込んでいた。

 おまけに、やたらと服の周りに鎖だの鋲だのをつけている。


 うーん。

 どっちもどっちかなぁ。


 「なんだぁ、兄ちゃん。売春宿なら表通りだぜ?」


 師匠とは別の向きで野暮ったいチンピラが、下品に笑いながら言った。


 ばいしゅんやど?


 「ああ、気にしなくていいよ。ええと、諸君。私はそう言った目的で来ているのではないんだ」

 「ああん?」

 「私は、君たちの歩むべき道を伝えに来たんだ。どうか、耳を傾けてほしい」


 訝るというよりは嘲るようなチンピラたちに対して、師匠は懐から聖書を取り出し高らかに宣言した。


 「私は聖職者だ。君たちに正しい生き方とはどういうものかを、伝えに来た」

 

 師匠の健気な言葉に対して、しかし返ってきたのは侮蔑の笑いのみだった。


 当然である。

 毎日毎日好き勝手に過ごしている奴らが、突然心を入れ替えろなんて言われたって不可能だ。


 「どうか、聞いてくれたまえ。このままでは、諸君の行きつく先は破滅だ」 


 それでも師匠はあきらめずに、聖書を携えたまま語り掛けた。しかし。


 「止めな、兄ちゃん」


 その低い一声で、店内がしんと静まり返った。


 そして、薄暗い店舗の奥の方からチンピラどもをかき分けて、巨大な影がぬぅっと現れた。


 大きい。

 師匠よりも、頭二つ分は巨大である。

 

 当然それに見合ったように、妙に露出の多い服からは筋肉で肥大化した胸板や腕が見えていた。

 そして特徴的な棟髪刈りをしている。

 

 ひょっとしたら、こいつがチンピラどもの頭なのかもしれない。


 師匠もそう思い至ったのか、近づいてくる巨漢に対して歩み寄った。

 

 「いや、なに。ただ私は、君たちと話し合おうと・・・」


 ばっきゃんっ


 巨漢の男が振り下ろした酒瓶が、師匠の頭を直撃した。

 

 恐らくあまり力を込めていなかったのだろう。

 酒瓶は割れることはなかった。


 あーあ。

 やっちゃった。


 愚かなチンピラは、私の師匠を怒らせてしまったようだ。


 さあさあ、始まるぞ。

 師匠による残虐劇が!


 などと私が思っていると。


 「その、申し訳ない。何か君たちの気に障るようなことをしただろうか」


 なんと師匠は、首筋をなでながらへりくだり始めたではないか!?

 

 私が驚愕していると、巨漢と周囲のチンピラはゲラゲラと笑い出した。


 「俺たちはやりたいようにやってるだけだ。ありがてぇお説教なんざいらねんだよ」


 巨漢はそう言うと、手にしていた酒瓶を師匠の頭上で逆さにした。

 師匠の頭上からは麦酒が降り注ぎ、師匠の頭と真っ白な司祭服を汚していった。

 

 こ、今度こそ。

 師匠は怒るかな?


 などと私が思っていると。


 「ほう。これは鉱人の麦酒だね。私も愛飲しているんだ」


 なんと師匠は気にした風もなく、伊達眼鏡についた麦酒の雫を指で拭いながら、巨漢へと語り掛けた。

 彫像の様な顔のままだが、怒っている気配が感じられない。

 首筋を撫でながら、あくまでも冷静に、巨漢に対して語り掛けていた。

 

 「どうやら、私と君とでは相通ずるものがあるらしい。これをきっかけに、少し話をしてみようではないか」


 最早異常ともいえる師匠の行動に、しかし巨漢は応ずることはなかった。

 

 「おい」


 巨漢がチンピラの一人に目配せすると、そのチンピラは自分が持っていた飲みかけの麦酒の瓶を放ってよこした。


 巨漢はそれを受け取ると、瓶の口に向かって唾を吐きだした。


 「飲めよ、兄弟。俺からの奢りだ」


 師匠は突き出された酒瓶を一瞥して、嘆息した。

 

 今度は、首筋を撫でてはいなかった。


 し、師匠。

 まさか、飲むつもりなんじゃぁ?


 などと私が、はらはらしながら思っていると。




















 「うん。少しばかり、その汚らしい口を閉じていてくれたまえ」





















 そう言って師匠は、その男の顎に向かって拳骨を振り上げた。




 ごとんっ


 


 店内に、そのような音が響き渡った。


 果たしてそれは、巨漢の持っていた酒瓶が床に落ちた音だったのだろうか。


 あるいは、師匠が巨漢を殴りつけた際の音だったのだろうか。


 


 脳震盪を起こしたのか、あるいは予想外の反撃に面喰ったのか、とにかく呆然としている巨漢に向かって、師匠は拳を叩き込み始めた。


 今度は顔面ではなく、腹に向かってである。

 服の上からでも鎧のようだと分かる腹筋を叩かれて、しかし巨漢は即座に降参の意思表示をした。


 「ごっ、ごめんなさっ、ごめんなさいっ!」

 

 正気に戻ったその巨漢は、何度も何度も謝っていた。


 しかし、師匠は止まらなかった。

 

 いつもの彫像の様な顔のまま、ひたすらにその拳を巨漢の腹部に向けて振るっていた。

 

 巨漢はその丸太のような腕で必死に腹を守っていたが、師匠はその上からでもお構いなしに殴りつけた。しかも、巨漢が店舗のど真ん中から動けないように、巧みに体を入れ替えながら。


 普通は、人間は殴られたとしても、宙に浮かんだりはしない。それも、頭二つほど低い人間に殴られたりなんてしたって。


 だが、私の師匠は普通ではない。


 鈍い音が店舗の中に響き渡るたびに、巨漢の男は床から浮き上がっていた。


 その様子を、私と珍走団は恐怖と共に見守っていた。

 

 正確に数えていた訳ではないが、大体師匠が三十発くらい殴りつけたころだっただろうか。


 巨漢がついに、足を折った。


 床に膝をつき、涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになった顔を師匠に向けながら、口をパクパクと動かしていた。


 分かる。

 何と言っているのか、いや言おうとしているのか。


 『ごめんなさい』と。

 あるいは、『許してください』と。


 そう、言おうとしているのだろう。


 しかし師匠はそれには構わず、巨漢の棟髪を左手でむんずと掴むと、今度は右手で平手打ちを見舞った。

 

 彫像のような顔のまま、一発、二発、三発、四発・・・。何度も何度も、律動的で小気味のよい音が鳴り響かせて、巨漢の頬を打ち続けたのだ。


 し、師匠・・・

 

 「うん?なにかな、君」


 そ、そのへんにしてあげては、どうだろうか?


 「おっと、失礼」


 師匠は、棟髪を掴んでいた左手を離した。


 解放されて力なく床に転がった巨漢は、白目をむいて泡を吹き、軽く痙攣するようにぴくぴくと動いていた。


 「さて、と・・・」


 師匠はぐるりと店舗の中を見渡した。


 ひっ、という声が響いた。

 

 誰のものなのかは分からない。

 ひょっとしたら、私が思わず出したのかもしれなかった。


 「では予定通りに、君たちを正しい道へと導くとしよう」


 師匠は伊達眼鏡を外しながら、そう宣言した。






 今後数十年にわたって珍走団の間に語り継がれることになる、凄惨な夜の幕開けであった。 

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