第51話 善意と代償について
私の師匠は、とんでもない二重規範主義者である!
常日頃から、弱き人々を救うなどとのたまっておきながら、困っている村人を追い返してしまうとは!
なにが、『組合でもう一度よく相談しろ』、だ!
組合で突っぱねられたから、師匠の元に泣きついたというのは明白だろうに!
まったく、思い出すだけでも腹が立つ!
私はぷんすこと憤りながら、街近郊の農村を歩いていた。その後ろからは、しろすけが可愛らしくちょこちょこと追従していた。
この農村は街からそれ程離れておらず、したがって若者の数が極端に少ない。
ほんの一時間も馬を走らせれば、生まれ育った村よりも衣・食・住のすべての面で上回る生活の場があるのだから、街にねぐらを移すのは当然の選択と言える。
特に、時間と体力と少々の金を持っている若者ならば、なおのことだ。
そうした自然の成り行きから高齢化が進んでいるこの農村には、野良仕事やら家畜の世話やらには熟達していても、それ以外は畑違いでどうしようもない、という老人で溢れていた。
そんな哀れな村の住人からの依頼。
『農地に湧いた害虫を駆除して欲しい』という願いを、非人道的な師匠に代わって叶えてやらねばならない。
ちょっと、時間を巻き戻そう。
「なあ、お嬢ちゃん。君からも、あの人に頼んでみてくれないか」
その青年は、涙目で私に訴えてきた。
師匠にすげなくされてからも、ずっとお屋敷の周りをうろついていたらしい。
私が外に出た途端に、話しかけてきたのだ。
「このままじゃあ、俺は村に帰れないんだ」
青年は私の返事を聞こうともせずに、一方的に、しかし必死な様子で話した。
師匠に断られていた時の、なんとも憐れな姿を目にしていたために、私は黙って耳を傾けていた。
「村からかき集めてきた、金貨五枚だ。きちんと報酬だって払えるんだよ」
青年は口を動かすのを止めることなく、懐から袋を取り出してから中身を私に見せつけた。
美しく輝く、最上価値の硬貨達が私を見つめ返していた。
「お願いだ。“十字虫”から俺の村を救っておくれ」
私は、少しだけ考える見せた。
少しだけ、である。
あの冷血漢の師匠は、事あるごとに言っていたではないか。
『弱き人々を救え』と。
ならば、私のやるべきことは一つだ。
私が大きく頷くと、青年は顔をほころばせた。
「ありがとう!助かったよ!いやあ、よくできたお嬢さんだ!」
青年のやや大げさな礼に対して、私は任せておけ、とばかりにふんぞり返った。
十字虫。
それは、農村部によく出没する害虫である。
獣の肉でも畑の作物でも、何でもよく食べる昆虫の一種であるが、成虫になると私の身長の半分くらいの大きさにまで育つ。その固い外骨格と貪欲さから、第一次産業従事者たる農家には蛇蝎のごとく嫌われている。
厄介なのは、柔らかい土のある場所を好むというその性格である。
地面の下に穴を掘り、そこに巣穴をこさえようとするため、木々の生い茂る森よりも開けた草原。さらに言えば、人が耕した農地の真下に潜り込んでくるのである。なにせ巣穴を掘りやすいからだ。
作物やら家畜やら、場合によっては農夫自身が襲われるので、火吹き蜥蜴と同じように駆除対象の筆頭として挙げられる生物である。
ちなみに、その火吹き蜥蜴とは縄張り争いになることも多いが、往々にして火だるまにされてひっくり返った死体が畑のそばに転がっている。
要するに、だ。
十字虫は、確かに戦闘職ではない農夫の手には余るが、今の私ならば正面から戦っても十分に倒せる。
それに私には、十字虫にとっては天敵といえるしろすけがいるではないか。
私はにやりとほくそ笑みながら、畑へと続くあぜ道を歩いた。
ここは善意でもって、憐れな村を救ってやらねばならない。
私が十字虫を駆除すれば、村人たちは大層喜ぶだろう。
そして、人助けをした私もうれしい気持ちになる。
みんなが喜ぶ、理想的な解決策だ!
決して。
決して、依頼料の金貨五枚に眼がくらんだわけではないのだ。
十字虫による被害があった畑へと到着すると、さっそく私は巣穴の入口を探した。
畑の作物である甘芋は既にほとんどが掘り返されているらしく、引きちぎられた葉っぱのみが散乱する無残な様相を呈している畑には、明らかに自然によるものではない穴が幾つか空いていた。
間違いない。
十字虫の巣穴だ。
私は、畑を入念に歩き回って穴の数を確認すると、それを大きな石を使ってふさいでいった。
幸いなことに穴はほんの四つほどしかなかったので、大して苦労することはなかった。
一つだけ、比較的周囲の足場がしっかりしている場所を選んで、わざとふさがずに穴を残しておくと。
私は雑嚢から、秘密兵器を取り出した。
別に、魔法道具のようなものではない。
近所の大型日用雑貨店で購入できる、殺虫剤の噴霧器である。
筒状のそれをひねって密閉した室内に放置しておけば、そこから殺虫性の薬剤が噴射されて害虫を駆除できるのだ。
勿論、これは手のひらにも満たない小さい害虫を殺しきる程度の毒性しかない。
しかし、これらを大量に、自分の巣穴に放り込まれたら十字虫はどうするのか?
あまつさえ、逃げ道が一つしかなかったならば?
私は噴霧器を起動すると、穴をふさいでいた石を少しだけどけてからそれを放り込んだ。
全部で十本。総額銀貨十一枚なり。
金貨五枚のためならば、安い投資だ!
嫌な臭いのする煙が出てきたのを確認すると、私は石を元に戻した。
そして即座に、一つだけ開けておいた穴へと急いだ。
おっと。
口元は、しっかりふさいでおかないとな。
私は懐から手巾を取り出して、鼻と口を覆った。
数分程経つと、私の足元の穴から黙々と嫌な煙があふれ出てきた。
空気よりも重いそれは、立ち上ることなく畑の表面を滑る様に流れていった。
その臭いを嫌悪したのか、しろすけは顔を振った。
耐えておくれよ、可愛いしろすけ。
お前は貴重な戦力なのだ。
私は愛剣を抜き放ち、意識を集中して構えた。
土の下の動きを、感じ取れる。
わさわさと、逃げまどっているな。
嫌なにおいの煙から、逃げたいのだろう。
さあ、出てこい!
「ぎぃっ!」
穴から飛び出してきた影に向かって、私は即座に剣を振り下ろした。
胸の真ん中付近から二分割された十字虫は、じたばたともがいていた。
一匹!
喜ぶ間もなく、続けざまに二匹が飛び出してきた。
同じ要領で二体目を叩き切ると、残った一体に眼を向けた。
そいつは、体を持ち上げて、威嚇するように羽を開いた。
まさに十字のような体系になった十字虫に向かって、しろすけが襲い掛かった。
固い外骨格をものともせずに、その歯と爪で果敢に攻撃を仕掛けていく。
脚をもぎ取り、羽を引きちぎり、腹を引き裂き、頭を噛み砕く。
普段の可愛らしい姿からは想像もつかないような、一端の戦士のような戦いぶりではないか。
やはり、連れてきたのは正解だった。
私としろすけは、次から次へと穴から飛び出してくる害虫を、次から次へと駆除していった。
やれる。
やれるではないか!
二十匹ほど害虫を倒して、私が汗をぬぐいながら成功を確信したその時。
突然、畑のど真ん中の土が破裂した。
土と殺虫剤の煙をまき散らしながら、何か大きなものが、そこから現れた。
その、十字虫と非常によく似た姿かたちをした何かは、盛んに鋭い鋏のような顎をカチカチと鳴らして、私を“見下ろしていた”。
・・・え?
十字虫って、こんなに大きく育つの?
私は呆然と、その巨大な十字虫を見上げた。
そいつは、飛べるはずもないのに、大きな大きな羽を広げた。
あのぅ。
お騒がせして、大変申し訳ありませんでした。
私、これから帰ろうかと思うのですが。
十字のような体系になったそいつは、同胞を散々殺した私に対して、大層お怒りなようだった。
その顎をいっぱいに広げて、一目散に私へと突進してきた。
とっさに愛剣を、その頭に向かって突き出すが、先ほどまでに切ってきた小さい十字虫とはまるで違う。
あまりに固すぎて、刃が立たないのだ。
それでも他に手がない私は、しつこく剣を振り回すしかなかったが、そのうちに。
ばきんっ
ついに、愛剣の方が、折れてしまった。
絶対絶命。
十字虫は、カチカチと顎を鳴らしながら、その顔を私に近づけてきた。
私が折れた剣の柄を握りながら尻もちをついて、巨大な十字虫を見上げた、その時。
甲高い鳴き声が上がった。
私の、可愛い可愛いしろすけが。
しろすけが、私の目の前に立って、十字虫を威嚇している!
なんとその口からは、小さいながらも火が噴き出ているではないか!
「お見事だ、しろすけ」
後ろから、聞きなれた声が聞こえた。
私が振り返るよりも早く、その声の主は私の横を駆け抜けて、巨大な十字虫へと大剣を振り下ろしていた。
強固な外骨格をものともせずに、まるで麺麭を切り分けるかの如き容易さで。師匠は、十字虫の首を地面へと落とした。
「先祖返りしたやつがいたのか」
師匠は、大剣についた十字虫の体液を素早く布でふき取ると、背中の鞘へとしまった。
そしていつものように跪いて、祈り始めた。
私は尻もちをついたまま、しばらくそれを呆然と眺めていた。
「こいつらは、秋になるとつがいを見つけて巣を作ると同時に、冬眠の準備をするんだ」
私たちが打倒した、大小さまざまな十字虫の死骸を焼きながら、師匠は言った。
灰を畑にまいて、肥料として使うのだそうな。
「毎年、この時期になると必ずどこかの農村部が被害にあうんだ。だから、組合と専属で契約して定期的に駆除している村もあるくらいだ」
私は、師匠と一緒になって、十字虫の死骸を炎の中に放り込んでいた。
私は抜け駆けしようとしたのが気まずくて、作業をしながら黙ってそれを聞いていた。
「この村は運がいいのか悪いのか、今まで数十年間被害にあわなかったんだそうだ。だから、駆除の仕方を知る人間がいなかった」
最後に師匠がしとめた大物。
先祖がえりをしたという、恐らくこの巣の主であろう大型の死骸を投げ込んで、師匠は私の方を見た。
「それにしても、うれしいよ、君」
師匠はいつもの彫像の様な顔だったが、その眼はとてもやさしかった。
「私が断った依頼を、一人で遂行しようとするとは。やはり君は、聖職者になるにふさわしい清い心を持っているんだね」
やめて、師匠。
その視線は、穢れた私の心に、突き刺さるんです。
「ご老人方。必ず、組合の方に通報をしてください」
「いやあ、本当にありがとうございます」
手を握りながら、何度も何度も頭を下げるお爺ちゃんやお婆ちゃん達に対して、師匠はいつもの彫像の様な顔でそう言った。
私は複雑な心境で、それを見つめていた。
師匠は名残惜し気に手を振る老人たちから離れると、私の元へと歩いてきた。
「さあ、帰ろう」
お金をケチって馬を駆りてこなかった私に合わせるために、師匠は自分の馬を引いて歩き出した。
私は、少しだけそれに遅れて歩きだした。その後ろには、大活躍をしたしろすけが続いた。
師匠は、あの青年からの依頼を断っていた。
しかしながら、こうしてこの村を助けに来ている。
いったい、どういうことなのだろうか。
「善良なお年寄りを狙って、詐欺紛いのことをする輩が増えているんだそうだ」
師匠は私の隣を歩きながら、そう言った。
詐欺紛い?
いったいどういうことだろうか?
「簡単に言えば、組合員や自由業の戦士を装って相場よりも高額で依頼を引き受ける者がいるんだ。そして、それをそのまま組合に持っていく、と」
そんでもって、組合には相場通りの依頼料を支払って、その差額で儲ける、と。
成程。
確かに、結果的には依頼を達成していないわけでもないので、完全に依頼人を騙しているではないのだろう。
・・・え?
じゃあ、ひょっとして、あの青年は?
「君の察しの通りだ。困っていた村人に取り入って、相場の二倍で駆除を請け負ったらしい」
私は愕然とした。
騙されてしまったことよりも、あの仕事が金貨五枚よりも高いという事実に驚いている自分がいた。
「あの青年からの依頼は断ったが、あの村が困っているというのは事実だったからね。だから急いできたんだ」
私の様子に気づいていないようで、師匠は話し続けた。
「本当なら、君と一緒にするつもりだったんだが。まさか君が、自分から人助けをしようと考えているとはね」
ええ、はい。
勿論ですとも。
私は体中に汗をかきながら、師匠の言葉を受け入れた。
それより師匠。あの青年のやっていることは、法的には許されないのではないだろうか。
「そうだね。本来、依頼とそれを遂行する人間を仲介するのは、組合の仕事なんだ。それを個人で行おうとすれば、当然街の行政府から許可が必要な訳だが・・・」
あの依頼をしに来た男は、許可を得ていなかった、と。
「正解だ。明日にも、街中に人相書きが張り出されるだろう」
酷いことを考える奴もいるもんだ。
そして、組合に行ってからも吹っ掛けすぎて断られて、師匠を紹介されたと。
「それについては、あらかじめ私のような人間のことを知っていたのかも知れない」
うん?
どういうことだろうか?
「組合は民間の企業だ。慈善事業をしている訳ではない。だから、適切な代償を払えば適切に依頼を遂行してくれるが、代償が払えなければその限りではない」
うん。
それは分かる。
もしも安い賃金で組合員を働かせたら、組合員が離れて行ってしまう。
組合という大きな組織を維持することができない。
それに、一度でも安い代償で請け負ってしまえば、次からはそれが相場になってしまうのだ。
「すばらしい。よくわかっているね。だが、あまりにも貧しくて代償を払えない人々というのも、確かに存在するんだ」
師匠は、その眼に少しだけ悲哀をたたえて言った。
世の中には、どうしたって格差が生まれてしまうのだ。
師匠はそれを憂いているのだろうが、だからと言って師匠一人がどう頑張っても、社会全体を平等に富める人々で満たすことなどできはしない。
師匠は、神様ではないのだから。
「ありがとう。だから、そういった弱い人々を救うために、私のような組織に縛られない戦士がいるんだ。組合からはじき出された、本当に困っている人々の依頼のみを受けるためにね」
成程。
街にはいろんな仕事をする人々がいるが、みんなが何かの役に立っているのか。
私は、ふと十字虫のことを思い出していた。
そうだ。
あの害虫だって、獣の死体を食べて糞をしたり、巣を作るために土を耕したりもする。
その土壌はよく肥えて、作物を育てる畑にするのにぴったりの土地になるのだろう。
ひょっとしたら、あの十字虫だって世の中に必要な存在なのかもしれない。
「その通りだ。この地上に、不必要な存在などないのだと思うよ」
師匠が無表情のままに、上機嫌で言った。
私の行動が、とてもうれしかったのだろう。
なんだかそれがむずがゆくって、私は茶化すことにした。
師匠、師匠。
「なんだい」
詐欺師も、必要な存在?
「衛兵の存在意義という点では、必要かもしれないね」
なんだそりゃ。
「ししょう。けんが、おれちゃいました」
「気にしなくていい。もっといい品を買ってあげよう」
「あ、ありがとうございます・・・」
「遠慮しないでくれたまえ。頑張った君には、ぜひともご褒美をあげたいんだ」
「・・・」




