第48話 恐怖の吸血鬼について 前
コスプレに困惑する師匠を書こうかと思いましたが、異世界なのでハロウインネタは無理でした。
ほんの一瞬だけ、暗い室内に強い光が差し込んだ。
その瞬間、床や壁に、窓に近い場所に置かれていた様々な物品の影が、映し出された。
外套かけ。
積まれた書籍の山。
卓上に放置された、食べかけの生菓子。
それらが一種の異形めいたおぞましい影をかたちづくり、そろって私を脅かしているようだった。
それから遅れること数秒。
ぴしゃあぁん、ごろごろ・・・。
という、大小様々な種類な太鼓を律動的に叩くような音が、周囲に響き渡った。
「・・・おおい、君。早く入れてくれたまえよ」
稲妻の音にまぎれるようにして、玄関の扉の向こうから、くぐもった師匠の声が語り掛けてきた。
先刻から、自分からはお屋敷に入ってこれない様子なのだ。
だから、私が扉を開けて、師匠を迎え入れねばならないのだ。
「・・・君、いるんだろう?」
師匠の、助けを求めるような声が聞こえてくる。
しかし私は、動けなかった。
しろすけと身を寄せ合いながら、一人と一匹で震えていたのである。
ぴしゃあぁん。
と、またも空気を裂くような音が響き渡った。
「・・・なあ、君。私を中に入れてくれたまえ」
私はしろすけを抱きしめながら、祈った。
ああ、師匠。
早く帰ってきて。
薄暗い通路を走る、美しい女性。
さぞ高価だったであろう衣服は、すでに女性の艶めかしい肉体の一部を隠すためにしか機能していなかった。
女性は、しきりに後ろを振り返っていた。
背後から迫る、化け物。
生き血をすする、恐ろしい不死の怪物が、彼女の後ろに迫っているのだ!
『くくく・・・。いつまで逃げるつもりだ?』
『きゃあああーーー!?』
女性は一際大きな声を出し、走り続けた!
「・・・君。もう少し、音量を下げてくれたまえ」
読書中の師匠からの苦情を受けて、私は受像機の音量を下げた。
しかし、視線は全く動いてはいない。
釘付けである。
今私は、『恐怖の吸血鬼』という題名の戯曲を見ていた。
その名の通りに、恐ろしい怪物である“吸血鬼”が、次々と若い女性を襲って血を吸い殺してしまうという話である。
ああ、なんとも恐ろしい。
しかし、目が離せない。
私自身、理解しがたいものを感じるのだが、人間というものは娯楽の中に恐怖を求める習性があるらしい。
画面の中で、今まさに“吸血鬼”に首筋へと噛みつかれた女性の姿を眺めながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
吸血鬼。
それは、不死人とは似て非なる存在である。
両者とも老いず、どれだけ傷ついても死ぬことのない強靭な肉体を持っている。
しかしながら、吸血鬼は“存在しない”のである。
それなりに古い歴史を持つこの街にあっても、吸血鬼の出現例など史書のどこにも見当たらない。
完全に伝説の、いや架空の怪物である。
不死人についてはすでに出会っていたし、師匠が滅ぼすのをこの目でしっかりと見たのだ。
同じ不死の存在であっても、現実と空想の存在とでは大違いである。
吸血鬼なんて、ありえない。
だから、怖くなんてない。
それゆえに、私は安心して、この恐怖映像を視聴することができるのだ。
「いや、ちゃんと存在しているよ」
師匠は書物の山の一角を崩しながら、そう言った。
『キャアアアアアーーーーー!?』
師匠の言葉とほぼ同時に、画面の中では新たな犠牲者が断末魔の悲鳴を上げていた。
私は、キリキリと首を軋ませながら、ゆっくりと師匠の方を見た。
えっ。
いるの?
吸血鬼?
「ああ、いるとも。最近は目にする機会が減ったが、確かに一定数存在している」
・・・。
私は、静かに受像機を消した。
「君、どうしたんだい。顔色が悪いようだが」
首をかしげる師匠に対して、私は努めて平静を装った。
いやいや。
別に何もありませんとも。
ところで師匠。
後学のためにも、吸血鬼を退散する方法をご教授願いたいのですが。
「ええっ?いったいどうしたんだい。いつになく、熱心ではないか」
師匠は彫像の様な顔のまま、その眼だけを大きく見開いた。
そんなに驚かなくてもいいのにな、という若干心外な気分と、最近師匠の感情が読めるようになってきたなー、というちょっとだけうれしい気持ちを半分ずつ胸に秘めて、私は椅子に座った。
すでに卓上には、帳面と鉛筆を用意してある。
「・・・なんだか、いやにやる気に満ちているね」
師匠は訝りながらも、卓をはさんで私の反対側へと座ってくれた。
私がやる気を見せるときには、きちんと応じてくれる。とても良い師匠である。
まあ、やる気がなかったとしても、無理やりに勉強なり鍛錬なりをさせる嫌な師匠でもあるのだが。
「そうだね。まずは、基本的なところから教えよう」
師匠はいつもの老眼鏡をかけ直すと、卓のわきの床の分厚い書籍が積み重なった山脈から、器用に目的の書籍だけを抜き取った。
山崩れを起こすこともなく、見事に書籍はそのまま沈黙を保ち続けていた。
「君も知っているだろうが、吸血鬼は不死の怪物だ」
師匠はぱらぱらと頁をめくると、日に焼けた絵図を私の方へと指示した。
人の形を保っているが、その特徴的な牙の生えた口。
まさに、先刻まで受像機で見ていた吸血鬼そのものだ。
「吸血鬼は、その名の通りに生者から血を吸って糧とする。そして、基本的には不老不死だ。切ろうがつぶそうが、すぐに再生してしまう」
師匠は本を私の目の前に置き、文字を指さしながらゆっくりと、記述された内容を読み上げた。
「蝙蝠や気体に姿を変え、空を飛び、人を惑わし、己の眷属を作ることができる。まさに不死の怪物だね」
師匠は淡々と、吸血鬼の恐るべき能力を説明してくれた。
私は震えながらも、必死に記帳を開始した。
こんなに恐ろしい能力をもつ存在に出会ってしまったら、退散させるよりも私が退散する方がよさそうである。
「いやいや。実は、虚弱体質と言っても差し支えない程にすさまじい弱点があるんだよ」
師匠が、まじめに受講する私の姿に満足したのか、私の望む情報を即座に提示してくれた。
「まず、日の光を浴びると、滅ぶ」
・・・えぇっ!?
たったそれだけで!?
「たったそれだけで、だよ。そして、にんにくが苦手だ」
にんにく?
にんにくって、あの食べ物の?あの、匂いの強い。
「そうとも。匂いが嫌いなのかもしれないね。次に、胸に杭を打ち込んで首を跳ねると、滅ぶ」
えぇ・・・。
そんなことをされたら、吸血鬼でなくとも死んでしまうと思うが。
「まあ、確実に吸血鬼を滅ぼす手段として有効でもあるんだ。次に、聖印が苦手だ」
せいいん?
「要するに、教会にある神々を象徴する印だ。これをかざすと、吸血鬼はまいってしまうんだね」
かざす?
つまり、吸血鬼に見せるだけで、吸血鬼は嫌がる?
私は、襲い来る吸血鬼に対して懐から取り出した、にんにくの形をした聖印を格好よくかざす自分の姿を夢想した。
・・・だめだ、そのまま噛まれて血を吸われてしまいそうだ。
「他にも鏡に映らないだとか、銀の武器で致命傷を与えられるとか、水が苦手とか、とにかくたくさんの弱点があるわけだ。おなじ不死でも、不死人より明らかに弱い」
成程。
聞いていると、可哀そうになるくらいに制約の多い存在のようだ。
不死人は、その成立過程からして強大な魔法士であり、従って戦闘能力は並外れている。
吸血鬼の方だって、単純な力勝負ならば負けてはいないのだろうが、いかんせん弱点が多すぎて見劣りしてしまう。
というか、日の光で滅ぶというのは憐れにもほどがある。
日中はどうすればよいのだ。
「それはまあ、棺の中で過ごすのではないかな」
同情に値するねと言いながら、師匠は書籍を閉じて、老眼鏡を外した。
「吸血鬼は、その性質上日中の活動が制限されてしまうんだ。だから私たちにとっては、普通に生活している分には脅威たりえない」
師匠はそう締めくくった。
しかしながら、師匠。
寝ている間に、家に侵入されたらどうすればよいのだろうか。
「ああ、実はそれに関する、もう一つの弱点があるんだ」
師匠は言い忘れていた、とつぶやきながら続けて言った。
「吸血鬼は許可がない限り、他人の家に入れないんだ」
・・・なんだそりゃ!?
随分と礼儀正しい怪物だなぁ。
私は師匠の説明にやや呆れた顔をした。
大丈夫なのか、吸血鬼。
そんなんで、この厳しい世の中を生き抜いていけるのか。
・・・いや、そもそも不死なんだろうが。
「まあ、そんな訳でね」
師匠は椅子から立ち上がって、私の方をちらりと見た。
「君がそれ程に怖がらなくても、大丈夫だと思うよ」
すべてを見透かしたようなその言葉に、私は顔を赤くした。
ち、ちがうわいっ!
別に吸血鬼なんか、怖がってないやいっ!
・・・怖がっているわけではないが、暗くなる前にはこのお屋敷に帰ってくるように心がけよう。
「まあ保護者としては、夜遊びのしない女の子というのはありがたいものだけどね」
師匠はそう言い残して玄関に向かった。
えっ?
師匠、どこかに出かけるの?
「今日は、食料量販店の特売日なんだ」
特売日。
ということは、けち臭い師匠のこと。
安さに任せてしこたま買い込んでくることだろう。
のこのことついて行ってしまったら、大荷物を持たせれるに違いない。
それでは師匠、行ってらっしゃいませ!
私は笑顔で師匠を送り出すことにした。
「ああ。天気が悪くなりそうだし、すぐに戻るよ」
そう言って師匠は、玄関から出て行ってしまった。
なに。
吸血鬼に関する情報は、すべて入手したのだ。
これでもしも、仮に、ひょっとして本当に吸血鬼がやってきたとしても、どうにか退散させられるだろう。
よしんば退散させられなかったとしても、師匠の帰りまで時間を稼ぐくらいはできる!
そうとも。
だから、怖がることなんて、何もないのだ。
そんなことを考える私は、がらんとした広いお屋敷の居間で立ち尽くしていた。
卓の周囲には、本だの菓子だのが散乱して生活感があふれているが、人の気配のないこの瞬間には、なぜだか不気味に感じられた。
外はどんよりとした曇り空で、室内を照らすのは天井からの魔力光のみ。
なんとなく、心細い。
ふむ。
怖くはない。
怖くはないが、ここにいる特別な理由もないのだ。
とっとと、自室に引っ込むとしよう。
私はすたこらと階段を上ると、自室の扉を乱暴に開けて飛び込んだ。
私の寝台の上には先客のしろすけがおり、私の闖入に驚いたのか、目を見開いてこちらを眺めていた。
おお、私のかわいいしろすけよ。
お前はきっと、こんな暗い日に一人で過ごすのは嫌なのだろう。
私が一緒にいてあげるから、ありがたく思うのだよ。
私は寝台へと飛び込むと、しろすけを抱きかかえた。
しろすけは抗議をするように甲高い鳴き声を上げたが、私は構わずにぎゅっと抱きしめてやった。
恥ずかしがることはない。
私はお前のご主人様だ。
だから、寂しがり屋のお前と、一緒にいてあげよう。
じたばたと抵抗するしろすけを抑えながら、私が毛布をかぶろうとすると・・・
コン
コン
突然。
何かが窓を叩くような音が聞こえた。
二階にある私の部屋には、縁側が付いている。
そこからの見晴らしは、なかなか気に入っているのだ
そこには、人が立つのに十分な広さがある。
私がそちらに目を向けると、
“そいつ”は、私に笑いかけた。
「ねえ、入れておくれよ」
そう語る口には、立派な牙が生えていた。




