第47話 欠点について 後
かつての住まいのような喧噪とは違った種類の、それなりに上品な賑やかさを背景にして、私と師匠は並んで歩いていた。
「そういえば、君には欠点はないのかい?」
欠点を克服するための香水を買い求めに、近所の大型百貨店へと向かう道すがら、師匠は私に訊ねてきた。
余所行きの格好をするでもなく、いつもの通りの野暮ったい服装のままの師匠を見ながら、私は少しだけ考えてみた。
そう言われても、師匠。
欠点というものは自覚しにくいものなのだから、私自身には私の欠点など分かりようもない。
「・・・成程。誰かに指摘されるまで分からないとは、なかなかに厄介なものだね」
そう言いながら師匠は、一瞬だけ私を見た。ほんの一瞬なので、その眼に宿る感情を読み取り損ねてしまった。
師匠の意味深な視線が気になって、私は問い返すことにした。
師匠から見ると、私にはどのような欠点があるのだろうか。
「えっ?いや、その・・・」
師匠は私の視線から逃れるように、首筋に手を当てて顔をそらした。
さあ、師匠。教えてほしい。
私には、どのような欠点があるのだろうか。
師匠は顔中に変な汗をかき、うんうんと唸ってから口を開いた。
「・・・き、君には、欠点らしい欠点など、その、ないのではないかな?」
師匠は首筋を撫でながら、少し裏返った声でそう答えた。
成程!
やはり私は、完璧な美少女という訳だ!
あえて言うのならば、私の欠点とは“完璧すぎて欠点がないところ”であろう!
途端に師匠は、首筋から手を放して冷静な目つきになった。
「いや、訂正するよ。君の欠点は、その自惚れや増長しやすいところ・・・」
その発言が完了する前に、私は師匠の脇腹に向けて正拳を叩き込んでいた。
「うぐっ・・・。それと、手が早いこともだ」
私と師匠が、そのようにしてじゃれ合いながら歩いていると、目的地の大型百貨店へとたどり着いた。
七階建てのそれは、この街で一番ではないにしても、衣服、宝石、家具、魔法道具、本、玩具、そして化粧品と、各階ごとに豊富な品揃えで大勢のお客を迎え撃つ要塞である。
ちなみに私は、地下の食品売り場に攻め込むことが多い。
あそこの甘乳の生菓子は、絶品なのだ。
私と師匠が連れ立って、百貨店への突撃を敢行しようとすると・・・
「やーい、泣き虫!」
突如、百貨店の入口のそばから大きな声が響いてきた。
私と師匠はそろって、その声の方向を見た。その際、師匠の身体が小さく震えたのを、私は見逃さなかった。
そこには、二人の子どもがいた。
十歳になるかどうかの、とても似通った顔の少年たち。
しかし両者は、二点において決定的に異なっていた。
一方は、少しだけ背が高かった。
そしてもう一方は、泣いていた。
恐らく買い物中の親を待つ兄弟が、喧嘩をしているのだろう。
しかし、すでに勝負は決着し、兄が泣きじゃくる弟に追い打ちをかけているようだ。
師匠はしばらくの間、その二人の少年の様子を黙って見つめていた。
助けに入る機会をうかがっているのだろうか。
「・・・いや、助けない」
私の疑問に対して、なんと師匠は、そう言い残して歩き出した。
なんだそりゃ!
師匠!あのいじめられている子どもを、助けなくていいのだろうか!?
「彼を助ける必要はないよ。それよりも、早く香水を買いに行こう」
師匠の冷たい態度に、私は頬を膨らませた。
涙を流す幼子よりも、自身の体臭対策を優先するとは!
聖戦士として、いや聖職者としてあるまじき姿ではないか!
憤る私に、しかし師匠はあっけらかんと言い放った。
「私が救うのは、弱き人々だけだ」
街でも有名なこの百貨店は、一階部分が丸々化粧品や香水などを販売する区画になっている。
外からも店内が見やすいように、壁には大きな硝子づくりの窓が張り巡らされており、着飾った女性たちが、自分をさらなる高みへと導いてくれる秘宝を探し求めている様子が、よく観察できた。
一応男性用のそれらも販売されてはいるが、ここから見る限りでは警備員以外の男性はいない。
「こ、ここでなくては駄目なのかな?」
ここにきて、自分が場違いな存在であることを理解した師匠は、尻込みするようなことを言い出した。
しかし私は先刻の師匠の態度が気に入らなかったため、返事もせずに師匠の背中を両手で力いっぱいに押しやった。
「き、君!もう少し、心の準備を・・・」
一応目的の品物が目の前にある手前、師匠は口ぶりだけは抵抗しつつも、店内に入ることは拒まなかった。
私はそのまま勢いを殺すことなく、師匠を香水を専門に扱う区画まで輸送していった。
その途中で、数人の女性客から奇異な視線をむけられることになったが、構わない。
師匠はもう少し、恥ずかしい思いをするべきだ。
「いらっしゃいませ」
香水の区画に到着すると、この百貨店員専用のかっちりした衣服に身を包んだ女性の店員が現れた。男である師匠を目にしても、気にした様子はない。
どうやら、ここには少なからず男性客が訪れるようだ。
細長い卓をはさんで反対側に立つ店員の背後には、様々な大きさと色の瓶が置いてあった。
いずれも香水か、それ関わるものなのであろうが、とにかく数が多い。
ここならば、師匠の欠点を克服する品は見つかるだろう。
「いや、その、あの・・・」
師匠は女性店員の前に押し出されて、明らかにうろたえ始めた。
師匠!
いつもの元気はどうしたのだ!
さあさあ、しっかりはっきりと言うのだ。
「うう・・・。その、臭いを・・・」
「はい?」
あくまでも接客的な笑顔を向ける店員であるが、師匠にとっては一人の女性に過ぎないようだった。
親しくもない異性に対して、自分の繊細な部分について語るというのは、かくも気後れするものなのか。
他人事ながら、私は師匠の後姿を見てそのようなことを考えていた。
「そのっ!」
「は、はいっ!」
意を決して声を張り上げた師匠に、女性店員は少々面喰いながらも、その笑顔を崩さずに応対していた。
すばらしい職業人気質である。
「た、体臭を、ですな。その、誤魔化せるようなものを・・・」
「ああ、そうでしたか!」
師匠の挙動不審さに合点がいったらしく、店員は笑いかけた。今までの接客的なそれではなく、とても親しみの持てる、自然なものだった。
「失礼ですが、お客様は汗をよくかかれますか?」
「ええ、はい。かなり・・・」
師匠が首筋をなでながら、消え去りそうな声でそう言った。
実際、今まさに脂汗をかいている最中である。
ふんだ。
さっさと言ってしまえば、簡単に済むというのに。
「では、汗をかいた際には、どのようになさっていますか?」
「・・・いえ、特には何も」
店員は、成程そうですか、と一息おいてから解決策を提示した。
「でしたら、汗をかいたら服を変えたり、汗を拭いたりするのがよろしいかと思います。そのままにすると、臭いの原因になってしまうんです」
へええ、そうなのか。
師匠に対する助言ではあったが、私は聞き入っていた。
私も今度から、汗を書いたらこまめにふき取ったり着替えたりするようにしよう。
「まずは、汗の臭いを防ぐことから始めるのがよいと思います。その上で香水を使うと、より効果的でしょう」
「成程・・・」
師匠は何度もうなずいて、店員からの助言を反芻していた。
何のことはない。
つまり、わざわざお金を払って香水を買わなくても、師匠の体臭は改善できるのだ。
今後は汗をかいた際に適切に対処するだけで、欠点の一つがなくなるだろう。
しかし師匠は、小さく首をふった。
「いや、せっかく助言をしてもらったのだ。より効果的に欠点を克服するためにも、一番売れ筋の香水を買わせていただこう」
「それは、ありがとうございます。では、少々お待ちください」
そう言うと女性店員は、慣れた手つきで背後の棚から瓶を三個ほど取り、三本の細管を使ってそれぞれの瓶から液体を吸い出して、金属製の容器に移した。
そして容器に蓋をすると、右手でそれを小刻みに振って中身をかき混ぜながら、今度は空いた左手で小さい硝子製の容器を取り出した。
硝子容器の方に漏斗を差し込むと、十分に混ざったらしい金属容器の中身をそこに向かって傾けた。
金属容器からは、ほのかに花の香りがする無色透明の液体が流れ出し、一滴すら零れることなく硝子容器の中へ収まった。
この一連の、洗練された動きに見入っていた私と師匠は、思わず大きなため息をついてしまった。
すごい。
職人芸だ。
「うん。お見事と言う他ないね」
ほんの一分足らずで、立派な商品の出来上がりだ。
店員は、さらにそれを小さな袋に入れて、すっと師匠の前に差し出した。
師匠は礼を言って、懐の財布に手を伸ばした。
「そら、見たまえ」
目的を果たして百貨店を出た途端に、師匠が指をさした方向には、先刻に見かけた子どもたちがいた。
まだ、兄弟喧嘩をしていたらしい。
だが、さっきまでとは様子が違う。
背の低い、弟と思しき少年の方が、歯を食いしばって立ち上がっていたのだ。
「なきむしじゃ、ない!」
その眼に涙を浮かべ、耳と鼻は赤くなっていたが、それでも兄と思しき少年に向かって訴えていた。
むしろ思わぬ逆襲に驚いたのか、今度は兄の方が涙ぐんでいた。
「言っただろう。私が救うのは、弱き人々だけだ、と」
師匠はそう言って、お屋敷に向かって歩き出した。
成程。
あの少年も、欠点を克服したのか。
私は笑顔で頷いた。
がんばれ、少年。
師匠のように、強くなるんだぞ。
私は師匠の後ろを追いかけて、百貨店を後にした。
今日の師匠は、なんだか珍しく頑張っていたような気がする。
自分の体臭なんて、今まではそんなに気にしていなかったではないか。
「・・・その、なんだね。欠点というのは、誰にでもあるものだと思うんだ」
成程。
確かにその通りだ。
師匠には数えきれない程あるし、私にだって・・・。
「その欠点を受け入れるか、あるいは克服するかで、人は変わるのではないかと思う」
師匠のその言葉に、ちくりと、私の胸の奥が痛んだ。
そう、私の、“欠点”。自分でも、分かっている。
自分自身の“欠点”を棚に上げて、師匠を小馬鹿にして。
なんでそんなに粋がっていられるのだろうか、私という小娘は。
「いや、別に深い意味で言っている訳ではないんだが・・・」
・・・その通りだ。分かっている。
師匠は、別に当てつけや皮肉でこんな話をしているわけではない。
ただ、私自身に気づいてほしかったのだろう。
私の“欠点”。
それに向き合い、克服することの大切さに。
「・・・まあ、急ぐ必要はないさ。ゆっくりでいいんだ」
師匠は私の頭を撫でながら、そう言った。
「君のその、図に乗りやすい性格は、しっかりと治した方がいい」
・・・ええ?そっち?
「なんだい?他に何があるというんだい?」
だって、ほら。
私の欠点と言えば・・・
「うん?・・・あー!」
ようやく思い至った師匠は、しまった、というように口を手で押さえた。
その顔は無表情だったが、額から汗が噴き出ていた。
「いや、その、大変に申し訳ない。君を侮辱するつもりは毛頭なかったんだ!」
師匠は地面に膝をつき、私の肩に両手をおいてそう言った。
「君の“それ”は、断じて欠点などではないぞ。だから、気にしてはいけない」
無表情のまま、がくがくと私の肩をゆする師匠の姿が、なんだかとても滑稽に感じられて、私は知らず知らずに笑っていた。
ありがとう、師匠。
貴方は、本当に私のことを考えてくれている。
「いや、その、本当に申し訳ない・・・」
師匠は私の肩から手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。
その時、ふわりと、少しだけ師匠の汗の匂いがした。
「おっと、失礼」
師匠は早速、腕に下げていた袋に手を突っ込み、購入したばかりの香水の封を開けようとした。
しかし私は、その手を優しく掴んでとどめた。
「うん?」
訝る師匠の顔を見つめて、私は精一杯に微笑んだ。
大丈夫だ、師匠。
別に、気になる程ではない。
それに、香水を使うよりも汗を拭きとるほうが良いと言われたではないか
「・・・そうか」
師匠は私の意見を素直に受け入れて、袋から手を離した。
私はすかさずその手を掴み、師匠を引っ張る様にして歩き出した。
「やれやれ。これで、欠点が一つ克服できたね」
「でも、ししょう。まだまだいっぱいありますよ」
「あー・・・。次は、どれから克服すればよいのかな?」
「おかねにきたないところです。おこづかいをあげて、こくふくしましょう!」
「・・・」




