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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第46話 欠点について 前


 私の師匠は、とても臭う。


 「う・・・ぐ・・・」


 師匠は反論もせずに、唸りながら無表情に私を見つめた。

 だが、口の端が少しだけ動いている。

 悔しがっているのだ。


 かように師匠自身が否定できないように、これは悲しい事実なのである。


 「・・・」


 あっ。


 師匠、ごめんなさい。


 言いすぎました。


 朝食が終わってちょっと一息。お茶を飲みながら受像機で直近の出来事の報道を見たり、新聞を読んだりする。

 そんな気の抜けるような時間に、私が何気なく口にした一言で、師匠は大変に打ちひしがれてしまった。

 

 椅子に座りながら、肩と顔を同時に落として黙りこくる師匠に、私は慌てて謝った。


 肉体的には、ひょっとしたら地上に比肩するものがないほどに打たれ強い師匠ではあるが、心理的には変に挫けやすかったりするのである。


 「いや、うん。私も散々に他人から言われてはいるから、自分の欠点だと分かってはいるんだ・・・」


 落ち込む師匠は新聞を掴んだまま腕を上げて、自分の脇の下の匂いを嗅ぐような仕草をした。

 体臭というのは本人にはなかなか分からないもので、師匠もどの程度の匂いなのかが判断できなかったらしく、首をかしげていた。

 

 ううん。

 私も気を付けないとな。

 

 「その、女性である君に訊ねるのは、少し気が引けるのだが」


 確信が持てなかったらしい師匠が、新聞を卓の上に置き、無表情のままおずおずと私に語り掛けてきた。


 ・・・女性!?


 「・・・?ああ、うん」


 うれしいことを言ってくれるではないか。

 応とも師匠!

 何なりと訊ねていただこう!


 私は鼻息も荒く椅子の上にふんぞり返って、師匠の言葉を促した。


 「ありがとう。・・・その、私はそんなに臭うのかな?」


 若干怯えるような眼をしながらも直球で質問をしてくる師匠に対して、私は腕組みをしたまま鼻をひくひくとさせた。


 今、私と師匠は食卓をはさんで座っている。

 この距離にあって、意識すれば師匠のそれと分かる匂いを感じ取れるが、特別に不快な臭いという訳ではなかった。


 「おお、よかった」


 私の答えに、師匠の表情が若干和らいだ。

 いや、いつもの無表情なんだが。

 

 そんな師匠に対して、私は少しだけ嗜虐心が湧いてしまった。



 師匠。

 油断してはいけない。


 ちょっと動いて汗をかいてしまえば、いつもの野獣のような臭いを周囲に振りまいてしまうのだ。


 ただでさえ師匠は多くの欠点を持つ男なのだから、この際体臭の問題は克服してしまって、少しでも欠点を減らしてしまうのが良い。


 「野獣!?それに、多くのって・・・。私は、そんなに欠点があるのかい!?」


 師匠の驚愕に見開かれた眼を見ないようにして、私は顎に人差し指を当てて数え上げた。 



 ええと、ええと


 体臭から始まって。


 横着者。


 お金に汚い。


 美的感覚がおかしい。


 流行に疎い。

 

 鬼畜。


 酒癖が悪い。


 他人の気持ちが分からない。


 嘘つき。


 小言が多い。


 女性の扱い方がなっていない。

 

 ええと、ええと。

 それからそれから・・・


 「・・・」


 あっあっ。


 師匠、ごめんなさい。


 言いすぎました。


 肩と顔を同時に落とし、椅子の上で膝を抱えて黙りこくる師匠に、私は慌てて謝った。

 どうして言い返せなくなると、こうしていじけてしまうのか。

 年下の私に指摘されたぐらいで、そんなに落ち込まないでほしい。


 いや、私もちょっと調子に乗りすぎて、日ごろの不満をぶちまけてしまったようだ。

 この通りに謝罪するから、そんな捨て犬のような眼をするのはやめてもらいたい。


 「いや、うん。そも、欠点というものは自覚しにくいものであるから、指摘してくれる分にはありがたいんだ」

 

 師匠は椅子に座りなおしてから、その場の澱んだような空気をとりなすように言った。

 無表情のままではあったが、しかしその眼はどよーんと濁っていた。

 ありがたいなどと言いつつも、心の奥底では膝を抱えたままなのだろう。


 こんな図体のくせして、意外と繊細な人だなー。


 私はそんな、純情少年のような師匠に言った。



 師匠。

 それ程に気になるのならば、やはりこの機会に欠点を直してしまうというのはどうだろうか。


 「・・・ふむ。確かに、欠点を放置するというのは、私の望むところではない」


 師匠は、きっ、と私を見つめた。

 私は臆することなく、師匠の眼を見つめ返した。


 よし、いつもの強い意志を感じる、私の大好きな眼だ。

 

 私は少しだけ安心して、師匠に提案をすることにした。


 師匠、私を女性として頼ってくれた以上は、私も全力で師匠を支援しようと思う。

 これから、私が知る限りの体臭への対処法を述べよう。


 「よろしくお願いするよ、君」


 いつの間にやら師匠は老眼鏡をかけて、右手に鉛筆、左手に帳面という完全装備になっていた。

 

 なんだか意欲的ではないか。というか、それらはどこにしまっていたのか。

 まあ、いいけど。


 私はそんな師匠の気迫にあてられ、椅子から立ち上がって偉そうに体をそらせながら、講義を開始した。


 対処法、その一。

 まずは、生活習慣の見直しだ。

 

 「生活習慣?」


 師匠がカリカリと記帳しながら、私に問い返した。

 私はそんな師匠を横目で満足げに眺めながら、指を振って卓に沿うようにして歩きだした。


 精神的・肉体的に過度な負担をもたらすような生活習慣を続けていると、身体の調子が悪くなってしまうのだ。

 睡眠不足や運動不足。それに、心も体も疲れるような大変な仕事。

 それが、体臭を強くする原因の一つである。


 「成程、成程」


 師匠は私の口から流れる一字一句を逃すまいと、必死に記帳を続けていた。


 それで師匠は、適切な生活習慣を心掛けているのだろうか?


 真面目な受講者に私が問いかけると、受講者こと師匠は記帳を止めて考え出した。


 「私は基本的に、早寝早起きを心掛けている。夜は遅くとも十時には就寝して、朝は必ず四時に起床する。必要に駆られて夜を明かすことはあるが、そのようなことは稀だ」


 ううん。

 まるでおじいちゃんだ。


 師匠の答えに、私は感心半分、呆れ半分になった。


 「それに、様々な依頼をこなしてはいるが、特別につらいということはない。そもそも、聖職者という身分である私が、人を救うことに苦痛など感じたりはしないよ」


 あーあー、さいですか。

 

 私は師匠の綺麗ごとを適当にあしらい、次に移ることにした。


 とりあえず、この対処法では駄目らしい。


 「いや、私は挫けないぞ。君、続けてくれたまえ」


 応とも師匠。


 やる気の冷めやらぬ師匠に応えて、私は新たな対処法を述べた。

 

 対処法、その二。

 食事の見直しだ。


 「食事?」


 自分の得意分野に話が及んだためか、師匠の眼が怪しく光った。

 私は、なんとなく面倒くさくなりそうだなと思い、簡潔に説明を続けた。


 ようするに、食事が体臭の原因になるということだ。

 

 「それならば、問題はない。三食とも、五大栄養素を完全につり合いが取れた形で用意しているんだぞ。改善の余地など、あろう筈がない」


 記帳を止めて、したりと言い放つ師匠に対して、私は残酷な事実を告げることにした。


 体臭の原因となる食物は、肉や乳。それに酒である。


 「なに?肉に乳に酒?いずれも食事には欠かせないものばかりではないか。どうしろと言うのだ。」

 

 若干憤る様に訊ねる師匠に、私は努めて淡々と告げた。


 どうしろもなにも、それらの摂取量を減らすしかない。

 肉や乳を食べれば、その分肉食動物と同じように強い臭いを放つようになってしまう。

 酒については、それ自体の臭いもそうだが、血管を膨張させるというその性質から、発汗を促してしまうのだ。

 当然いずれも、減らすか止めてしまう他ない。


 「そ、そんな・・・。肉を食べられない、酒も飲めないだなんて、まるでお坊さんか修行僧ではないか・・・」


 無表情のまま、その顔から血の気だけが引いていく師匠を眺めながら、私は神妙に告げた。

 

 師匠。

 全体、貴方は聖職者だ。

 毎日毎日肉を食らって酒を飲むのは、それに相応しい姿ではない。


 「そ、そんな・・・。私の、ささやかな愉しみなのに・・・」


 師匠は絶望に苛まれ、卓の上の帳面に突っ伏した。

 食べ物には気が狂ったようにこだわる師匠であるから、この対処法はさぞやつらいものであろう。

 

 私はそんな師匠の心中を察して、後ろから肩をやさしく叩いてやった。

 

 師匠。

 欠点を克服するというのは、かくも困難に満ちているのだ。

 ならば師匠は困難に屈して、それを諦めてしまうのだろうか?


 「うぬ、やらいでか!」


 私の挑発に対して、師匠は私の手を跳ねのけるようにして、立ち上がった。

 最早、やけくそのようである。


 やれやれ。

 これでついでに師匠の酒癖も直せる。

 なかなか良い対処法だ。


 私が内心ほくそ笑んでいると。


 「しかし、肉を使った料理を減らすことになるのか。ううむ、仕方がない。代わりの蛋白質は、豆類を多く使うことで代用することに・・・」


 

 いやあ、まことに残念ながら。

 やはり、この対処法では駄目らしい。


 「ええっ。どうしてだい、君」


 師匠が椅子に座りなおして、私に訊ねた。


 いやいや。

 肉の代わりを豆でしようだなんて、土台無理なことだ。

 やはり師匠の料理は、今までの通りに肉を使ったほうが良い。

 豚、鶏、牛、魚。何でもござれだ。


 「しかしだね、君。豆は畑のお肉なんだよ?」


 対処法、その三!


 別の匂いで誤魔化す!


 私は師匠を押し切るように、次の対処法を提示した。


 「別の匂い?」


 師匠は訝りながらも、私の新たな対処法の講義に乗ってきた。

 

 やれやれ。

 三食とも大嫌いな豆だらけだなんて、まったく冗談ではない。


 私は冷や汗をぬぐいながら、講義を続けた。


 別の匂いというのは、ずばり香水のことである。

 より強く良い匂いを上塗りすることで、汗の匂いをごまかすわけだ。


 「成程。それならば、何とかなりそうだな」


 師匠はしっかりと帳面に書き込みながら、今までの対処法との比較をしていた。

 まあどう考えても、選べる手段は一つしかないのだろう。


 「よしよし。どうにか、克服する希望が湧いてきた」


 師匠は『対処法三』を大きく丸で囲むと、記帳を終えて卓の上に帳面と鉛筆と老眼鏡を置いた。

 そして立ち上がると、即座に玄関へと向かった。


 師匠。

 一体どこに行くのだろうか。


 「決まっているだろう。私の欠点を克服するために、香水を買いに行くのだ」





 




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