第38話 リリームの証言記録(あるいは、保証と保障と補償について 中)
はい、私の見たまま、体験したままをお話しします。
事が始まる前に私は、広間の受付の前で並んで待っていました。
その日はなんだか、やけに人が多いなと思いました。
もともと大きな銀行でしたが、平日の朝からこんなにお客が入るものなのかと少し不思議でした。
それに、守衛の姿がなかったんです。
普通だったら屈強で目つきの悪い男たちが数人、必ず周囲に睨みをきかせているというのに。
・・・まあ、この理由はすぐにわかりましたが。
「全員、動くんじゃねぇ!」
中に入ってくるなり、その覆面をした五人の男たちは大声で叫びました。
いずれも手に手に武器を構えており、迸る魔力光からかなり高位の魔法が添加されたものだというのが素人にもよく分かるものでした。
連中は素早く別れて受付にいる銀行員を立たせたり、別の部屋を確認したりと、きびきびと動いていました。
問題なのは、この直後のことでした。
私たちが連中の命じられるままに、床に膝をついて両手を頭の後ろへ置いたとき。
あの二人がやってきたんです。
「生まれて初めての体験だ」
片方の男は、もう片方の小さい女の子に向かってそう言っていましたが、その場にいた誰もがそう思ったことでしょう。
まっとうに生きていれば、人生を何百回やり直したとしてもこのような経験なんてするはずがないと。
なんとも折が悪い時に入ってきてしまったこの二人も、即座に連中に拘束されました。
その二人の男女。
恐らく親子は、とても落ち着いてそれにしたがっていました。
・・・そういえば、この時から少し不自然でしたね。
だってそうでしょう。こんな異常な場面に遭遇しても、すごく無表情だったんですから。
女の子の方は、逆に笑顔でしたし。
最終的に、私たちは全員窓際、というか一面の硝子張りの壁際へと移動させられ、座らされました。
「馬鹿なことは考えるなよ。守衛は、俺たちの仲間が片づけちまったんだ」
その言葉に、私たちは驚きました。
自分たちが一切気づくこともなく、すでに事態は進行していた。
皆一様に、恐るべき計画性と手際の良さだと、戦慄していましたよ。
・・・え、ふざけるなって?
でも、素直にそう思ったんですよ。
その後彼らは何をするでもなく、ただただ私たちを監視し続けていました。
“仲間”のことを心の底から信頼しているのか、とても自信たっぷりといった様子でしたよ。
十分も経った頃でしょうか。
街の衛兵たちが、銀行の周囲に展開し始めました。
恐らく外の誰かが通報したのでしょう。無駄飯食らいと言われる貴方たちも、それなりに手際がよいのですね。
とにかく、これで何とか助かるだろう。
そんな空気が、人質たちの間に流れ始めました。
その時、私のすぐ隣にいた親子連れのうちの父親の方が呟いたんです。
「・・・何、今かい?」
連中に聞こえないように抑えてはいましたが、すぐ近くの私には聞こえました。
恐らく、隣の娘と何かを話していたんだと思います。
その親子は、こんな状況だというのにしばらくひそひそと話し合っていました。
さすがに連中に気づかれてしまいそうなので、止めさせた方がよいだろうかと思い始めました。
「あー、犯人方。大変に申し訳ないのだが」
私がそんなことを考えていると、父親が突然大きな声を出して手を挙げたんです。
連中は驚いて、一斉に武器を構えていました。
「この娘が、花を摘みに行きたいらしいのだが」
周囲の視線が集中する中。
父親がそう言って娘を指し示すと、おずおずとその娘は立ち上がりました。
若干内股で、顔を赤らめて、その・・・、もじもじとしながら。
連中はやれやれと緊張を解き、お互いの顔を見合わせていました。
普通だったら、仲間や人質を一時的にでも目の届かない場所に移動させるというのは躊躇するものです。部屋の隅っこで済ませろ、と命じることもできた筈です。
しかし流石に年端もいかない娘に、こんな衆人環視の元で用を足させるのは気が引けたのでしょう。
「しょうがねえ。じゃあ、俺が連れていく」
不承不承という様子ではありましたが、一番声が若そうな男が娘を便所へと歩かせ、その後ろからついていきました。
その一連の出来事を見て、人質たち全員はほっとしていました。
どうやら、連中は理性的な行動のとれる犯罪者達である、と。
すでに銀行の周囲を衛兵たちに完全に囲まれており、逃げ場がない。
こんな状態に陥ってしまったら、恐慌状態に陥って人質である自分たちに危害を加えるかもしれない。
そんなふうに考えていたんだと思います。
「頼むから、早まってくれるなよ」
便所に連れていかれる娘を見ながら、父親はそう呟きました。
・・・その時は、あの男が可愛い娘に酷いことをするのではないか、と危惧しての一言だと思っていました。
その時までは。
五分も経たないうちでした。
突如、便所から大きな音が響きました。
何かがぶりつかり合う様な、激しい音でした。
連中を含めた私たち全員が、ぎょっとしてそちらを見ました。
・・・ああ、いいえ。全員ではありませんでした。
あの娘の父親。
彼だけが、またも小さく呟いたんです。
「やってしまったか・・・」
・・・って。
がんがんと扉を叩く音や、何か重いものが落ちるような音が、しばらくの間何度も何度も響きました。
時間にして一分足らずだったのでしょうが、その時は随分と長く感じましたよ。
当然、何が起こっているのかを確認しなければならないと考えたのか、連中の内の二人が連れ立って便所の方へと歩き出しました。
私はと言えば、この隙に何か馬鹿なことをやらかそうとする人質がいないかと思って見回してみたのですが、ほとんどは便所の方を見ていました。
便所から響いていた大きな音は、二人の男が近づいていくうちに止まりました。
それきり、しんと静まり返り、中からは誰も出てきません。
「おい!どうした!」
慌てて男の一人が便所の扉を開けたその瞬間、その覆面のぽっかりとあいた目の部分に、勢いよく何やら液体のようなものが吹きかけられました。
「ぎゃあっ!?」
今思うと、恐らく清掃用の洗剤か何かだったのでしょう。そんな劇物を目に吹きかけられたのですから、その男が顔を両手で抑えて膝をついてしまったのも仕方のないことだと思います。
そして扉の奥からにょきっと、これまた清掃用の長箒の先が見えて、悶える男の頭を一撃したんです。
「くそ!」
昏倒した男を踏み越えて、もう一人の男が便所の中へと踏み込んでいきました。
すると今度は、一瞬だけ強い閃光があふれてきたんです。
あれが何だったのかは、わかりませんでした。
・・・ああ、写真機?
成程。
あの娘が持っていたんですね。なんとも頭の回る女の子です。
それでその後は、やはり同じことの繰り返しのようでした。
「うわっ!?」
という男の叫び声と、続くドカッ、バキッという何かを殴りつける音が便所から響いてきました。
そして即座にその音は止み、先刻の娘が顔を覗かせました。
・・・ええ、はっきりと見ました。
笑っていたんです。
こんな非日常的な事態でも、笑顔で三人の悪漢を蹴散らすだなんて、なんとも将来有望な娘ではないですか。
「あー、あー、あー・・・」
それを見ていた父親は呻きながら、頭を抱えて立ち上がりました。
その様子に、呆気に取られていた人質の内の何人かが気づきました。
当然、その場に残っていた犯人たちもです。
「お、おい!お前っ!動くなっ!」
突如立ち上がった人質に対して叫んだ残りの犯人たちは、便所の方を気にしつつもその父親に走り寄り、手にしていた片手剣を突きつけました。
剣から迸る強烈な魔力を浴びながら、その父親は静かに首筋を撫でながら言ったんです。
「いや、本当に申し訳ない。命は保障するから、大人しくしていてくれ」
そして父親は、目にも止まらぬ速さで自分に突きつけられた武器をかいくぐり、男二人を昏倒させたんです。
・・・え、どうやってやったのかって?
拳骨ですよ。
こう、こぶしをぎゅっと握って、一発ずつ。
・・・本当ですって。
まあ、続けますね。
成程。
これ程の使い手ならば、その娘の尋常ではない行動力にも納得がいくと思いましたよ。
そしてその父親は、笑顔で走り寄ってきた娘にも拳骨を落としたんですよ。
すごくやさしく、こつんって程度でしたけど。
まあ普通の父親だったら、娘が危険なことをしたら心配もするし怒りもするでしょうしね。
私の場合は、そうではなかったですが・・・。
「皆さん。大変危険な行動をとってしまい、申し訳ありませんでした。・・・ほら、君も謝りなさい」
そう言って父親が娘の頭に手を置くと、娘は頬を膨らませてその手を振り払いました。
見事に銀行強盗を打ち取ったのに、なんで謝らなければならないのか。
言わなくても、はっきりとその表情に書いてありましたよ。
あくまでも冷静な父親と、それに反抗して先走る娘。
なんとも微笑ましいものですね。
反吐が出ますよ。
私の父親は、最低の屑野郎でしたから。
・・・ああ、話がそれてしまってすみません。
続けますね。
そう。
反抗する者。
そういう人間が出てくるのも、計画の内でした。
本当に、“彼”の計画の内だったんです。
『守衛ともろもろの防犯装置はこの私が除いておく。お前たちは、万が一にもこの私の仕事に邪魔が入らないようにしろ』
私たちが詳細な計画書を読んでいる間に、“彼”は歩き回りながら何度もそう言っていました。
きっと、繊細な人なんだと思います。
何にせよ、落ちぶれていた私たちを救ってくださった“彼”に、少しでも恩返しをしたいと考えていたので、二つ返事でした。
別に人を殺すわけではないし、脱出手段もしっかりと用意されていましたしね。
『妙な正義感を振りかざして、場を乱そうとする愚か者がいるかもしれない。そんなときのために、お前たちは必要なのだ』
そのように言われていた私たち三人は、静かに立ち上がりました。すぐに武器を取り出せるように準備をしながら。
懐や鞄の中に入るような、ほんの小さな小刀などでしたが。
もちろん、“彼”が直々に魔法を添加してくださっていたので、性能は折り紙付きですよ。
事前の計画の通りに警報装置は無力化してあり、最初にしくじった連中を含めた私たちは入口を素通りできました。
これらはすべて、“彼”のおかげ。
“彼”の計画の通りだったんです。
・・・ええ、やはり、そうだったでしょう?
“彼”は、とてもすごい方ですから。
私はきょとんとしている娘に近寄ると、素早く後ろに回って掴みかかり、取り出した小刀を突きつけました。
そして、この場で最も危険な男から。
娘を盾にしながら、その父親から距離を取り、力の限り叫びました。
「全員、動くんじゃねぇ!」
そのようにして私たちは、改めて銀行を制圧したんです。
私たちの役目は、ただの足止め。
すでに地下の金庫に潜入しているであろう“彼”が目的を達成するまでの、時間を稼げばよかったのです。
・・・ああ、どうやって逃げるつもりだったのか、ですか?
一階をすべて煙幕で満たして、しばらくしてから扉を開放する筈だったんですよ。
そして、一斉に人質を走らせる。
そうすれば、逃げ出す人質の中に私たちが混じっているかもしれないと、衛兵たちは意識を向けるでしょう?
その隙に二階に作ってあるはずの、壁に偽装されている、隣の建物へと繋がる脱出路から・・・
・・・え、そんなものはなかった?
・・・いや、そんな、馬鹿な。
だって“彼”は、必ず一緒に逃げようと・・・




