第34話 偏見について 後
「ななななな、なんのことですかな!?」
「どうした、なにをそんなに慌てる」
師匠は立ち上がり、尻もちをついたまま後じさる鬼人の男に詰め寄った。
先刻までの、失恋によって打ちひしがれていた状態とは打って変わり、異常な程に慌て、怯えている。
なんというか、単純な展開ではあるが。
先刻から師匠の隣で聞いていた話と、この目の前の男の態度の急変を総合すれば。
この鬼人が失意のあまりに、自暴自棄になって、あるいは腹いせで薬を焼き払ってしまったというのだろうか?
「何事です!?」
『兄様!』
騒ぎを聞きつけ、すっ飛んできたカムイとその他二名は、師匠とカイを交互に見ながら怒声を上げた。
いや、別に師匠は、その鬼人をいじめていたわけでは・・・
あるか、うん。
「別に、いじめてなどいないよ」
師匠は怒りの目を受け止めながら、カムイへと向き直った。
「どういうことですか!?」
「どうも彼は、今回の件で魔が差してしまったようでね」
師匠のその一言で、鬼人の女たちの表情が変わった。
すべてを察したような、それらの表情。
なんだ。
そもそもこの鬼人の男、疑われていたのではないか。
「あうううう・・・」
一斉に女たちから睨みつけられて、カイは情けなくも頭を抱えて縮こまった。
師匠を押しのけたカムイが、カイの胸倉を両手で掴み、軽々と宙に持ち上げた。
「カイ!まさかお前!?」
「申し訳ありません!申し訳ありません!」
なんとも情けない男である。
私の師匠からの追及には耐えたというのに、想い人の女に詰め寄られてあっさり自供するとは。
こんなだから、鬼人というのは駄目な連中なのだ。
「いや、これは仕方のないことだろう」
師匠はなにやら、うんうんとしきりに頷いていた。
いつもの彫像のような顔なのに、その眼には深い同情の色が見えた。
というか、師匠はこの鬼人が薬を燃やしたと分かっていたのだろうか?
「ん・・・いや。ただ単に、鎌をかけただけだ」
師匠は、少し顔を背けながら答えた。
ううん。
師匠ってば、結構悪人だな。
「ちょっと君。私は一応、聖職者だからね」
などと私と師匠が漫才をしている間にも、事態は進んでいた。
「大馬鹿者め!何ゆえお前が、そのようなことを!」
「ぐぇぇぇ・・・。申し訳ありません・・・」
よほど力を込めて締め上げられているらしく、屈強なはずの鬼人の男は白目を向いて、泡を吹き始めていた。
いや、そもそもその締め上げているほうも、屈強な鬼人だったか。
「姉様!」
「どうか堪忍してやってください!」
二人の鬼人の娘からの嘆願で、ようやく我に返ったのか。
カムイがその両手を離すと、物理の法則に従って鬼人の男の尻は、大地と激突した。
尻を抑えて悶絶する鬼人の男に、カムイはゆっくりと膝をついて体を寄せた。
「何ゆえだ、カイ・・・」
私の位置からは見えなかったが、若干声音が変わっている。
ひょっとして、泣いているのだろうか?
「わ、私は。カムイ様を取られてしまうことが、悔しくて悔しくて・・・」
カイが弱々しく答えた途端に、再びカムイは激高して胸倉をつかんだ。
「私だってなぁ!お前と離れるのは嫌だったんだ!だが、お家のためだからだと、涙を呑んでだなあ!」
再開された鬼人による痴話喧嘩に、私は辟易し始めていた。
・・・何だろうか、この安っぽい大衆恋愛劇は。
「うん。涙無くしては観られないね」
師匠はそう言ってしきりに頷いていた。
彫像のようなまま放たれたその言葉に、鬼人の娘二人は絶句していた。
師匠。
そういう台詞は、もっと表情を豊かにして言ったほうが良い。
「こうかい?」
暑苦しい。
「では、こうかい?」
気持ち悪い。
「・・・」
などと私と師匠が漫才をしている間にも、事態は進んでいた。
いや、とんでもない爆弾が投下されたのだった。
「お前まで、そんな馬鹿な事をしなくてもよかったのだ!」
私は、あきれ果ててしまっていた。
火付け人は、この二人だったのだ。
とどのつまり、この二人の鬼人は相思相愛だったにも関わらず、くだらないお家の事情に縛られてそれを遂げられなかったという不満を、無関係の人々にぶつける形になってしまったということだ。
やっぱり鬼人は、低俗な連中だ。
そんな行動力があるのならば、いっそのこと二人で駆け落ちでもしたほうが、よほど生産的であるというのに。
「いやいや、これは仕方のないことだろう」
師匠はなにやら、うんうんとしきりに頷いていた。
いつもの彫像のような顔なのに、その眼には深い同情の色が見えた。
師匠。いい加減にしてほしい。
「私だって、嫌だったんだ!お前と離れ離れになって、まだ十にも満たない子どものところに嫁に行くだなんて、いくらお家のためでも!」
「うう、カムイ様!カムイ様ー!」
「兄様、姉様・・・」
「おいたわしや、おいたわしや・・・」
カムイはカイと抱き合い、涙と鼻汁を垂れ流しながら、そう叫んでいた。
お屋敷で師匠に対して依頼の口上を述べていたときのような精悍さはまるでない。
私だって、あんなに無様に泣きじゃくったりなどするものか。
これだから、鬼人は・・・
「君も、いい加減にしなさい」
師匠が優しく、こつりと私の頭に拳骨を落とした。
でも、師匠!
普通だったら、いくら失恋したって大勢の人が迷惑するようなことはしない!
それはすなわち、鬼人の精神が未熟であるからだ!
「違うよ。彼らは火を放ったが、自分の意志で放ってはいない」
師匠は、意味の分からないことを言い出した。
「言葉通りだ。火を放ったのは彼らであって、彼らではない」
いや、だから意味が分かりません。
「魔が差したのさ」
師匠はゆっくりと、雑嚢から水筒を取り出しながら言った。
そういえば、私が遠慮した昼食の最中にも、まったく飲んでいる様子がなかったが。
なんで、今になってそれを取り出すのだろうか。
「彼らだって、普段ならそんな愚かな行為は絶対にしないだろう」
師匠は言いながら、水筒の蓋を開けた。
途端に、理由は分からないが私は直感した。
この水筒の中身は、普通の水などではない。
邪なるものを洗い流す、とても清い力をもったものだ、と。
「魔に差されたがゆえに、彼らはそうさせられた」
師匠は、泣きじゃくる二人の鬼人に、水筒の中身をぶちまけた。
その瞬間。
金属同士がこすれ合う様な音が、周囲に響き渡った。
森の木々にとまっていた野鳥たちは一斉に飛び立ち、虫たちはひっくり返った。
師匠は、地面の上で不気味にもがき、苦しんでいるそれらを手に取った。
二人しておいおいと泣き喚いていた鬼人達も、それをよしよしと慰めていた鬼人の娘達も。
そして私も。
あまりのことに言葉を失い、ただただそれらをじっと見つめていた。
師匠の両手は、得体のしれないものを掴んでいた。
カムイ達から剥がれ落ちたそれは、黒く、醜く、おぞましい鳴き声を上げながら、師匠の手の内でのたうち回っていた。
「下級の悪魔だ。君は、初見だね」
師匠はそう言いながら、両手に力を込めた。
断末魔を迎えたその悪魔たちは、師匠の手の中で灰になった。
悪魔とは、地獄にて罪人を裁く存在である。
地上にて悪を為した定命の存在を引きずり込み、苦痛という罰を与え、炎によって穢れを払い、再び無垢なる魂へと還元する。
私たちが見たのは、その中でも最も序列の低い者たちだったのだ。
「ところが、いつの頃からか手段が目的化してしまった」
師匠は水筒の中の聖水で両手を洗いながら、ため息をついた。
「地獄というところは、すさまじい階級社会でね。より多くの罪人を裁いた悪魔は、より高位の悪魔になれるんだ」
そのために、悪魔たちは時折地上へと這い出して来る。
善良なる者を唆し、堕落させ、悪を為させしめんがために。
想い人と添い遂げられないという失意に心を痛めていたこの二人の鬼人は、よい獲物だったのだろう。
「で、では私達が火を放ったのは・・・」
「心が弱ったところを、奴らに精神支配されたんだ。本当は唆したのだろうが、君たちは寸前で思いとどまってしまった」
なんで、そんなにはっきりと分かるのだろうか。
「ん・・・いや。それは、私が聖職者だからだ。とにかく、君たちは決して自分の意思で悪事を働いたわけではない」
何やらごまかされたような気がするが、まあいい。
つまり地獄の悪魔たちは、堕落した魂を裁くために、わざわざ善良な魂を堕落させているのだ。
なんという、本末転倒。
なんという、酷い自作自演だ。
「まったくだよ。地獄の住人というやつらは、残らず堕落しているのに違いない」
師匠は、そう決めつけるように言った。
うーん、でも師匠。
それってもしかして、偏見なのでは?
「いいや、これは偏見ではない。純然たる事実なのだ」
師匠は、彫像の様に不変なのに、どこかしたり顔でそう言った。
依頼通りに薬草を採取し終えて、カムイたちは故郷へと帰っていった。
「どうだい。聞いていたよりも、鬼人は接しやすい連中だっただろう」
ふんだ。
あんなの、ごく一部の例外だ。
大多数の鬼人は、もっともっと邪悪な連中に違いないのだ。
「だからそれは、偏見だよ」
師匠は彼女らのために、嘆願書をしたためた。
『今回の事件は、悪魔の手によるものである』と。
一応聖職者としての肩書を持つ師匠の証言だが、鬼人の偉い連中がそれを受け入れるかは分かったものではない。
恐らくあの二人は洗いざらい告白してしまうだろうから、野蛮な鬼人の同胞の手によって、そろって首をはねられてしまうのだろう。
なんとも可哀そうなことであるが。
「それも、偏見だよ。私の主神のお告げによれば、それなりに良い結果に落ち着くようだよ」
私には、そうは思えない。
よしんば火付けについてはお咎めなしとなっても、婚姻についてはどうなるか。
二人の様子から、きっと将軍様とやらに婚約の取り消しを願い出るだろう。
将軍という立場にある者が、わざわざ自分の部下と孫との婚約を図ったのだ。
それが破談となったら、怒り狂うに違いない。
そうなれば、カムイのお家とやらも取り潰されてしまうだろう。
なんとも可哀そうなことであるが。
「そうとは言い切れない」
師匠が私の頭を撫でながら言った。
「権力者がいつも強権的にふるまうと思っているのならば、それもまた偏見だ」
「君。食事の時くらい、通話装置を手放しなさい」
「えー。もうちょっとだけ、おねがい」
「まったく。今どきの若者というやつは、どいつもこいつも行儀作法がなっていない」
「ししょう、それはへんけんです」
「・・・」




