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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
28/222

第27話 濡れ衣について


 私の師匠は、実に疑り深い人間である。

 

「ふむ」


 夕食の後片付けの最中のこと。

 何やら台所のあたりでごそごそやっていた師匠が、素っ頓狂な声を上げたのが発端だった。 


 師匠は、静かに腕を組んでいた。

 その眼前には正座をした私と、四つん這いのまま上半身だけを持ち上げたしろすけが並んでいた。


 かように師匠自身が否定をしないということが、事実であることを証明している。


 「言いたいことは、それだけかい」


 師匠は目を細めて、じろり、と私としろすけをねめつけた。


 いつも通りの彫像のような顔だというのに、凄まじい圧力を感じてしまう。


 私としろすけは、震えながらもその視線を受け止めた。まあ、後ろめたいことがあったのは事実なのだから。 


 こういう時の師匠は、すこぶる機嫌が悪い。 


 師匠は私が何をやらかしても、叱ったり小言を言ったりはするが、基本的には怒らない人物である。従って、折檻することもない。

 まあ、その後の鍛錬がいつもよりもきつくなることが多いが。


 しかしながら、例外が存在するのだ。


「一週間前。私が来客用にと仕舞っておいた焼き菓子を、箱ごと持って行った者は?」


 食べ物に関することである。

 普段は引っぱたかれようが、罵倒されようが、刺されようが、首筋を撫でて受け流してしまうような無神経な男であるが、食べ物に関しては狂ったように拘泥するのである。


 はい。

 私でございます。


 私はうなだれながらも、潔く挙手して述懐した。


 だってだって、秋の夜は小腹が空くのだもの。

 夜の十時にもなれば、夕ご飯など半分以上が胃袋から出て行ってしまうのだ。

 そも、空腹の瞬間にこそ食するというのが自然な行為である。

 一日三食などというのは、人間が社会的な活動を行うためにでっち上げた、不自然の極みに他ならないのだ。


「なんでそうも、したり顔でのたまうのだろうね」

 

 師匠は、処置無しといったふうに首を振った。


 しかしながら師匠、これは濡れ衣である。


 「信用ならないね」


 師匠は、おもむろに金属製の円筒を持ち上げた。

 その表面には、最近になって勉強し始めたニホン語の文字が躍っていた。


「せっかく異界の客人方からいただいた、このお茶。たったの三日で、すでに半分以上もなくなっているではないか」


 師匠はそう言って、茶筒を振った。

 しゃかしゃかと、なんとも空しい音が居間に響いた。


 大体、私はお茶なんか飲まない。いくらしろすけだって、お茶の葉っぱばかり食べていたらお腹を壊してしまうに決まっている。

 というか、なんで緑色の茶葉なのか。ふつうは茶色だろうに。

 異界の感性というのは理解しかねる部分がある。


「これはね、普通に買えば金貨で五枚は下らないという一品なんだ。いいか、五枚だぞ」


 物凄く貴重なんだぞ、こっちでは流通量が限られているんだぞ、としつこく繰り返す師匠に、私もしろすけも口々に抗議をした。


 そんなもの、頼まれたってくすねたりはしないというのに。


「五日前。私がご近所様への贈呈用にと作った苺と葡萄の果醤を、瓶十本分全て食べた者は?」


 しろすけが体を伏せながら、しっぽをぴーんと持ち上げた。

 そして何やら、師匠に向かって必死に鳴き声を上げ始める。


「きゅるるるっ! きゅるるるっ!」

「なに? 育ち盛りの身としては、食料はいくらあっても足りないと」

「きゅるるるっ! くわっ!!」

「そも、食べられるときに食べるのが自然な姿。自分の目の前に食料を置いておくのが悪い、と。なるほど、言うようになったな……」


 などと師匠は、しろすけの想いを語り出し……いや、何を一人漫才をしているのだ、この人は。

 というか、しろすけよ。もしや、本当に果醤をすべて食べてしまったのかい?

 糖尿病になってしまうぞ。


「なんでこう、君たちは言い訳ばかりが達者なのだ」


 師匠は、いよいよ激しく首を振った。

 

 しかし師匠、これは濡れ衣なんだってば。


「そんな君たちを信用しろというのは、酷な話だ。ああ酷な話だよ」

 

 そう言って師匠は、今度は瓶を持ち上げた。

 よくある形の硝子瓶だったが、表面にはニホン語を構成するカンジという文字の一種がのたくっていた。なんだか勉強しているのと形が違うなー。


「せっかく異界の客人からいただいた、この銘酒。なんで三日で、ほぼ空っぽになっているのだ?いや、そもそも君たちは、その若さで飲酒なんてしてしまったのか? なんと嘆かわしい……」


 師匠はそう言って、ほとんど空になった酒瓶を振った。

 ちゃぷちゃぷと、なんとも空しい音が居間に響く。


「これはね。普通に買えば、金貨で十枚は下らないという一品なんだ。いいか十枚だぞ、なんと驚きの十枚なんだぞ」


 そもそも未成年の飲酒はご法度なんだぞ、街の呑兵衛達の垂涎の的なんだぞ、まだ一口も飲んでなかったんだぞ、としつこくしつこく繰り返す師匠に、私もしろすけも口々に抗議をした。


 だからそんなもの、頼まれたってくすねたりはしないのだ。

 全体私たちにとって、台所に置かれている物の内、腹の膨れないものには興味がない。

 それよりも師匠は、未成年が飲酒をした可能性より、自分のお酒がなくなったことを残念がっているのが見え見えではないか。

 どうせ自分で大量に飲んでしまったのに、酔っ払ってその事実を忘れてしまったに違いない。


「馬鹿なことを言わないでくれたまえ。前後不覚になるまで酩酊したことなど、生まれてこの方一度もないよ」


 彫像のようなのにどこかしたり顔な師匠に対して、本気で殺意が湧いた私であった。












 結局師匠は、あの後三十分以上にわたって私としろすけを尋問した。


 しかしながら、私たちの必死の訴えと証拠不十分により、無事に―とも言えないのだが―仮釈放となったのだ。

 まぎれもない前科者の身としては、師匠の処置を温情として受け入れるべきなのだろうが、まったく身に覚えのないことで疑われるなどたまったものではない。


 私としろすけは、機嫌を損ねたままとっとと自室に引っ込んだ。

 普段ならもう少し夜更かししたかったが、そうもいかない。


 いつもと違って、見たい番組も読みかけの雑誌もなかったし、それに師匠からの追及があった直後に、食料調達のために台所へと侵入するのはさすがに気が引ける。


 そういう訳で、このまま内緒の日課を済ませて寝てしまうことにしたのだ。

 

 私だけの秘密の日課。


 それは、毎日の出来事を綴ること。

 つまり、日記を書くことである。


 この秘密の日課は、私が八歳になった頃から始めたものだ。

 その時から、うれしかったことや師匠への不満。面白かったことや師匠への文句。あんなことやこんなことや師匠への思い。そんなことを、ただ考え付くままに書きなぐってきたのだ。


 すでに専用の帳面は十冊目に至り、隠し場所に困り始めていたのだが、最近になって広いお屋敷に引っ越すことができたので問題は解決できた。


 いま私の部屋の中にあるのは、机の引き出しの裏に隠した一冊だけである。

 残りは別の使われていない部屋の、いろいろな場所に点在していて、たまに読みたくなった時にはこっそりと引っ張り出して、身もだえしながら読むのだ。


 そんな日課は、絶対に秘密だ。

 最近師匠は、勘付いているような素振りを見せることもあるが、いまだに隠し場所に手を触れられた形跡はない。

 だからこれからも、安心して私だけの日課に取り組むのだ。















 しかしながら、おかしいこともあるものだ。


 

 













 なぜ。


















 なぜ。
















 なぜ、隠してあるはずの私の日記帳が、私の机のど真ん中に置いてあるのだろうか。


















 五分後。




 師匠は腕組みをして仁王立ちする私の前に、神妙に正座をしていた。

 先ほどの剣幕はどこへやら。彫像のような顔ながら、なんともしょぼくれた様子であった。


「私を疑うのは、お門違いだ」


 言いたいことは、それだけだろうか。


「いや、本当だ。身に覚えがない」


 なおも言い訳をする師匠をねめつけながら、私は問うた。


 以前、風邪にかこつけて部屋に踏み込み、あまつさえ勝手に掃除をした人は?


「はい。私です」


 師匠は素直に告白した。

 まあ、風邪をひいて寝込んでいた私の目の前で掃除をし始めたので、言い逃れのしようなどないのだが。

 恐らくその際に、私の日記帳のありかを密かに探っていたのであろう。


「そんな訳はないだろう。そもそもあの時は、純粋に君の看病をしようと思っていたんだ。それに私だって、人並みの分別は持ち合わせている。そういう極度に私的な領域に踏み入るのような、下世話なことはしないよ」

 

 若干眉尻を下げながら、師匠はいつもより口数多く言った。

 必死に自己弁護ばかりする師匠には、まったくがっかりさせられるものである。


 いいだろうか、師匠。

 あの日記帳は、私の、乙女の思い出がたくさん詰まっているのだ。

 それを勝手に読まれた私がどれ程傷ついているのか、わかるだろうか。


「あー、うん。まあ、推し量ることはできる」


 これは、私が小さいころから続けてきた、秘密の、秘密の日課だったのだ。

 当然この中には、私の恥部というべきものもある。

 それを知られることが、どれだけ屈辱的なことか、わかるだろうか


「慮ろう。しかしな、君。これは濡れ衣なんだ」


 まったくもって、信用などできる筈がない!


 師匠という人間は、年に一度の大酒飲みの日に、馬鹿みたいに酔っ払って泣きながら神様の名前をつぶやくような変質者である。

 おおかた正体を失くしている間に私の部屋を物色して、その事実を忘れてしまったに違いない!


「えっ、そんな馬鹿な……。私は、そんなに飲んでいたのか? いや、それよりも君。その手に持っている、妙な器具はなんだ?」


 哀れ、酒に飲まれた師匠よ。

 大人しくお縄を頂戴するがよい。


「待ってくれ、濡れ衣……」

 

 私たちのやり取りを静かに眺めていてたしろすけは、のそのそと二階へと退散した。
























 「しょうじきに、はくじょうしなさい」

 「いや、本当に読んではいない」

 「うそをおっしゃい!」

 「私の主神に誓って、本当だ。十冊とも、絶対に読んでいない」

 「なんで、じゅっさつってしってるんですか」

 「……」

 

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