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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
26/222

第25話 自惚れについて 後


 まったく!ほとほと師匠にはあきれ果てた!


 まさか他流試合の最中に、わざわざ相手を挑発するような言葉を吐くとは!

 しかもよりにもよって、相手の本拠地で!


 そんなだから、他人の気持ちが分からないというのだ!


 私が難なく一本を取った相手は、もはや腑抜けた表情を捨て去り、怒りの形相で私を睨みつけていた。

 周りの観戦者たちもだ。

 先刻まで散々同僚に対して野次を飛ばしてきていたのに、今では一様に殺気立った視線を私や師匠に向けてきていた。


 師匠がその対象になるのは当たり前だが、私はとばっちりもいいところだ。


 「始めっ」


 ゲドの冷静な声が響いた。


 組合側で唯一表情を崩さなかったのは、ゲドだけだった。

 最初にこの眼鏡男が指名された時以外は、自分の弟子が一本取られた時も、師匠から暴言を浴びせられた時にも、まったく顔色を変えなかった。

 

 大した自制心だが、何か不自然なものを感じずにはいられない。


 「始まっているよ」


 当の師匠は、気のない声を私にかけてきた。


 誰のせいでややこしいことになっていると思っているのか!?


 私は顔をしかめながら木剣を構えなおした。


 眼鏡男は、剣先を若干下に向けて構えていた。明らかに、下半身への攻撃を意識した構えだ。

 私とこの男の子との身長差を考えれば、直接上半身を狙いに行くのは難しい。

 だから次も、私が足を狙いにいくと考えたのだろう。 


 浅はかな。


 何度も同じ手を使うわけがないだろうに。



 私は大きく一歩を踏み出した。

 眼鏡男はピクリと剣先を震わせ、目を少し細めた。私の攻撃に備えて意識を集中したようだった。


 だが私は、そのまま二歩、三歩と大きく踏み込み、四歩目で跳躍した。

 

 「うおっ・・・」

 「すげぇっ!」


 観客たちの、驚愕の声が聞こえた。

 

 私は高々と跳び上がり大上段から眼鏡男の頭を打ち据えようと振りかぶった。


 意識を下半身に集中していては、空中からの急襲には対応できまい!

 二本目、貰いっ!


 私は勝利を確信してほくそ笑み、木剣を振りぬいた。


 「・・・!」


 しかし眼鏡男の両目は、最初からずっと私の姿を追っていた。そして、前に踏み出していた右足を軸にして体の向きを変え、私の側面へと滑り込んだ。

 

 私の木剣は宙を切り、反対に眼鏡男の木剣は私をしっかりと捉えた。


 「ふっ!」


 短い掛け声と共に背中に熱い痛みが走り、私は無様に砂へと体を投げ出した。


 「一本!」


 ゲドの宣言に、一気に広場が沸き立った。

 最早、この眼鏡男をからかう者など誰一人いない。


 私は歯を食いしばり、脂汗を流した。

 切り付けられた背中がじくじくと痛んだが、まだやれる。


 私は息をついて立ち上がった。

 そして木剣を拾い元の位置へと戻ろうとすると、師匠と目が合った。

 

 なんて、冷ややかな視線だ。


 そうか、この程度の相手に一本を取られたことに、呆れているのか。

 ならば次で、終わらせる。

 これ以上この人に、がっかりされたくはない!


 私は気合で痛みを押し込め、木剣を構えた。

 

 「来いっ!」


 対する眼鏡男も、気合のこもった掛け声とともに木剣を構えた。


 少し、まずい。

 流れは相手にある。

 背中の痛みのせいで、集中力が弱まっている。


 下策だが、もう一度足を狙うしかない。

 最初の一撃による痛みは、そう簡単に消えはしないだろう。

 相手も当然警戒しているだろうが、ほんの少しでも剣が当たれば、一本を取る隙など十分に捻出できる筈だ。


 私が眼鏡男の下半身へと意識を向けた、その瞬間。


 彼は、私に向かって踏み込んできた。

 

 「でやっ!」


 吠え声と共に横なぎにされた木剣は、私のそれを弾き飛ばした。








 手が、衝撃で痺れた。


 武器が、なくなった。


 急いで拾いに、いや、そんな余裕はない。


 次の手、次の手を。


 ぐるぐると回転していく頭とはよそに、私の視線は眼鏡男の上半身へと移っていた。


 私の木剣を弾き飛ばすために、相当力を込めたのだろう。

 眼鏡男の右腕が、無防備に、私の眼前にさらされていた。


 まだっ!

 

 取れる!








 かったーんっ!


 「うわっ」

 「っぶねぇ!」


 弾き飛ばされた私の木剣が、柵へと命中するまでのわずかな時間に。

 

 私は次の一手を打っていた。




 私は相手の右腕へと飛びつき、体全体を使って絡みついた。


 「関節っ!?」

 「ダンっ!振りほどけっ!」


 一斉に観客からの応援が浴びせられた。

 

 それに応えるようにして、眼鏡男は苦悶の表情で私を引きはがそうとするが、そうはいかない。

 私を女・子どもと侮るような未熟者には、負けてはやれないのだ。

 私は全身に力を込めて、腕ひしぎを極めにいった。

 

 このまま地面に倒せればっ!


 眼鏡男が、膝をついた。

 歓声がひと際大きくなった。



 やった!


 とった!

 


 私の笑顔をよそに。


 眼鏡男は、左手の剣を手放して、握りこぶしを作った。

 そしてそれを、私の脇腹へと振るった。


 肋骨が悲鳴を上げ、私は息を吐きだした。


 折れては、いない。


 だが、痛みで全身が軋む。

 

 腕の力が、漏れていく。


 

 眼鏡男は即座に私を振りほどくと、地面へと叩きつけた。

 

 私はせき込みつつ立ち上がろうとしたが、すでに眼前には木剣が迫っていた。






 「お見事」



 













 気が付くと、私は広場の隅に寝かされていた。

 酷い頭痛をこらえながら頭を動かすと、膝をついたゲドが私の顔を覗き込んできた。


 「大丈夫かい」


 優しい口調で気遣うゲドに、私は小さく頷いた。


 「頭を打っているから、しばらくそうしていなさい。君の師匠を呼んで来る」

 

 ゲドはそう言って微笑むと、立ち上がって柵を飛び越えていった。


 私はのろのろと体を起こすと、そのまま立ち上がろうとした。

 しかし、頭がくらくらするせいで足がおぼつかない。

 仕方なしに座り込んで、師匠を待つことにした。


 もう、広場には私以外には誰もいなかった。


 静かだ。


 風が優しく吹いている。


 そろそろ秋真っ盛りだが、まだまだ日差しは温かく、こうして外でじっとしていても心地が良い。

 嫌な気分を癒してくれるようだった。


 いやな気分。


 そうか。


 私は負けたのか。


 その事実を思い出した瞬間に、私の目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。



 負けた。

 初めての敗北だった。


 正々堂々、一対一の戦いで、あんなやつに負けてしまった。

 私を馬鹿にするようなやつに。

 

 私は膝を抱え込んで顔を埋め、小さい体を余計に小さくした。


 くやしい。


 勝てると思っていたのに。


 勝てる筈だったのに。


 「・・・うん、その、なんだな」


 背後から突然声がかかった。

 いつの間にか師匠が来ていたようだが、私は顔を上げることができなかった。


 「今日は、・・・・残念だったね」

 

 そう言いつつ私のそばへと寄ってきたのが気配で分かったが、師匠に合わせる顔がない。


 残念。

 まことにその通りだ。

 格下の相手に無様に負けてしまい、私の自尊心と師匠の顔に泥を塗ってしまった。


 「いや、今日の相手をしてくれた彼は・・・」


 ・・・彼は?


 「・・・いや、うん、その。何と言えばいいのかな」


 師匠はまたも口ごもった。

 どうやら、朝のやりとりをいまだに気にしているらしい。

 

 「君が、傷つくと思ってね」


 おかしな師匠だ。

 どうせ、これ以上傷つくことなんてありはしないというのに。









 「そうか。・・・では、はっきり言おう」


 どうぞ。


 「彼は、君よりもずっと実力が上だ」


 ・・・え?


 「本当だ。ゲドの弟子たちはいずれも君よりも強かったが、その中でも彼は一番の実力者だった」


 そんな馬鹿な。それではまるで、負けることが分かっていて試合を組んだみたいではないか。


 「その通りだ。君を確実に負かせる相手をと、ゲドに頼んでおいたんだ」


 ・・・なんで、そんなことを?


 「最近の君は、目に見えて上達してきた。反面、自分の実力を過信する傾向が見えた」


 だから、その自信をへし折るために、わざわざこの他流試合を仕組んだ?


 「・・・そうだ」


 最低。


 「・・・いや、うん、その。・・・すまない」


 私は膝を抱えたまま、沈黙した。

 師匠はしばらく黙っていたが、耐えきれなくなったのか再び口を開いた。


 「敗北を知らずにいることは、とても危険なんだ。自分に敵うやつなんていないと増長してしまう。そのせいで命を落とした人間を、何人も知っているんだ。だから・・・」


 私が少しだけ顔を上げて盗み見ると、師匠は無表情のまま、必死に身振り手振りで自分の考えを伝えようとしてくれていた。

 そんな師匠に、私は少しだけ嫌な気分を癒すことができた。


 そうか。

 私も師匠の気持ちが分かっていなかった。


 「・・・私の気持ち?」


 師匠は、私を心配してくれていた。


 「・・・うん」


 ありがとう。


 「うん」


 でも、嫌いだ。

 

 「・・・」


 帰る。


 「ん、ああ」


 私は立ち上がった。

 まだ、少し頭がくらくらするような気がした。


 「一人で歩けそうか?」


 無理そう。


 「そうか。では・・・」


 手。


 「うん?」


 手。

 握って。


 「・・・承った」


 師匠は、私が差し出した右手をとった。

 

 大きく、温かく、力強い。


 安心する手だった。



















 「今日は無理を聞いてくれて、ありがとう」

 「いえ。あなたのお役に立てて光栄ですよ。若い連中にも、いい経験になりました」

 「あのやんちゃ坊主が、立派になったものだね」

 「む、昔の話は勘弁してください」

 「もう、甘唐辛子は食べられるようになったのかい」

 「・・・」

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