蛇足 脅威、再び (あるいは、目的達成!について)
このような拙作を読んでいただき、本当にありがとうございました。
太陽系第三惑星、地球。
六つある大陸のうち一番大きなものから少し離れた位置にある、連なった島々。
ここには、かつて前代未聞の脅威に見舞われた地があった。
帝都。
虫の知らせという非科学的な先触れを伴って現出した異形どもによって、無残に蹂躙された都市。異界よりの災厄の発生地として歴史に汚名を残すことになった、大日本帝國の首都。
一時はオリンピックの開催地返上も併せて遷都すら検討されていた程だったが、しかし五年間に及ぶ世界の陣営の東と西を分かたぬ温かい支援を受け、さらには臣民のたゆまぬ復興活動によって、すでにそれはかつての威容を取り戻しているように見える。
文明の象徴たる明かりを、煌々とともしながら林立するビルディング。
道路には休日の楽しみを終えた人々が、あるいは不条理な出勤を強要されたサラリーマンが運転する車で溢れている。
歩道を行き交うは帝國臣民と、それに多種多様な人種の観光客であろうか。
上空からこの場を一望するならば、誰でも暗い夜を美しく光で装飾する風景を認めるとともに、次のように評するであろう。
例え資本の助けがあったとしても、あれ程の惨劇から僅か五年後に、これ程見事な夜景を再び拝むことができるとは。まさにスクラップ・アンド・ビルドによって成り立つとはこのことであろう、と。
“大災厄”
一都市を破壊しつくしたあの惨劇は、帝國どころか世界の認識を改める激震となった。
地球外にも知的生命体が存在するという事実を、アジアの片隅にある小国からのささやかな喧伝によって知り得てはいたものの、列強国がその脅威の本質を理解したのはこの一件が初めてだったのだ。
スクリーンの中を跳梁するコンピュータグラフィックスによる産物よりも地味ではあるが、多くのマスメディア及び市民によって撮影された、現実的な質感を伴った“悪魔”(正確には悪鬼、またはデーモンと呼称するらしい)の映像。
また、来訪したその“悪魔”らが撒き散らした大量の魔力の残滓によって、地球規模で規模で引き起こされている異常現象の数々。
それらがどこぞの巨匠による映画の宣伝でも帝國による質の悪いジョークでもないことを悟った東西の核保有国は、表向きだが野放図な軍拡競争にピリオドを打ち、帝國への支援及び異常現象への対応、さらには異界に関する情報の共有といった形で協調路線を取り始めた。
米・露・中首脳が一堂に会して冷戦の終結を宣言したのは記憶に新しいし、一か国のボイコットもなくオリンピックが開催されたのも実に三十年ぶりだ。
実に皮肉なことだが、帝都という犠牲によって世界は少しだけ良い方向へと進んでいる。
『願わくは、地球の未来に幸多からんことを!』
帝國臣民を含め、全世界の良識ある人々はそう願うのであった。
だが。
脅威は、再び訪れた。
「魔力波の増大を検知!何者かが転移して来ます!」
市ヶ谷、東部軍管区指令部の地下で、オペレーターの悲鳴の如き叫び声が上がる。
彼の言葉を証明するように、壁を埋め尽くすモニター画面の一つでは、“測定装置”の反応数値の推移にはっきりと異常が見て取れた。ずっと月を映す水面の如き静けさを保っていた魔力波が、数分前から二次関数的な増加を始めたのだ。
これは明らかに、別次元からの来訪者が現れる兆しである。
“前回”と同程度の規模の反応であることから、指令室が極限の緊張に包まれるのは仕方のないことであろう。
「皇居、官邸、及び都庁へ通達!帝都上空にて転移の兆し有り!」
「位置特定を急げ!各基地の即応部隊は、命令があり次第動けるようにしておけよ!」
「帝都全体に避難警報発令!警官が避難誘導を開始!」
「攻撃ヘリ部隊出撃準備完了!いつでも行けます!」
薄暗い部屋の中に、力強い命令と報告の言葉が入り乱れる。
だが、それを発するすべての人々の表情は酷く強張っていた。瞳に浮かぶのは緊張というよりも、絶望の色だ。
無理もない。
この場に居るのは皆一様に鍛え上げられた帝國軍人だが、“実戦”の経験は一度きり。しかもそれは、最低最悪なものだったのだから。
「畜生、またなのかよ・・・・!」
部下の誰かの呟きを、着任したばかりの小杉中将は叱責することができなかった。今まさに歯ぎしりをする彼とて、まったく同じ想いだったからだ。
この帝都は、帝國臣民の努力と世界各国からの多大な支援によって、ようやく復興を遂げたばかりなのだ。失われた命を悼み、送り、残された人々がようやく笑顔を取り戻し始め、かつてのあるべき帝國首都の生活が戻りつつある。
それがまたもや、こんなことに・・・・・
「来ました!“環”です!」
オペレーターの言葉に、小杉の全身が粟立つ。
来た。
かつて栄華を極めた、世界に誇る帝都を凌辱した脅威が、また!
しかし恐れおののく小杉を余所に、オペレーターは首を傾げながら続けて言った。
「しかし、あれ?おかしいな・・・・・サイズが極小規模です」
「何だ!?どうした!?」
「いえ、事前の反応はかなりの大きさだったのに、開いた“環”が小さいんです。前回よりも、ずっと。これは一体・・・・?」
腑抜けたような部下の態度に、小杉は懸命に舌打ちを堪えた。
彼は直接指揮をとっていなかったが、五年前の惨劇がどれ程常識はずれな存在によってもたらされたのかはよく知っていたのだ。
不明瞭極まる報告によって対応が遅れれば、二の舞になってしまう。
それを案じたこの場の最高責任者は、ともすれば鳴りそうになる歯の根を抑え、拳に爪を立てながら腹に力を入れた。
「しっかりしろ!貴様ら!」
指令室内に、小杉の一喝が響き渡る。
「どんな状況であっても冷静に、そして全力で当たれ!決して緩むなよ!」
そう言って小杉は、まんじりともせずモニター画面を見渡した。
すると、どよめいていた部下たちが、一斉に姿勢を正す。
例え前回に比して“環”が小規模だったとしても、実際に転移してきたのがどんな存在かはまだ分からない。
部下たちがようやくその事実に思い至ったことを確認した小杉は、改めて問うた。
「位置は!?」
「北緯三十五度四十二分、東経百三十九度四十八分。スカイツリー直上です!」
「観測ドローンは!?」
「もう上がってます!映像、来ます!」
ようやく落ち着きを取り戻したオペレーターの、凛とした返答と同時に、モニター画面一杯に一枚の映像が映し出される。
大災厄の再来。
異界よりの脅威。
その正体を看破したオペレーターは、腹に力を入れて報告した。
「中将!女の子です!」
しん。と、指令室に静寂が満ちた。
女の子。
そう、女の子だ。
画面に映し出されたのは、ボブカットされた栗毛色の髪を揺らす可愛らしい女の子。
・・・・・にしか見えない。
「どっ・・・・・どんな女の子だぁっ!?」
「とんがった帽子と長い木の杖を装備!魔女っ娘です!」
「そうか!魔女っ娘かぁ!」
オペレーターからの真剣そのものの報告を、小杉は額に青筋を立てたつつ復唱した。その怒声に、停止しかかっていた部下たちの脳みそがようやく回転し始める。
今、眼前にでかでかと映し出されているのは、確かに女の子だ。
しかし、只の女の子ではない。魔女っ娘だ。
何せスカイツリー最頂部でうずくまる彼女が被っているのは、大きなとんがり帽子。すぐそばに転がっているのは、長い木の杖だ。その杖を握って立ち上がったのならば、何処からどう見ても立派な魔女である。
一見すると少女の身体には不釣り合いな程大きなサイズではあるが、全体、その身を包む黒色のローブもだぼだぼであることから、装備品の大きさ自体は一致しているようだ。
ひょっとすると、そういった“大きめ”の衣服を着込む習慣があるのかもしれない。
「・・・・かわいい魔女っ娘です」
「・・・・かわいい魔女っ娘か」
オペレーターと小杉の言葉が、薄暗い部屋に虚しく響く。
実際のところ、着こなし切れていないそれら衣服を纏った少女は、とても愛らしい姿だ。
だが現在絶賛交流中の“街”の連中がそうであるように、その本質が外見と等しいとは限らない。
そう。
例え異界から来訪してきた女の子が、どれだけ可愛らしくて、どんなに華奢で、どんなに“子ども”っぽくても。
その実態は、恐ろしい化け物かも知れないのだ。
知れないのだが・・・・・
たっぷり十秒間。
状況によっては多大な被害を被ることだってある貴重な時間を消費して、小杉は熟考した。
「・・・・・女の子以外には、いないか?」
「あー、いません。今回の“環”の規模は前回のそれを大きく下回っていますので、これ以上の“脅威”は現れないかと・・・・・」
「うん、そうか・・・・・で、その女の子は何をしとるのだ?」
「えぇと、その・・・・・頭を抱えていますね」
「・・・・・だよなぁ」
モニター画面の中で可愛らしく悶える少女を部下とともに鑑賞しながら、小杉は大きく嘆息をした。
出現したこの“脅威”を、どのように陛下や首相らに報告したものか。
落ちていく肩に力を込めようとするものの、上手くいかない小杉中将だった。
「ぐぉぉぉ・・・・・いたたた・・・・」
帝都スカイツリー最頂部で、“少女”は必死に頭を抱えて耐えていた。
先刻まで夢見心地の気分だったというのに、突然頭部に強い衝撃を受け、激痛に眼を回しているのである。
「通常空間に出てるじゃないの・・・・・誰かが干渉しやがったわねぇ・・・・・」
眼に大量の涙を浮かべた少女が、口惜し気に呟く。
どうやら彼女にとっては、自らが置かれている状況は甚だ不本意であるらしい。“乳歯”を噛み締め、“袖の中”で力いっぱいに拳を握りしめている。
「うぅ・・・・何か違和感があるわねぇ?って、それよりも!アイツは何処よ!?何処行ったのよ!?」
悶えていた少女は、突如何かに気づいたように、周囲に忙しなく視線を巡らせた。
だが、“いない”。
少なくとも眼の届く範囲には、彼女にとって最も大切なものはなかった。
恐らく何者かの干渉によって次元の狭間から無理やりに引っ張り出された結果、自分と“彼”は別々の場所に転移させられてしまったのだろう。
とんでもない事態だ!
「ったくもぅ!世話の焼ける男ねぇ!」
別に“彼”のせいではないのだろうが、少女は当然とばかりに“彼”に対して悪態をついた。
そして帽子を被りなおすと、膝をついたまま愛用の杖を手繰り寄せて石突で地面を、いや超巨大な塔の頂上を突いた。
するとそこに整然とした文字列の魔法陣が浮かび上がり、光り輝きながら回転を始める。
使い慣れた“占術”だ。
最早呪文の詠唱も構成要素も、身振りすら必要ない。
瞬く間に発生した強大な魔力の波形が、帝都から日本全土へ、そして世界中へと広がっていく。
彼女の指先、あるいは目や耳の機能を代替したそれは、瞬時に彼女の大切なものを見つけ出した。
「いた!すぐそばだわ!」
目的のものを発見した少女は、喜色を浮かべて立ち上がった。
途端に、お気に入りの一枚立ちの黒服の裾を踏みつけ、たたらを踏んでしまう。
「・・・・?何これ?どうなってんのよ?」
危うく転げかけ、少女は苛立たし気に自分の身体を検める。
なんだか服も帽子も、杖さえも。
下着ですらも、しっくりこないような感覚がある。
まるで身体が縮んでしまったかのようだが・・・・
「・・・・ま、いいわ」
さして気に留めた様子もなく、少女は壮絶な笑みを浮かべて宙へと浮かび上がった。
“飛行”という魔法だが、やはり詠唱も動作も介さない。こんな低位の魔法は、すでに肉体の一部と同じものだ。
瞬時に異界の夜空へと跳び上がると、少女は眼下を睥睨した。
そこに広がるのは、住まう人々が世界に誇る程の光り輝く夜景。
しかし少女にとっては、そんなものになどさしたる価値はない。
何故ならば、彼女にとっては何時でも何処でも、最も重要な目的はただ一つ。
「待ってなさいよ、ディン!アンタはアタシだけのものなんだから!」
両の瞳を金色に輝かせながら、少女は。
イリーナは強く宣言した。
「キョウちゃん!あれ、見てよ!」
「どうしたの、ショウちゃん・・・・あら、凄い光!」
「こっちに降りてくるよ!」
「一体何かしら、まるで・・・・・」
これにて完結です。
しばらくは改稿作業に没頭します。




