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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第16話 交流について 前


 通訳?


 「ああ」


 師匠は、姿見の前で外套の位置を直しながら、短く答えた。

 毎日毎日代わり映えの無い格好ばかりの師匠だが、今は真っ白な襯衣に黒色の下服と外套という、正装であった。

 冠婚葬祭。どこに出しても恥ずかしくない、余所行きの格好である。

 少々地味ではあるが。


 「異界からの客を、お迎えするんだ」


 いったい何が気になるのか、師匠は姿見から目を離さず、しきりに外套の紐を弄っていた。


 異界。


 つまり、チキュウのニホンという土地からの来訪客だ。


 “初接触”から五十年近く経ったが、未だにあちらとの往来は厳重に管理されており、限られた人間が、限られた期間に、限られた場所を、限られた順路で巡るだけの触れ合いが、幾度となく繰り返されるばかりであった。

 

 当たり障りの無い範囲の物品の流通は以前から行われてはいるのに、人間同士の交流にはなぜこのように時間が掛かっているのだろうか。


 「相互理解というのは、難しいものだよ」

 

 とうとう身に着けていた外套を外してしまい、卓に置かれた別の色の外套に手を伸ばしながら、師匠は私の疑問に答えた。


 「言語、文化、価値観、信仰、技術。挙げればきりが無いが、多くの違いがある存在とのお付き合いというのは、大変なことなんだ」


 青と茶色の外套を両手に持って、交互に肩にかけては首を傾げる師匠を、私はぼんやり眺めていた。


 師匠が通訳を出来るということは、すくなくとも対話が出来るということだ。

 しかも、諍いも起こらずにこうして長い年月を過ごしている。

 思い切って一歩を踏み出せば、交流だってより深まるのだろうに。


 「君の言う通りだ。詰まるところ姿かたちの他には、一歩を踏み出せない未成熟な精神しか持ち合わせていないという点も、共通しているということだ」


 そう皮肉っぽく言いながらも、外套の色について踏ん切りの付けられない師匠に嘆息して、私はつかつかと歩み寄った。

 そして赤い外套を手に取り、師匠に押し付けた。


 「ちょっと、派手ではないかな?」


 躊躇するような師匠の言葉に、私は首を振った。


 そんなことはない。

 師匠の髪と同じ色。

 とても、いい色だ。


 「ありがとう」


 師匠は、素直に私から赤い外套を受け取り、身に着けた。

 そのまま、しばし姿見の中の自分を見つめた。


 ひょっとして、まだ気に入らないのだろうか。


 「いや。実はその来訪客というのは、子どもなんだ」


 子ども?


 「そう。君と、それほど年は違わない」


 そう言って、師匠は姿見から私へと視線を移した。


 「君も、来るかい」


 行く!


 私は、即答した。

 異界のことは話には聞いていても、実際に目にした事は無い。

 それは私に限ったことではなく、この街の一般人なら殆どがそうだ。


 私達の世界とは、まったく異なるチキュウのニホン。

 しかも、私の同世代の人間と出会えるのだ。

 これはなかなかに楽しそうではないか。


 「そうか。よかった」


 彫像のような師匠の顔が、少し和らいだ。

 どうして、私が師匠についていくのが良いのだろうか。

 

 「では、君も正装してきなさい」


 師匠は私から視線をそらして、卓の上の外套を片付けに掛かった。


 






 そういえば気になっていたのだが。


 「なんだい」


 魔力光に照らされた広い室内で、師匠は私に問い返した。


 なぜ、わざわざ師匠が出向くのだろうか。

 ただ翻訳するだけならば、他にも人間はいるだろうに。


 「よい質問だね」


 それだけ言って、師匠は私を見つめた。

 答えを自分で考えろ、ということだ。


 私は舌打ちを堪えて、正面を見据えた。

 時間がないのだから、師匠に詰め寄ってぶん殴ってでもとっとと答えを聞き出したかったが、そんなことはできない。


 何せここは、異界との唯一の接点がある、都でも最重要の区画だ。

 周囲には大勢の屈強な兵士達が目を光らせていたし、文官たちも来訪客の到来に備えて手元の端末を操作したり、お互いに手順の確認をしたりしていた。

 そんな彼らを、少しでも邪魔できるような雰囲気ではなかったのだ。


 私は青色の外套に身を包み、師匠の隣に立っていた。

 目の前には、“環”があった。

 

 どういう原理なのかは知らないが、地面と水平に浮く巨大で厚みの無い皿のようなそれは、異界と私達の街を繋ぐ穴である。

 “環”には螺旋状の階段が設置されており、まさに今、その階段から大勢の人だかりが降りてくるところであった。


 私の、彼らを見た第一印象は、“一様”であった。


 緑色の上下を着込んだ男を先頭にして、続いて現れたのは、全身黒ずくめの少年達と全身紺色の少女達だった。

 子どもだというのに、まるで街の兵士や文官たちのように異様に画一的な衣服の彼らは、緊張しているのか引き締まった表情で、一歩一歩を確かめるようにして私達の世界へと降り立った。


 一番最後に現れた、その集団の中で最年長に見える男も、飾り気の無い黒一色の服装だった。


 異界からの賓客の中でも年かさの二人は、こちらの文官たちとぎこちなく会話をすると、早速師匠の方へとやって来た。


 「よろしく、おねがい、します」


 片言の標準語で挨拶をしながら頭を下げた二人に対して、師匠は聞き慣れない言葉を使って話しかけた。


 なるほど、これがニホン語というやつか。


 途端に、その二人の男の表情が晴れた。

 

 一体なんなのだ。


 「どうにもチキュウの人らは、言語による意思疎通に対して、劣等感めいたものを持っているらしくてね」


 急に饒舌に会話し始めた異界の男達の相手をしながら、師匠は片手間に私の疑問に答えてくれた。


 「文官連中は高圧的に接しすぎるから、いらないいざこざに発展しかかることが何度かあったんだ」


 なるほど、そういうことか。


 私は、先程の答えがなんとなく分かってきた。


 文官というのは、とにかく権威を傘に着る連中である。

 貴族などの上流階級で、一定以上の教育を受けた者でなければ通用しないような、非常に高度な職務に就いているということは理解できる。

 だがそれを差し引いても、彼らの一般市民に対する接し方は、高圧的で、脅迫的で、侮蔑的だ。

 

 同じ世界の人間ですらそのように扱うのに、どうして異界の得体の知れない連中相手に、下手に出られるものか。


 上手くこちらの標準語を話せない異界人たちを相手に、どのような言葉をかけたのか。考えたくも無かった。


 そうやって相手を突き放すような、高慢ちきな連中に異界との交流を仕切られている限り、友好関係の構築には時間が掛かるのも当然だった。


 さらにこれが最大の理由であろうが、私の知る限りでは、異界から子ども達が私たちの街を視察に来るというのは、今回が初めてである。


 そんな大事な機会に、いくらニホン語が話せるからといって、高慢ちきな文官連中に通訳など任せてしまっては、今後成長してニホンを引っ張っていく世代の彼らに悪い印象を与える決まっている。その結果として、将来の交流に悪影響が出ることは想像に難くない。


 「よい推理力だね」


 異界人たちの、先程の怯える羊のような態度は何処へやら。

 握手を交わして肩を叩き合い、なにやら暑苦しい会話をしているように思える師匠が、無表情のままに言った。


 「だから領主が思い切って、外部の人間に通訳と案内人を頼むことにしたんだ」


 なるほどそれはすごいことだ。

 街と異界との交流なんて、長い間ずっと街の偉い方々によって隠蔽されてきたのだ。その最重要の交流を、外部の人間の力を借りることで改善しようだなんて、英断である。


 やはり対話をしなければ、人と人は分かり合うことなどできはしないのだ。

 領主様も、それを理解しているのだろう。


 「それは、とても大切な信念だよ」


 いつの間にか会話を終えていた師匠が、私を見つめていた。

 さっきまで親しげな様子だった二人の男達は、こちらを不安げに見つめる異界の子ども達の方へと歩いていくところであった。


 「それを、どうか忘れないでくれ」


 そう言って、師匠は私の頭に手を置いた。

 どうして急に、そんなことを言うのだろうか。


 ・・・そう言えば、師匠はいつの間に異界の言語を学んだのだろうか。

 ひょっとして、意思疎通の魔法を使えるのだろうか。


 「いや、まあ、神様のおかげだ」


 なんだそりゃ。

 

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