Surly Cupid(後編)
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「ゆーにーちゃ!」
あれから十年近く経って、悠里には海里って言う弟が出来た。
まあ、つまりあたしとジローちゃんの夫婦関係は良好で、子供が出来たの。
今年二歳になる海里は、年の離れたお兄ちゃんが大好きで、二十歳を期に自立と称して家を出た悠里がたまに家に遊びに来ると満面の笑みで抱きつく。
海里を抱っこする悠里の顔が、ちょっぴりお兄さんらしくなるのが微笑ましい。
「はい、にーちゃ、あーん」
海里が手に持っていたお菓子を悠里の口元まで持って行くと、悠里は口をあけてそれを食べる。
「ありがとう」
微かに笑う悠里の顔が好きな海里は、何時も悠里が来るとこうして自分の食べているお菓子を悠里に差し出すのが挨拶代りなっているの。これをすると、何時も悠里は、少しだけ笑顔になるから。
悠里も弟のする事を嬉しそうに見て、相手をしてくれる。
こういう所を見ていると、悠里は良いパパになれるんじゃないかと思う。
海里が生まれてから、悠里はわりとマメに、時間を作っては弟の顔を見に家に来てくれる。それは良い兆候なんだけどさ…
「悠里、たまには、ジローちゃんが居る時に顔見せに来なさいよね」
「いい。仕事場で会ってるから」
相変わらず、悠里への愛情ベクトルが計測不能な上昇率を見せるジローちゃんは、悠里とのコミュニケーションだけが上手に出来ない。
何て言うか、暴走?
悠里が一人暮らしを始めてから、拍車がかかっちゃった感じで、流石のあたしもドン引きした事が度々…。
だから余計に、悠里がジローちゃんのいない時を選んで帰って来るのよ。
ジローちゃんも海里とは普通にできるのに、どうして悠里だけ突き抜けちゃうのかしら。
「…あんたが逃げると、ジローちゃんが余計に暴走するから」
「マツコや海里が居るから、ちょっとは落ち着くと思ったのに」
仏頂面で悠里は遠い目をした。
悠里は、あたしの呼び方をマツコって変えた。悠里は美容師でもあるけれど、高校生の時からあたしのメイク術を仕込んできた愛弟子だから。たまーに、母さんって呼んでくれるけど、母親だとはあまり認められてないんだよね。きっと。
「落ち着くどころか、愛情ダダ漏れ洪水氾濫状態よ?」
「重いし、イタイし、意味分からない」
「たぶん、朱里さんの分まであんたの事を大事にしたいと思ってるのよ」
悠里を産んでくれた朱里さん。ジローちゃんが愛した最初の奥さん。不慮の事故で突然亡くなってしまったから、ジローちゃんは行き場のない朱里さんへの愛情を全部、朱里さんが残してくれた悠里へ形を変えて向けているんだと思う。
ジローちゃんは情に篤い。一度好きになってしまうと、溺れるようにその人を愛してしまう。ものすごく、分かりづらい愛情表現しか出来ないけど、ジローちゃんに率直な愛情を向けてもらえるようになってから、それが痛いほど分かる。
「マツコって、バカだよね」
「うっさいわね。バカにバカって言うのは失礼よ!」
そりゃ、悠里みたいに有名進学校で優秀な成績残す様なオツムなんてしてないわよ。悪かったわね。だからって、そんな脱力したようにホントの事言わなくてもさ。
「父さんに対して、甘すぎるってことだよ」
「…ジローちゃんバカってこと?」
「前の奥さんのこと未だに大事にする男を、良く捨てないね」
「朱里さんが居なかったら、あんた生まれてないじゃない。あんたが居なかったら、あたしはジローちゃんと本当の意味で夫婦にはなれなかったし、海里も生まれなかった。あんたが繋いでくれた家族なんだから…だから、悠里を産んでくれた朱里さんは、あたしにとっても大事な人なのよ。朱里さんを大事にしないジローちゃんだったら、初めから好きになんてならないわよ」
朱里さんを含めて、佐内の家族なんだもの。だから、毎年、朱里さんの命日には皆でお墓参りに行く。
悠里を守って亡くなった朱里さん。
会ったことはないけれど、彼女のお墓に行くたびにあたしは何時も『悠里産んでくれてありがとう』『ジローちゃんの傍に悠里を残してくれてありがとう』って、お礼を言うの。
朱里さんに嫉妬した時期もあったけど、今は感謝してる。
「…惚気?他所ですれば?」
すぐ、捻くれた可愛くない事言う。でも、本当に嫌いなら、悠里は此処には来ないし、あたしにだって口をきいてくれない。悠里もジローちゃんに負けず劣らず、冷たいから。
「ねえ悠里、家に戻ってこない?あたしや海里に遠慮しないでさ。そうしたら、ジローちゃんも少しは落ち着くと思うよ?」
「遠慮する。家に居たら、毎日マツコのパシリにされるから」
「だって、悠里がジローちゃんから離れたそうな顔するからじゃない」
ジローちゃんに構われ過ぎて不機嫌になる悠里に、あたしはよく「●●が食べたい」って、買い出しに行かせるの。そうでもしないと、悠里はジローちゃんと離れられないから。
「あたしや海里だって、悠里が居た方が楽しいし、あんたも大事な家族なんだよ?」
悠里は何も言わず、海里の頭を優しく撫でた。
「…にーちゃ?」
悠里は僅かに唇の端を緩めて海里の頭をまた撫でて、あたしに海里を渡した。
「家族でもない人の所に、会いに来るほど暇じゃないから」
やっぱりジローちゃんの息子だわ。素直じゃない。
「何時でも帰ってきなさいよ。此処は、あんたの家なんだから」
「…気が向いたら……チッ」
無表情に悠里が突然、舌打ちした。
うわぁ、可愛い顔して邪悪だわー。
深夜近いのに、ものすごい勢いでコンクリートを打つ靴の音がしたからだ。
これは…ジローちゃんの御帰宅の合図。
ガチャガチャと解錠する音がして、勢い良く玄関の扉が開閉される音がする。
「悠里ーっ!どこだーっ!」
悠里が帰って来てる日は、何時もこんな感じで帰って来る。
妻と幼い二男の名前を飛ばして、長男オンリーの呼び声。
今日は、二か月ぶりに悠里がジローちゃんの帰って来る時間帯に来るって知って、昨日から大興奮だったから仕方ないんだけどねー。
だけど、悠里は全然嬉しくないんだよね。
「帰る」
苦笑いしか出ない。
仕方ないか…先々に独立する事を考えて、他の店でも働いて学びたいって言いだした悠里と、反対するジローちゃんは、ただ今喧嘩中だから。
「…悠里。あたし、ハーゲンダッツのオペラ食べたい。今すぐ買ってきて」
「…今から?」
あたしが悠里にそう言うと、悠里は怪訝そうな顔をする。
「ハーゲンダッツのオペラよ?それ以外、駄目だから。一兄ちゃんの店まで行ってきて」
このあたりのお店にはなかなか置いてない。でも、悠里の家の近くにある、あたしの一番上の兄が経営するコンビニにはあるのを知ってる。ただ、良く売れるから売り切れている事が多い。
「…ハーゲンダッツのオペラ?このあたり、売り切れてる店ばっかなのに」
あってもなかったって言って戻ってこなくて良いし、本当に無くてもそれを理由に帰らなくても良い。
店に付いた頃に電話して、あたしが口裏を合わせて今日は戻ってこなくても良いよ、みたいな事を喧嘩調子で言えばいい。
正直、今回の喧嘩もあたしは悠里の味方だから。ジローちゃんには悪いけど、悠里が一人前になって自立していく事を応援してるの。
「わかった。見つけるまで来ないから」
あたしの意図を悟ったのか、悠里はそう言ってリビングを出て行く。すれ違いでジローちゃんと会ったけど、悠里は無言でジローちゃんを一睨みして出て行った。
「悠里!待ちなさい!」
「ジローちゃん、悠里はお使いよ。ハーゲンダッツ買いに。ねー、海里?」
「あい。ゆーにーちゃ、おちゅかぃ!」
海里もニコニコ笑いながら舌足らずに答える。
お兄ちゃん思いの空気を呼んだ返事ができる子だわ。
「はぁ…悠里と、しっかり話をしたかったんですけどねぇ」
「それは、もう少しお互いの頭が冷えてからにしたら?ジローちゃんだって、悠里がお店を持つこと自体は反対してないんでしょ?」
「当然です」
「でも、かっとなって一方的によその店に行くのは駄目って言うだけでしょ?レイチェルの姉妹店を来年展開する時に、そこで経営のノウハウを学んでほしいって、前から考えてる事も伝えてないでしょ?反対される理由が解らなくて悠里は怒ってるんだから、ちゃんと説明できるようになるまで、ジローちゃんも頭冷やして」
本当は悠里の為に色々考えてるのに、ジローちゃんは大事な言葉を何にも云わないんだもの。悠里の事になると不器用過ぎて、ホント見てられない。
「松子…貴女、悠里の味方ですか?」
「息子の方が断然、可愛いしねー」
恨めしげにあたしを見下ろして来るジローちゃんは、海里をあたしから奪う。
「海里、父さんと寝ましょう」
「あい!」
海里はいつもジローちゃんが寝かしつけてくれる。あたしが寝かせるよりも、ジローちゃんの方がどうしてだか、ぐずらずに素直に寝るのよねー。母としては複雑な気分だけど。
ジローちゃんは海里を片腕で抱いたまま、空いた手であたしの顎を掴んで上を向かせると、自分は身を屈めて、淫靡な表情であたしに口づける。
まずっ。ワイルド+お色気フェロモンがついたジローちゃんだ。完全にへそ曲げた。こーなると、今日は寝かせてもらえない。
「海里を寝かしつけてきます。その後でじっくり、貴女の一番が誰か解らせてあげますから…覚悟しておいてくださいよ」
凄艶に微笑んだジローちゃんの瞳は獲物を狙う様に鋭くて、そう低く囁く声は酷く蟲惑的でゾクゾクしちゃう。
五十に手が届きそうっていうのに、ジローちゃんは相変わらず格好良くて、色気はてっぺん知らずで、今も変わらず、ジローちゃんにドキドキさせられる。
ジローちゃんの後ろ姿を見送りながら、後悔したってもう遅いんだけど…
こんな幸せな毎日が遅れる様になったのは、やっぱり悠里のお蔭なんだよね。
あたしにとって、悠里はあたしの恋を叶えてくれたキューピッド。
大好きな人の息子だから、悠里には余計に幸せになってほしい。
いつか好きな人と一緒に人生を生きる楽しさを知ってくれたらって思う。
出来れば悠里とジローちゃんが、もうちょっと仲良くなってくれたら嬉しい。
そんなきっかけをくれそうな、悠里のお姫様ならぬ憧れの人が現れるのはあと十数分後…だったみたい。
-松子Side END-
複雑親子の佐内一家…父二朗視点で書こうと思ったら、コメディのコの字すらないシリアスで暗い話になってしまったので、書き直して“マツコ”でお届けとなりました。
結果、二朗は更にどうしようもない感が出る結果となりました。
悠里父に関しては、生み出した自分で言うのもなんですが、『とても面倒くさい性格』です。書けば書くほど、ダメ親父になっていく…魔のスパイラルを体験しました。
松子が居なかったら、今以上にロクデナシ親父まっしぐらだったと思います。
ダメな父親で、傍迷惑な愛情表現しかできませんので、悠里は今後も苦労する事に…頑張れ、悠里。
悠里が以前、円のピザまんを食べてしまったのは、海里の餌付け(笑)による条件反射です。差し出されるとつい考えずに食べちゃう…。
この番外編で『御堂円のゆる恋の行方』はこれにて『完』をうちたいと思います。
お読み下さり、ありがとうございました。
続きの連載は、準備ができ次第、活動報告にて後日お知らせ致します。
そして…出来ればこれからもよしなにお付き合い頂ければ幸いです。
響かほり




