悪魔が来たりて嚆矢を放つ(後篇)
時系列は、悠里と円が出会った(再会した)数日後…のお話。
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映画の試写会を御堂のねえさんと一緒に見に行ってから、俺は大いに困っている。
どうやら俺は、ドМではなく、更に拙い状態だったらしい。
当日、面接時間が押して約束の時間ぎりぎりに来たねえさんは、スーツ姿のまま。パンプスで必死に走って来る姿が、無性に可愛いっつうか。思わず我慢できずにねえさんを抱きしめたら、もれなくグーパン食らった。
久しぶりに化粧もして眼鏡もコンタクトになってるし、俺が一番好きな格好で、「走って来たから暑い」とか言って襟元のボタンを一つ外して、手で扇ぎながら息を整える姿が無防備にエロくて、そのままねえさんを抱えてホテルに連れ込もうかとマジで思った。
けど、絶対ねえさんにシバキ倒されると思って、踏ん張った。けど、そこから俺は地獄だった。
正直、映画なんて全然頭に入らなかったし、見ちゃいない。
隣に居たねえさんの事ばっかり気になって、薄暗い映画館の中で、映画を見て笑ったり泣いたりしているねえさんばっかり眼で追ってた。
ねえさんは映画に夢中で、俺の視線になんて気付いてなかったけどさ。
手繋ぎたいとか、肩抱き寄せたいとか、キスしたいとか、R規制コードに引っかかるようなアレやらこれやらしいたいとか…もう、そればっか。どこの中学生かっての。
これまでも、ねえさんを男の眼で見たことはたまーにあったけどさ。
食事のときだって、ねえさんに夢中で何食ったか覚えてない。話の内容もうろ覚えだ。
周りの事が全部見えなくなるくらい、ねえさんが『女』だって感じたのは初めてで、心臓が潰れるんじゃね?ってくらい、ずっと心臓が暴れっぱなし。
そこで、ねえさんに惚れたって自覚した。
幸い、ついこの間、ねえさんは彼氏と別れたって言ってたし、口説いても問題はないだろう。相手が居たところで略奪すればすむはなしだ。
今の所、ライバルらしい奴もいない。気長に攻めても大丈夫だろう。
…って思ってたのに、三日後、御堂のねえさんと会った時、変な事になってた。
親父にシフトの事で相談に行った深夜近く、丁度ねえさんはレジで接客中だった。
「おねえさん、まだお返事くれないんですか?」
「…お客様、仕事中ですので、私的な事はお返事出来かねます」
「じゃあ、お仕事いつ終わりますか?」
「それも私的な事ですのでお答えできません」
「…おねえさん、意地悪ですね」
御堂のねえさんとそんな会話をしていた客を見て、俺は絶句した。
中性的な顔をした今時の美青年の代表見たいな容姿をした、俺の学生時代の後輩にして、血の繋がらない一つ年下の従兄弟。
佐内悠里。
松子叔母さんの結婚相手の連れ子で、結構つるんで遊ぶ友達でもあるんだが…。
いつもは仏頂面で笑いもしないし、女に進んで話しかけもしない、あんな可愛い言葉も使わないドS野郎が、頬を染めてしゅんとする姿に、俺は心臓が潰れるかと思ったね。
恐い。恐すぎる。どこぞの井戸から女が這いだしてテレビから抜け出るホラー映画より恐怖だ!
けど、なんでねえさんにあいつが絡んでるんだ?
「僕、諦めませんから」
「そうは言われてもねぇ…」
ねえさんは困ったように曖昧に笑う。けど、俺は全身に鳥肌が立った。
悠里の御堂のねえさんを見る眼は明らかに『恋する男の眼』だった。
女にもてる癖に、女に全く興味を示してこなかった悠里が、何だってそんな目でねえさんを見てるんだ。
嫌な予感しかしない。
「何を諦めないんだ、悠里」
思わず事務所から出て、俺はねえさんの隣に立つ。
「あ、礼、お疲れ。どうしたの?今日はバイトじゃないでしょ?」
「親父にシフトの相談しに来た」
ねえさんはいたって普通に俺に挨拶をしてきたが、悠里の方は俺を見る目が少しだけ鋭くなった。
まるで恋敵でも見る様な眼だ。
「礼先輩、お久しぶりです」
普段、感情を見せない悠里が、嫉妬丸出しだった。
どうやら、俺の嫌な予感は的中だったらしい。
悠里の奴、御堂のねえさんに惚れてる。
一体いつの間に?
「あれ?二人は知り合い?」
その台詞、そっくりそのままねえさんに返したかった。
「礼先輩は中高の時に一つ上の先輩だったんです。部活も一緒で。ね、先輩?」
余計なことは言わずに黙って頷いておけみたいな威圧感があるのに、その顔には、俺が見た事もない様な極上の微笑みが浮かんでいる。
誰だ、この女殺しの微笑みを浮かべる奴は!?
十中八九、悠里のファンが見たら狂喜して卒倒する様な笑顔を垂れ流しにして、悠里は御堂のねえさんに笑いかける。
御堂のねえさんは、つられる様にくすりと笑う。悠里の笑顔に何ら動じる事もなく、普通に接するねえさんの胆力、マジ半端ねぇ。
「仲良さげに喋ってるけど、悠里とねえさんって知合い?」
「昨日、此処で会ったのよ。アイスを買う時にね」
ねえさんが悠里の方に視線を向ければ、途端に悠里の顔が真っ赤になる。
くそ。昨日、休み入れるんじゃなかった!居たら、全力で邪魔してやったのに!
「あ、はい。昨日は本当に助かりました。おかげでマツコに怒られずに済みました」
をいをい。マジか。なんだ、この恥らう乙女も裸足で逃げていく、照れぶりは。
びっくりして、顎外れるかと思ったじゃないか!
やべぇ、こんな悠里見たことない。松子叔母さんに密告しねぇと。
って、思ってたら、レジの方へ籠を持った客が近付いて来る。
「あ、そろそろ僕、失礼します」
それに気付いたのか、悠里が真っ赤な顔のまま、御堂のねえさんに頭を下げる。
「寒いから、気をつけてね」
「はい。失礼します」
はにかむように笑った悠里は、そのまま俺に視線を移す。
「先輩、ちょっと話があるんで、一緒に外へ出てもらえますか?」
「あ、あぁ」
俺の知ってる悠里とは全然違う悠里が目の前に居て、俺は眼を開けたまま夢を見てるんじゃないかって心地になってた。
俺は悠里と一緒に店の外に出る。
レジからは死角になる位置まで移動すると、途端に悠里の顔から先程までの表情が消え、俺の見慣れた悠里の表情がそこにある。
「名前で呼ばれるなんて、随分、あの人と親しいようですね」
ねえさんと話している時より、一オクターブは低い声で抑揚のないまま語る普段通りの悠里の言葉に、鳥肌が立った。
肌にまとわりついて来る寒気は、悠里の殺気だ。
「知り合って長いんだから、普通だろ」
「あの人、御堂、何て言うんです?」
普段通り、淡々と話してるのに、『さっさと吐け、命が惜しいだろ』みたいな重圧が悠里の言葉からひしひしと感じられる。やべえ、高校の時に見たブラック悠里が降臨中だ。
「…お前な、無表情に怒る癖直せ。怖いから。…そんな目で睨むな。あの人は御堂円って言うんだよ」
「まどか…。やっぱり合ってる」
何が合ってるのか知らねぇけど、悠里の唇の端が僅かに緩む。
何だろ、この悪魔がほくそ笑むみたいな、綺麗だけど危険な雰囲気。
「そもそもお前、なんで御堂のねえさんに詐欺まがいの笑顔振りまいてんだよ」
「笑顔?…あぁ、僕、さっき笑っていたんですね…これが、嬉しいって気持ちなんですね」
「は?嬉しい?」
感情を殆ど表現しない悠里が、何に感情を動かされたんだ?ねえさんか!?ねえさんの何に!?
「昨日は確証が持てなかったけど…やっと見つけたんです。僕の大切な人」
淫靡にも不敵にも見える微笑みが、悠里に浮かんだ。
二朗小父さんのコピーかってくらい酷似してやがった!
「だから、僕の邪魔はしないで下さいね?」
やっぱ、こいつ二朗小父さんの息子だ!悪魔だ、悪魔!
無自覚に二重人格で、他人には容赦ないサディストの癖に、惚れた女にだけは純情の皮被って、一途でドロ甘。そんな二朗小父さんのヤバい遺伝子を確実に引き継いでる。
悠里が女に惚れた所なんて今まで見た事がなかったけど、ねえさんに対する悠里の行動は、二朗小父さんが松子叔母さんに接している時に酷似している。
それでなくても、悠里の中の悪魔が覚醒した高校時代に、闇へと葬られた数々の奴の悪行を知ってるだけに、悠里を敵に回した時の事を想像して、全身の毛孔が一気に開いた。
御堂のねえさん、やばくねえか?マズイ男に眼を付けられたんじゃ…?
ってか、ちょっと待て。って事は何か?悠里が俺のライバルじゃねえか!
「はぁ…お前が恋敵とか、マジあり得ねぇ。…けど、ねえさんは譲らない」
世の中で一番、敵にはまわしたくない。だからって、引いてやるつもりもない。
「…分かりました。近日中に遺書と葬式の用意しておいてください。先輩のふしだらなムスコは僕が責任もって昇天させます」
ダイアモンドダストが吹きすさぶ冷やかな眼で俺を見据えて、悠里は踵を返して家のある方向へ歩き出す。
ゾクッと、俺の背筋に冷たい電流が走った。
なんておっかねぇ宣告しやがるんだあいつ。しかも本気でやるつもりだ。
ねえさんと距離とってる場合じゃない。
恋愛の手管なら、ほぼ恋愛戦歴の無い悠里より俺の方が断然有利だ。
悠里より先に、ねえさんを口説き落としてやる。
でないと御堂のねえさんが、悪魔に魂喰われちまう!
それだけは絶対に阻止すると、俺は堅く己に誓った。
-礼side END-
本当は本編で参戦するはずだった男、香山礼のお話にお付き合い下さいまして、ありがとうございます。
作者の大人の事情でカットされた彼ですが、R付きの新しいお話には、参加できる…はず…




