悪魔が来たりて嚆矢を放つ(前篇)
番外編、其の壱。
悠里が円とコンビニで再会する少し前のお話。
視点は、円のバイト先のコンビニで一緒に働いている香山礼です。
◆
「礼、ちょっと良い?」
親父が経営するコンビニで、週に四日バイトする俺を事務所から呼んだのは、二カ月前からバイトに入った御堂円ねえさんだ。
何でねえさん呼びかって?
いや、御堂のねえさんは、実は俺が密かに、長年憧れ続けてる女性なんだ。
此処にバイトに来るまでは、うちのコンビニの常連さんで、良く話をする仲だったんだ。
何時もかっちりスーツを着こなして、背筋ピンと張って歩く姿はキャリアウーマン風なのに、頭のてっぺんから足先まで華燭すぎないおしゃれが行き届いてる。
仕事帰りに来る時は、たまにオフモードでワイシャツの襟ボタンを一つ二つ開けて、少しだけ着崩している。スカートから覗く綺麗な脚は、ヒールの高いパンプスで更にその良さを遺憾なく発揮する。
そんな格好で、ちょっとアンニュイな表情で買い物している姿が色っぽくてさ。
内から滲み出る色気が大人の女って感じで、高校生だった当時の俺にはかなり刺激的で、高嶺の花で、喋るだけで精いっぱいだった。
ねえさんは、派遣社員っていうの?正社員じゃなくて、会社と契約して会社勤めをしていたらしい。
何でも最近、セクハラ上司をぶっ飛ばして会社をクビになって、仕事が見つかるまでのつなぎで、此処以外に幾つかのバイトを掛け持ちしてるって言ってた。
今は、色々あってじり貧だから、化粧とか全然出来なくてすっぴんで恥ずかしいとか、御堂のねえさん言ってたけど、化粧なしでも全然いけるし童顔でむしろギャップ萌えした。
俺、ギャップに弱いんだわ。恋人云々って言うより、アバンチュールで喰われてみたい的な感じだけど。
「なんすか、ねえさん」
事務所に入っていくと、PCで帳簿を付けてくれていた御堂のねえさんが、持っていた用紙の束をを俺に差し出す。
「何これ?」
「店長に頼まれた、前年度の月別の売れ筋を集計したデータ。明日、仕事が休みだから、礼から店長に渡しおいてくれる?」
ねえさんが、集計や帳簿管理が得意って事で、父さんがねえさんに作成をお願いしたら、機械音痴の親父でも簡単操作できるようなシステムをPCで作ってくれた。
俺も詳しくねえんだけど、表計算ソフトでベースを作り込んだだけだから、そんなに難しくないらしい。俺にも親父にも、難しい用語がどんどん出て来て半分も理解できなかったけど、ものすごい使いやすいのだけは確かだ。
しかも、これまでのデータはねえさんが全部打ちこんでくれて、これまで気付かなかったような無駄な部分を指摘してくれたから、テコ入れして、この一月ちょっとでかなり収支がプラスになったって、親父も大喜びで、なんか息子の俺より信用してる感じだ。
ねえさんは自分のスキルを誇示する訳でもなく、驕る感じもない。しゃしゃり出ないけど、仕事はきっちりこなしてくれる。だから余計に、親父は気に入ってるみたいだ。
「わかった。今日、実家に用事があるから行ったついでに渡しとく」
「ありがと」
紙をペラペラめくると、何カ月分かの集計データが分かりやすく表示されてた。
良くこういう風にまとめられるよな。俺だったら集計段階で即、挫折するね。
「それからもう一つ、お願いがあるんだけど」
「ん、なに?」
紙面を見ながらぼんやり返事をすると、ねえさんが俺の袖口を引っ張って、黙ってPC画面を指差す。
「なんすか、この細かい数値」
「渡したデータ以外に、納品と廃棄の量をチェックも店長からお願いされてたんだけど、米山君が発注かけた時は他の人に比べてかなり廃棄量が多いのよ。此処を絞れば、もう少しコストダウンできると思うんだけど…」
画面の集計表を確認すると、確かに、他のバイトに比べて米山の廃棄率は高い。 何となく、米山の発注物の廃棄量が多いのは分かってたんだけど、数値化して額面で改めて確認するとその異常さが露骨過ぎた。『お前ナメてんのか?』レベルだ。
米山、仕事はまじめに来るんだけど、仕事内容がどっか抜けてるっつうか、足りてねぇんだよ。発注ミスとか結構かますし、他にも色々損失出してるんだよ。だから、首切るかどうするかちょっと親父と協議中なんだ。
「礼の力で巧い具合に、指導してあげられないかな?」
「今日、米山来るから言っとく。親父にも後でその旨、連絡しとく」
ま、指導せずに店の損失が大きい事を理由にクビでも良いんだけど…辞めさせるにも一応、前段階踏んでおかないといけないしな。これですぐクビってなったら、ねえさんも後味悪いだろうし。親父も、了承するだろう。
米山、ねえさんに感謝しとけよ。これで改善しなかったら、クビだ。
「よろしく。米山君、礼の言葉なら素直に聞いてくれるみたいだから、店長から言うよりスムーズにいけると思うんだよね」
短期間で、人間関係を良く見てる。
「ねえさん、実は中身が四、五〇代の中間管理職のおっさんじゃね?」
「…なに、今日も殴られたいの?」
途端に不穏な空気を垂れ流したねえさんに、俺は慌てて首を横に振る。
小柄(っても、平均身長くらいだけど)なねえさんは、意外に暴力的で気性が荒い。
「褒めてる褒めてる!仕事ができるって思っただけだって」
ねえさんってば、こんなところでコンビニ店員している様なタマじゃないと思うんだよね、俺は。
たぶんすぐ、就職先見つかって辞めちゃうんだろうなぁ…仕事も覚えが早いし、即戦力ですごく助かってるから、正直、辞められるとこっちも痛いんだけどなぁ。
あれ…何でか、御堂のねえさんが、床が抉れるくらい深い溜め息を漏らした。
「礼、あんたって何時も言葉で失敗して、彼女に振られるタイプでしょ?」
「なんで知ってんの?」
「…礼の欠点は、口が拙いことだからね」
「まじでか…ねえさん的に、俺は男としてナシ?」
内心ドキドキで、それとなく聞いてみる。
ねえさんは俺の手を何でかじーっと見て、残念そうな顔をした。
「…その口の悪さにイラっときて、毎日 DVになりそう」
「殴って愛を表現とか、ねえさん愛情表現が過激」
「その失言がなくて、年上ならいけたかもねぇ。残念」
「それ、俺をほぼ完全否定じゃん」
年だけはどうにもならねぇし。
やっぱ、八つ違うと簡単にあしらわれるし、子供扱いだもんなぁ。
「手の形だけは、良いんだけどなぁ…」
「手?」
しみじみとねえさんが言うので、自分の手を見てみるけど、特にどうってことはない。
どちらかって言うと細くて長めの指で、節くれて、手の甲に骨と血管が浮く様な痩せ気味の手だ。
俺の体型自体が少しやせ型で、胃下垂の所為か喰っても全然、太れねぇ体質だから仕方ねぇんだけど。俺は自分の手が好きじゃない。
「もう少し指の骨が細かったら、年齢に関係なく惚れちゃったんだけど…残念」
「残念、残念、言うなよ。俺がホントに残念な人間みたいだろ」
「ははっ、ゴメン。機嫌直しなって」
そう言ってねえさんは俺の腕を軽く叩いて笑う。
眼鏡越しの、ちょっと釣り気味の眼が優しく下がるその笑顔が、俺はたまらなく好きで、最近はそれを見ると、ねえさんを抱きしめたい衝動にかられる。
いや、そんな事をしたら、変態かっ!ってぶっ飛ばされるのがオチなんだけどさ。
こう、ねえさんに感じるのは、小動物をいじりたくなる衝動に近いんだ。
「悪いと思うなら、ねえさん、今度、俺と映画付き合って」
「なんで映画!?」
「連れが試写会のペアチケット当てたけど、その日に急な仕事が入っていけなくなったって、チケットくれたんで。野郎と二人で行くのも何だし」
「彼女は?居たでしょ?」
「振られた。二日前に。だから、チケットの始末に困ってるんだよ。ねえさんも今の所フリーだろ?」
「…そうだけど。試写会は何日?」
「明日の午後」
「明日!?急過ぎでしょ!?」
「無理?ねえさんの好きな俳優が出てるけど」
「んー。午前中に仕事の面接入ってるから、その後からなら」
「じゃあ、決定。明日、俺に拉致られて?」
「えー、晩ご飯付きなら良いよ?」
「うっ…じゃあ、ファミレスで…」
「やった!言ってみるもんだわ」
ねえさんはお人よしだから、無理って言っても結局、付き合ってくれるんだけどさ。笑ってる所が見たくて、俺も今月結構、ピンチなんだけどOKしちゃうんだよな。
ねえさんは俺の予想通り、嬉しそうに笑ってくれた。
それを見て、俺はまた抱きしめたくなる衝動を、必死に抑え込んだ。
笑顔が見たいけど、見ると色々我慢しないといけないこの感じ、胸が苦しいけどなんか嬉しくてやめられない…俺、ドМなのか?




