愛するより愛される方が幸せって言うけれど…(2)
◆
遠くでキッチンを掃除している音がする。
それに混じって、間近で髪が断たれる音と、ハサミの動く音が聞こえる。
ただ今、御堂円は閉店した真幸の店の隅にある席で、佐内青年に髪を切られています。
彼の持参した大きな鞄には、彼の商売道具がいろいろ詰め込まれていた。どうやら、捕まえた先で、私の髪を切る気満々だったみたい。
そんな、追い掛けて切りたいほど私の髪、酷いことになってたのかなぁ…って、思いつつ、魔王のいる美容室に戻るのも抵抗があったので、真幸の言葉に甘えてお店の一部を借りてカットすることにしたのは良いんだけど…
お互いに終始無言で、会話がないのよ。
どんな髪型にしたいのかは、最初に佐内青年の職場に行く時に話をしてあったから、別に無言でも良い。危機感を覚えるような雰囲気はなくなったんだけど、酷く緊張しているみたいで、ちょっと強張った空気感が漂ってる。
これまで、会えば何かしらおしゃべりしていたから、喋らない状態が続くとちょっと居心地が悪い。
此処は美容室のように目の前に大きな鏡台があるわけじゃない。でも、机の上には大きめの折りたたみの鏡があるから、チラチラと佐内青年が見える。表情が緊張しすぎて強張ってるのが見えるから、余計に声がかけ辛い。
声をかけようか、そのままでいようか迷っていたら、不意に、ハサミの動く音が止まり、彼が手を下す気配がする。
「…ごめんなさい」
佐内青年の小さな声が聞こえる。
「えっ、もしかしてカット失敗したの!?」
思わず後ろに振り返った瞬間、佐内青年が目を丸くして首を横に振った。
いつもの佐内青年の表情で、ちょっとホッとする。
「ち、違います!…その、僕…髪の事になると暴走気味になるので、お姉さんに迷惑ばかりかけているんじゃないかって…それに、両親の事でお姉さんが嫌な思いしたんじゃないかと思って…」
「わんこ発言はどうかと思うよ?最初に言ったのは私だけどさ、冗談の領域なわけよ。軽いノリ。わかる?ああいう発言で、さっきみたいに場を凍りつかせちゃダメな訳よ」
「…すみません。でも僕…お姉さんに名前で呼んでもらいたくて…これからも仲良くしてもらえたらいいなって思って…ペットなら、長く可愛がってもらえるかなって」
純粋なのか屈折してるのかよく分からなくなってきた…何ていうか、思考がぶっ飛んでるわ。普通、こういう場合は『お友達』発想よね?
「そういう時は、お友達になりませんかでいいんじゃないの?」
「…僕、友達とか恋人になろうって近づいてきた人に、良い思い出がまったくないので」
「で、ペットまで話が飛んだの?…まあ、君のご両親も、かなり奇抜で個性的だしね…特にお父さんが…」
育てた人の影響か、受け継いだ遺伝子のせいなのか、判断に困るところだけど。
佐内父に関しては、いっそあそこまで快い感情なしの対応されると、清々しいくらい仲良くしたくない気分になるけどね。思い出すだけで失笑が漏れる。
「…父さんに嫌な事、言われなかったですか?」
「嫌な事というか…歓迎されてないのは確かだったよ。君をどうやって誑かしたんだって、聞かれたから、アイスクリームを譲った仲ですって言っといたけど」
「た、誑かした!?」
隠しても仕方ないし、素直に認めて簡単に内容を説明すれば、佐内青年の顔色が真っ青になって、ものすごい勢いで彼が頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした!」
体が綺麗な直角九十度になってるよ…。
「あ、いや…君に謝られても…」
「あの時、父さんに従ってお姉さんを一人にしたからいけなかったんです。絶対、何かやると分かってたいのに…仕事場での父さんの言葉は絶対なので逆らえなくて…」
あの魔王、色々やらかした前科持ちなの!?
「…頭上げなって。別に怒ってないし、君が謝る問題でもないから。ほら、頭あげて。聞きたいことがあるから普通にして?でないと話しにくいから…ほら、そこ座って」
ゆっくり顔を上げた佐内青年の顔色が本当に悪くて、倒れそうなくらいだったから、とりあえず立たせたままは気が引けて、近くにあった椅子に座らせる。
「君、お父さんと仲悪いの?店長さんは、君とほとんど話をしたことがないって言ってたけど」
「不仲というほどの関係性がないと言うか…。十四歳まで僕は祖父母に育てられていたし、父さんとは会話らしい会話をしたことがないです…今も、仕事でしか話をしませんから」
「…え、ご両親と一緒に暮らしてないの?」
「母さんは、僕が一歳になるかならないかの時に亡くなってます。父さんは今の店を軌道に乗せるために何年も仕事にかかりきりだったので、僕が起きているときに家に帰ってくることがほとんどなくて…幼稚園の卒園式の時に、初めて父さんが来てくれたんですけど…僕、父さんの顔が分からなくて、『このおじちゃん誰?』って、言ってしまって…」
わぁ…それは親としてはショックかもねー。まあ、顔見知り程度としても認識してもらえないほど、息子を放置した親の責任でもあるけどね…。
それを思うと、肝っ玉が小さくて酒癖が悪い以外は私の父親は普通だったんだなぁ…。仕事の合間をぬって学校行事にもマメに顔を出してくれたし。
「あれ…そうなると松子さんって…」
「父さんの再婚相手です。僕が十四歳の時に父が再婚したので」
松子さんはいわゆる継母ってことか…。佐内青年のお母さんっぽくはない感じがしたのは、そう言う事だったんだわ。
「…良く人生の脇道にそれなかったね。お祖父さん達に大切にされてた?」
「大切というか…かなり過保護でした。子供の頃から僕が何かを訴える前に何でも与えてくれるような人だったので、自分で考えたり、感情を表現したり喋る必要がほとんどなくて…気付いたら意思表示も出来なくて、喋る事もすごく苦手で…人と接触するのも苦手というか嫌いで…松子母さんに徹底的に直されました」
佐内青年は純朴で素直な感じだったから、円満な家庭環境で何不自由なく生きて来たのかと思っていただけに、意外に複雑な家庭環境で少し驚いた。
意外と苦労したりしたのかな…。
それに、お店の人や彼の両親が『無表情』って言っていたのは、やっぱり本当の事だったのかな。お店の美容師さんも佐内青年の話で、尋常じゃないくらい驚いていたし…。
家族や美容師さんを巻き込んで私に嘘つくとか、手の込んだことしてたら分からないけど…そこまでして私をだましても利点があるとは思えないけどねぇ…。
「本当にごめんなさい…」
「え?今の流れで、どうして謝るの?」
謝るポイントが分からないんだけど。
「父さんがお姉さんに対して失礼なことをした原因は、僕にあるんです」
「君に?」
「僕、子供の頃は女の子にしか思われなくて、感情表現や気持ちを言葉にできないせいか、誘拐されそうになったり変質者に変な事されそうになったり…警察沙汰になる事も少なくなくて…家族にたくさん心配をかけました」
確かに、今の佐内青年の顔立ちでさえ中性的で可愛いから、体格に変化が出る以前の幼少期なら、愛らしい女の子と言われても分からないかも。
「まあ、心配する気持ちはわからないでもないけどね…」
「だから体を鍛えるようになって、身長も伸びで少しだけ男らしい体格になったので、高校に入ってからは女の子に間違えられることはなくなったけど、今度は女の子にストーカーされたり、店にお客でもないのに女の子が押しかけてきたり、働くようになっても客を装って執拗に絡んで来たり…そんな事が続いたせいで、両親や店にすごく迷惑をかけてしまったんです」
変質者に追い回される子供の頃の思い出も人生も、嫌だわぁ。それは人が苦手を飛び越えて、人嫌いにもなるよね。
佐内青年も濃い人生を送っているんだなぁ…。
「そのせいで父さんは、僕に近付く人間全てに対して快い感情がなくて、初対面でかなりキツイことを言って追い払うのが常になっていたんです…」
まあね…佐内青年の言ってることが全部本当なら、家族はノイローゼになるか、人間不信になって言動に毒も孕むわよね。
そう考えると、店長さんのあの魔王っぷりは、人避けには最高かもね。
二度と接触したいなんて思わなくなる。
だからと言って、人を見定めもしないであんな行動をとった佐内父を許せるかというとそれは別問題で、そこまで私も心が広くないし、植えつけられた苦手意識も消える訳じゃない。
ただ、ああされた事情が分かっただけ、少しすっきりした感じはする。
基本的に、吐き出したあとはその物事に執着しないけど。




