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氷の王子と魔王が棲むレイチェルで(後篇)

※今回、少しばかり下品な表現がございます。苦手な方、ご注意くださいませ。


「…気を悪くしないで下さい。わたし達が知る悠里ゆうりは感情表現が下手で、いつも無愛想なんです。だから、貴女の様に悠里が笑うと言う方は初めてだったので、みんな驚いているだけですから」


 急に毒気が無くなった店長さんが、そう教えてくれる。

 自分の中と他の人の中の佐内さない青年が全然咬み合わなくて、なんだか騙されている気分でモヤモヤする。

 そんな気分のまま、気付いたら椅子の背もたれを倒されて、シャンプーが始まっていた。

 どれだけモヤモヤして放心してたの私!?それとも魔王の早業!?

 頭皮をマッサージしながら洗ってくれる店長さんの手は気持ちが良いのに、心はなんだかどんよりする。


「佐内君が無愛想な方が、私には信じられないんですけど…」

「わたしたちは悠里の笑顔を見たことがないんです…情けない話、父親のわたしも悠里の感情が分からないのです…どう接して良いか分からなくて、普段、話もあまり出来ない」


 顔にガーゼハンカチを掛けられているので、相手の顔は全然わからないけど、声はちょっと元気がない。


「だから悠里が懐いている人がいるらしいと松子しょうこから聞いて、わたしも貴女に会ってみたかったのです。今日、期せずその願いがかなって嬉しい限りです…人付き合いが苦手な可愛い息子に近付いて誑かす女狐を苛められるかと思うと、胸が高鳴ってしかたがない」


 油断しているさなかに、地を這うような低い声で危ない言葉を発した、やや変態寄りのドS確定の魔王様に、全身の体温が一気に下がって背筋から凍りついた。

 何この人!?息子溺愛のあまり、盲目に近付く女を排除したかったの!?

 っていうか、私は佐内青年を誑かしたことも無いし、自分から近づいた覚えも一切ないんですけど!?


「どうやって悠里に近付いたのか正直に吐いておいた方が身のためですよ?」


 正直に言わなかったら、何する心つもりなの、この人!

 今ですら、真綿で首絞められてるような気分なのに。

 ホント、今すぐ帰りたい。もしくは、佐内青年、今すぐカムバック!


「こ、コンビニでたまたま欲しかったアイスが一緒で、それが一個しかなかったから、切羽詰まった感じの彼に購入権を譲っただけです」

「それだけ?」


 口調は穏やかなのに、肌に突き刺さるこの寒気、ホントやめてっ!変幻自在の魔王、ホントに怖いわっ!


「わ、私は覚えてないけど、佐内君は昔、私と会ったことがあるって」

「昔?」

「恩人って佐内君は言うけど、私は思い出せなくて…お礼にカットさせて欲しいって、毎日、彼に言われて…押しに負けたんです」

「あぁ…もしかして貴女が、花伊のアマゾネス?」

「は?アマゾネス?」


 意味が分からなくて、思わず反復してしまった。しかも何よ、人の事をアマゾネスって…大概失礼なんだけど。


「悠里が電車内で巨漢男から痴漢行為を受けた折、それを助けてくれた女性です。痴漢男はその女性に痴漢行為を暴露されて降りた駅で捕まえられそうになり、それに逆上して暴れて刃物を持って女性に襲いかかったけれど、女性はそれを一撃で叩き伏せた。まあ、十年前の話ですが、ご記憶は?」


 残念ながら記憶にございますよ。そんな感じの出来事。

 十年くらい前、この店の裏手を走る沿線の花伊はない駅で、そんなことをした事がある。

 ただし、助けたのは少年ではなく少女だったはず。

 仕事帰りの電車の車内で、身長百五十七㎝の私より五センチは背の低い、小柄で線の細い可憐系美少女な女中学生が隣にいたの。可愛いなぁってちら見してたら、不意に、スーツのジャケットを軽く引っ張られて、何かと思ったらその子が震える手でジャケットをわずかに握ってたのよ。

 何かと思ってその子を注意深く見てたら、私服でパンツスタイルのその女の子のお尻をいやらしい手つきで撫でまわして、あまつさえ彼女のズボンの中に手を突っ込もうとしたド変態中年サラリーマンの手を発見したわけ。

 女の子は震えて怯えて抵抗なんてとてもできる状態じゃなくて、泣きそうになってた。

 一生懸命、女の子が勇気を振り絞って、私に無言で助けを求めていたんだって気付いた。

 普通、気の弱い子じゃなくたってこんな真似されたら、怖くて声なんて出ないもの。

 抵抗できない様なか弱い子を狙う下劣さも、身勝手な欲望を吐き出そうとするくそったれぶりにもムカついて、『てめえの●●潰して、男人生強制終了させて新世界に送ってやろうか、この痴漢野郎』って、思わず呟いちゃったのよ。

 当時は、かなり血の気が多かったからね…。

 お品の悪い私の言葉に真っ青な顔になった相手の男の腕を捻りあげて、丁度停車した駅のホームに引きずり出したのよ。そしたら、相手が暴れて私の手を振り切って、逆切れしてナイフ出して襲いかってきた。

 咄嗟に相手の間合いに入って、ナイフを持つ痴漢の右手の手首を左手で掴んで、右手で格闘マニアの従兄弟仕込みの掌底を鳩尾に打ち込んだら、そのまま相手は地面に顔から突っ込むように倒れて悶絶して戦闘不能に。

 ノックアウトした痴漢のカバンやコートのポケットから盗撮用カメラとかいろいろ出てきて、そのまま通報で駆け付けた警察に連行された。

 実はその痴漢、盗撮行為で逮捕歴の前科があって、証拠品から痴漢と盗撮の余罪がいっぱい出て来て、後日、実名と顔写真入りでニュースになってた。

 で、痴漢を捕まえた私は、その日の夜に従兄弟の要と真幸に女が危ない事するなって、めっちゃ叱られた。要からは素人に手出すなって関節技かけられるし、その傍らで真幸が般若の形相でねちねち女の子らしさについて一時間説教…。

 良い事したはずなのに、泣きながら、もう二度としませんって悪い事したみたいに謝ったわよ…ほんっとに、酷い目にあったわ。

 それで良く覚えてたんだけどね。


「私…かもしれないです」

「かも、とは?」

「確かに、十年前にその手の痴漢を警察送りにはしましたけど、痴漢されていたのは男の子じゃなくて女の子だから、佐内君の恩人にはならないと思って」

「女の子ねぇ…」


 話をしながらも、コンディショナーまで恙無く済ませた店長は、私の顔からガーゼハンカチを取って、髪をタオルで拭くと髪をまとめてタオルを頭に巻きつけ、椅子を起こしてくれる。

 丁度、戻って来た佐内青年が私に近付いて来る。


「せっかくなら、悠里本人に聞いてみてはいかかです?」


 先ほどとはうって変わった仏様の様な笑みで優しく笑う店長に、私は内心ドン引きで引き攣った。佐内青年は、私たちを見て眉根を僅かに寄せる。


「…なに?」

「御堂様が、昔の君の事を知りたいそうだよ。とても恥じらい深い人の様だから、君から色々と教えて差し上げなさい」


 こ、この、三枚舌の大魔王めっ!別に私は恥じらい深くなんてなーいっ!

 さっきまで私の事を苛めたいとか言って圧力かけて来たくせに、息子には無駄に良いパパ演じてるの!?いい年して、しかも息子ラブとかどうなのよ。

 恩人の話については知りたいとか思ったけど、何、その意味深で作為的な話の振り方っ!

 店長さん、貴方、私をどう料理ですか一体…。

 真贋定まらない表情で私を見る佐内青年に、私も苦笑いしか返せない。


「お姉さん、嘘なら嘘って言ってくださいね。店長、五枚も六枚も舌を持ってるから、基本、僕は店長の言葉は信用していないので」

「酷いなぁ、悠里」


 冷めた口調で父親をばっさり切り捨てれば、魔王があからさまに落ち込んだ。


「…話せる範囲で、教えてほしいことがあるんだけど…ダメ…かな?」


 佐内青年は、私の手を取って椅子から立たせてくれた後、そのまま私の手を両手で握ると、はにかむように微笑んだ。


「お姉さんにならいくらでもお話しますから、遠慮なく聞いてください」

「ありがとう」


 背後から可愛い花がいっぱい散って見えるその笑顔…佐内青年、やっぱり笑顔が可愛いわー。癒される。

 魔王の息子とはとても思えない可愛さに、無意識に私まで頬が緩んでしまう。


「お礼なんて…僕は貴女だけの下僕わんこですから。悠里って呼び辛かったら、ポチって前みたいに呼んでください」


 ちょっと待てーっ!君、今なんて言った!?

 佐内青年が恍惚とした表情で、甘い声で危険で変態チックな言葉を吐いたせいで、店の空気が完全に凍りついた。

 デフォルメでも何でもなく、一瞬にして、店の中に氷河期が来たっ!


「貴女に可愛がってもらえるなら、僕…何でもします」


 わんこって、ネタでしか使ってないし!可愛がるってなに!?


「父さんはそんな爛れた男女関係は許さんぞーっ!そんなプレイも赦さん!」


 パニックになってる私の傍で、私以上に混乱した魔王店長が突然キレた。

 事態を余計に混乱させるからやめてーっ!しかも、何その爛れたって!いかがわしい関係みたいじゃない!


「変態プレイなんか、するかボケーッ!私に人間飼う趣味なんてなーいっ!こんな変な人がいる店、帰ってやるーっ!」


 その私の渾身の叫びは、美容室『レイチェル』と言う名の伏魔殿の中にこだまして、私は変態王子の手を振り切って、頭をタオルでターバン巻きしたまま飛び出した。



ご指摘をいただいた箇所を一点修正いたしました。

デフォルメをデフォルト…って…一文字ちがうだけで、大間違い(/-\*)


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