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【本編完結!】戦国維新伝  ~日ノ本を今一度洗濯いたし申候  作者: 歌池 聡
第十章  未来の記憶を持つ者たち

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092   根回し   竹中半兵衛重治


「『紙幣』だと──? 話にならん、却下だ」


 小一郎殿の提案を、お館様は即座に斬り捨てました。

 私も紙幣というものが大陸で使われているということは知っていますが、果たして使い物になるものかどうか、かなり怪しいような気がするのですが──。


「そんなものが使い物になるとは思えん。仮に『一貫文(約8万円)』と書かれておっても、紙は紙ではないか。民が、そんなものに一貫文の価値を認めるわけがなかろう」

「いえ、紙そのものに価値があるのではありません。その後ろの『信用』に価値があるのです」


 小一郎殿が自信ありげに力強く答えますが、皆は目を白黒とさせています。


「──よくわからん。もっとわかりやすく申せ」

「よろしいですか。『紙幣を織田の役所に持っていけば、確実に額面通りの銭と交換してくれる』──つまり『織田家がその紙幣の価値を間違いなく保証する』ということが民に信用されればいいのです。

 言うなれば紙幣とは、織田と持ち主のあいだの簡便な『証文』なのです。

 そして、紙幣はかさばらず、目方も軽い。特に、大量の銭を持ち運ぶのに苦労している商人たちなら、必ずやその利便性を理解してくれるはずです」


「ううむ──いや、しかし紙など燃えてしまえば終わりではないか。いくさに巻き込まれるのを恐れている民は、やはり普通の銭を求めるであろう?」

「逃げるときにも、紙幣の方が持ち運びやすいと思いますがの」

「くっ、ああ言えばこう言う──」


 忌々し気にこぼすお館様と対照的に、小一郎殿の舌はますます勢いを増してきます。


「さらに、紙幣にはもっと利点がございます。貨幣を作るためにはその分の貴金属が必要になりますが、紙幣なら──あ痛っ⁉」


 その勢いを止めるように、小一郎殿の額に扇子が打ちつけられました。珍しく険しい表情を浮かべた近衛様の一撃です。


「──小一郎殿、それはあかん。断じてあきまへん。

 麿(まろ)が以前に忠告したこと、ちぃともわかっておられんようでおじゃるな?」






「こ、近衛様、いったい何を──?」

「黙らっしゃい!」


 額を押さえて困惑する小一郎殿に、近衛様が一喝します。


「言うたはずでおじゃる、下手なことをすりゃ公家衆につぶされる、と。これはまさにその『下手なこと』に他なりません」

「し、しかし紙幣は利便性も高くて、ですな──」

「黙らっしゃい‼」


 近衛様は重ねて叱りつけると、高ぶったお心を鎮めるように大きく息をついて話し始められました。


「よろしいか。公家衆はまだ織田のことを『出来星大名』としか見てまへん。

 支配地だけは日ノ本随一に膨れ上がりましたが、旧武田領の統治も始まったばかり。何かにつまずけば、自分たちと繋がるどこぞの勢力が取って代わる余地がまだあると思ってはる。

 この紙幣制度が優れているかどうかは、この際どうでもよろし。問題は、この制度が公家衆にとって織田を叩く好機になってしまいかねんということや」

「は?」


「確かに、今の公家は非力や。金もないし武力もない。

 ただ、先ほど『紙幣は織田に対する信用で値打ちがつく』みたいに言ってはりましたな。

 裏からこっそり手を回して、誰かの信用を失わせる──。そういう小ずるい手口こそ、公家衆の大好ぶ──もとい、最も得意とすることや」


 ──近衛様、今『大好物』って言いかけました?


「し、しかしどうやって──」

「そうですな、麿が今ちょっと思いつくだけでも──。

 例えばある日、帝が突然『朝廷への献金は織田の紙幣では受け取らん』と触れを出す。

 それに合わせて、堺の会合(えごう)衆や各地の豪商たちが『自分たちへの支払いも織田の紙幣では受け取らない』と一斉に言い出したら、どうなりますやろ?」


 近衛様の問いに、私も急いで予想を立ててみます。


 もし、そんなことが起こってしまったら──。

 おそらく、大商人相手に使えない紙幣など、商人は欲しがらなくなるでしょう。民も商人相手に使うことができなくなる。下手をすれば額面以下の安値で取引されるようになり、最終的にそれを押しつけられた民たちが一斉に換金を求めて織田の役所に殺到するかもしれません。

 全ての換金に応じれば、織田の金蔵は空になってしまう。しかし換金に応じなければ、民の不満はもう抑えきれないものになるに違いありません。


 なるほど、『信用』に基づいた制度は、その『信用』が失われれば一気に破綻するということですか。

 

 見回してみると、皆が首を捻っているなか、小一郎殿とお館様、次郎殿は私と同じく恐るべき結論にたどり着いたようで、青白い顔をしています。


「──何人かはわかったようでおじゃるな。

 この制度はかなり危うい。根回しもなしに性急に進めれば、必ず公家に足元をすくわれます。

 小一郎殿に一番欠けとるのはその『根回し』の部分や。

 せめて織田家が幕府を開くか、もしくは公家衆が『日ノ本の統治は織田家でなければ立ち行かん』と認めざるを得んほどに大きくなるまでは自重して、充分に根回ししてからにしなはれ」

「──小一郎、殿下のおっしゃること、わかったな? 此度はあきらめよ」


 厳かに言い放つ近衛様とお館様の言葉に、小一郎殿が観念したかのように頭を下げます。その姿は、何だか妙にしょげ返ったようにも見えて、皆のあいだにちょっと鼻白んだような空気が流れました。


「──待て。小一郎、まだ何か存念がありそうだな」


 それに気づいて、お館様が訊ねてきました。


「あれほど強く紙幣を主張してきたということは、その裏にまた何か新しいネタがあるのではないか? 隠さずに申してみよ」

「──はい。実はもう何年かすると、異国から印刷の新しい技術が伝わってきましてな。

 ちょっと説明が面倒なので割愛しますが、それに関するさらに進んだ知識を持った者がおりまして。

 うまくすれば、その印刷技術を逆に異国に売って、手っ取り早く利益を得ることも出来るかと思っておったのですが」

「あっ⁉」


 それに反応したのはお駒殿です。


「紙幣の制度を始めるには、大量に同じものを印刷する技術が必要になる。その技術開発を進めようとしていたのね?」

「んー、まあ、そういうことじゃ」

「何だ、そういうことであったか」


 お館様が呆れたような声を出されます。


「異国に日ノ本の技術を売るとは面白い。紙幣の件は先送りにするとしても、その印刷技術とやらは開発を進めれば良いではないか」

「あ、いや、それはそうなんですがの──正直言って、開発を進める金がありません」

「何だと?」


「これまでの発明は割とすぐに利益も出せたのですが、船の動力に使えるような蒸気機関の開発にはまだ何年もかかります。わしのこれまでの儲けをつぎ込んでおるんですが、当分利益が出せそうにないので、そろそろ資金が底をつきかけておりまして──」

「そういうことは早く言わんか、このたわけ!」


 お館様も扇子で小一郎殿の額をぴしゃりと叩きます。


「家臣に自腹を切らせたんでは、わしも格好がつかんではないか。妙なところで気を遣いおって──。

 これまでにかかった費用はすぐにでも出してやる。書面にまとめて持ってこい」


 そう言ってお館様は少し目をつむり、素早く思案をまとめたようです。


「今後は、ある程度まとまった額をお前の裁量で使えるようにしてやろう。ただし、必ず後で報告はするように。

 それとな、今後は何か開発しようとする前に、まずわしに一報をよこせ。わしへの根回しもおろそかにするでないぞ、良いな?」

「はっ」


 厳しい声で言いつけるお館様に、小一郎殿が深く頭を下げました。






「──で、小一郎殿。これから進めようとしておるのは、その『印刷』だけでおじゃるか?」


 近衛様が何だかわくわくしたようなお顔で聞いてこられました。


「ほれ、他にも何かあるのであれば、教えておいてもらった方が良いでおじゃる。公家につけ込まれるようなものかどうか、判断して差し上げましょ」


 ──ああ、これは親切心というよりむしろ好奇心からですね。小一郎殿もそれに気づいてか、少し表情が和らぎます。


「ああ、このところ考えているのは、蒸気機関を他のことに利用できないか、ということです」

「蒸気機関を?」

「はい。いくさ船の動力にするほどのものはまだ先になりますが、そこまで力の強くないものはもう実用化の段階まで来ています。

 蒸気機関の強みは力が強いことと、疲れ知らずで同じ作業をずっと続けられることです。

 それを、他の仕事に応用できないかと模索しておりまして」


「うーん、例えばどんなことや?」

「先ほどの印刷や、紙を()く作業とかですな。他にも糸を紡いだり、機織(はたお)りにも使えそうですし──それと先ほど鉱山開発の話が出てましたが、坑道で湧き出してくる水を汲み出し続けるのにも使えます。

 実は、蒸気機関とはもともと鉱山の排水用に開発が始まったもので、船などの動力に使うことは後から考えられたのだそうです」


「なるほど。水の汲み出しに人手がかからないのであれば、採掘の効率も上がりそうだな」


 お館様も興味深げに身を乗り出してきます。


「甲斐の金山でさっそく試してみたい。どのくらいで用意できそうか?」

「ええと、そうですな。使える機械は既にありますが、故障の際に対応できるくらいに鍛冶をひとり鍛えねばなりませんので──春までには必ず」

「良かろう。抜かりなく手配せよ。

 金が効率よく採掘できるようになれば、貨幣の鋳造にも早く取り掛かれるかも知れん。おぬしも嬉しかろう?」


 お館様も嬉しそうにおっしゃられたのですが──小一郎殿はなぜだか真剣な表情のままです。ちらっと次郎殿と目配せを交わしたあたり、何かここで献策をするつもりなんでしょうか?


「恐れながら、お館様、近衛様。

 貨幣制度の整備に取りかかる前に、ひとつ根回しを始めておきたいことがございます」

「根回しだと? いったい何を──?」


「そろそろ、我が国から異国へ人を送り込むことも考えるべきかと存じます」






 これは以前、今浜で話し合った時に、おね様が思いつかれた話です。

 異国の優れた技術や文化が入って来るのを待つのではなく、こちらから留学生を送るなど、積極的に学びにいくべきではないかと。


「──それと、異国に関する様々な情報も入手せにゃなりません。

 伴天連(ばてれん)や商人たちは、やはり自分たちに都合のいい情報しか寄こしません。ここは、自分たちからも積極的に情報を集めるようにしなければ、いずれ痛い目に遭います」

「痛い目? ──何や、ようわからんな」


 近衛様が皆の気持ちを代弁するようにぼやくと、小一郎殿に代わって次郎殿が口を開きました。


「これは徳川の終わりごろ、異国との交易を再開した時に起きたことなのですが──。

 当時の日ノ本では同じ重さの銀五枚と金一枚が交換できます。しかし、海外では金一枚に対して銀十五枚の価値なのです。

 つまり、異国から銀五枚を持って来て、日ノ本で金一枚に交換する。それを異国に持っていって銀に替えれば十五枚になる──銀十枚分の儲けになるというわけです。

 このことを知った異国の商人たちがこぞって金を国外に持ち出し、そのために日ノ本の景気がかなり悪化してしまうのです」


 わかりやすい説明はさすがですね。そこで、再び小一郎殿が話を引き継ぎます。


「そういう事態を防ぐには、まずは相場を知らねばなりません。ただ、その相場を商売相手から聞いていたんでは、どうごまかされるかわかりませんからなぁ。

 やはり、こちらからも情報を集めにいくべきですろ」

「ううむ──」


 お館様は難しい顔で考え込んでしまいました。近衛様が、扇子で頭をぽりぽりとかきながら口を開きます。


「いやな、留学生を送るのは構わんのや。大昔に前例もありますのでな。

 使節を送るのも、お上にお伺いを立ててみましょ。

 しかし情報収集ということは、要は密偵を送り込むようなものですやろ? そんじょそこいらの者には務まりませんやろ」


「ううむ、確かに。腕が立つのは当然として、機転が利くものでなければなるまい。

 異国との交渉が出来るような押しの強さもほしい。

 おいそれと切支丹(きりしたん)に染まってしまっても困る。自分を見失わんような芯の強さ、どれほど偉い者を相手にしてもものを言える肝の太さ、ずけずけと相手に近づいていけるようなずうずうしさ──」


 ──ええと、お館様が数え上げる条件を聞いていると、何だかある人の顔しか思い浮かばないんですが。


「あっ!」


 お駒殿も同じことに気づいたのか、小さく声を上げました。

 それにつられて、皆もある人物に思い至ったらしく、一斉に口を開きます。


『──孫一!』殿!』


 こんなに見事に全員の考えが一致するとは。


「く、くく──はぁっはっは!」


 やがて、お館様が大きな声で笑い出しました。


「そうか、あの扱いにくそうな男にそんな使いどころがあったか! 小一郎、どう思う!」

「は、まさに適任かと。孫一なら多少の苦難など物ともせんでしょう」

「──あ、でも孫一殿って奥さんも子供もいるでしょう? そんな何年もかかる仕事に、そう簡単に──」


 お駒殿がちょっと異論を挟みかけますが、ふと言葉を止め、溜め息まじりにこぼしました。


「あー、でも孫一殿なら、そんなのおかまいなしに引き受けそうよね。面白そうなことにはすぐ飛びついちゃうもの」


 お駒殿の言葉に、皆がまたしても一斉にうんうんと頷きました。






「さて、では小一郎。この後、どのような段取りで動くべきか、考えを述べよ」


 そろそろ話も終わりに近づいたのか、お館様が小一郎殿にまとめを促します。


「そうですな──まずは近衛様を通して帝のお許しを頂戴し、それから南蛮商人を使って、先方にお伺いを立てる文を送りましょう。一方的に使者や留学生を送るわけにもいきませんので。

 返事が来るまでに二年はかかるでしょうから、その間に使者の人選と留学生の選抜と、──出来れば行く前に多少の言葉は覚えさせたいですな。


 あ、それと近衛様。その使節団には、公家からもどなたか加わっていただくわけにはいきませんかの?」

「く、公家から──!? 無理ですわ、そんな危険な長旅に行きたがるものなど、おるわけが──」

「その、先ほど言われていた『未来の記憶持ち』のお方になら、この使節の必要性はご理解いただけるんではないですか?」

「あ、ああ、なるほど……」


「それに、そろそろ公家衆にも考えを改めていただかねばなりません」

「か、考えを改める!? いったい何を──?」


「世界が大きく変わっている今、日ノ本だけが昔の姿のまま居続けることなど不可能です。

 ただ、流されるままに異国の文化を受け入れていては、日ノ本が西洋の国と同じになってしまいます。

 異文化をどこまで受け入れるか、どこは絶対に譲れないかをしかと見定めねばなりません。

 ──これまでのように『前例があるかないか』だけで判断できるような時代は終わったのです」

「う、ううむ」


「──まあ、待て、小一郎」


 近衛様が困惑するように黙ってしまうと、お館様が間に割って入られました。


「そう一気に結論を急ぐな。殿下もお困りではないか。

 すぐに使節を送れるわけでもない。順を追って進めて参れ。

 ──ああ、それとな。おぬしも少しばかり、心得違いをしておるぞ」

「は?」

「異国の優れた技術を学びに行く、と言っていたな。

 しかし、造船や鉄砲、医術に関しては、むしろ日ノ本の方が何歩も先に進んでおるのではないか?」

「あっ」


 そこでお館様は、少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら皆を見回しておっしゃられたのです。


「日ノ本は、やつらが思っているような遅れた国ではない。

 こちらの方が進んでいる分野もあることを見せつけて──いずれ向こうから『日ノ本に留学させてほしい』と言わせてやろうではないか」




前回のラスト、軽い引きのつもりで書いた『紙幣』に、あんなに反応があるとは思いませんでしたw

今回の展開はほぼ予定していたとおりですが、ネタバレするわけにもいきませんし──。


でも、感想やご意見をいただけるのは嬉しいものです。これからも応援お願いいたします。

──無明殿の正体予想とか今後の展開予想にはお答えできませんがw

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[良い点] うーん産業革命 こりゃ織田幕府開幕の暁には石炭掘りに蝦夷へ進出ですかねー
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